表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/21

梟雄憐憫 四話

先程まで躰の重さと、激震のような痛みだけが満ちてた。

それが抜け落ち、気分がいい。

薄っすらと瞼を開くと、そこには紅い世界があった。

自覚なく咳き込むと、何かが口を割って零れた。

何の音も聞こえない。

「苦しいか」

風が耳を撫でる声すら聞こえないのに、その声だけは確りと聞こえてきた。

苦しい?

別に苦しくなどない。

全身から痛みと痛みが失せ、あるのは泥に嵌まったようなズブズブと沈んでいく意識だけ。

底無しの眠気だけだった。

「後数分もすれば、お前は死ぬ」

眼球に引かれた紅い色の中に、一人の男がいた。

どうしてこの人がここにいて、自分に話し掛けているのかは理解できなかった。

まともに会話すらしたことない。

向こうから一度として声を掛けられたこともない。

「ぁぁ、ぁぅ」

嬉しくなってそちらに手を伸ばそうとするが、肘が上がっただけ。

その先に付いている筈の腕が折れ曲がっていて、ぶらぶらとしていた。

折角盗んできたものは、肩を打ち抜かれた時に落としてしまい掌に収まっていない事に思い出し、落胆してしまう。

「ぉ、ぅぅぁ」

「愚か者が。

死に直面して、どうして朕の事ばかり気にする」

言葉を成していない謝罪を汲み取ったかのように、男は答えた。

「憎くはないのか、お前をこんなにした輩を」

何が言いたいのかわからない。

只、寂しさだけが胸に去来した。

「…生きたいか」

不思議な問いだった。

「生きていたいか」

ニ度訊かされる。

無機質な声音。

それは空洞で、言葉という形をとっただけの意味のないもの。

それでやっと事実を知ってしまった。

目の前の男は誰の助けも必要としていないこと。

それが当たり前だと考えていること。

自分が成してきた事は、意味など初めから存在しなかったこと。

そして自分は誰からも必要とされていないことを。

湖の岸辺で倒れていた男を見つけた時、不思議な感情に覆われた。

気が付いたら自分の住処に運び込み、世話をしようとしていた。

それが自分よりも弱く、助けなしでは生きて行けない存在。

それにより芽生えた、存在意義。

それが動力源だった。

だが、それは独りよがり以外のなにものでもないと知らしめられた。

「生きたくないのか」

三度目。

それで少年は首を横に振った。

「そうか」

そして離れていく。

生きている意味が見出せない。

それが誰にも育てられなかった、少年の拠り所は、この瞬間粉々に砕けた。

「ぁ、ぁ、ぁぁ」

死ぬ事に対する恐怖はあった。

それでも心までは痛まない。

だが、男が去っていく後姿を切欠に滂沱するのだった。




背後から僅かに聞こえていた声が途切れた。

虚ろに開かれていた瞳は二度と開く事はないだろう。

(たかだか、人が一人この世を去っただけだ)

だが、それだけだと片付けようとした感情が留まる。

どうにも苛立つ。

(どうして気になる)

そもそも何故少年を探したかすら疑問だった。

自分が把握出来ない。

苛立ちだけ募り、それを払拭させる為に、亡骸になった少年に目を配らせる。

事切れただろう少年の頬を涙が伝っていた。

死ぬ事に迷いはなかった。

それなのにどうして少年は最後に泣いたのだろうか。

「…どうして」

呆然と呟く。

最後に迷いを生じさせ、死ぬ事を嫌ったのだろうか?

(違うっ!

こいつは)

孤高であろうとする水面下で、波紋が広がる。

この少年の姿は、遠い日の自分の理想なのだ。

似ていた。

手を差し伸べる事で温かくなる心の利己。

自己満足という形でいて、強く絆に飢えていた、あの頃の自分に。

裏切りというピリオドで終止符を打たれた記憶。

そして少年の頬に流れるものを見た瞬間、その記憶に残る裏切りを自分が知らずにも行ってしまった事に気付いた。

そしてこの涙が未練の残滓だと。

まるでナイフを突きて、自分自身を殺したような錯覚に陥る。

「っ!」

奥歯を噛み砕く程圧力で上顎と下顎を締める。

恨み言など微塵も通わせていない死した瞳は、只孤独だけを称えていた。

それも事切れた今、直ぐにも残り火を消し去るだろう。

「この痴れ物がっ!」

そう吼え、口を開けると、奥歯が砕けた反動で口内に溢れかえっていた血が下唇を濡らしながら地面へと引かれていく。

気が付けば少年に駆け寄り、仰向けにしてから掌を心臓の上に翳す。

(未だ、熱は冷めていない!

これなら!)

顎を濡らしている血を親指で拭い、付着させる。

そして少年の躰全体に文様を素早く描き始めた。

それは天をあらわす梵字(ぼんじ)

びっしりと全身を埋めると、今度はそれと同等の印を結び出す。

体に印を書き連ね、そして仏の象徴である印を結びことで身密(しんみつ)成し、自分の真言である名を唱えて口密(くみつ)とした。

最後に少年の心臓に両手手を重ね、心を与えることで意密(いみつ)とした。

これは三密加持(さんみつかじ)といい、身体、言葉、心のはたらきを仏の三密と合致させる方法。

つまり、これは人の成り立ちを表していた。

三密を合わせ、ヴリトラは最後の仕上げに、自分の別称に別れを告げる。

「月曜にして偉大なる生命の水たるもの。

汝、影としての任を解きて、新たなる主の名とせん。

ナウ マク サ マ ンダ ボ ダ ナン セン ダラ ヤ ソワ カ、汝が名、Soma!!」

少年の身体に書き込まれた印が輝き、そして月を彷彿とさせる清涼な光に包まれた。

自分の中から半身とも言うべきモノが抜け落ちていくのを感じた。

それは収縮して掌を伝い、それは少年の心臓に宿る。

瞬間光量が増し、閃光となる。

少年に書き込まれていた印は消え、それと引き換えにしたものが掌から感じた。

ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ。

生命の鼓動。

その鼓動が全身を隈なくあるものを行き渡らせる。

砕かれた肘が関節となり、破られた内臓が機能を取り戻せるまで復元していく。

そして貫かれた肩の穴が塞がっていく。

スクラップ同然だった躰は一つの傷がないまでに回復していた。

「あ、あぅ」

そして二度と開く事のない筈だった瞼が、ゆっくりと見開かれていく。

その瞳が初めに捉えたのは、去った筈の人物だった。

(朕は何をしているんだ)

自分の愚かさに怒りすら通り越し、呆れてしまった。

自分の半身とも言うべき別称を他人に当てえてしまった。

自分を神とした能力の一片を、こんな一時の自己満足の為に与えてしまった。

「運が良かったな。

人の身で、神の力を得れるなど奇跡の類だ。

奇跡が神の専売特許でも、これは愚神の莫迦さ加減だ。

奇跡と呼ぶのはおこがましい、痴れ事よ」

笑うしかない状況だった。

だが、これ以上痴事を重ねて見せてしまうほど、ゆとりが無い訳ではない。

それどころか、少し張り詰めていたシコリの一端が削れ、清々しい気分でもあった。

(…まぁ、命があっただけでも良しとして貰おうか)

奇跡的な回復をした少年。

だが、そこに居たのは青年だった。

少年を助ける手段。

最早息絶え、肉体は死に体となっていた。

手の施しようがなかった。

だが、ヴリトラは自分の中に宿りし力を少年に投与することで、その身体から魂が根絶する前に、修繕を計った。

それが神酒ソーマだった。

生命の鏡たる力を借り、蘇生した少年の姿は、全盛期である未来の姿へと変貌していた。

二度とソーマによる新生が出来ないのは、この先痛いが仕方ないと諦める。

事実がバレる前に去ろう、膝を立てようとして毛布を掴まれてしまう。

「どうした。

その力はくれてやる。

大概の厄からは逃れるだけの力位は備わっただろう。

最早、お前を脅かしものも無かろう。

礼代わりに受け取っておけ」

礼は要らんと遠まわしに言う。

「今日からお前の名は、ソーマだ。

大事にしろ」

「そ~ま」

変な発音だったが、別にコッチが気にする要素でもない。

あぁと相槌だけ打つ。

「……そろそろ離せ」

辛強く二拍だけ待つ。

だが、硬く握られた手は離れる気配がしなかったので、文句を口にしていた。

それを耳にしたソーマの名を貰った少年、否、青年はありありと雰囲気が沈んだ。

消沈なんてものではない。

それこそ死刑を宣告されたみたいだった。

流石に構いきれないと判断すると、その罪悪感そそる視線を無視して、掴んでいた手を振り払う。

「あぅぅ」

悲壮感漂う声をさせたソーマの放り出し、ヴリトラそのまま立ち去っていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ