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梟雄憐憫 二話

瞼を開いるのにも係わらず、何も見えない。

鼻腔に埃っぽい粒子が飛び込んできて、咳き込みそうになる。

闇に閉ざされた場所。

(穴倉か、此処は)

闇に視界が慣れてくると、全貌が露に成ってくる。

冷たいコンクリートに囲まれただけの部屋。

あるものは、自分が纏っている毛布だけ。

それ以外は伽藍堂で、埃だけが充満している。

(…朕は、どうして)

寝覚めの悪さに思考が現実に戻ってこない。

思い出したくも無い、汚点。

次第に思考も現実にリンクし、自分の状況を思い出していく。

(確かインドラを迎撃して、消費した躰が勝手に意識を断って)

ぼんやりと気を失う前に事態を思い浮かべる。

そこでやっと、自分がこんな場所にいる理由へ辿りつけない事へと思考が繋がった。

目覚めるなら湖の辺で、このような廃棄されたような建物の一室ではない筈。

上半身を起こそうとして、あらゆる箇所から苛む重みが訴えてくる。

(細胞の殆どが、くたばっておるな。

ヴァジュラの本領が、真底にダメージを蓄積しておるようだ。

これでは暫し身動きすらとれんな)

新陳代謝を引き上げ、肉体の再生を促すが、その根底となる分裂すべき細胞の殆どに亀裂が奔っていた。

心臓、脳共に動いているのが不思議な程に傷つき、壊死寸前だった。

(よくこれで生き延びたものだ。

やはり須弥山(しゅみせん)との繋がりは顕在しているという訳か。

完全に此方に引っ張ったと想ったが。

不完全故に助かるとは)

ヴリトラは自分を空洞と喩え、その奥のある繋がりを意識で探る。

だが、想像していたものは検索されず、この小康状態を保っているものが理解出来なかった。

(どういう事だ。

根源への繋がりが無いとは。

成功していたというのか?

…ならば、ヴァジュラの神雷に焼かれ、この身朽ち果てている筈。

生も根も尽きた朕に、この脆弱な肉を保つ術などない。

このように積み重なった細胞の全てが損傷していては、新生しなければ腐肉していくのみ。

だが、紙一重で肉の崩壊が免れている。

…そうか、これは狭間のお蔭か)

物質世界と隔離された世界。

それは現世と幽世の狭間。

(まさか受肉させる為に手段に過ぎなかったこの空間が、このように作用するとは。

まぁ、これは僥倖(ぎょうこう)だったな)

ヴリトラはそう結論付けようとして、そうも言っていられない状況にあることに気が付く。

(新生するだけの一握りに力すらない朕に、この惨状は遺憾ともしがたいな。

須弥山との道も途切れているのを確認したばかりだからな。

こうなると人の手段で栄養を得るしかなくなってしまった。

影を顕現させる手もあるが、他の者なら兎も角、一心同体として顕現した朕には陽炎とすることぐらいが限界だろう。

それを扱うに、消費してしまうのでは意味が無くなってしまう。

作用させる方が未だ消費が少ないな。

そして従者として扱う手段を失ってしまったか)

冷静な結論が、自分の躰を立て直す方法が見当たらないことを教えていた。

迎撃できたのは運が良かった。

実力的には叶わぬ相手。

それでも隙を縫って、付け入った。

(朕の別名にソーマがあらねば、あの勝負、間違いなく負けていた)

伊達に英雄として武勇を広めた人物ではない。

虚を突いた陥穽(かんせい)を引かねば、あの場で斃されていたのは、間違いなく自分だっただろう。

引き摺る気は無かった。

自分が何ゆえに此処に舞い戻ってきたかを思惟し、障害を撥ね退けたに過ぎない。

元より、この戦いに身を投じるつもりなどなかった。

(皮肉だ。

決別をし、昇華したのが、それすら根底で支えているのは人の想念とは。

切れぬか、どこまでも。

だからこそかもしれぬな。

此方の方が可能性があるのだ。

だから、この提案に魅かれたのかもしれぬな)

はっきりしない自分の本音に、苦笑しか浮かべられない。

それすら苦痛を伴うこの現状に、心底苦笑しか出来ない自分が滑稽に想えた。

どうにか視線だけ彷徨わせ、現状打破できる方法を探してみる。

埃っぽい室内なのだが、何処か生活感が漂っている。

それは自分が寝ていた位置以外に、埃が取り払われた部分があったからだ。

そして足跡。

ドアから続いている足跡は、何度もここに出入りしている者がいることを語っていた。

失念していた。

動けない自分が此処まで張ってきた訳がないのだ。

誰かが、この場所に運んだのだという事に。

(思考も覚束ない程に弱ってるとは)

真っ先にそこへと思惟すべきだったのだ。

自分の立たされた立場を考えるなら。

寝たきりでいる訳にはいかない。

どんな理由で、自分がここに担ぎこまれたのか判らない今、長居するのは頂けない。

億劫な動作で、毛布を撥ね退ける。

上半身は裸だった。

ズボンも半分近く焦げ付いており、原色がどんなものだったかは不明な有様だった。

着ている物は、先に戦いのままで、全裸と称してもいいほどに裸体を晒していた。

(顕現化させた意物が、これ程までに破壊されるとは。

正確には、俺の精神力を遥かに超えてしまったのだな、あの攻撃は)

立ち上がろうと膝に手を付くが、引き上げるだけの力が腕に篭らない。

冗談抜きで、立つ事すら危うい状態らしい。

スチャ、スチャ、スチャ。

鼓膜を僅かながら震わせる大気の揺れ。

それは素足で困コンクリートを歩む音だった。

(拙いな。

誰か戻って来よったか)

普段なら、どんな相手だろうとも切り抜けられる自信がある。

だが、今なら子供が相手でも押さえ込まれる、悲しい自信があった。

(未だ死してないなら、最低でも相手は参加者ではないな。

だとすると)

足音は扉の前まで来ると、そっと扉を開けた。

中で寝ている者を気遣う、そんな慎重さで錆付いてギシギシと音のする扉を開いていく。

そして顔だけ覗かせ、此方を見た。

少年だった。

年齢は十歳ぐらいだろうか。

ボサボサの伸ばした髪が目元を殆ど被っており、正確な印象が攫めない。

衣服は所々破け、盛大に汚れていた。

自分の酷い有様と大した差はない出で立ち。

痩せこけており、一目で浮浪者だとわかる。

「……」

少年は部屋に入ってこず、ジッと此方を見ていた。

沈黙したまま、顔だけ覗かせて。

(なんだ、こやつは)

暫し静寂が支配した。

少年は長き逡巡後に決意したのか、部屋へと踏み込んでくる。

何処か脅えた感じで、歩み寄ってくる。

その両腕で抱えるようにして何かを持って。

「んっ」

そして腕を差し出してくる。

そこには果物が握られており、ジッと此方を見据えたまま反応を待っている。

あげると動作で語っていた。

黒くくすんだ指が確りと、林檎を掴んでいた。

(……)

確かに栄養を欲していた。

そうしなければ、身動きすらとれない現状だということも理解している。

だが反射的に、その手ごと果物を平手で叩いていた。

(胸糞悪い)

心中で呟き、その好意を拒否する。

林檎は零れ、埃に塗れた床を転がる。

「あっ、あぅ」

落ちた林檎を拾おうとして、手を伸ばしたのが災いし、片腕に抱えていた食料が零れて、林檎と同じ運命を辿る。

生魚やオレンジが埃に浸かり、無慚な状態になってしまう。

「あ、あぁ」

慌てて掻き集める。

林檎の表面にベットリと汚れが付着していた。

それを汚れた服でふき取ると、再び突き出してくる。

「止めろ」

今度は言葉で拒否する。

施しに気分を害したというのではない。

あるのは只の拒絶。

自分に関わる全てを拒否する、そんな姿勢だった。

「人が、朕に関わるな」

そう告げ、又も突き出された果実を拒否して、叩く。

こんどは角度が悪かったのか、落ちた拍子に林檎は割れてしまう。

そして身の部分が埃に塗れてしまう。

それを見た少年は、初めて反抗的な態度に出た。

叩いた手を掴む。

細い腕なのにガッチリと固定され、腕が動かなくなってしまう。

そして瞬間で肉薄する位置まで迫ってくると、こちらの頬を引っ叩いた。

只でさえ、まともな動きの出来ない状態だったので、それを避ける反応は出来なかった。

脳内が揺さ振られ、意識が削がれかけた。

「あ…」

叩いてしまった事に対する驚きの声がする。

どうやら、自分でも驚いている様子だった。

その行為に拒否以外の感情を込めた瞳で睨みつける。

「だめ。

たべもの、むだ、だめ」

単語だけの拙い言葉で、こちらの行為を非難する。

少年は林檎を拾い上げると、汚れた部分を爪で軽く削ると自分の口に運ぶ。

美味しそうに、汚れた果物を完食してしまう。

久々の豪華な食事にありつけたかのように。

そして又も果物を差し出してくる。

食べ方は教えたと言わんばかりに。

(この餓鬼、朕がこれを食べ物と判別出来ないと想っているのか)

先程の平手打ちで点滅する視界。

その一連の行動を見ていて、どうにも覚えていた怒の感情が薄らいでいく。

目の前の生き物は、余りに無垢だったからだ。

純粋に食事を運んできただけのようだ。

それ以外を望まず、出来の悪い子供に躾を教えるように、実演しているだけなのだと。

そして前髪に隠れていた目を直視してしまった。

淡い紅き瞳。

それは澄み渡っており、拒否し意地を張っている自分が間抜けに思えてきた。

暫しその瞳を見入ってしまう。

もう片手で違う果物を手にし、又も実演をする。

そこで白旗を上げた。

このままでは、自分が本当に出来の悪い子供に成った気分にさせられるからだ。

仕方なしにオレンジを受け取ると、皮ごと口に頬張る。

甘くも糞も無い、質は最悪な代物だった。

渋みと埃っぽさだけが口内を充満し、バサバサした果肉を咀嚼する。

…僅かながらあった果汁が喉を流れ、肉体に沁みこんでいく。

砂漠でオアシスを見つけたかのような、そんな安堵感。

(生き返る)

気が付けば、オレンジは瞬く間に腹に収まっていた。

それを満足げに見詰める視線。

そして次々に調達してきた食料を渡してくる。

流石に生魚までは、食す気には成れなかった。

果物だけ頂き、満たされると、眠気が押し寄せてくる。

身動きすら取れなかった躰が癒されていくのを感じた。

少年は嬉しそうに、こちらの食事風景を眺めていた。

只それだけ。

他に何も無い。

それに疼きを覚えながら、躰の欲求のまま眠りに落ちていくのだった。




それは雄雄しく舞う、一匹の鷹だった。

こんな人気のある場所で、このように鷹を確認できるのは稀だった。

その為、どうにも気になってしまい、その鷹を眺めてしまっていた。

雌なのだろうか、どこか艶っぽさを醸し出しており、誰もが魅了されたように、上空を仰いでしまう。

鷹は嘴を僅かに動かし、クスッと笑ったように見えた。

錯覚だろうと、見上げた人々は心中で幻想的な妄想に苦笑してしまう。

だが、それは見上げた全てに人がそう見えたということを誰も知らない。

それ故、妄想と理論付けてしまった。

(可愛いわね)

鷹はゆっくり旋回してから、優雅に舞い降りてくる。

魅了された人々は、それが肉食の獣だということを忘れ、見入ってしまっていた。

次に瞬間、鷹は羽を畳み、急降下してくる。

それは大気を裂き、弾丸のように突貫するような速度だった。

雅に突貫だった。

急降下した先にいたものは上部が弾けた。

浅黒い赤色が散らばり、周りの建物にべっとりと何かが付着する。

それに呆然と反応して隣に居た人間は、自分にも付着したものを指で拭った。

フニッとした感触が指先にし、グミみたいに圧すと反動してくる。

それに長細いものが生えており、どうにも変な感じがした。

それをじっくりと確認した後に、隣で弾けたものに視線を配らす。

そうして、初めて自分の躰に付着しているもの、そして指で拭ったものを理解した。

「菟アアアアァ、亜ァ・・、腑はアアアアアアアアアアァ!!」

人の喉から吐き出された声とは判別できない程の悲鳴が木霊した。

指から付着したものが滑り落ち、ペシャっと床を濡らす。

それは頭皮だった。

肉と髪が引っ付いたままの皮だった。

隣に居た者は、物となり、砕けた頭部から下が組み上げる血液を首という蛇口から撒き散らしながら、司令塔を失った肉体が横たわる。

悲鳴が連鎖を始める前に、惨劇が展開された。

悲鳴の発祥点から、音が無くなる。

吐き出す為に空気内蔵する機関が失われ、声に変換するものが無くなってしまった。

胸元に大きな穴がポッカリ空いていた。

訳がわからず、悲鳴まで出すことに考えに及ばない。

それはその光景を見てしまった人々全てに共通していた。

余りに突然で、そして心を鷲掴みしてしまう程のインパクトを持った光景。

人は心底に与えられるものに対して、反応出来る精神構造をしていない。

余りに痛みには悲鳴を挙げられないように、恐怖というものも度が過ぎると反応するだけの行動に移れない。

この突然の事態は魅入ってしまった者の範疇を超えていた。

それが悲鳴へと繋がる考えに及ばない。

それは余りに現実味がないからだ。

だが、知るべきなのだったのだ。

この世には理不尽に消え去る者が当たり前にようにいることを。

そうすれば、この惨状でも逃げ遂せるだけの行動を取れたかもしれない。

これは突然爆弾が振ってきたのと変わらない事態。

頭上で膨れ上がった熱量を前に、なす術なく散らされていく命。

爆弾は、別段なんの意思がなくても、これを実行できる。

それだけの話だった。

そしてこの爆弾には意思があり、あることを嗜好していたのだ。

「…綺麗だわ」

その呟きに感化されるように鷹は舞い、惨劇を広げていく。

膏盲(こうこう)たる視線が包み込むように辺りを支配し、人の頭が砕ける様を、花火が広がるのを魅入るように観賞していた。

その女は片手を挙げると、その腕に鷹がスッと止まった。

そしてクルルゥと啼くと、頬を寄せて頬を寄せてくる。

「甘えん坊ね。

でも、もう少し私を感じさせて頂戴。

アナタ達も、どうかしら?」

煌びやかな雰囲気をもった女が問う。

それに応えるように、女の影から黒い毛に包まれたものが這いでてくる。

口元から腐臭させるそれは、黒い犬だった。

大きさは人が跨げる程もあり、大型の虎と比べてもなんの遜色もない。

牙が発達しており、肉おろか骨すら簡単に貫き、噛み砕くことができる鋭利さがあった。

グウウゥゥ。

地のそこから響くような、獣の咆哮。

幾匹も影から這い出てくると、惨劇を拡大させに拡散していく。

そしてやっと現実に引き戻された人々から、あらん限りの悲鳴が溢れた。

「ひぎっ、鵜愚アアアアアァァァ!!」

そして惨劇は唄を奏でる。

それは次第にコーラスとなり、合奏となる。

黒犬は一噛みで頭や腕を噛み切り、部品を路上に散りばめていく。

それと競い合うように鷹が、そして影から現われたはげ鷲が上空から、その強固な嘴や鍵爪で、肉の花火を打ち上げていく。

(素的だわ)

その光景を魅入られた女は、息を荒立てながら、火照る体を耐え切れず、自分の乳房を揉みしだく。

だが、その行為は五分程で終わってしまった惨劇の幕引きにより、途切れてしまう。

奏でられていた楽器は全て破壊されていた。

周辺にいた者達は物として、絵の具として路上や壁にアートを描いていた。

幕引きに悲しそうな顔をして、自慰行為をやめる。

「残念だわ。

もう少しでイケそうだったのに。

急性過ぎるのが玉に瑕だわ、アナタ達」

抗議をあげると、実行犯達は済まなそうな唸り声をあげる。

「でも、私好みだったわ」

鷹は腕に止まり、はげ鷲は肩を安住の地にして、女の誉め言葉に酔っていた。

黒犬は膝元に嬉しそうに咆哮をあげる。

「今度は私が満足するまで、奏でてね。

その前にお仕事を片付けないといけないわ。

影に止めを刺さなかった、お馬鹿なあの方に現実を教えて差し上げないと」

それに答える様に、鷹は小首を傾げる。

「そうね、きっとその様は、これまでにない快感を私に与えてくれるわね」

そう告げると、獣達は我先にと血気し、喉を鳴らす。

「アリガトウ。

嬉しいわ、アナタ達」

愛しそうに獣達の頬を撫でながら、魅力的な微笑を浮かべる。

それは母親が我が子のプレゼントに喜んでいる姿にも見えた。

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