梟雄憐憫 一話
[3 梟雄憐憫]
そこにあるのは一面の貌。
どれもが此方を憎しみと怒りで睨み、罵声を吐き捨てる。
(朕が何をしたのだろう)
呆然とその状況を甘んじるしか術がなかった。
束になった暴力に抗えるだけの力もなく、流されるままに朕の躰を痛めつけていく。
殴られ過ぎて、口内に歯は半分以下になり、生爪はそこらに散乱していた。
最早力の破片もなく、途切れるまでこの暴力に晒されるだけ。
熱せられた鉄の棒が額に押し当てられ、肉が焦げる匂いが立ちこめる。
悲鳴すら上げるだけの気力は、数分前に尽きた。
只虚ろに、意識という命の火が消えるまで、この宴を眺めるだけ。
感覚が生きているのは災いし、誰かが指を砕く感触がする。
理不尽に蹂躙されるだけ。
(朕は何をしたのだろう)
只、想いのままに手を差し伸べた。
それがどんなに苦痛を伴おうとも、救われる者がいるならばと。
それだけだった。
それ以外の事をした覚えもなく、病に冒されながらも、それを貫こうとした。
それだけだった。
その結果が、これ。
人々は罵り、報復だと主張する。
受けて当然だと、怒りを一人の人間に刻む。
一思いにという慈悲もない。
狭間を彷徨うように、致命傷に至らないだけの傷を植えつけていく。
まともな思考など保てる筈もない状況下で、男は自問する。
(救済とは、報復されることなのか?
それとも、朕が方法を誤っただけだろうか?
ならば、何故人々は朕に助けを求めた?
人を病の淵にまで追い込み、その上朕を悪魔と罵られる)
掌を返し、責任を押し付ける。
だが、その発端を招いたのは、誰だろうかと。
(これでは道化。
いや、それよりも)
これだけ尽くしても、誰も味方をしてはくれなかった。
一人が声を上げると、それに共鳴するように、他の者は賛同して、刻みを繰り返す。
(そうか、これが真実なのだな)
男は無表情に暴力を受けていた。
そこで初めて、変化を見せた。
笑ったのだ。
血糊で濡れ、片目を射抜かれた貌で笑いを浮かべたのだった。
(これが人間なのだな。
確かに報復だ。
このような鬼畜どもにいい様に利用された朕の抜けた目が、この事態を招いたのだな)
「ぐふぐぐぐっぐっ」
何処にも無かった筈だった。
喉も潰され、まともな笑い声すら上げれない。
それでも自然と自嘲気味な声が漏れていた。
(愚かに生きてしまったのだな、朕は。
良かろう。それを認めてやろう。
これで斬れるというものだ、貴様らとなっ!)
「ぐふぐぐ、おおぉぉぉぉ」
心底から湧き出てくるような狂った笑い。
止め処なく、その音量は際限なく上がっていく。
何処か愉悦に歪んでいた人々の貌が、負の彩の染まっていく。
狂い笑う男を見る目が、次第に恐怖に変貌していく。
(殺せ、殺せ、殺せっ!
貴様らのような畜生にも劣る者どもに嬲られるくらいならっ!)
舌を切り落とされ、そして噛み切る歯もない。
両手足はロープで四方に縛られており、首を捻るぐらいの行動しかできない。
自害の手段すら与えられていない。
ならば、狂い、笑い続けるしかない。
矮小で、転化することしかせぬ者達ならば、この先の行動は見えている。
だから、憤怒に任せて奥底から笑うだけ。
否、愚かな自分を貶すようになのかもしれない。
男の思惑通りに事は運んでいく。
恐怖に脅えた人々は、遂に儀式用の装飾された剣を掲げた。
男はそれを目の当たりにして、楽になれる安堵よりも、理性を全て焼き払うような憤怒の業火に心を焼かれた。
そして、剣は振り下ろされ、男は生涯を閉じるのだった。
昼下がり、商店の立ち並ぶ通り。
今日の収穫を売り捌く為に、商売人達が大声で呼び込みをしていた。
食料品から雑貨が並び、それに魅かれた者達で賑わいを見せていた。
だが、それとは裏腹に、物腰が穏やかでない者がその商店の脇にいた。
職業をハンターと名乗る、狩人。
常に猟銃を脇に立てかけており、警戒した面持ちで、その流れを見守っていた。
魑魅魍魎、魔物に妖怪。
それらが跋扈する時代の抑止的存在。
怨念や地脈の霊たる山の魑魅、水辺の魍魎を専門とする狩魑と、肉体を持ち合わせる魔物や妖怪を専門とする狩魔という二通りあり、それぞれ治安を乱す魔性の者どもを狩る事で生計を立てている。
そのハンターは右腕に大きな火傷の跡があり、それを異名とする名の通ったハンターだった。
ヒートアーム。
その火傷は魔術を行使する際に、自分の魔力が制御出来ずに出来たといわれており、それだけ強大な魔力を秘めた者として人気のあるハンターの一人だった。
猟銃の腕も確かで、狩魑でもあり、狩魔でもあるという幅の広い男だった。
(んっ?)
ヒートアームは露天の脇道に妙な気配を察知した。
それは人の気配をさせながら、魔の匂いを漂わせる存在。
余りに微妙だった為に見逃しかけたが、名うてのハンターは匂いを感知した。
(闇付きか)
偶に魔物と人間に間に生まれた亜種たる存在がいる。
三百年前に跋扈するようになった魔者達が、人間に種を植え込み、生まれた外れ者達。
それを人は闇付きと呼んでいた。
跋扈し始めは、魔物達に襲われ、種を植え付けられる者が続出したが、大した数は増えなかった。
その理由は種族の違いにあった。
他種である者の種を人間の躰は受け入れれるように出来ていなかったらしく、授かる事が少なかったのだ。
偶に強大な生命力を有するものの種は受諾され、亜種が誕生する。
その成長速度は、種が受諾されて三日ぐらいで地上に産み落とされる。
そして身篭った者は、その急速な成長に栄養を殆ど奪われ、九割の確率で死に至る。
忌むべき存在としてこの世に生を成す。
闇付きの殆どが、知性を持ち合わせていない獣となった。
それは育てる者が存在しないのが一番の理由だろう。
命を奪い誕生するという、忌むべき存在。
それを快く育てる者が何処にいるだろうか?
人間とて野生に放り出せば、知性は失せ、一匹の獣に還るのだ。
生まれたての命を放りだせば、結果としてこうなる。
問題は闇付きの生命力だろう。
育ててくれる者が居なければ、大概の生き物は産まれたての無防備さから、自然に殺されるものだ。
だが、闇付きは元よりそれらから生き延びるだけの能力が備わっている。
身体能力はまちまちだが、その平均は成人の大人に匹敵する。
放って置いてもそのタフさから、生き延びる者が多い。
その為、闇付きを身篭った地点で妊婦ごと命を絶つという暗黙の了解がある程だった。
放って置けば、何れはその血から獣とは比較にならない能力を内在した野獣が誕生してしまうからだ。
元々受精率が低い為、闇付きを身篭っているのかの判断が難しい。
気が付いた時には手遅れであることが多いので、中絶は難しいのが現状だった。
偶に知性を持ち合わせ、人間社会に溶け込んでいる者もいる。
例を挙げるなら、狼の貌と人間の躰を持つワーウルフ、それと人間のハーフであるランカンスロープ。
この亜種は、普段は人間の姿をしている為、見た目からでは判別できない。
だが、魔力が高まる月の満兆期、満月の時に、内なる血が騒ぎ、ワーウルフへと転じてしまう。
まぁ、殆どの闇付きが人間社会ではなく、魔物社会で生きている。
ある意味で人間よりも魔物の方が許容力があるという事だろう。
差別など無縁。
力を持つ者が正しい。
歴史的観念で構成されただけの社会とも言える。
弱肉強食。
自然の掟を素でいくのが魔物達の社会だった。
だが、此処に闇付きながら、人間社会に置き去りにされた存在がいた。
(獣の匂いはしないな。
知性は持ち合わせたタイプか)
ヒートアームが検分していると、矢先にその闇付きは行動に出る。
余りに率先されて動かれたので、対応が遅れる。
(欲が感じられなかったから、油断したっ!)
獣が獲物を値踏みする視線を商店に送っていなかったのが、ヒートアームの一間程のスタートを遅らせた。
素早く立て掛けていた猟銃を手に収めると、その闇付きに標準を合わせる。
(速いっ!)
速力が並ではなかった。
未だ少年に域を出ない大きさをしていた為、それ程の身体能を力携えていないと計っていたが、それを払拭させる動きで、商店に突っ込んでいく。
間に合わないと悟ると、ヒートアームは大声で警告を飛ばす。
「闇付きだっ!
逃げろっ!」
闇付きと銃の射線の後ろに民間人がいる。
この速度で動かれて、万が一に外したら、周りに被害が及んでしまう。
だが、このまま敵に進行を許してしまえば、どんな惨劇が繰り広がられるか、想像が付かない。
(戦闘体制、確定)
魔術を肉体に行使する。
身体に張り巡らされた魔術回路に魔力が行き渡る。
肉体に術式が展開され、魔力で肉体を保護し、その上で身体能力を開花させる。
ヒートアームの身体に、通常に三倍の身体能力が宿る。
そして猟銃を闇付きに向けると、牽制の発砲を行う。
戦闘体制で高められた身体能力が、銃の反動を完全に殺しきり、ブレのない射撃を可能とさせた。
速力を見抜き、未来予定位置に弾丸が走る。
予定では闇付きの足を的として貫き、行動力を削ぐつもりだった。
だが、それを超えて闇付きは、これまでの動きは加速する前に前座だったと言わんばかりに増し、残像を残して疾走する。
(なっ!)
銃弾は虚空を抜け、地面を穿つ。
その間に闇付きは商品の並ぶ店先まで進行してきていた。
警告と銃声により、人々は悲鳴をあげて、混乱を煽った。
連鎖された混乱は、闇付きの存在を雑踏に隠してしまう。
(ちっ、これでは)
上がった身体能力で、商店に駆け寄ろうとしたが肉の壁が邪魔をし、近づけない。
黙れせる為に銃を上空に発砲しようとする。
だが、人の隙間を塗って、疾風が抜け出していく。
それを捉えたヒートアームは銃を捨て、大型のコンバットナイフを引き抜いた。
こんな雑踏で発砲すれば、間違いなく死人が出る。
だから、接近戦に切り替え、闇付きを追い詰めようとした。
何かを抱えた闇付きは、横手から迫る脅威に反応し、同等の速度で躱す。
(三倍に設定してある、この俺を同じ速度で動くだとっ!)
脅威的な能力を発揮し、闇付きは身を翻して、そのまま逃走する。
欠片も戦う気がないらしく、此方を見向きもしない。
猟銃を捨ててしまった事が悔やまれた。
ヒートアームには長い間、戦闘体制を持続させるだけの技能がなかった為、追いかけて撃つ等という芸当を行うだけの時間が稼ぎだせなかった。
懐に忍ばせておいた小径銃を抜き、銃声をあげさせてみるが、焼け石に水。
軽くステップを踏みながら躱され、そしてこちらとの区間を広げていかれてしまう。
(駄目だ。
完全に逃げられた)
こうして名うてのハンターは、その名に痛手を負ってしまう。
たかだか少年の闇付きに遅れをとってしまった、その悔しさが込上げてくる。
因みに商店に出た被害は、果物が数点と、昨日半分も水位を下げた摩周湖の水面に死体として浮いていた、魚が三匹だけだった。