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東月忌譚 四話

「フラガ、ご苦労様」

そっと後ろからフラガを抱きしめ、間に合ったことを告げた。

「…そ・うか。

悪・・い。

口約を」

「たく、律儀ね。

懺悔なら今度訊くから、休みなさい」

休憩を促され、フラガの薄れていた躰か急速に存在感を失っていく。

そしてナイルの掌にコーイヌールが零れ落ちた。

「アリガト、フラガ。

後は任せて」

ナイルは軽くコーイヌールにキスし、いつも通りに乱雑にポーチにしまい込む。

ナイルなりの感謝示し、天空へと視線を奔らせる。

「やった?」

「雷を司る神が、雷で死ぬと想うか?」

それに答えるは、これまでと雰囲気がまるで違うヴリトラだった。

神氣が漲り、肉体をはちきれんばかりと満ちていた。

「運が良ければ、機動力は奪えたかもしれんが」

「たく、運が良かったとしか言いようがないわね。

まさか、こんな隠し玉があるなんて」

人の身で、神の存在を受け入れるのは到底不可能。

それを可能としていたのは、ヴリトラが神を押さえ込むことに全精力を注いでいたからだ。

枯渇していたのは、あくまで表面化した顕現部分のみ。

肉体を崩壊に導かない為に、自らの力を相殺させ、消耗させることで器を保っていた。

器のポテンシャルを限界値まで引き上げ、その崩壊を阻止し、無闇に消費していた神氣を正常な状態に戻した。

だが、所詮は人の身。

どんなにポテンシャルをあげたところで、世界を支えると同格の意味を機能させることなど出来なかった。

ナイルの視線の先に、全身白銀の毛に覆われた生物が、四肢をピンと延ばし、高らかに吼えた。

長細い貌に、顎まで避けた口。

生え揃った牙は鋭利を極め、それに比例する豪爪。

この二強の武器はどんな生き物すら引き裂き、獲物としてしまうだけの兇暴さがあった。灰色の毛並みが、どこか孤高さと気高さを印象付けた。

ラーカインスロープ。

人の身体と狼の気性と外見を持つ、ワーウルフと人間の間に生まれし混血児。

それがソーマの名を受けし少年の姿だった。

満月の夜、内に秘めし血が活性化し、人の姿から狼へと転じる。

故に月の従者と呼ばれる闇付き。

月の化身である者の別称を早急に順化していったのは、元々こういった素質があったからだった。

月天の別称であるソーマ。

それを受けた少年とヴリトラの間には、切れぬ繋がりがある。

それは世界を構成する定義と同じく、噺が受け次がれる限り切れぬ縁。

暴発しそうな神氣は溢れ出し、繋がりを持つソーマへと流れ込んでいた。

(この二人が出会ったのは偶然じゃないのかもしらない)

他へとエネルギーを分配。

なによりも、ナイルが魂の意味を引き上げたのではなく、逆に押さえ込み、肉体に合った調律を施したことが一番の要素だろう。

それでも、影でなく本体を顕現している月天の意味は強大で、影たる帝釈天の劣らない神氣を発していた。

「悪いけど、五分も調律してられないわ。

それを超えれば、通常に意味が戻り、膨張した神氣が肉体を食い破る」

ナイルは額に汗しながら、一銀河系に匹敵する広大なる魂の制御を演算し、実行していた。意識レベルを下げ、記憶を保管し通常の脳の機能を全て演算へとまわし、封じ篭めている。

設置しておいた言葉を再生させると、ナイルは完全に自分の中の制御を生命維持の最低レベルまで低下させ、あらゆる機能をヴリトラの魂の制御へと振った。

ナイルの全身に光筋が奔り、刺青のように浮き彫りになる。

ソーマとの繋がりを少しばかり逆送させ、生命の鏡の効力で肉体を最大限まで飛躍させる。神氣の膨張により、微かに残っていた存在を掻き集め、書き換えた腕を創生させる。

魂の容量値は予想を遥かにオーバーし、偶々繋がっていたソーマに振り分けることでギリギリの線でヴリトラは月天としての神氣の一部を解放することに成功した。

その負荷の全ては、ナイルが請け負っている。

それは想像を絶する負担だった。

今のナイルは外部からのコンタクトの一切を打ち切り、基盤としてのみの機能を果たしていた。

(人の限界値まで引き上げたこの状態でも、神たる帝釈天の影の領域まで踏み込みきれておらぬか。

それでも目処はたった。

五分、ならば)

雷球が分解し、空の雷雲が裂けた。

その中から帝釈天が一人、威風堂々として健在していた。

そこには天馬たる茶褐色のハリと牽いていた戦車の影はなく、ヴリトラの思惑通りに足を奪っていた。

「君の手を散々見せて貰っていた筈だったが、まさか私の天来すら反射して見せるとは。

お蔭でハリは逝ってしまったか」

物悲しげにハリが消えた空間に視線し、帝釈天は同格の神氣を放つヴリトラにヴァジュラを旋回させた。

「…人の身で此処までの神氣を滞納していたとは。

須弥山を本当に降りたのだな、ヴリトラ」

「時間が無い。

決着と付けよう、帝釈天」

「良かろう。

余は遊びとて、君にとっては神に抗う最後の幸機。

受けて立ってやるのが、器量というものだろう」

武を誇る帝釈天は神具ヴァジュラを構え、術を誇るヴリトラは万象月杖を翳した。

帝釈天は暴風神マルトの力を借り、空を征し、そして風を征した。

雷撃は風を纏い、凶悪なる姿へと変貌していく。

帝王の帝と、力強さを意味するスクリット語のシャクラを音写した釈を名にする者らしく、行動一つが堂に入っており、王者と覇者たる帝王らしく風格に満ちていた。

ヴリトラは唄う。

唄は初めから形となり、虚空をそよぐ。

これまでは人の領域で、少ない神氣をやりくりする為に唄を加工し、より良い形にする事を心掛けていた。

だが、最早その心配はない。

有り余る神氣は唄を目視できるレベルまで強調し、今度は効率化を図る組み立てではなく、そのものの位を引き上げることに唄を細かに組み直していく。

これこそが月詠みと絶賛された、月天の本当の創唄。

(どう見積もっても、勝算は限りなくゼロに近い。

このままならば)

発想はこの場にあった。

この展開を逆転させる方法があるならば、現状一つしかない。

(問題があるなら朕が術者で、帝釈天が武人だということ。

そして時間…。)

タイムリミットが押し迫る中、この試みは紙一重。

スムーズに行えたとしても、打倒するまでの時間を稼ぎだせるかすら怪しい。

だが、望みがあるなら逃げる訳にはいかない。

ナイルの前で公然と吐いた発言を覆すなど、ヴリトラにはない。

ヴリトラは両手を組み、複雑に印を組んでいく。

生命を構成する木、火、土、金、水たる五行の印。

時を現す十二支の印。

方位を指示する易卦の印。

それらを混合し、必要な要素を世界から汲み上げていく。

そして創唄を展開させ、術の本体を定着させていく。

羅刹天には及ばぬが、それでも類を見ない速力を誇る帝釈天の能力。

天空よりヴァジュラを振るい、神具に刻み込まれている雷の意味を事象に換え、ヴリトラへと落下させてくる。

これは牽制だとわかる程度の小規模な雷だった。

それでも大型のビルを半壊させるくらいの威力は備わっていた。

それを無数に天墜させ、ヴリトラの術を完成を遅らせる為の牽制として撃ち放った。

ヴリトラは何を考えているのか、足を固定し、その場から身動きをしないで雷の直撃を喰らう。

人の身で受けたならば一瞬で消し炭と化し、お釣りがくるほどの威力が込められた雷は、ヴリトラの皮膚を焼き、肉を焦がした。

薄い膜の神氣を纏っていなければ、絶命していてもおかしくない。

そんな危険を冒しながら、ヴリトラは受けながらも印を休めず、唄を紡ぎ続けた。

この行動に少しばかり度肝を抜かれた帝釈天だったが、その術の危険性を瞬時に考慮し、牽制などと甘い手段に出たことを恥、必殺へと切り替えた。

判断が早い。

即決断し、ヴァジュラに創唄を纏わせ、帝釈天は暴風神マルトの力を雷に乗せた。

嵐が生まれ、灰燼を巻き上げながらヴリトラへと奔らせる。

巻き込まれれば、人など四肢をもがれ、内在する電力に身を蝕まれて陥落する。

しかも範囲は小型の台風と称する程の規模。

小さな街をスッポリと覆う巨大な竜巻だった。

危険知らせる汽笛が、ヴリトラの脳内に鳴り響いていた。

避けるという判断を間抜けにも下せるほど、小型ではない。

そして威力は申し分ない。

術の手順を解除し、防禦に全てを注がなければ、塵芥に分解されてしまうだろう。

その咆哮は衝撃だった。

吐き出されたものは大気を振動させ、一つの筒を形成した。

そこに思慮など挟まれておらず、あるのは肉体の可能性が教授する防御本能。


ワーウルフへと転じたソーマは、声帯の内で増幅させた音を生成し、喉を潰す勢いで振動と溢れんばかりの送り込まれてきた神氣を無意識に載せて咆哮した。

大気に亀裂が奔り、真空へとなる。

迫る竜巻と咆哮が生み出した筒状の振動がぶつかる。

この事態を誰が想定してだろう。

ヴリトラも帝釈天も、傍観者と除外していた小さき生き物の行動を読むことは出来なかった。

竜巻の中枢、発生点へとソーマの振動波が直撃した。

横手からぶつかった振動波は、規模的には小さくて、帝釈天の創造した竜巻を相殺できるようなものではなかった。

だが、一点だけの威力を見るだけなら、それ程見劣りはしない。

それ横手からぶつかり、意外なる貫通力を持っていた振動波は竜巻の中核を貫いた。

その影響で、竜巻は消えはしなかったが、大幅に減衰、そして進路があらぬ方へと転換していた。

小さき傍観者の大金星。

これまで戦いにおいても、ソーマがヴリトラに迫る脅威を軽減させ、生命を救ってきた。

それは今回も同じだった。

逸れた竜巻は付近を通過し、内蔵している雷が放電の線を虚空に描くが、それすらヴリトラへ到達しなかった。

地に足裏から紡ぎを司る木行を発して固定し、ヴリトラは内部へと渦巻き引き込もうとする力に逆らう。

ソーマは咄嗟に、地面を貫き、身体ごと地面にしがみ付いて、これを耐える。

「神影、名を与えし者か。

小癪な」

マルトの力を踵の辺りに展開させ、そこから派生する風が帝釈天の身体を運ぶ。

引力から解放されたとばかりに、耐え忍んでいた二人に向かい飛翔してくる。

それを対応したのは、ヴリトラでなくソーマだった。

ヴァジュラが突き出され、それを正面から掴みにいくソーマ。

帝釈天が感じたのは、骨の砕ける感触。

だが、それだけで帝釈天の突撃は静止した。

宿りし雷が全身を巡り、ソーマの身体を冒していく。

「グゥゥゥゥゥ!!!」

ソーマは叫び、全身の毛を逆立てて苦痛を耐えていた。

それどころか、ジリジリと足を滑らせながら帝釈天を後退させていく。

武を誇り、人を凌駕する身体能力を宿している帝釈天を。

生命の(ソーマ)で全盛期の肉体を手にし、そして人を超えた能力を持っている魔物との混血児。

神氣により強化された肉体が、帝釈天の影に匹敵するだけの能力をソーマに与えていた。神氣の使い方も儘ならず、躰に載せる事と、名に適応することしか出来ない。

ソーマの名が朽ち果てていく肉体を入れ替え、存命させていた。

身体能力の点だけを注目すれば、ヴリトラよりもソーマの方が、格が上だった。

顕現した神と互角に渡り合えるだけの身体能力を持ちえていた。

ソーマにしか出来ない捨て身の攻防だった。

「悪いが、君にかまけている(いとま)はないのだよ」

押し返していたヴァジュラから膂力が除け、ソーマはいきなりのことで蹈鞴を踏んだ。

その隙に旋回したヴァジュラがソーマの視界から失せ、わき腹に振り抜かれた。

「ウオオオオオオオォ!!!」

獣の叫びが木霊した。

直接電流を流され、ダイアモンドすら砕く膂力で振り抜かれた。

ソーマの身体は蹴飛ばされた小石のように弾き跳び、白銀の毛を血で染めた。

障害物のないクレーターを灰燼に塗れながら血反吐を撒き散らした。

だが、途中で身を反転させて、地面を蹴り威力を殺すと、反動で帝釈天に踊りかかる。

ソーマが意識を飛ばしていないことに感嘆し、帝釈天は唄を口ずさんだ。

それはヴァジュラの力を与え、雷光を発した。

帝釈天に微塵の油断はない。

帝を冠る、噺を忠実に具現化した者は、人というよりはナイルに近い無機質な感性を持つ。頂点から見下ろしながら、その本質を見抜く眼力。

故に、そのものに秘めた力、そして想いというものを正当に評価していた。

精神が肉体を凌駕するということを。

神はその境地とは無縁の場所に立つ者。

それ故に、未知なるものへの期待を含んでしまうのかもしれない。

帝釈天はこのソーマに対し、同格のものと相対している時と同じ対応で応えた。

無尽蔵に雷を生み出すヴァジュラ。

その蛇口を大きく開き、世界と摩擦を起こし鉄をも溶かしつける熱を生産していく。

ソーマの動きは確かに帝釈天に引けをとらない。

だが、戦闘経験がまるでないソーマには、それこそ馬鹿正直に正面から迫るしかしない。

武を内在している帝釈天に、そんな単純で明快な攻撃の筋が通じる筈がない。

ソーマは所詮、溢れている力に振り回されているだけに過ぎない。

半身を逸らすだけでソーマの爪を躱し、創唄により増強した稲妻が凪ぐ。

月明かりに反射して煌びやかに輝いていた白銀の毛が千切れ燃え、虚空にて灰、そして加速的に増していく熱量に灰すら世界から存在を消される。

今度は悲鳴すらあがらない。

雷光に包まれ、ソーマは無慚な姿へと変貌し、紅い血煙を全身から立ち上らせながら轟沈した。

血が沸騰し、グツグツと厭な音がソーマのいたるところから聞こえて来る。

それでも絶命に及ばなかったのは、名に守られていたからだ。

無意識だが、ヴリトラがインドラ戦に用いた方法を行い、生命の鏡により全盛期の生きた細胞を、死を迎えた細胞と瞬時に交換する。

それがギリギリの線でソーマに命を救っていた。

名を貰う前にこの攻撃を受けていたなら、何度も死滅していたことだろう。

この一撃だけで、三桁のソーマの死体、灰燼が生まれていただろう。

手加減を一切含まれていない、帝釈天のヴァジュラはソーマを行動不能に追い込んだ。

喩えソーマの名を受けついでいても、流し込まれた雷の帯電だけで復活した細胞を壊しきるに足る。

生命を維持しているだけでも、救いと言えた。

最低でもヴリトラの与えられた時間、後三分四十秒は地に這い蹲るしかできないだろう。

帝釈天にはソーマを葬る気などない。

これはあくまでヴリトラとの勝負としている為、最早戦いに指一本すら差し挟めない者に干渉する気はなかった。

(ナイル、押さえ込むな。

解放しろ)

魂に接続していたナイルに、ヴリトラの指示が響いてきた。

完全に基盤と化し、膨大な情報を制御する機材としてオーバーヒートしそうになる最中。感性を排除し、作業だけをこなしていたナイルは突然に指示に対応しかねていた。

思考を呼び覚ませば大幅に脳の容量を奪われ、制御可能時間が短縮されてしまう。

その為、この指示にナイルは考えを及ぼすことだけの意志を関与させることが出来なかった。

一機材として、淡々とこなすだけならば、この指示に従うことはなかった。

だが、ナイルは優秀な機材だった。

指示はナイルが機材となる前に定めていた許容の内にあった。

だから、思考を呼び覚ますことなく、機材として指示を反映させる。

抑制を試みていた魂を逆の強化、定義の調律者(ルーラーアジャスター)としてそう調律を開始した。




異変。

世界の雰囲気が変貌していく。

その感じは、ナイルが街を支配していた時と似通ったものだった。

まるで誰かの掌に乗らされているような、全能感が世界を包む。

帝釈天は直ぐに察し、最速の攻撃でヴリトラの術の阻止に出た。

残すところ僅かで、ヴリトラの術が完成してしまうのだと。

ヴリトラが術の締めとして、自分の真言を唱え出す。

「ナウ マク サ マ ンダ ボ ダ ナン セン ダラ ヤ」

ここまで手間取りながら、構築された緻密な術の構成。

小競り合いで繰り出してきた術とは比較にならない、闘いを決定する何かが生まれようとしていた。

そんなものを完成させる程、帝釈天は甘くない。

遊びでも、勝ち負けがある以上は、勝利を掴み取る為に最善を尽くす。

それが利天が長たる帝釈天の噺だった。

後三文字の言葉を話す間に、帝釈天のヴァジュラは二度ヴリトラを凪ぐことが出来る。

その一度を致命とも言える、眉間を貫けば終わる。

喩え神でも、指令を与える脳を砕かれれば、死を迎える。

ソーマの名を失う前の月天ならば、話は別だったろう。

神速に高まった帝釈天の突きがヴリトラに穿ちに来た。

ギィイイイ!!

逸れたヴァジュラがヴリトラの頬をザックリと裂いた。

万象月杖とヴァジュラとが擦れ合い、不快な音と火花を撒き散らした。

その瞬間、やっと自分が致命的なまでに時を稼がれたことに、帝釈天は悟った。

印を組み終え、後は紡ぐだけで世界から汲み上げた式が事象へと転化される。

最速の攻撃では、この口を塞ぐだけの威力は望めない。

だが、最速でなければ、動けるヴリトラに当てる事すら叶わない。

この地点で勝負はあったのだ。

傍観者として除外していた者の手に拠って。




ナイルは知った。

神とは世界と同じ質で構成されているのだと。

つまり、噺が適応された事象たる神は、世界干渉を促すことが出来る。

世界を構成している意味を少しずつ汲み取るのが術ならば、自分を構成している意味を掻き集めることは、一個の世界を生み出すことなのだと。

人はそれを固有結界、魂魄浄域(こんぱくじょういき)と言った。




ナイルのスイッチが切り替わり、ヴリトラの内部に収まりの利かない神氣が溢れ出す。

それは一となる世界を構成できるだけの神氣。

人の肉であるヴリトラに身体は、無理やりに空気を押し込む風船のように膨らみ、最後の瞬間を迎える筈だった。

唄が世界を包み、孤立した世界を構成していく。




今し方まで世界にあったのは半月だった。

だが、世界を覆いし意志は空に、魅入る程の満月を展開させていた。

欠けた部分は欠片もなく、誰の眼から見ても満天の月と称するものだろう。

反射した太陽の光を燦々と注ぐ。

だが、月光は世界を照らしてはいない。

只、一個人のみにその月は微笑みかけていた。

月の守護者である、月天だけを。

「満月の在りし世界だと」

それは干渉。

自分を構成する部品と同じ式を世界から汲み取り、そして自分を世界へと適応させ、透過する。

自分の世界、それが魂魄浄域。

「さぁ、刻限は間近。

終わりにしよう」

宣言だった。

勝敗はもう決していた。

この場所、この空間、この時間、この全がは月天たる世界なのだ。

そして、その創造世界において、創造主たる月天は神たる躰を得る。

脆弱なる人のものではなく、世界と同格とされる魂の意味を受け止められる、底無しの器。

影たる帝釈天には、完全体となった月天との差は、天と地ほどにある。

「このような事象、聞いた事がない」

「だろうな。

朕と伊舎那天しか、この術式を考察した者はおらぬ。

神の世では、そもそも必要などなかったであろう。

だが、人は考えた。

どうすれば深層心理を世界に反映させることが出来るかと。

それを神に精神で実現したのがこの術だよ、帝釈天」

肉体膨張させようとしていた神氣は、世界へと反映され形作る。

この世界で、誰がこの月の化身に勝てるのだろうか。

帝釈天はマルトに命じ、天空へと逃れる。

それを見送りながら、ヴリトラは血まみれのソーマを抱えあげる。

帝釈天は遥か上空にて、ヴァジュラを全解放する。

これまでと違い焦った創唄が流れ、月と並び雷の太陽を顕現化させていく。

「迂闊だな、帝釈天。

此処に居るが本体と想っているのか?」

ソーマを抱えるヴリトラが不敵なる笑みを浮かべた。

創唄を紡ぎながら、帝釈天はその言葉に想いを馳せた。

そして一途なる答えに辿り着き、自分が本当の敵に背を向けていること知った。

月光が増した。

この世界にある全ての光源を受け止め反射させているように。

「朕は月なり。

この世界において朕を指すならば、それは月以外にあるまい」

帝釈天は咄嗟に上空へと眼を奔らせた。

帝釈天が本体を間違えたのは、このフィールド全体が月天の気配にあふれているからだ。それ故に感覚で敵の位置を察することは出来ず、このように無防備を晒してしまった。

月は大地に引き寄せられるように落下してきていた。

膨大なる大地。

闇夜を照らす一条の光源。

月天はその月に向かい腕を伸ばし、人差し指を掲げた。

「汲み上げることも、組み上げることもない。

この世界は朕そのもの。

月は朕、朕は月。

在りえぬ事でも、今起きている現実が、この世界の事象が全て。

帝釈天、君は世界と相対している」

事実を知らされ、勝ち目無き事を知る。

だが、帝釈天は抵抗を止まない。

喩え、無意味な抵抗だとしても、帝釈の名に穢れを残さぬ毅然として態度で、この戦いを真っ向から迎え撃つ。

彼は何処までも、噺に忠実なる者だった。

「ナウ マク サン マ ンダ ボ ダ ナン イン ダラ ヤ ソワ カっ!」

神器が月光に負けぬ燐光を放ち、撃ち破る刃と成る。

本来、神としての本体が使用するように設計された神器。

影が全開の神氣を注ぎ込み、解放を促しても許容を超えることはない。

つまり、これが帝釈天の持てる最大の攻撃。

天を貫き、地を砕く、帝釈天の最大の奥義、天帝釈地(てんていしゃくち)

自分の名を載せた攻撃は、まさに自分の定義を賭けた、噺を具現化するものとなる。

噺を破るには同列の噺をぶつけるしかない。

唯一、帝釈天が月天を敗れるものがあるとすれば、この天帝釈地だけだろう。

帝釈天は光の槍へと変貌したヴァジュラを天へと還した。

迫り来る月へとヴァジュラは吸い込まれ、衝突した衝撃が世界を満たす。

世界から音が消え、見開く事の出来ない閃光で覆われた。

………。




「…まさか、このような事が」

地に伏す帝釈天を見下ろしながら、ヴリトラは静かに傍らに膝を付いた。

「条件が同じなら、そなたの勝ちだった。

流石、利天が長」

激突はヴリトラの魂魄浄域を破った。

これは帝釈天の快挙と言えた。

だがその代償は大きく、世界を砕いた力の奔流に巻き込まれた帝釈天は、身を引き千切られ神氣を根こそぎ奪われた。

精も根も尽き、この世に留まるのも後僅かしか残されていない。

此処に転がっているのは、残り滓と称するものだけだった。

「ふっ、戯言を。

その状況を生み出したことこそが、実力であろう。

誇るがよい」

半月が照らす世界。

その月光に晒され、帝釈天はどこかしら満ち足りた表情をしていた。

「詰らぬ座興と想っていたが、遊びと片付けるには少々面白過ぎたな。

同じ土俵と高を括っていた地点で、既に読み違えていたとは」

「座を濁した気分だな」

「いや、これは中々の調味料だった。

濁すというには、純粋なるものだったからな。

恐らく、その部分で初めから勝敗を喫していたのだろう。

遊びとして捉えていた私と、命を張って望んだ御主との心構えの差がこれかもしれぬ。

遊びと本気。

それでは勝負も見えていよう。

羅刹天も私も、その事を疎かに見解していた。

敗因は己の心。

恐らく、君に勝てる十二天は存在しないだろう。

どう足掻いても、噺である我らには進むことは出来ぬ。

神を捨て、進む事を選んだ者にはな」

負けを認めた。

この瞬間、噺である帝釈天が世界に留まる楔が抜かれた。

「……」

「勝者は、敗者に顔向け出来る道を進め。

この帝釈天から勝ちを奪ったのだ。

この先、負かる事は許さぬぞ」

「保障は出来ぬな。

こちらは不完全なる者に戻ったのだ。

それに永劫なる刻など必要としない身。

乗る必要すらない」

「戦わぬと」

「…・戦うのだろうな。

未だ残っていたかがり火が疼いている限り。

朕が人だという証として」

「そうか、まぁ良い。

後は須弥山にて傍観させて貰おう。

この闘いの行く末をな」

「帝釈天よ。

この戦い、誰が仕組んだか判らぬか」

「なにを馬鹿馬鹿しい話を…」

そこで、帝釈天の口が時を凍結させたように言葉を紡げなくなる。

「やはり知らぬか。

朕とて人に戻るまでは疑問にすら抱かなかった。

そのこと自体が噺であるかのように」

帝釈天の貌は氷結していた。

身も起こせぬ状態。

それでも、帝釈天は機能しない顕現を失おうとしている体に指示し、起き上がろうとする。

「ど、どうした?」

所詮、神にとってこれは遊びに過ぎない。

それなのに、顕現が解けることで全てを終わってしまう、そんな切羽詰った雰囲気があった。

存命をさせようとしているのではなく、帝釈天だけがヴリトラの会話に、真実を見出したかのようだった。

「月天、これはっ!」

これまで見せたことも無いような、帝釈天の焦り。

薄っすらとし、顕現していた肉体が失せそうになる中、必至に告発しようとしているように想えた。

ヴリトラはそんな帝釈天を助け起こそうとして、弾かれた。

帝釈天が最後の力で、触れようとするヴリトラは撥ね退けたのだ。

その瞳には王者としての鋭き眼光が宿っており、触れるなと告げていた。

「どっ」

どうしてと続ける間に、異変が起こった。

なんと言い表したらいいのだろうのか。

端的表すなら、喰われているだろうか。

顕現が薄くなり、消えうせようとしている帝釈天の身体が空間に喰われていた。

突如、牙を剥いた空間が帝釈天を飲み込み、そして咀嚼していく。

「帝釈天っ!」

ヴリトラは帝釈天が自分を庇ったことを悟る。

この現象が起こると察していたのだろう。

この隔離された空間の狭間に飲み込まれた帝釈天が声も無く、臼に砕かれるように空間に粉砕されていく。

そしてカランという金属音が生じ、帝釈天の姿は完全に狭間へと失せ、居た証拠としてヴァジュラだけが大地へと転がった。

それも初めから無かったかのように薄れ、忽然と空間から失せた。

全てが夢幻のように。




備わった口がそっと言葉を紡ぐ。

「一部がどうも暴走しかけたようだな。

置き土産などを残そうとしよって。

まだ、この口すら完全ではないか」

そこには無があった。

それは先程までの話。

今し方戻ってきた躰の一部、唇が備わり、無から有へと転じた処だった。

「…噺は噺らしく、噺に飲み込まれ、有と成れば良いのだ。

貴様らに尊厳など存在しない。

只、我の為に在ればいい。

それを…」

唇は歪み、不機嫌を露にしていた。

「まぁ、東と南西が同時に戻ったのだ。

月天には感謝せねばならぬな」

唇他に、欠けた部品が無の空間に浮かび上がる。

どうやら顔の一部分で、唇の斜め上に二箇所それは生じた。

捻転のような文様をしており、観察すればそれが耳の部品だとわかる。

「だが、真に必要なものは未だ届かずか。

急くこともないか。

二ヶ月もすれば、全てが揃うのだ。

そう、急くこともな」

不敵に歪んだそれは人的。

ある意味で純粋なる笑みは、どこか王者の風格を称えており、帝釈天を彷彿とさせるのだった。




それは力ある者達だけが覚えた。

全身を突き抜けるような悪寒。

ある者は吐き、ある者は身悶え、その衝動に耐えていた。

そして此処にもその悪寒を感じ取り、真剣に虚空を睨む者がいた。

「…そういう事ですか。

規模が大きくて図れなかれなかったですが、これは」

「仁様」

少し苦しそうな声を出しながら、影に潜んでいた者が気遣うように眼前へと出てくる。

字菟螺(じうら)、大丈夫ですか?」

「はい、仁様は」

「平気ですよ」

青白い顔をしている字菟螺とは対照的に、普段と変わらぬ健康的な赤みのある色をしている仁に、字菟螺は安堵した。

自分を差し置いての気遣いに、仁は苦笑してしまう。

「こちらはこの国最高の術士ですからね。

貴方よりは抗の行を積んでいます。

大して影響を及んでいません。

それに…」

一度詰らせ、仁は虚空から字菟螺へと視線をやる。

「この感覚、一度経験がありますからね」

「では」

「根源再来ですか。

全く、いったいどうしてしまったのでしょうね。

此処三百年は動き一つ見せなかった根源への通路が、僅か二ヶ月で二つ目。

一つ目は、私の責任ですから、なんとも言えませんが。

…まるで、連鎖反応のようですね。

恐らく、抑止力では押さえ込めない何かが働き初めているやもしれません」

「いったい何が」

「これは、隔離が強化されたに過ぎません。

これまで何となくだった感覚が、意識せざる得ないまでに高まった。

これがこの国を覆っている隔離の本当の姿ですよ。

まるで…」

言葉を紡ごうとして、その予想にゾッとしてしまう。

「膣、あるいは胃の中ですね」

仁の言葉に、字菟螺が知らずに喉を鳴らして鍔を飲み込んでいた。

悪寒がしたのは一瞬だった。

それが産声に想えたのは、気の所為でなかった。

本能的に、この隔離に飲み込まれた者にはわかるのだ。

自分達が誰かの胃の中で溶かされ始めているのだと。

そしてその胃酸が強まったのが、今の悪寒だと。

「頭首!」

襖を勢いよく開けられ、皺くちゃな老婆が切羽詰った声をあげながら、入室してきた。

「どうしたのです。

年甲斐も無い声をあげて。

子供が見たら、鬼婆の到来と逃げ出しますよ」

「相変わらず、減らず口を。

それより、これは」

「焦る必要はないですよ。

どうせ今は手の討ちようが無いのですから。

ならば、出来る事からすれば良い」

肝の据わった受け応えをされ、焦って入室してきた自分が気恥ずかしく想え、老婆は押し黙った。

「婆やでも焦るのですね。

正直、それすら抜け落ちた抜け殻かと心配しましたよ。

未だ、現役で結構」

カンラカンラと笑われ、老婆は流石に額に青筋が浮かぶのを禁じえなかった。

「さて、婆やが此処に来たということは、摘めましたか?」

先程までのふざけをバッサリ斬り、仁は本題に入る。

「最北の地にて。

暗部の情報では、教会の頭脳かと」

「ナイル ベネッサか。

かの者まで出張ってくるとは。

外部でもかなり大問題に発展しているようですね。

それともナイル ベネッサだからこそ見抜いたのかもしれませんね」

「ツールマスターですか?」

「彼女の眼にはあらゆるモノの本質を見抜くらしいです。

だからこそ、この事態の緊急を悟ったのかもしれない。

…字菟螺、紙を持て」

「はっ!」

字菟螺は退出していき、その後姿を見ながら老婆、桔梗は尋ねる。

「文を認めるので?」

「あぁ、事態は緊急を要する。

勢力争いなど無意味。

折角、世界の調停者が現われたのだ。

協力を仰がぬは、不粋というもの。

それに此方には情報が足りぬしな」

「左様ですな。

異存は御座いませぬ」

「何時、事態が悪化するとも限らぬ。

呼び寄せるまで、我らは我らで準備を行う。

怠るな」

「はっ!」

頼もしき言葉を頂戴し、桔梗も又、己が仕事をする為に退出していく。

それを奇妙な感じで眺めながら、その背中が小さく感じている自分がいた。

随分と年を得、見方まで変わったのだと仁は痛感しながら、遠き地にいるであろう大切な者に想いを馳せる。

(鼎、赤凪君。

君たちの故郷は必ず守死してみせますよ。

それまで安心て世界を愛でてきてください)

これは責務であり、仁自身の願いだった。

壊そうとした大切な者を救ってくれた少年に対する、最低限のお礼なのだ。

「おっと、さぼっている姿を見せたら、鼎になんと文句を言うか」

此処にいない娘に向かって皮肉を零し、仁は渇を入れる。

諦める気はない。

喩え万人が無理と下しても、自分一人だけは可能だろ叫び続ける。

諦めるのは沢山だった。

あの少年は言った。

この想い、感情こそ世界で唯一、運命と言う馬鹿げた歯車を壊せる武器だと。

そして、逃げていただけと想っていた自分の行為を、娘を想う気持ちを強いと言ってくれた。

(もしこれが運命なら、娘の帰りを待つ私の想いこそが武器。

そして歯車を壊す)

歯の浮いた台詞だと苦笑しながら、仁は虚空へと手を伸ばし、そしてグッと握りこんだ。この世界そのものに喧嘩を売るように。

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