守護清廉 三話
先程まではしゃいでいたソーマは疲れたのか、あの後直ぐに眠りに堕ちていた。
傷は完全に再生しきっていたが、内部に蓄積されていた疲れが彼を睡眠と誘ったのだろう。
フラガもあれ以来沈黙し、静寂に満ちたテントをヴリトラは後にする。
外に出ると、新鮮な空気を肺に吸い込む。
それだけで微かに残っていた眠気が夜気に消されていく。
暫し足を進めていくと、境界線と言わんばかりに、線が引かれていた。
それを超えようと足を踏み出そうとしたら、待ち構えていたナイルが停止を要求してきた。
「ストップ」
ヴリトラはギリギリで境界線を越えずに踏み止まる。
「その線を越えたければ、覚悟を決めなさい」
ナイルは喧嘩腰な態度で告げながら、街へと繋がる門に背を預けながら、ヴリトラを監視していた。
「覚悟だと」
ヴリトラはいぶかしむように尋ねる。
「そう、貴方達は特殊な気配を漂わせている。
その気配をこの境界線がシャットアウトすることで、目を眩ませている。
つまりこの境界線を越えると、あの化け物が察知して向かってくるって事。
私は準備を整えたから良いけど、貴方に闘う覚悟はあるかしら?」
ヴリトラの目的はナイルとの対話だった為、この境界線を越える意味はない。
だから、その線の手前で立ち止まると、ふと疑問に想ったことを口にした。
「どうして闘う?」
「人が好きだからかしら」
「人が好きだと、神と闘う理由になるのか?」
理由としては余りに漠然としている気がした。
そしてどこか本音でない感じがした。
「なるわね。
あれは災害よ。
噺により固体化された、自然災害。
そしてその傲慢さは、人の尊厳を許していない。
全てが自分の為にあると勘違いしている」
此方に歩み寄りながら、ナイルは露骨に嫌悪を露にした。
「だろうな。
神にとって人とは、噺を紡ぐ自分の一部みたいなものだ。
自分の躰をどう扱おうが、咎められる覚えはない」
「成程、それが神って存在の見解ね。
それが闘う理由。
それがどれ程傲慢なことか、教えてやらないと気が済まないわ」
ナイルは不敵に告げながら境界線の内部までくると、親指で腰を掛けれる程度の岩を指す。
ナイルはそちらに歩を進めていくので、ヴリトラも後ろについていく。
「そんな理由だけで、神と相対するのか」
「するわ。
私は嫌いなのよ、人って奴が」
「???」
「傲慢で、自分勝手で、少し他よりも智が勝っているだけで世界の支配者面。
進化の途上にいながら、最高傑作のような振る舞い。
この世で最も忌むべき存在だわ」
先程と全く反対の意見。
そして毒の吐き方が半端ではない。
神に対した発言が繕いで、こっちが本音であることがありありとわかる発言だった。
ヴリトラは振り返り、ナイルを見る。
そこには逸らしたくなる、無機物のような目があった。
ゾッとする、保管された感情。
「これが、私。
全てが道具に想える、最も忌むべき人の最高傑作。
私より、人を蔑ろにしている人はいないわ。
道具(人間)達は恐れを持ってこう噂していたわ、ツールマスターと」
もし、神なる感性があるなら、彼女のようなものではないかと想った。
彼女の目には、有機無機を問わず、全ての事象すら道具として感知してしまうのだろう。
それ故に迷いもなく、揺れも無く、使うだけ。
それは誰に教えられたでもなく、初めから存在したもの。
深層心理に超えた存在として、初めからインプットされたデータ。
それに従い、この世を使うのだ。
「詰まらないわよ。
全てが想いのまま。
生きているのではなく、作業をしているの。
人という道具を使い、世界という工場を運営する。
そうね、遣ろうと思えば、世界征服ぐらい出来たかもしれないわ」
「でも、しなかった」
「一つは面倒くさかったから。
決まっているのよ、出来るって。
苦労だけ増えて、意味ないわ。
もう一つは、この世にマリア様が居たからかしら」
「……」
ヴリトラは立ち尽くしながら、その話に耳を傾けた。
「勿論喩えよ。
人生を取り替えられちゃったのよね」
そこでやっとナイルの瞳に感情が戻る。
「彩があるのよね、この世界って。
私は昔、灰色一色で塗り固められているのかと想っていたわ。
それで人が好きになってちゃったのよね、私」
「正反対だな、朕と」
「私には元々全ての縁を必要としなかった。
そして、それで生きていける事も承知していたしね。
悪いけど、まともな感情を持ちえた者には無理よ、こんな生産性のない生き方。
今からしろって言われても、もう無理だわ、私は」
ナイルは自嘲気味に笑う。
それが嘘であり、そう在りたいという願望だと取れた。
「貴方は、望んだのよね。
誰にも関わることなく、生きることを。
何となくわかるわ。
何人か見てきたから、貴方みたいな人。
そいつらは皆、私に羨望していたわ。
その地点で無理だってわからなかったのかしらね。
でも、貴方は少し違った。
大概は世界に絶望した者。
仕切れなかったのかしら?」
「…昔話だ。
ある村に少しばかり、人のあり方を知ったものがいた。
その者は、肉体が五つの要素に別れ、そして組み立てられていることを知り得ていた。
天恵だったのだろう」
昔話というには、あまりにお粗末な話だとナイルは想った。
流からして、それがヴリトラ本人の話であるからだ。
「五行相生、相克ね」
ヴリトラはそうだなと相槌を打ちながら、ナイルの近場に腰を掛ける。
そして一度目を閉じて、吐露すうように話を続ける。
「その当時、誰もそんな風に人が構成されているとは考えなかった。
その者は、それを使うことで奇跡を起こせる事を知った。
そして、それが諸刃であることも。
奇跡とはチープな言い方だが、あの頃には的確だろうな。
その者はそれを隠し日々を過ごした。
周りの者と違うことが行えるものは、神か悪魔とされる時代だったからだ」
ヴリトラはどうしてこんな話をナイルのしているのか、心中で自問してる。
(式を出して、答えを導き出したんだろうな、朕は)
言葉にすることで、自分でも見えない部分を浮き彫りにしたかったのだと。
「賢明ね。
今なら、白日の下になった事実だけど」
「だがある日のこと、崖崩れが付近でおきた。
それに巻き込まれ、重傷を負った子供がいた。
その子は、ある家族の待望の子供だった。
それを知っていた莫迦者は、人前で助けてしまったのだよ、奇跡を使ってな」
ヴリトラの語りが、次第に熱を帯びてくる。
「一命と取り留めた子供がな、薄っすら目を開けて辛そうな表情のまま笑った。
その莫迦者は、それを胸に刻んでしまった。
その微笑を。
自分が掬い上げた価値が、尊いと勘違いしたのだ。
そして、その者は莫迦な行為を旨として、日々を過ごすようになった。
傷ついた者がいれば足を運んだ。
五つの要素で構成された人。
奇跡の代償として、それを消費していく。
自分を削っていったのだ。
構成していた要素が失われ、衰弱してく中、それでも止めようとは考えなかった。
いつしか、衰弱した肉体は病に犯され、朽ち果てていくしか無く成っていた。
それでもその者は満足だった。
…幸せだったのだろう。
だが、人を死に至らしめる病が流行した。
その者は、自分が長くない事を知っていた。
だから、それに全霊を尽くし、治療に望んだ。
最後の仕事として。
結果、病は治らなかった。
これまで奇跡を目の当たりにしてきた人々は、この事態にある噂をした。
これまでこんな病はなかった。
ならこの病は何処から来たと。
奇跡は裏返り、呪いとなったと。
その者が対価を支払わなかった代償として、人々を呪っていると噂したのだ。
その者はこれまで助けてきた者達に悪魔と罵られ、報復という拷問を受けて最後に首を刎ねられて生涯を閉じた。
その者が死した後、病が治まる筈もなく、流行り病は蔓延した。
その者の呪いとして」
「……」
「死ぬ前にその者は、人なる者に絶望し、そして期待をしないで死んだ。
そこで噺は終われば良かったのだ」
「どうして?」
「好きだったのだよ、結局。
その莫迦者は人を怨みきれなかった。
だが、絶望を抱いて死んだ。
そこで途切れていれば、募ることも無かった。
繋がる未来などなけば、絶望した想いを沈殿させて澱にとなる事もなかった。
しかし、噺にされた者は考える時間を持ってしまった。
絶望は失望となり、闇が覆っていった。
噺にされた者の刻は停止していた。
失望したまま固まり、悠久なる時を流れた。
そして、ある事件が起きた。
この国から起源に帰ろうとする大きな源があった。
陰の流れが二つ、そして陽の流れが四つ。
それらを各自二分とし、十二の道を造りし者がいた。
その者が根源の都、須弥山に住まう十二の天に呼びかけてきた。
護世八方天、北東の伊舎那天、東の帝釈天、東南の火天、南の焔摩天、西南の羅刹天、西の水天、西北の風天、北の多聞天。
そして天上の守護者、梵天、地上の守護者、地天。日の日天、そして月の月天を加え守護神十二天。
呼び声は、遊戯をもようそうと語りかけてきた。
人の世で存分に力を振るってみたくはないかと。
そしてその力で競ってはみないかと」
「…ふざけた話ね。
自然災害が暴れようなんて」
「起源に帰還しようとしている穴を通じ、自分の影をこの世界に受肉させる。
本体である噺は須弥山でこの戦いを傍観している。
まさに遊戯だ。
影が破れたところで本体はなんの痛みも覚えない。
開催者は、この戦いの勝者には永劫なる流れを与えるとした」
「永劫なる流れ。
つまり、途切れぬ噺になるってことかしら」
ヴリトラは黙って頷く。
「そう。
噺である我らは、その噺が受け継がれなくなった地点で、存在を失う。
だからこそ、この話は神々にとって魅力的な景品だった」
「貴方は違ったみたいね」
「繋ぐものなど欲しくなかった。
寧ろ、不要だ。
この事件が止まっていた失望を動かし始めた。
噺である自分。
人に拠って支えられた存在である事が我慢ならなかった。
そして悠久なる時に固められ、絶望したまま永劫を生きることも。
だからこの機会に、朕は人間界に本体ごと降りることにした。
闘うことを渋り、須弥山に最後まで残っていた朕は、新たに起源に向かう二つの陰を見つけ、それを使い本体を地上に降ろした。
流石に神の肉までは降ろすだけの道は生み出せなかった。
この肉体は、生前の貧困な想像から生まれた、人の肉」
「噺でなく、それで人なのね。
…肉を持ち、凍結した刻が動き出したわけね。
そして絶望が」
「人に対して絶望した朕が求めたのは、縁無き場にて、静に幕を閉じる事だった」
「仙人みたいな思想ね」
「だが、そうもいかないらしい。
結局、纏っている神氣が戦いを呼び寄越すらしい」
「そして永劫の流れを得る為に、神が貴方を殺しにくると。
まぁ、輪郭は把握したわ。
この戦いの主催者って誰なの?
神がその言葉を鵜呑みにするなんて、信じられないわ」
「初めは帝釈天か梵天辺りの差し金だと想っていたが、そうでは無さそうだ。
もっと裏がある予感がする。
何故なら、十二天誰もがその呼び声に応じたのだ」
「疑念を浮かべなかった?
いえ、定まっていたのかしら」
「…神であった内は、その事に疑問も挟まなかった。
この仕組みに疑念を挟んだのは、人間界に降りて、人の肉を持ってからだ」
「強制力が働いていたみたいな感じね。
それは神に適応されているのか、それとも十二天だからなのか。
まぁ、今の情報ではこれ以上先に進めないわね。
なら、もう一つだけ。
あのソーマって子はどうするの?
無関係とは言わせないわよ。
月天が別称を偶然なついたなんてオチはいらないわよ」
「…助けたのは事実だが、無関係だ」
「無責任な話ね」
「借りは返した。
なら、最早関係なかろう」
「なら、楽にしてやれば良かったのよ。
無闇に助けるなんて、責任も持てないならするべきではなかった。
望みが無縁なら、どんな状況であろうとも、助けるべきじゃなかったのよ。
餌を貰って温もりを覚えた地点で、責任が発生する。
野良じゃなくしたのは、貴方よ」
野良と、まるで犬猫扱いだった。
「縁が切れて済々できたでしょうに、臆病にも程があるわ」
「臆病だと」
「そうよ。
こんなの優しさでもなんでもない。
自分を正当化して、卑劣なことをしているのと代わらないわ。
一度助けたなら、責任持って世話しなさい。
縁を築いたのは貴方なのよ」
「……」
ヴリトラは言葉に詰る。
餌付けをした他ならぬ自分なのだ。
貸し借りを引き合いにして、隠すことでどこかで期待していたのだ。
「結局、どんなに悲劇で幕を閉じても、貴方は憎みきれないのよ。
だって、それが人の全貌ではないと知っている。
過去、貴方が助け笑って感謝して子供のようにね。
それが息づいている以上、貴方は私みたいにはなれない」
断言するナイル。
指摘されるまでもなく、立証されていたのだ。
無機質な瞳を見た時に、咄嗟にそれを否定したあの時に。
「貴方の憎しみは、全てを塗り替える程じゃなかったのね。
本当に切望しているのは、無縁でなく、改善じゃなの?」
「どうして、そう想う」
そこまで示して貰わなくても、理解していた。
それでも口に出し答えが欲しかった。
自分の求めて止まないものを。
ナイルは口にするのも莫迦莫迦しいと噤みかけたが、ふと思い直したようにハッキリと告げていた。
「無意識に行動で示してるのよ。
人が好きで、その笑顔を見たくて。
人の本質なんて、そうそうに変わらないわ。
ましてや貴方は、凍結していた日々から動き出して間もない雛。
絶望で塗り固めるには、まだ幼過ぎる。
それに本質を築くのに、貴方は多くのモノに触れたでしょう?
それが許してはくれないわよ」
本当にそうだったのだろうかと、ヴリトラは黙考する。
今でも明白に思い出せる過去を掘り当て、身震いする。
罵倒、暴力、憤慨に染まった視線。
それらが津波のように押し寄せ、心を蝕む。
暴力を振るう者の中には、命を救った者もいた。
罵倒する者の中に、救うことが出来ず病に逝かれた者の縁深き者がいた。
それらの人々に感化されて、被害者ぶった者達が理不尽な視線を投げかけてくる。
(これは自分の責務だったのか?
いや、朕も一人の人間だった。
だからこそ、許せなかった。)
ヴリトラは、何度となく問うたものを復唱する。
これがいつもの答えだった。
だが、今回は違っていた。
鮮明な記憶の中に、戸惑いが見受けられた。
どこかに怒りをぶつけなければ、狂ってしまいそうな顔が並んでいた。
(この者達は、どこかで知っていたのか。
これが朕の諸行ではなく、只の病魔だと)
奇跡で救われてきたにより肥大化した期待、それが裏切られ絶望に変わった。
(あらぬ期待を植えつけたのは、朕か)
そしてどこかに押し付け無ければ、病魔に蹂躙されるだけの生活に耐えられなかったのだと。
確かにそれは許される行為ではない。
全ての責任を押し付け、目を逸らした人々。
これは人身御供。
そしてその理不尽を受けた者としては、許容できるものではない。
許しを与えられぬ程の反逆だった。
(多大な期待を植えつけたのも、また事実か)
後僅かしか生きられなかった自分が犠牲になる事で偽薬になるなら、それは発狂を推し留めた的確な薬になったかもしれない。
そんな考えが、ヴリトラの中に初めて浮かんだ。
いつもなら此処で絶望し、闇しか見詰めることができなかった。
(朕は、この先に何を見ていたのだ)
何度も心を打ち付けられ、脅えが蓄積されていく。
それでもどうして自分が躍起になっていた日々があるのだと、闇の向こうに手を伸ばした。
(…そうか、朕は)
奇跡を使い、助かっていく人々。
噂を聞きつけ集まった人々が、その恩恵に与り、滂沱して感謝を述べていた。
そして助かった命を掻き抱いていた。
それを行っている者は桶を覗き込み、顔を反射させた。
その様子が嬉しくて仕方ない顔が、張ってあった水に浮かんでいた。
(幸せだったのか)
自分の力が、命を紡ぐことが。
そしてそれが笑顔を与える事が。
あの頃、当たり前のように想っていたのだ。
見返りなどいらない。
いや、見返りがその笑顔なら、十分に価値があるのだと。
自分は幸せだったのだと。
「そのようだな。
こんなにもモノを刻まれたら、簡単に変われない」
次々に浮かんでくる紡いだ笑顔。
そしてその先に、初めて紡いだ時に決意させた、少年の苦しげだが満ちた顔があった。
「嫌いになれないな、これでは」
ヴリトラは、どうしてこの女に吐露してのかわかった。
自分の憧れた姿、それを備えた者に聞いてみたかったのだ。
世界はもっと混沌としていて、醜く形成されているのが事実。
綺麗なものよりも明らかに汚れたものの方が多く、ヘドロのようなドロドロとした感性が蔓延り、支配していることも。
事実を受け止めた、諦めきった呟き。
なのに、溜りっていた澱が流されていく。
その分だけ忘れていた想いがソッと頬を濡らしていく。
頬に触れてみると、熱い雫が手の甲を流れていく。
それでも綺麗事を掲げている方がお似合いだと、悲鳴をあげていた心が解きほぐされていく。
それは涙となり、閉ざしていたもの達を表面に押し出してきた。
「ふ~ん、正直、貴方の事嫌いだったけど、今の貴方、悪くないわ。
私は彩のある人が好きなの。
まぁ、嫌いなカラーはあるけど、嫌いじゃないわ、貴方の彩」
微笑し、ナイルはタバコを取り出した。
咥え込み、タバコの先端に指を掲げると、紅く熱されて煙が立ち昇る。
旨そうに煙を吸い込むと、怠慢的なダラダラと煙を吐き出した。
「は~ぁ、美青年の滂沱を魚に、一服は格別ね」
等と、趣味の悪い台詞を吐く。
「で、もう一度問うわ。
あの子どうするつもり?
あの様子だと、危険だから来るなって言っても、付いてくるわよ」
「判断は本人に任せる。
付いて着たければ好きにすればいい」
「そう、なら問題はないわ」
ナイルはハニカみながら、タバコを楽しむ。
というよりも、人を楽しんでいた。
「これだから止められないのよね」
「変わった人間だな、ナイル ベネッサ」
「ナイルで結構よ、ヴリトラ。
まぁね。
自慢じゃないけど、私以上の偏屈者を私は知らない。
捻れきっちゃってて」
嘆息しながら、つくづく困った性質よねとぼやいた。
嘆息したいのは自分の方だと、ヴリトラは苦笑した。
だが、それで場が和んだのはいうまでもない。
「さて、必要な情報は聞けたし、後はあのロクデナシの神様を鎮圧するだけね」
「…神に勝つつもりか」
「勝てるわよ、あれぐらいなら」
ナイルは、事も無げに断言する。
「私はツールマスター。
この世に理を操るもの。
この世は私のホームグランド。
どう、世界を敵に回して勝てる気する?」
彼女の理屈なら、確かに勝てる気など湧かないだろう。
だが、それは大げさな比喩なのだ。
ナイル自身もそれをわかっていながら、この薄氷の戦いに身を投じようとしていた。
「こちらも返していいか?」
「質問?」
ヴリトラは頷いた。
ナイルは気だるそうに首を傾げながら、良いわよと返答する。
「マリアさまとやらは、君が無謀さを責めはしないのか?」
「痛い質問ね。
そうね、私のマリアさまは責めるわ。
無謀な事をじゃなくて、その事が引き起こす事象をね」
事象が自分の死も含んでいる事にヴリトラは気が付いた。
ナイルは顰め面をし、眉間に皺を寄せる。
よく観察すれば、眉間に深い皺があった。
それと反対に目じりには皺が全く存在しない。
彼女が、どれだけ苦悩だけを覚えて生きてきたかを顔が物語っていた。
顔は歴史だった。
「でも、私は遣るわ。
確かにマリアさまは優しい人で救い主だった。
彼女が眩しくて、求めたことすらあるわ。
でも、それに依存したわけじゃないの。
だって、それは私の本質に合わないものだもの。
だから、私は私の遣りたいことをする。
任せるなんて性に合わないし、彼女がそんな私を見たら、らしくないって苦笑いを浮かべわ」
ナイルは感情を掻き消し、こう続けた。
「そぐわないものがあるなら、壊すだけだわ。
守るなんて事柄は、出来る者にさせておけばいい。
私の専門はあくまで壊しだから。
その方法で貢献するのよ、好きな奴に」
「……」
ナイルは皮肉げに顔を造り、
「これが偏屈者の愛。
主に背いた不器用な愛し方ってやつかしら」
と自分を評価した。
それは変わることのない、芯が通った揺ぎ無き意味。
そしてそれを受けいれた上で、彼女は彼女の出来るものを愛と呼んでいた。
それが喩え破壊行為であろうとも。
「こんなの、人それぞれよね。
まぁ、彼女は奪うこと嫌っていたし、私には真似の出来ない愛を持っていた。
愛なんてものを持ち合わせていなかった私には、理解できなくて、知って啼いたわね」
「寛大だったのだな、君のマリアさまは」
「でしょうね。
吸い込まれちゃったから、私が。
私なりの愛し方まで説いちゃって、この世で唯一頭の上がらなかった人物だわ、彼女は」
眩しそうに目を細めて、ナイルは過去に思いを馳せていた。
言葉の端々からマリアなる人物が、過去の人であると示していた。
それがヴリトラでいう、少年の笑顔なのだろう。
話はお終いといわんばかりに腰を上げ、形の良いお尻についた埃を叩き落す。
「逃げてもいいのだけど、相談料として、少しだけ私にお土産をくれないかしら?」
「土産だと」
「そう。
こうやって私が造ったフィールドが、貴方の気配を殺しているのは説明したわね。
半信半疑で実行したけど、これだけ時間が稼げるとなると推論は正解だったようね」
「神氣を辿って、朕を追ってるというやつか」
「どれ程の距離を察知できるかしらないけど、神なんて肩書きを持ってる存在だから、百や二百キロの距離は固いでしょう。
なら、逆に探知させれば、此処に誘き寄せることができる」
「つまり、逃げるに当たり、暫く此処で時間を潰せと」
「話が早くて助かるわ。
罠は仕掛けてある。
後は相手を誘き寄せ、舞台に上げるだけ」
「勝機は?」
「軽く見積もっても、八十%はあるかしら。
まぁ、舞台に上げる事が出来ればだけど」
ヴリトラは、神相手に八十%の勝率を考えているナイルに感嘆してしまう。
自分の生前時の能力を照らし合わせて、有利な地形に誘き寄せても、精々ニ%が関の山だった。
(人のレベルは完全に超えている)
これだけ頭の廻る人間が、綿密に計算しなかったとは考えにくい。
研鑽に次ぐ研鑽の果てに導き出し勝率だろう。
そして問題は、自分の舞台に相手を立たせること。
喩え誘き出せても、舞台まで導くのはナイルの仕事。
それこそが、無謀の極みなのだろう。
「…もう一つだけ、いいか?」
「何?
それで誘導をしてくれるなら、答えてあげるわよ」
「あの羅刹天、ナイルの目からどう見えた?」
誘導する件を了承するように、ヴリトラはナイルに質問する。
「人を家畜以下に見た、傲慢な輩かしら」
胸糞悪いとタバコを叩きつけ、踏み消す。
「近親嫌悪、これが正しいのかしら。
昔の自分を見ているようで、吐き気がするわ。
類似してるからこそ、受け入れられない。
私が最も忌むべき存在なら、それと同格かしら。
嫌悪しか抱けない、人の敵。
つまり、私の敵よ」
(ったく、この女は文句の付けようのない答えを)
ナイルの答えに満足し、ヴリトラは苦笑した。
「人の敵か。
なら、退治は人の役目だな」
「そうでしょう。
退治する方法は思いついたのだけど、誘き寄せる方法は想いつかなかったわ。
貴方の領分から外れるけど、手伝って欲しいわけ」
「領分、それは人以外に手伝わすという事か?」
「そう言ってるでしょう。
神って輩は、頭固いのかしら?」
それを聞いて、ヴリトラはこみ上げてくるものを止める事が出来なくなっていた。
喉でどうにか押し殺し、引き攣ったように笑う。
ナイルはそれに気分を害したようで、何笑ってんのよと眉を顰めた。
「いや、君は自分が言った事を覆していたので、少しばかり間の抜けていると思ってな」
「…マヌケとはいい度胸ね。
私のどこがマヌケと」
「朕の事を神ならぬ人だと称しておきながら、人の戦いに口を出すなと言う。
これを間が抜けてると言わないで、なんと言う」
ナイルは呆然とそれを耳にしていた。
「本気?」
「あぁ」
その返答にナイルは思案する。
「…貴方、奪う側の人間に成れないタイプよ。
専門家に任せた方がいいじゃないかしら?
殺しなんて、嗜好してないでしょう。
そして私みたいに壊しとは割り切れない」
影だとわかっていても、奪ったという罪悪感に打ちのめされた。
ヴリトラは生前、一度として殺しに手を染めたことがなかった。
それ故に、その重さにたじろいだのだ。
自分の命すら天秤に賭ける程に。
「一人ではないのよ。
貴方が戦うと言えば、ソーマも残るわ。
それを承知」
「…そうだな。
きっとアヤツなら残るのだろうな」
「私達は知っている筈よ。
変哲も無く、怠惰に過ごした日々を救い出すだけの温もり。
それがなにものにも換えがたいものかを。
多分、貴方は知らずにあの子にそれを与えた。
その温もりの元が目の前にいるのに、手放そうとする者がいるかしら?」
ヴリトラは自問してみる。
直ぐに答えは出てきた。
実際自分は手放せずに、それを糧に人生を生きたのだ。
それを離せと強要するのが、どれ程残酷なことかを厭というほど理解できた。
「誘い込むだけで十分だわ。
それで、貴方は責務を果たしてくれたことになる。
無理する必要はないの。
後は私に任せておきなさい」
「…それが正しいのだろうな」
(そう、それが正しい。
ラークシャサ、ナイルリチ。
どちらも奪う気はなかった。
只、守ったのだ。
その結果が奪うという形で決着しただけ)
この迷いがある限り、いざという時に躊躇が生まれる。
今度は初めから奪う戦いをしようというのだ。
覚悟の度合いが違う。
インドラの行った過ちを、このままなら自分が実戦することになる。
そして、それを決意することは、守るべきものを危険に地帯に置くという、矛盾を生む。
「人には向き不向きがあるわ。
生産系の貴方が、奪う側に立つことはない。
私は、結構甘い話が好きなの。
それを自でいく奴もね。
だから、染まる必要はないわ」
ナイルはポシェットから白い破片を取り出す。
「これはバミューダトライアングルっていう、変異地で磁場を帯びたタンカーの破片よ。
この磁場はね、いろんなものを歪めて感覚を麻痺させるの。
お蔭でバミューダトライアングルって海域は遭難する船や飛行機が続出してるわ。
これは、その磁気を発生させられるように私が改造したもの。
これがあれば神氣や気配も歪めて、他の十二天に発見される確率が減らせるわ。
この境界線の内にも、この磁場を発生させて貴方に神氣を隠してるの。
問題は、この磁気を発生させると自分の感覚まで狂ってしまうってところかしら。
敵にも察知されなくかわりに、自分も察知できなくなる欠点がある。
視認以外で見つける術を失う点では、逃げる側に有利に働く筈よ。
持っていきなさい。
これは情報料と餌に成って貰う正当な報酬よ」
とナイルはヴリトラにその破片を放り投げる。
放物線を描き、ヴリトラの膝上にあった手にスッポリと収まる。
「使い方は術の行使と同じ。
それが媒体となる杖かなんかと想ってちょうだい。
その破片に含まれた意味を事象に起こすだけで発動するわ。
貴方なら使えるでしょう」
ナイルはそれだけ与えると、テントに戻っていく。
その後ろ姿にはまるで少しばかり面倒くさい仕事を片しにいこうとするぐらいの、気だるい雰囲気しか漂わせていなかった。
ヴリトラはその姿にフラガの台詞を脳裡に蘇らせていた。
(欠けた部分とは、それ程に自分に見えないものか)
ヴリトラにはナイルという人間が、誰よりも脆く見えた。
恐怖や憎しみとかいった感情を超越している為、この世界を生きるにはあまりに強過ぎる存在。
だが、その反面あらゆる繋がりが希薄だった。
彼女は自分のリセットボタンをいつも掌に握っているのだ。
人が脅えるであろう最大級の行為を、簡単に実行できる。
言い換えれば、どんなものも、いつでも捨てられるのだ。
(完璧な人間などいない。
視点に拠っては、それが長所になり短所となる。
彼女の場合、それが人として致命的なだけ。
そしてその自覚が希薄)
彼女が述べた通り、この戦いは勝率が高いのだろう。
だが、その計算に自分の命すら道具として当てはめていたら。
フラガのいう通り、彼女はまがうことなき強き者なのだ。
それが人という規定で計られているならば。
だが、それは欠落を意味する。
人故の弱点が持ち合わせていない事が、結果として自分すらも道具と見なしているのだと、その後ろ姿が語っていた。
ヴリトラは唇を結び、一度は憧憬したその姿に感情を乗せた視線を送る。
そこには、憧れなど微塵も含まれてはいなかった。
ナイルの行っていた、磁場を狂わす機能はかなりの優れものだった。
境界線を越えた瞬間、わりと近場にあの攻撃的な気配を感じたのだ。
人を縁にでも転がってる石ころと大差ないとした傲慢さ。
そしてその石ころに出し抜かれ、理性を全て怒りの変換したような剣呑な気配がヒシヒシと伝わってきた。
ナイルは侮蔑を浮かべ、気配の発生源のいる先を睨みつけていた。
ナイルは近親嫌悪と言っていたが、ヴリトラにはそうは想えなかった。
もし、上から見下ろす神なるものに定義があるなら、彼女の方が神らしいのだろう。
何故なら、彼女には石ころに出し抜かれるだけの緩みがないからだ。
侮らず、奢らず、自分という機材を的確に研鑽した使い方をする。
そして彼女に視界は無機物で彩られ、行動定義さえプログラムにしてしまう。
人という道具の使い道を熟知し、そこに他を思いやる気持ちはない。
鋼鉄の心。
正確には欠損しているのだ。
石ころ等と多寡を括り、本質を見抜かない羅刹天などよりも、よっぽど俯瞰から人間を、世界を見下ろしている。
意識して者を物として扱うものと、初めから者を物として扱うようにプログラミングされている者とでは、雲泥の差がある。
噺である神は、人を引き摺ってしまう。
故に、神でありながら、人間を垣間見る事が出来る。
だが欠損している彼女は、生まれながらにして人間失格な感性を持ち、無機物的な視界で世界を見る。
感情を繕ってはいるが、あれが演技であることは、これまでの話から推測出来た。
(多分ナイルは、演技を本物にしたいのだろう。
だから、人が好きだと自分に言い聞かせている。
のたまっているといった方が的確か)
生まれながらに神の視点を持つ女。
皮肉にも、その女が求めたのは人の視点だった。
(近視嫌悪とするには掛け離れている)
ヴリトラ僅かながら接しただけで、ナイルの視点がどんなにおぞましいものか察することができた。
ヴリトラには、その視点から見える世界を凝視する自信はなかった。
裸で猛吹雪の氷雪地帯にいるようなものだろう。
簡単に心は凍りつき、ニ度と浮き上がる事は無い。
喩え、その光景から逃れたとしても、一度凍りついたものは氷解と共に腐り、温かさを感じる術を失うのだろう。
だからかもしれない。
少しでも垣間見てしまったのだ。
望み、そして憧れが隣に居た所為かもしれない。
ヴリトラは後ろから、距離を取りながら付いてく青年を確認する。
(そしてこれこそ、朕の理想だったもの)
正反対の二人の存在。
それがヴリトラにある決意をさせる。
「ソーマ」
ヴリトラは、ナイルに紹介する以外で、初めてソーマの名を呼んだ。
それに目を輝かせ、ソーマはあううぅと歓喜の遠吠えをあげながら、ヴリトラへ距離を詰めてくる。
これがスタートラインだった。
絶望により締めくくった人生。
悠久に縛りつけ、凍結した日々。
千古とも言うべき時が終わりを告げ、失望という仮面に素顔を隠し縁無き道を歩もうとした。
(自分が一番見えぬものかもしれぬな。
結局、自分を人生を決めてしまった事項というのは、そう簡単に覆せはせぬのだな)
リスタート。
リセットするわけではない。
(もう一度始めるのだ。
この事実を持って)
そのスタートとして、自分を自分たらしめた笑顔に訪ねる。
「共に来るか?」
ソーマは呆けた顔をしていた。
多分言葉の意味をわかっていないのだろう。
言葉を補うように手を差し伸べた。
「来るか?」
やっと意味を悟ったのか、ソーマは差し伸べた手を無視して跳び付いて来た。
「ぐはっ!」
頭部を体全体で包むように覆いかぶさり、あうあうと返答していた。
ヴリトラはなんとか踏ん張り、倒れる事だけは免れたが、如何せん視界を完全に覆われた上に容赦ない力で抱き絞められ、呼吸すら侭ならない。
早く離れて貰わねば、尋常じゃない力で絞め殺されるか、呼吸困難で失神するかしてしまいそうだった。
「はいはい、離れないとご主人様が逝っちゃうわよ」
と助け舟がソーマを引き剥がし、ゴミでも捨てるように放り投げる。
ソーマはニ回転してから見事着地してみせ、ヴリトラはぜぇぜぇと生命の危機を脱していた。
「うぅぅぅ!」
二度も抱擁を邪魔されたと、ソーマは毛を逆立てるかの勢いで唸りをあげる。
「好かれてるわね」
威嚇をものともしないで、ナイルは楽しそうに視線をソーマに向けた。
「…正直、好かれる理由がわからぬ」
ナイルは地面を掘り返し、破片を回収していく。
先程ヴリトラに渡したものと同じものだった。
「さて、後数分もすれば、憤怒の形相した神様が押しかけてくるわ。
貴方にはあっちに向かって逃げて貰うわ」
ナイルの指す方角は、丁度羅刹天の気配のする反対に位置していた。
「そうね、大体八分間くらいね。
あの化け物がこの街まで到達するまでの猶予は。
それまで気配を隠さないでおいてね。
後は、渡したあれで気配を殺して進路変更すればいいわ。
あの驕った奴の事だから、真っ直ぐにアンタに気配を追う筈。
当然、この街を蹂躙しながら真っ直ぐね。
ゴキブリがホイホイに吸い込まれるぐらいに当たり前に引っ掛かってくれるわ、この街という仕掛けにね」
「ホイホイ?」
「この世に蔓延る、黒き羽根を携えしものを駆逐すべく考案された罠よ。
ゴキブリホイホイ。
単純明快な仕掛けでね、餌に吊られてきた不快生物を手前の粘着ジェルで捉えるといったもの。
こうして罠に落ちた不快生物は、身動きを封じられ朽ち果てるまでもがき苦しむ」
「…残酷極まりないな、それは」
「そうね。
餌が目の前にありながら食べれないどころか、もがけばもがく程に体力を浪費して、衰弱死させる。
まぁ、こういったチープな罠の方が、知的生物は簡単に引っ掛かるものなのよね。
餌が魅力的であれば、盲目を起こしやすいし。
さて、早速逃げて貰おうかしら」
「あぁ、下がるとしよう。
ソーマ、行くぞ」
ソーマを従えて、ヴリトラは離れていく。
(これで良かったのか?)
それまで沈黙を保っていたフラガが、背中を見送るナイルに尋ねる。
「意味がわからないわよ、それ」
恍けたフリをしながら門を潜り、惨劇の跡地へと踏み込んでいく。
ムッとする異臭。
ドロッとした空気が立ち込め、嫌悪感を募らせていく匂いがした。
それをものともせず、異臭の元である水溜りを避けずに、ナイルはそのまま街の中央へと進んでいく。
あらゆる壁という壁に肉片がこびり付き、紅いペンキで何処もかしこもペイントされていた。
まともな感性を持つものなら、胃からこみ上げてくるものを押さえ込む事は出来ないだろう。
一分一秒でもこんなおぞましい場所に居たくないと、本能的に逃げ出すだろう。
それを事も無げにし、ナイルは異臭や地獄絵図を蚊帳の外にして歩いていく。
ナイルにとって名も知らない者の細切れなど、感性を害するものではない。
血は泥水、人の残骸はオブジェ。
その程度だった。
足に付く泥水が邪魔だなぁ~とか、進行の妨げになるオブジェだな~とかしか、脳裏に差し挟まない。
壊れているわけではなく、ナイル ベネッサという人間は生まれた瞬間から、こういう風に造られていたのだ。
後天的なものではなく、先天的に欠損した価値観を持ち合わせて造形されていた。
それを認識しているフラガは、敢えてその事に触れず、先の質問を続ける。
(敵はあくまで神だ。
戦力は多い方が)
「逆よ。
あれだけの武力を前に、微量な戦力なんてものいわないわ。
チョロチョロとうろつかれる方が邪魔よ」
(微量とは失礼では。
単一能力は、我らがどう足掻いても及ばぬ。
まぁ、枯渇しかかっていた状態では、あの者を相手にするには微量と呼べなくはないが)
「微量よ。
それにオマケが付くんじゃ、堪らない。
居ない方が済々するわ」
半分本気。
もう半分を考えると、フラガは微笑みたくなる気分になる。
あのナイル ベネッサが感性に動かされて行動しているのだと。
こういう時、感情を表にする肉体がないのは遺憾だと想う。
仕方ないので、微笑んでいる自分を想像して、自己満足に浸ることにした。
「戦いっていうのは端的に行うのが一番効率いいのよ。
貴方みたいに騎士道なんて振り翳す時代は過ぎたってことね」
(…兵器とは恐ろしいな。
やはり、あれを使わねばならぬか)
「相手が自然じゃ仕方ないでしょう。
台風を消すのに手加減なんてできないわ」
(最もだな。
今回は下準備を行っているから、それ程被害は出まい。
それに君ならば効率よく、そして完全に使い切ることが出来る)
「ツールマスターは伊達ではないってとこかしら」
(自分で皮肉るな。
似合わんぞ)
「…堅物の貴方に突っ込まれると、妙に腹立つんだけど」
(なら私は爽快だな。
稀にしか君から一本取れないからな)
「今後とも稀を続ける為に、人肌脱いでもらうわよ、フラガ」
(承知)
未だ癒えていない掌の傷に光を閉じこめた宝石、コーイヌールを突き刺すようにする。
血が溢れ、コーイヌールを汚していく。
「リミット限界までいっとくわよ。
最強の盾、自他ともに認めるその名、期待にそぐわぬ結果にならぬように」
(それは君の働きが及ばなければだ。
こっちは殆どが後始末だからな)
コーイヌールに蓄積され、封じ込められていた光が解放されたかのように閃光が発せられ、その光が投射された先に空色の鎧を身に纏いし騎士が現われた。
幻想的で、目を逸らした隙に消えてしまいそうな存在感。
その躰は霧で構成されているのではと、錯覚する程の希薄だった。
騎士は利き腕と思わしき方に大盾を装備しており、それを天に振り翳した。
盾からコーイヌールから発せられた同等の光量を持った粒子が降り注ぐ。
その粒子が触れた騎士は、先程までの希薄な感じが失せ、人一人分の存在感が生まれる。
「顕現しやすいわね、この空間。
生産性さえあれば、貴方も肉を持てるかもしれないわよ」
「君が明確に人をいうものを投影できるなら、簡単にできるかもしれんぞ」
「それ面白いかもしれないわね。
生き延びる事が出来たら、実験対象にしてみようかしら」
「そうだな。
そうすれば、君という暴君から解放されるしな」
二人は最後になるかもしれない掛け合いを楽しむように、軽口を叩き合う。
勝算があると踏んでいても、一部の間違いもなく実行できるとも限らない。
喩え計算通りに事が運んだとしても、勝利出来ると確証は無い。
所詮、人が自然を推し測り切ることなど出来た験しはないのだ。
それから二分後、不変なる噺がこの地に踏み込んでくる。
それが、人類YS神との初戦の開始だった。




