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守護清廉 二話

どれ程走らせただろうか。

時間的には短かったと思うが、恐ろしい速度で走りぬけた区間は百キロ近くに及んでいた。

女が限界と呟くと同時に、車のボンネットから怪しい煙が立ち昇り、回転を失っていくエンジンと共に停止してしまった。

まるでそうなるのを直前に察したように。

「街中まで来れたけど、静ね此処」

女はサッサと下車すると、物静かな街の門構えを見る。

外敵から身を守る為の、防波堤。

その奥から喧騒が一つも零れてこない。

確かに女に言うとおり静だった。

静過ぎたのだ。

「人の気配がしない。

無人だな」

「そうね。

でも、意図的というか、二度と賑わうことの無いわね。

この辺りは」

何を根拠に言っているのかわからず、女を見る。

女が顎でしゃくり、吊られてそこに視線を送ると、紅いペンキがチロチロと流れていた。

「この先は地獄ね。

あの液体の出何処が山のようにあるみたね。

細切れ、もしくは破裂した袋。

まぁ、まともな状態ではないでしょうね」

機械的に説明をする。

街に入るための門から、流れ出す液体が惨状に妄想させる。

その妄想は空想ではなく、実になるとヴリトラは確信していた。

「街を一呑みって感じの暴力よね。

貴方がしたの?」

「…人は嫌いだ。

関わる気はない」

「そう。

なら違うわね」

アッサリとその言葉を信用した女は、少しも怖気付かず門を超えようとした。

「おっ、おい!」

「そこで待ってなさい。

嫌いでも、惨劇が見たい訳じゃないでしょう。

物色してくるだけだから、直ぐに戻るわ」

ヴリトラの制止も聞かず、女は門を超えて行ってしまった。

残されたヴリトラは、このまま去ろうとも考えたが、釈然としないものを感じ、半壊している車に背を預けて空を仰ぐ。

ズルズルと腰が降りていき、座り込んでいた。

女とのドライブは生きた心地がしなかった。

精神的苦痛に苛まれながらも、どうにか一息つける状況に落ち着いて、勝手に瞼が降り始めていた。

(ま、ま・・・)

酷使した躰は睡眠を要求し、それに逆らうだけの気力は先ほどのドライブで使い果たした。

心地よい日差しが眠気を増長し、意識が浮いてくる。

拙いと脳裏を過ぎた瞬間、簡単に意識は跳び、闇の中に埋没していくのだった。




屈折した鏡。

そこに映し出されるのは、変形した自分の反射。

(自分であって、自分でないもの。

無限の連帯の中、唯一許された軸。

鏡の自分を否定したところで、我らにはどうしようもない噺なのに)

己を映す鏡に、何も見出せない。

それは自分であって、自分でない事を明確に識る術を持ち合わせたしまったあり方。

自分の存在そのものが、この揺れる心情を肯定していた。

(何体もの自分がこの鏡と向き合い、そして問うているか。

これが無限の連帯の奇跡で、一幕しか許されてしれない。

ならば、それに身を任せた方が生を有するものとして、正しい姿なのでは)

自分を諭すようにそう説いてみるが、釈然としない。

それが詭弁だと重々承知で説いていると知っているからだ。

だから納得などできない。

承知しているからこそ、その問いに決着をつけなければならない。

だが、待つことを旨としての日々は、それを決するだけの力を奪い去っていた。

只、時間と共に流れ、いつしか誰の口にも留まらぬようになれば、自然と消滅する。

だからこそ、この一幕は有限でなのだと。

自分でわかっていた。

もう、捨ててしまったのだと。

暗闇に視界を凝らし、自分という肉を認識する。

(受肉した地点で、全ては決していたのだろうな。

肉に翻弄されるか、それとも魂に順ずるか)

どちらも余りに怠惰な答えだった。

初めから決まっているものとし、能動的になれない。

馬鹿げた(はなし)だった。

(噺にしか、我らは生きられぬではないですか。

存在そのものが、この怠惰を肯定しているとは、皮肉なものですね)

その時、不意に自嘲気味に笑う男の姿が想い出す。

(そう言えば、彼だけは苦悩に身悶えていたな。

苦悩する事から解放されながら、捨てきれないものを抱いていた)

その噺(者)に問うたことがあった。

だが、彼に明白はなく、葛藤のみが充満していた。

そしてそれは悠久なる噺の中で延々と語り継がれる、苦節だった。

抜け出す術もなく、苦悩を煉獄のように重ねるだけ。

崩れ落ちることも、嘆き消えることも許されないまま。

(…彼は、この一幕をどう演じるのだろうか?)

結論付けられた自分と、苦悩しても自分で在り続けた者。

結論付けられた者には時の動きに関係なく、完璧であることを定義付けられる。

(だが、彼は今苦悩の制止から動き始めた。

…決定付けられていない。

故に、可能性を持っている。

彼は神でありながら、ずっと人だった)

だからかもしれない。

彼はこの時に動き始めたのだと。

それは拒絶の一点に見据えられながら、矛盾である業を抱え続けた。

(月天よ。

君が噺ならば、きっと魂に従う。

それは不変的なもの。

もし、君が噺に彩られていない、未完成ならば)

そう想うと、自分が魂に彩られ、動けないでいるのも一興な気がした。

何故なら、彼は必ず訪れにくるからだ。

(答えを求めて)

それを確信に代えると、肉の葛藤が静り、ゆっくりと静寂に身を置くことが苦痛でなくなっていく。

只、時が経ち、彼が訪れるのを待てばよいのだ。

答えを求め、答えを持って。




温かい。

ゆったりとした温度が、前方から自分を暖めているのを感じる。

瞼が下りているが、その先にある光源が揺らめく度に、闇が軽減されていた。

瞼を一枚閉じていても、世界が飛び込んでくる、そんな感覚だった。

瞼は鉛のように重い。

似たような体験を数日前にもした記憶がある。

極度の疲れが、この現象を生み出している。

薄目を開けるだけで、多大な労力を消費した気分がした。

そして瞼の先に色彩を含んだかがり火が揺れ動いていた。

パチッと薪木の空気が弾ける音がし、かがり火は火の粉の少量の火の粉を巻き上げた。

「お目覚めかしら?」

「あうう!」

冷ややかな声と歓喜の雄叫びが重なる。

(…煩いな)

眩しそうにそのかがり火を受けながら、ヴリトラは周りからする雑音に蓋をしたい気分になる。

暫しその雑音に流しながら、現状を思い出そうとする。

だが、あうあうと煩いく、そして纏わり付いてくる者にいい加減に苛々してきていた。

「駄目よ、君。

その人、寝起き悪そうだから」

「あぅ~」

女はソーマの首根っこを掴み、引き剥がしてくれた。

ジタバタと手足をバタつかせながら、それに抗おうとするが、猫掴みされるとフニャ~と四肢をだらけさせた。

(コイツは猫か)

そんなやり取りを眺めていると、曖昧な思考力が戻ってきていた。

簡素な布で作られた天幕。

暖まった空気を外に逃がさないように、薄い布が垂らしてあり、テント状になった内にいた。

背を預けていた車のボンネットが開かれ、そこに鉄の棒が突っ込まれており、その先にテントの骨組みとして成り立っていた。

「で、目覚めたかしら?」

「…誰だ」

「そう言えば自己紹介が未だだったわね」

女はソーマを横に投げ、地面に転がす。

それを猫宜しくクルっと空中回転して、ソーマは着地した。

女はソーマに一瞥もせず、焚き火の隣にあったポットを取ると、マグカップに湯を注ぎ、それをヴリトラへ手渡してくる。

「ナイル、ナイル ベネッサよ」

名を教えたからには受け取りなさいと、突き出してくる。

ヴリトラは渋々受け取り、それに口をつける。

それは只に湯煎なのだが、不思議と甘味を感じ、芯からほっとしてくる。

「それから、これ」

と、ナイルはポシェットから大き目のダイヤモンドが取り出した。

(お初にお目にかかる。

私はフラガ ノエルと申します。

お見知りおきを。

根源を住処にせし神よ)

脳にボンヤリと浮かぶ声。

宝石から思念が届き、そして言葉となる。

驚きもせず、ヴリトラはその宝石を眺める。

光り輝くそれは、一度入った光を外に逃がさない五十八面体のラウンド ブリリアン カット。

閉じ込められた光が結晶の内側で反射増幅し、受け入れた光を自分のものとしていた。

見惚れてしまう程美しい鉱石。

ヴリトラにはそうでもなかったが、芸術やこういった物に疎いであろうソーマが見惚れて、あぅぅ等と食い入るようにその宝石に呆けてしまっていた。

「それが媒体か、狭間の者」

「狭間ね。

まぁ、私は精霊なんて洒落た種族にしてみてるんだけど」

ナイルはダイヤを無造作に地面に置き、オヤジのようにどっこらせと掛け声をつけながら、ヴリトラの正面に座り込んだ。

それに習うようにソーマも戻ってくると、ヴリトラの横に座り込んだ。

「さて、もし貴方に義理と人情なんてものがあるなら、答えて貰おうかしら。

まぁ、借りを返して欲しいなとの要求をしてるんだけど」

自分ように注いだ湯煎を口にしながら、ナイルはのんびりとした口調で告げてきた。

建前を造ることで、喋り易く、そして口を閉ざし難い状況を生み出していた。

「要求…、命令の間違いではないのか?」

「そうかしら?

自主性を促してあげてるのよ、これでも」

ヴリトラは自主性とは物は言いようだと皮肉り、借りは借りだとナイルに質問を許可する。

「なら、手始めに名前から聞こうかしら」

「ヴリトラ」

「で、こっちの子は?」

「…ソーマだ」

「そう、ヴリトラね。

ふ~ん、ブラーフマナの記述にあった、月と同一視された悪魔ね」

ナイルは面白そうにヴリトラとソーマを交互に貌を観察すると、おもむろに

「貴方、月天?」

と聞いてきた。

「っ!」

「警戒しないでよ。

これは只の推理に過ぎないのよ。

まぁ、それだけ反応してくれれば、私の推理も満更ではない証拠ね。

だって、貴方は神であることを否定しなかった。

なら、悪魔っていうのはおかしな話だわ。

ヴリトラ、ソーマの別称を持つ神。

私が知る限りでは月天って神様しかいないわ」

アッサリと種明かしをし、女は不敵な笑みを浮かべた。

「こんな推理、どうでも良いわね。

フラガ、神様って輩は、気軽に地上へ視察に来れるものなのかしら?」

(それは無理だ。

神は基本的に(はなし)だ。

噺が肉体を持ち得る訳がなかろう)

「噺?

あぁ、つまり伝承の類ね。

成程。

なら、本当に全知全能の神なんて輩もいるのかもしれないわね。

望み、祈る者がいるのなら」

(君は聖職者側の人間だろうが)

「でも無駄か。

人ってやつは簡単に限界を見極める生き物だから、全知全能なんて者を生み出せるだけの想像なんて、持ち合わせていないわね。

なら、神って類は、人よりも少しばかり高い位置にいるだけなのね」

ヴリトラを観察しながら女はそう断言した。

「まぁ、それで納得いったわ。

噺が具現化できる空間。

物理世界で構成できない神様も、この狭間なら精神が肉と同一かされる。

神の受肉をさせる為に空間というわけね。

…それにしては貴方、神…とは違うのかしら?」

「違うだと」

「隠しても無駄よ。

器の構成が違うのよ。

あの~、さっきの襲ってきた奴と。

同じ神様、そしてこの空間にて受肉せし者。

なら、その構成は同じでなければならない」

「おかしなことを。

規定が違うのに同じ構成が生まれるとでも」

「規定は違うけど、同じように噺なのよ。

それならば根本が同じ。

違いがあるなら、それは噺の内容だけ。

そこに、構成の差はない。

貴方を見ていると、まるで人だわ」

「っ!」

ナイルは底まで見透かしたように、推理を口にしていく。

「とても噺が形したように想えない。

だって、噺って決まってるじゃない。

喩え母体となる人があっても、根底は決定しているのが噺。

それを覆すことは、神であることを捨てるに等しい。

寧ろ、噺から逸れたのだから、神である意味を失う。

で、路線を戻すと、貴方に不変を覚えないのよね。

揺れ動き、脆さと危うさに満ち満ちている。

そんな苦悩する神様なんて、私は識らないわ。

これでは人、良いとこ英雄の物語だわ」

ナイルは一息つき、ぬるくなっていた湯煎を流し込む。

「そうよ。

伝承に登場する神とは、在りし日の人の姿があって成り立つ。

つまり、貴方も然り。

ブラーフマナが記述された時代くらいに生きていた、噺の根源たる人物。

その人ってことね、違うかしら?

今は貿易などが盛んになり、地方にあった伝承などが広まったけど、元々は閉鎖された地方のみに生きていた、了見の狭い者達。

それが神って事ね」

容赦のない見解に、ヴリトラは押し黙るしかなかった。

何故なら、それは羅刹天との戦闘時に、自分が悟った答えそのものだったからだ。

それを少し会話しただけで見抜いてしまった女の見識の高さに、正直恐れを覚えた。

「知性が少しでも外に向いているなら、模倣している世界を見抜けていた筈。

今の時代では、とても神様は創れないわね。

流通がされるようになっては、閉鎖的な空間での神秘性が失ってしまうもの。

そして哲学なる学問の誕生。

比べる部門が現われてしまった事で、噺による神の理は生まれなくなった。

難儀な話ね」

ぼやくナイル。

「まぁ、そんな事でどうでもいいじゃない。

問題は、貴方が私に情報をくれるかくれないか、それだけ。

魔物でも悪魔でも、精霊でも神でも私には関係ないわ」

前髪を掻き揚げながら、ナイルはとんでもない発言をした。

ヴリトラはその発言に度肝を抜かれた。

あれだけの惨事を目の辺りにしながら、女はその現象を起こした者が何者でも良いと言い切ったのだ。

(なんと傲慢な生き物だ)

「それとも何、神様だから(うやま)えとでも言うの?

冗談じゃないわ」

ヴリトラの心中を肯定するかのような台詞を吐く。

(それでも聖職に属する者か、君は)

「生憎と、私がこの世で一番尊いと想うのは神様なんて虚像じゃないわ」

目の前に神なる者をしながら、女は神を虚像と称した。

「なら、女。

お前に尊いとモノとは何だ?」

「ナイルよ。

女なんて俗称で呼ばないで。

答えても良いけど、これも貸し一点にしておくわよ、神さん」

皮肉を込めて、ナイルはヴリトラを神さんと名を告げなかった。

そうねと唇を親指と人差し指で触れながら、思いつきのように答えた。

「自分かしら」

「自分だと」

「神なんて不確かなものを尊厳の中核に置くくらいなら、私が担うわ。

不完全でひ弱な、人である私をね。

その分、課すものは大きいわよ。

リスクがあっていいでしょう?」

(君らしい発言だな。

ハイリスク、ハイリターンが君の本分だからな)

「誉め言葉として受け取っておくわ、フラガ」

(だが、それは君が強き者だからだ。

それを自覚せねばならない。

過ちを繰り返したくなければ)

「…此処で持ち出す話ではないわ、フラガ」

微塵も感情の含まれていない、底冷えしそうな瞳が宝石を睨みつけていた。

そこにはフラガに対して向けていた、対人関係が失せていた。

あるのは道具を見るだけの、冷たい視線。

その瞳を見た瞬間、ヴリトラは

「止めろっ!」

わけもわからずに叫んでいた。

それに反応し、ナイルの瞳に感情が戻っていた。

ヴリトラは、それに心底ホッとしていた。

(どうして、こんな事を)

呆然とその理由を求めたが、浮かぶものはなにもない。

只、あの目が吸い込まれそうな気がしたのだ。

「何をそんなに脅えてるの?」

(脅えてる!?

朕が)

冷淡な微笑を称えたナイルは、ヴリトラが表情にしているものを読み取り、脅えていると告げた。

それを確認する為に、ヴリトラは振るえる手で貌を撫でていた。

強張り、引き攣っている皮膚の感触。

まさに脅えている貌があった。

「…貴方は本当に神なの?」

(ナイルっ!)

咎めがフラガから飛び、ナイルは肩をすくめてこの話題から外れた。

そして、一人この場を離れ、テントを出て行く。

フラガの本体である宝石を置き去りにしたまま。

(気分を悪くさせて済みません。

彼女とて、肝の部分ではわかっているのです。

でも、彼女とて人。

全てを持ち合わせることなど出来ない、小さき者なのです。

ご了承ください)

フラガがナイルに代わり謝罪してくる。

「小さき者だと」

ヴリトラには腑に落ちなかった。

その言葉が、ナイルに似合うようには想えなかったからだ。

深淵すらも覗いてしまうかのような、漆黒の瞳。

あれだけの眼力を持ちし者が、小さいと称されることが。

(彼女は生まれながらにして、強き者だったのでしょう。

だから、弱い者の心が計れない。

同じ計りで物事を査定し、同じ土俵に立たそうとする。

誰も同等の価値観を有している訳ではないのに)

「…故に小さき者か」

(立場の相違です。

視点が高過ぎるというのも、問題なのです。

それに彼女は特殊だった。

それが彼女にとって最大の禍根の元となって息づいています。

彼女が自分を尊重するのは、それらを認めた上で進む覚悟を持ち合わせてたからです。

そんな自分で在りたい為に。

まだまだ、未熟ですけど)

「どうして、そんな生き方を。

それは自分に枷をし、無用な型に当て嵌めると同義ではいのか?」

(枷とは何ですか?

彼女で当て嵌めるなら、それは(えん)です。

そんなものを持ち合わせなくとも、彼女は一人で生きられる人間です。

人は一人では生きていけない。

だが、それを完全否定できる存在、それが彼女が特殊所以なのです。

彼女にとって人は道具以外の何ものでもない価値だったのですよ)

そこでやっと、あの瞳こそが自分が求めていたものだと知った。

全てと縁を断ち、その先にあるもの。

その完成形とも言うべき瞳の彩。

だが、それを見た瞬間、ヴリトラは否定していた。

あの瞳に吸い込まれそうになる自分と、それを拒む自分。

そして拒む方が大きく、受け入れることができなかった。

今の自分の生き方を、自ら否定してしまったのだ。

(不必要な物ならば、それは枷というべきでしょう。

でも、彼女は敢えてそれを選んだ。

いえ、選ばざるを得なかった。

貴方様のいう、無理やりに型に嵌めなければならなかった。

それでも、彼女は知っています。

それこそが自分の本当に望んだものだったと)

「…何が、彼女を変えたのだ」

(それは私の口からは)

口などない癖にとつっこみを入れるものが退出していたので、沈黙だけが残った。

「びりとら」

沈黙を破ったのは、間違った発音で名前を呼ぶソーマだった。

「ヴリトラだ」

深刻に悩みながらも、思わず修正をしてしまった。

「びぁりとら」

微妙な発音で外すソーマ。

流石に二度つっこむ気力もなく、そのままにしてしまった為、ソーマの中でびぁりとらが確定してしまった。

「びぁりとら、びぁりとら、びぁりとら、びぁりとら」

嬉しそうに反芻するソーマに、ヴリトラは思わず苦笑してしまう。

そうすると、ゆとりが拡がった。

あれだけ張り詰めていた心が緩和されていくのを覚える。

「…お前はどうして、朕についてくるのだ?」

隣まで寄ってきていたソーマの頭に手を伸ばし、ワシワシと撫でてみる。

手入れされていないボサボサの髪だったが、犬などを撫でているようで気持ちよかった。

ソーマもそれを当たり前のように受け入れ、うっとりと身を任せていた。

(その者、闇付きですね。

薄っすらとですが、魔物の気配がします)

「闇付き?」

(魔物と人の混血児です。

どちらの社会のも属せない、哀れな存在です)

「魔物でもあり、人でもある。

故にどちらでもないか」

生まれがそうであった為に、謂れのない迫害を受ける対象。

何もしてなくとも、あらゆる災害の責任を押し付けられ、捌け口とされてきたことだろう。

(まるで、朕だな)

なすがままになっているソーマを過去の自分と照らし合わせる。

どちらが幸せかなどと、出るはずもない事を思惟する。

「幸せか、お前は」

その問いを肯定するように、ジッと身を任せる。

ヴリトラは知らずに称えていた優しい瞳で見詰めながら、過去の自分にも問う。

(幸せだったか)

先ず思い出されるのは、裏切りに満ちた最後。

強烈な想いは、全てを覆すには十分な悪印象だった。

そこで気が付いた。

自分の考えが裏返ったのだと。

そして、幸せだったのだと忘れていたことが浮かんできた。

ソーマの嬉しそうな表情が、その記憶に繋がる道を指し示していた。

(あの子もこんな顔をしていたな)

鬱葱(うっそう)とした想念の奥底に、僅かながら残っていたものが顔を覗かせていた。

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