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羅刹猛襲 三話

(…気紛れではないか。

確かに、これは自分を救う手段だった)

「糞ッ!」

これは自己防衛だった。

殺すつもりなど毛頭になかった。

だが、結果的に犠牲を積んでしまった。

誰かの掌で踊らされているようで、胸糞が悪かった。

やりきれない。

その感情を少しでも軽減させる為に、水面を全力で叩き、水柱をあげ、それが降らす雨に身をゆだねる。

浅瀬から身を起こすと、自分の残骸を見るようにソーマに歩んでいく。

眼を貫かれて片目が潰れ、強打を受けたのか眼窩から眼球が垂れていた。

額が割れ、未だに砂辺を濡らす鮮血は止まっていなかった。

腕、足ともに片方ずつ噛み切られており、満足な部分など存在しなかった。

その姿が彷彿とさせるのは、過去の自分。

誰にも手を差し伸べられず、尽くすだけ尽くし、裏切られて歴史に刻まれた悪魔。

「尽くしても、感謝などせぬのに。

どうして」

手を差し伸べられないのは未だ良い。

それを悪魔の諸行と罵り、報復とされこの世を去った自分には、この行為に報われぬものだと知っていた。

似ていた。

そして知った。

どうして自分があの時、少年を探しに出かけたのかを。

無駄だと知らしめたかったのだ。

この先、何も情けなど戻ってこないと。

昔に自分に酷似した行動をする少年が疎ましかった。

何故なら、それは今の自分の信条と鏡合わせの位置にあり、そう信じる事が当たり前だったあの輝いていた日々の残滓だったからだ。

何も要らなかった。

只、自分の力が少しでも笑顔に繋がるならばと。

この身が病に犯されて、それでも助けを求める者達に悟らせる事無く気丈に振る舞い、そして笑顔を生産していった。

その朽ち果てていく肉体を引き摺りながら。

(そんな日々すら、反旗を翻す人の(ごう)

それを思い知るだけだというのに)

それは意味のない感傷。

問題は自分と同じ亡骸を生まれようとしている、この現状だった。

規模は違えど、自分一人に向けられたもの。

見返りなどではなく、繋がりだけを欲して、ひたすらに駆けた者。

どうして自分なのかなどは問題ではない。

只、手段を持ちながらそれを講じるないのは、直接手を下しているのと変わらない。

何よりも此処で見殺しを選択するということは、自分が一番嫌う裏切りを自分で行う事でなないだろうか?

問うまでもなく、そうなのだ。

そんな柵が厭で、不干渉を演じることにした。

だが、一度でも差し伸べてしまった。

一度でも差し伸べてしまったのだ。

自分から(えん)を形成してしまったのだ。

「見えぬ場所でくたばってくれれば、このような責務、生まれなかったものを」

愚痴り、そして余り残っていない神氣をソーマに投与する。

生命の鏡が発露し、急速に身体が生命の満ちたものと入れ替わり始める。

朽ち掛けていた肉体は復元し、ソーマは一命と取り留める。

「たっく、折角戻した神氣も底を尽きかけか。

難儀な輩に好かれたものだ」

そう呟くと立腹し、その額を悔し紛れに叩いてやる。

ペシッと快音がし、見事な桜が咲く。

「うっ、うんぅぅぅ、んっ」

ソーマはゆったりと瞼が開き、そして目の前の人物を確認すると眼を限界まで見開き、凝視していた。

「よう、愚か者」

「あ、あぅぅ」

初ぱなから罵声を掛ながら、ヴリトラは不機嫌極まりない表情を浮かべた。

それに戸惑いながら、弱気な呻きをあげるソーマ。

「さて、朕がお前に言いたい事は一つ。

ついて来るな、以上だ。

わかったか?」

暫し間があり、ヴリトラの言っている事を吟味している様子。

そして全力で横に首を振った。

「…どうしてかな?」

子供を諭すように(実際年齢からすれば子供なのだが)、辛抱強く聞いてみる。

だが、答えは無く、只悲しそうな視線で訴えてくるだけだった。

「偶々命があっただけで、今度はそうはいかん。

朕について廻れば、命の保障はない。

理由がないなら」

だからついて来るなと続けようとしたが、それを又も全力で首を横に振り、否定してくる。

(こん餓鬼っ!)

「ソーマ」

「あうっ!」

名を呼ばれ、滅茶苦茶に嬉しそうな返事をする。

これから文句の羅列を並べ、諦めさせようと思案していたのだが、今から行うことが虐待に思えてくるのは何故だろうか?

尻尾があったら、絶対に振っているに違いない。

「生憎と貴様に関わっている余裕は持ち合わせていない。

金輪際、縁を切らせて貰う」

「あぅ?」

全くわからないという表情をされた。

ソーマは単語を数点知っているだけで、言葉による疎通が殆どできないのを思い出す。

一々力ある言葉、言霊で会話しなければこちらの意志が伝わらないという厄介極まりない輩だった。

額に青筋が浮かび、頬が引き攣る感覚がする。

どうすれば、この犬っころを追い払うことが可能かを思惟していると、背筋に悪寒が奔る。

ラークシャサが最後に浮かべた笑いの正体。

「っ、しまったっ!

もう、刺客がっ!」

自分の迂闊さ加減に腹を立てながら、怒鳴る形でソーマに訴える。

「朕から離れろっ!

そして二度と舞い戻ってくるなっ!」

拒絶の言葉を投げ掛ける。

ソーマはそれにビックと脅えの彩を浮かべるものの、どうも従う気はなさそうだった。

「今度のはさっきの様な相手ではないっ!

お前が居ては、足手まといだっ!」

ヒシヒシと伝わる神氣。

未だ姿も確認していない程遠くに居ながら、その脅威が計れる。

神氣だけでいうなら、全快時の此方と同格。

十二天に匹敵する神氣。

それに該当する敵を想い浮かべ、ヴリトラは戦慄する。

「ナイルリチかっ!」

連戦するには相手が悪すぎる。

羅刹天(らせつてん)が神影が一つ。

同じ羅刹天の神影であるラークシャサが敗れた地点で、ナイルリチが出陣してくることを頭に止めておくべきだったのだ。

自分の思慮の足りなさに叱咤しながら、意識に止めてしまった相手をも叱咤する。

(糞ッ!

自分の莫迦さ加減に嫌気が差すっ!)

生前の甘さがぶり返したと愚痴る。

「朕が囮になる。

その間にさっさと場を去れっ!」

ほとほと呆れてしまった。

(所詮は引き摺っていた想いで舞い戻ってきた朕には、無様な彩りしか描けぬのだ)

無色でありたいという願いは、初めから叶わぬ夢だったのだと思い知らされる。

責任は自分にあるので、文句のつけようがない。

少年が食べ物を運んできた際に、拒絶し切れなかった。

そして自己を救う為に生かし、そして名を与えた。

どこをどう取っても、自責でしかない。

(ふっ、結局は飢えていただけなのかもしれん)

自嘲気味に笑うと、未だ逃げていないソーマを罵倒する。

「いい加減にしろっ!

貴様は何か、朕を困らせたいのかっ!」

「あぅ、ぅぅぅ」

切り口を変えたお蔭か、流石にソーマも折れ、渋々四肢を蹴って立ち去ろうとした。

だが、逃げろと主張していたヴリトラがその腕を取る。

そして全力でその場から退避した。

先程ソーマが駆けようとしていた一帯が、不可視なものが通り過ぎ、そしてその通り道には何かが通り抜けた痕跡だけが残った。

逆に言えば、何も残っていなかったのだ。

地は抉れ、剥ぎ取られた水面は思い出したように埋まっていく。

「遅かったかっ!」

空を切る音が翳めると、上空をヴリトラは睨みあげる。

それに吊られソーマも見上げると、そこに五メートルを越す巨人が降って来る。

地を揺るがし着地を決めると、グルリと此方を無機質な瞳を合わせてくる。

「ナイルリチ」

感情が備わっていない機械のように、ギギギと音がしそうな動きで、こちらに身体を正面に向けてくる。

人の形をしているが、その大きさは成人男性に三倍に相当する大きさを有していた。

それに比例するような神氣が全身から満ち満ちていた。

ヴリトラはブワッと冷や汗が額に浮かばせ、脳内で警笛が鳴り響かせた。

それに従い、全力でソーマを抱えたまま横に跳び退る。

その直後、サイドを物凄い勢いで突風が駆けた。

そして後には何も無くなっていた。

背後に生え揃っていた木々も、大岩もなにもかも。

(神話は本当だったかっ!)

それに対し思考している暇もなく、ナイルリチが巨体に似合わぬスピーディな動きで、こちらに差し迫ってくる。

そして神氣の篭った拳を膂力のまま振り下ろしてくる。

拳の直径は三十センチ強。

大金槌に匹敵する大きさの拳が、溢れんばかりの神氣を注ぎ込み、落とされる。

咄嗟にソーマを弾き、その反動で逆に逃れる。

ナイルリチの拳はヴリトラのスレスレを通り過ぎ、砂へ叩きつけられる。

めり込んだ拳は、信じられないような現象を引き起こした。

その衝撃は地を揺るがし、地に送りもまれたエネルギーは隆起を起こしたのだ。

地が波打ち、そして罅割れて地形を変えていく。

それは純粋に標的にだけに神氣が通った証拠だった。

只垂れ流すだけの神氣なら、ヴリトラが見せたようにエネルギーが干渉を起こして爆発へと転化するのが関の山。

だが、これは標的に的確に作用し、内側から破壊を齎している。

隆起して覚束ない足元。

それでも流を読み、どうにかナイルリチから距離をとる。

遠目にソーマも四肢で地を蹴りながら、ナイルリチから離れたのを確認した。

三倍も大きさに差があると、自分が小人にでもなった気分にさせられる。

ガリバー旅行記を彷彿とさせる情景だった。

地が悲鳴をあげる中、ナイルリチの猛攻は続く。

此方に顔を向けると、ガバッと大口を開けた。

そこから異様な雰囲気が立ち込めているのを感じた。

結界を張ろうとしたが、どうにも厭な予感しかせず、退避を選んだ。

クハッ!!

腹の底から吐き出すような声をあげると、不可視な衝撃がなにもかもを消し飛ばしながら奔る。

これが先程から脳内の警笛を吹き鳴らすものだった。

神氣と大気を肺でドッキングさせ、圧縮した気圧は吐き出す。

それは微妙な振動を交え、通過した先々を死滅させられていく。

隆起に足を取られながらも、なんとか避ける事に成功する。

間近を通った気圧弾に、ヴリトラは自分の判断が正しかったと確信した。

どんな結界と持ってしても、あの気圧弾を塞ぐ事は出来ない。

注ぎ込まれた氣の量が半端ではないのだ。

チンケな結果なら、速度を落とすことも不可能だろう。

そしてそこに封ぜられし振動は、瞬間的に変動を繰り返しあらゆるものの破壊係数を備えていた。

この地上で死滅させられぬものはないと豪語できる、最悪な攻撃だった。

(神影にして神具だとっ!)

死滅の意味を含まれた攻撃に、ヴリトラは驚愕した。

ナイルリチは標的をソーマに代えると、蛙のように肺を膨らませ、死滅弾を放つ準備に入る。

させじと素早く印を切り、光弾を生み出して疾駆させる。

空を切裂き、銃口にあたる口に命中する。

「ぐおおおおっ!!」

顔を半壊させた。

半壊した顔は気持ち悪いぐらいの速度で再生していく。

吹き飛んだ歯がニョキニョキと生え揃え、剥き出しになっていた神経部分を皮膚が覆い元の無機質的な表情に戻っていた。

その復元は、再生の領域を超えていた。

死滅弾の放出は止まらず、ソーマの背後に不可視の弾が走る。

「ソーマっ!」

ソーマの少し尖り気味の耳がピクッと反応し、こちらの意図を汲み取り四肢を大地に反発させて、横へと避ける。

その滑らかにして、しなやかな動きにヴリトラはこれ又驚愕した。

ソーマは此方の予想を凌駕した行動力で、死滅弾を躱した。

その動きは、ヴリトラと比較しても遜色がない。

(酒神が循環している!?

こんなにも早く、ものにしたとでもいうのか!?)

その驚きに浸る暇はない。

処構わずに放たれる死滅弾は、一箇所でジッと思案している時間を与えてくれない。

巨躯が膝を折ると、その反動で宙を舞う。

それを確認したヴリトラは杖を地に突き立て、両手で印を膨大に切る。

ナイルリチの顔を半壊させた光弾を二十個程虚空に精製され、それを宙に釘付けになった標的に叩き込む。

次々に命中し、肉を粉微塵に粉砕していく。

上空から肉片と膨大な血潮が降り注いでくる。

ヴリトラはそれを避けもしないで、肉隗に変貌を遂げた筈のナイルリチを凝視していた。

血煙が割れ、それと共に危険信号が打ち鳴らされた。

「くっ!!」

反応が遅れ、身を反らしたものの片足が不可視な衝撃に包まれた。

何の抵抗もない。

その衝撃はあらゆるものを無に還すというように、あっさりと足を消し去った。

残った片足で地を蹴りつけて、二段、三段と落ちてくる死滅弾を躱した。

肉体を制御し、出血を止める。

(再生が発動しないっ!)

奪われた足の付け根に違和感があり、神氣を通わても高速の新陳代謝が始まらない。

(ナイルリチの神氣が侵食しているだとっ!)

存在そのものを無かったことにする、世界干渉。

それがこの死滅弾の本当の姿だった。

直接ぶつけることで、その物体の存在定義に干渉し、在るべきでない形に書き換える。

結界を張ろうとして、無意味だと直感が囁いたのは間違いではなかった。

これを前にしては、どんな結界でも意味を無くされ、貫通してしまっていただろう。

もし防ぐ方法があるなら、ナイルリチの神氣を上回るエネルギーをぶつけ相殺し、割り込もうとするウイルスを駆逐する以外に方法はない。

十二天と同等か、それ以上の神氣を持つナイルリチに対して、これは酷な話だった。

地上で、この死滅弾に対抗して消滅を免れる物体は存在しないだろう。

(出鱈目過ぎるぞっ!)

侵食した神氣を相殺し、そして奪われかけていた存在そのものを修復し直す。

内から大量の神氣が消費され、一機に疲労感が押し寄せてきた。

それでやっと存在を取り戻した足が再生されていく。

そして出鱈目過ぎる存在であるナイルリチが、その巨体を降らせてくる。

ドンッ!!

大地に杭を打ちたてたような激震がし、無傷のナイルリチが姿を現す。

光弾で打ち抜かれた筈の腕や腹部、顔面に欠片の傷すら無く、その巨躯は健在のままだった。

光弾一つが高射砲に匹敵する威力がある。

喩え、神氣を纏い、威力を軽減させたとしても、光弾を連続で喰らったナイルリチが無傷で生還する筈がない。

神氣が根こそぎ持っていかれた感覚がし、倦怠感が立ち込めてくる。

(拙い、あれだけの術弾を叩き込んでもダメージが窺えないとは。

もう、あれだけの神氣は組み出せない)

パワースポットから汲みあげた分のエネルギーは殆ど消費してしまい、後二度が術を組むのが限界だった。

ましてや、この状況で死滅弾を喰らえば最後。

侵食を撥ね退け、その上で書き換えるだけの神氣はもう無い。

ヴリトラは朦朧とする意識で勝機を見出そうとする。

可能性を算出して、その結末が二つしかないことに、ゾッとする。

(駄目だっ!

もう、これ以上はっ!)

一度犯した過ちを、二度犯す訳にはいかない。

それを想うと吐き気がこみ上げてきそうになる。

歯を食い縛り、エゴに支配された自分と、運命と位置付けるのだろうかこの舞台に沸騰しそうな怒りを覚えた。

それが朦朧とする意識を呼び戻し、拳が壊れそうな程に杖を握り込む。

「糞ッ!」

毒づき、回避運動に全精力を掲げる。

大きさの差は、行動力の差。

此方の方が俊敏に動けても、移動距離は少しばかりナイルリチの方が上。

逃げきることは出来ない。

(足掻き続けてやるっ!)

肉体の悲鳴を精神で押し殺し、ナイルリチの猛攻を躱し続ける。

拳を使い、インパクトで打ち込まれる破壊の一撃も、死滅を促す不可視の弾も、肉体を限界を超えた位置で動かし、躱す。

こんな事を続ければ、直ぐにオーバーヒートを起こして、エンジンが壊れるのは目に見えている。

それでも、足掻くことは止めない。

拳が打ち下ろされてくるのを杖を使い、いなす。

神氣が杖に叩き込まれるが、伊達に神具と呼ばれし神秘ではない。

砕けずに、原型を留めたままで杖を存在した。

だが膂力による威力はどうにも出来ず、それにより身体が十メートルも後方に吹き飛ばされる。

足のつま先で大地を掻き、擦る要領でブレーキをかける。

そして次に放たれる死滅弾を反応する。

息が際限なくあがっていく。

肉体の軋みが錯覚でなく、音として鼓膜を震わす程までになっていた。

流石に諦めが頭にちらつくようになっていた。

解放という単語が浮かんだ瞬間、動きが鈍った。

その隙を見逃さずに、ナイルリチは肺を膨らませた。

ヴリトラは眼を見開いた。

それは自分の最後を覚悟したものではなく、ナイルリチの背後から迫る影に驚愕したものだった。

影はナイルリチの巨体を一跳びで乗り、巨木のような首に腕を絡ませた。

「うぅぅぅぅ!!」

逃げたとばかり想っていたソーマが、ナイルリチの首にしがみ付き、その発射を止めさそうとしていた。

だが、ソーマの膂力ではそれは叶わず、肺が縮まり、喉が膨れ上がるのを抑えることが出来ない。

「うるがっ!!」

ソーマは咄嗟に首から腕を外し、ナイルリチの肩を蹴って跳ぶと、後頭部に強烈なドロップキックを決めた。

それが僅かにナイルリチの標準を狂わせ、死滅弾はヴリトラの足元を消滅させるだけに留まった。

「ごおおおおおおお!!」

感情を見せなかったナイルリチが吼え、背後に振り返りながら裏拳で未だ空中にいたソーマを強かに打ちつけた。

ぼろ屑のように吹っ飛ばされていくソーマ。

地面に何度もバウンドして砂埃を上げながら停止した。

身体が勝手に動いた。

ヴリトラは形振り構わず、ソーマが伏している所を目指して疾走していた。

死んでいない、それだけはわかった。

繋がっているのだ。

神影と、それを生みせし神なる者は。

それと同じで、自分の半身たる名をくれてやった者と自分は繋がっているのだと。

傍までくると、か弱い呻き声がした。

伏している躰を表にすると、打ち据えられた腹部が陥没していた。

何度も地面を跳ねたせいで、右肩が潰れており、重症だった。

内蔵が潰れているのだろう、抱えてやると吐血して闘衣を汚した。

あまりに従順に、そして身勝手に救われた。

「…この愚か者が」

二度目だ。

ラークシャサの時も今も、ソーマは身を賭してヴリトラを救ってくれた。

どうして自分なのだろう?

これ程の事をして貰うだけの価値が、自分にはあるのだろうか?

尽きぬ疑問はあった。

只、一度与えた温もりが忘れられぬだけなのかもしれない。

だが、それは今はどうでもいい事だった。

事実としてあるのは助けられ、それは余りに大きな借りとなって、ヴリトラを突き動かす。

簡単な計算だ。

一度助け、ニ度助けられた。

それだけだった。

ナイルリチはそんな事はお構いなしに、肺を膨らます。

(…あぁ、優先事項が替わったのだな)

このまま消滅するのも悪くないと、ソーマが助けに入る前に想った。

それでこのふざけた戦いからも、人の世とも決別できると。

ソーマを抱きかかえて避ける間はない。

出来るのは二つの選択の一つ。

「許しを請うのは、それを罪悪だと認識しているからだろう」

そう呟くヴリトラは、万象月杖を死滅弾が迫る射線に掲げる。

「正直、わからなかった。

英雄なる者が、積み重ねる屍山血河。

欺瞞に満ちたその在り方。

それに意味を唱える事を」

死滅は杖に直撃し、ヴリトラの主張共々に存在を消し去ったかに観えた。

「…浅見だったと識るには十分」

だが、響く声は止むことはない。

「忠義も又、それをも簡単に凌駕しうるのだろう。

そして、その先が屍の荒野でも。

何より、それこそが貴様に在り方だったな。

死滅と神秘。

破壊を用いて、繁栄とする。

故にナイルリチ、貴様を葬るには矛盾が必要だったのだな」

矛盾。

最強の矛と最強の盾のお話。

その二つがぶつかればどうなるか?

それは二律背反(にりつはいはん)

必ず訪れる反比例の関係。

神秘に守られし者。

そして死滅を促す者。

その二つを持ち合わせし神具、ナイルリチ。

彼を葬る方法があるならば、それは矛盾。

ラークシャサの時、解放された万象月杖がその存在を誇示するように、膨大な光の印に包まれ、それが形成した光の盾に死滅の弾は衝突していた。

何ものをも滅ぼせし咆哮は、その在り方を許容されず、衝突していた。

「朕は元々、神になるには要素が荒唐過ぎたのだ。

恐れで、神の座に就く者。

そのような輩である朕が、神の力を持つ事自体が矛盾だったのだ」

万象月杖には二つの意味が宿っていた。

一つは欠け。

月が欠けていく様を、具現した力。

そしてもう一つは月が輝く原理。

死滅弾は光の壁から反射した。

太陽の光を反射させて、輝く月のように。

死滅を意味した弾は、吸い込まれるようにナイルリチの頭部を直撃した。

神秘を用いて、肉体を誕生させていたナイルリチ。

喩え、塵芥まで粉砕したとて、ナイルリチは瞬時に肉を取り戻せたのだ。

だが、神秘はあくまで存在するものだけに適応される。

一から創造するのは神秘ではなく、奇跡だからだ。

存在そのものを失ったものまで復元できない。

死滅し、消滅してしまったナイルリチの頭部。

体躯との結合部が無くなり、壊れたスプリンクラーのように紅い噴水を撒き散らす。

満月を思わす光の鏡が失せて、そしてヴリトラは杖に身を預けながら俯き加減に独語する。

「駄目だな。

どんなに繕っても、朕は恐い」

死体となったナイルリチを直視することが出来ず、呻くように恐怖を口にする。

鳴り止まぬ雨は紅く、それを避けることなくずぶ濡れになっていく。

守る戦い。

それを実施した後に残ったのは禍根だけ。

血塗られていく躰が怨念染みて見えてしまう。

「二度も奪ったのか、朕は」

自分がどれだけ狭い世界で生きてきたかを責め立てるように、事態が迫り来る。

人間だった生前、命を救うことばかりを生業としていた。

それ故に奪わねば守れないという、世界の醜さをどこか物語として絵空事としていた。

自分には関係ないのだと。

それは自分に大事と想えるものも、繋がりも無かったことに他ならないを知ってしまった。

「只、借りを返しただけなのに」

降り注ぐ雨はいつかに置き忘れたてしまった涙だった。

もう二度と頬を伝うことのない、感情の痛み…。

雨が止み、雲たる躰が横に流れて砂煙をあげる。

ナイルリチの身体はラークシャサと同じく、死という引鉄を切欠にして粒子への変換が始まる。

肉体は崩れ去り、元々存在しなかったように。

巨大な質量を誇っていたナイルリチは、惨劇の跡だけ残して消え去っていた。

感傷が侵食されそうになるのを、ソーマの呻きが現実に意識を戻させた。

(馴染むのがやはり速いか。

もう、神影と同化し物にしている)

陥没していた腹部、潰れていた肩も見る見る内に形成を取り戻し、ソーマは小康状態を取り戻していた。

ホッと安堵するのと、代わりにソーマに対する苛立ちが浮上してくる。

純粋で、献身的なこの行動の原理が、自分に対する何なのかわからない。

そして自分にそれだけの価値があるとは到底思えなかった。

(どうして朕なのだ。

お前に尽くして貰うほど、朕は何かしたのか)

問うべき相手は目を覚まさず、荒い呼吸音から大きな寝息に変わっていく。

心に中に住まってしまった事を認識してしまう。

嫌悪にも似た苛立ちが(おり)のように積み重なっていく。

不明瞭な感情に苛まれながら、ソーマを置き去りにする事も出来ずに、担ぎ上げて休息可能な場所を求めて歩きだす。

途端、又も厭な雰囲気が包み込む。

(御大自ら出陣かっ!

まさか三重に布陣を構えているとはっ!)

舌打ちしたい気分だ。

蔓延している神氣の撃ち破る、攻撃的な神氣がナイルリチの神氣の残留から膨れ上がり、峻烈なる気配が派生する。

その中心に一本の剣が刺さっていた。

それはラークシャサが具現化した双剣にそっくりだった。

否、ラークシャサの方がこの剣を真似て創り上げたのが、あの青龍刀だった。

大きさはラークシャサのものと比べて、三倍はくだらない。

(ナイルリチめ、残りの神氣を使って空間を歪めたか。

ちっ、顕現する)

気配から伝わってくるのはイメージは破壊そのもの。

破壊衝動を直接叩きつけられているような、そんな神氣が空間を蹂躙する。

ヴリトラは悪寒が奔った。

ナイルリチでも此処までの緊迫感で空間を満たせない。

つまり、これは影ではなく、本体が訪れたのだ。

気配は刃となり、次々に皮膚へと突き刺さっているかような錯覚に陥る。

気を確り持たねば、飲み込まれてしまいそうになる。

「ラークシャサの見解は当たっていたようだな。

まさか神たる器を捨て、堕ちたか月天。

いや、ヴリトラよ」

高圧的な声音が響き、脳内をかき回す。

「あうぅぅ」

未だ気を失ったままのソーマすら、その圧倒的なプレッシャーに呻きをあげていた。

彼方から揺ぎ無い歩みで、迫る影。

真紅の鎧に身を纏い、憤怒の形相を称えていた。

方位を司る神、そして天と地、太陽と月を合わせ、十二とする。

守護神十二天が一、羅刹天(らせつてん)が空間の捻じれから姿を現し、剣と化したナイルリチを拾い上げる。

雄に自分に二倍はある剣を担ぎ上げた。

「そう言えば、影とは繋がっていたんだな。

なら、朕の現状も筒抜けか」

「ラークシャサからの情報、そこから推測した地点では、ナイルリチでも十分と思案していたのだが、只の力任せでは主には勝てなかったか。

まさか堕ちた者相手に、影を全て失うとは想像しなかったぞ」

「これでも旧神なのでな。

喩え戦闘が専門でも、神影相手に負けるわけにはいかぬよ」

「そうだったな。

伊舎那天(いしゃなてん)が最も警戒しているのは、貴様だという噂があったが、それは事実かもしれぬな」

「それは過大評価だろう」

最早闘う力など残されていない。

ましてや、今度の相手は影などという曖昧なものではない。

正真正銘神。

万全でも勝てる確率は、かなり低い。

退路を模索する時間を稼ぐ為に、会話を長引かせる。

「さて、インドラを含め、三体もの影を撃破した貴様にしては弱気な発言だな」

(インドラの事まで知っているのか!?

まさかあれから監視されていたのか。

だが、それならインドラに拠って負った傷が癒えぬ内に仕掛けてくれば、半身達を失うことは無かった筈。

それならば、どうしてその事を)

羅刹天が、帝釈天(たいしゃくてん)の影であるインドラとの戦闘まで知っている事に、どうも違和感を覚える。

だが、それを気にしている余裕はない。

「ふんっ、闘う気はなさそうだな。

まぁ、これも戦略。

責めはせぬし、最良だろう。

だが、此方は半身を失ってまで削いだ貴様の力、回復させるわけにはいかない。

この場で消滅して貰おう。

堕ちた貴様には、過ぎた力を用いてな。

獅子が兎を狩るのに、全力など尽くさぬ」

(…まだ、チャンスは残されておるな)

侮り。

僅かながら羅刹天が持つ此方に対する侮蔑が、その隙間を生み出していた。

獅子が兎を狩るのに全力を尽くす必要は無いと豪語していた。

(狩るのには確かに必要ないのだ。

兎は見つからない事を前提にして、その危険に立ち向かっているのだからな。

その例えからすると、兎である朕は、見つかった地点で終幕なのかもしれぬが)

兎が持つ卓越した危険回避能力。

見つかる前ならば、兎はそれをフルに使い、獅子の飢えから逃れる。

それこそ全力で掛からなければ、獅子は兎を狩れないのだ。

本当は、獅子は本気でなければ兎を狩れない事を知らぬ発言だった。

(つまり、見つかっていない状況を生み出せれば、脱兎できる)

その思考に、ヴリトラは思わず苦笑してしまう。

本当に自分が兎に成ってしまったかのようだと。

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