羅刹猛襲 一話
[4 羅刹猛襲]
背後を迫る気配は一向に離れることなく、一定の距離を保ちながらコソコソと付いてくる。
小動物的みたいに脅えながらも、断固として付いていくといった執念、否、哀愁が感じる。
付いてくる物体を完全に除外した形で、ヴリトラはその歩みを緩める事は無い。
周りにある植物や無機物と代わらぬ扱いだった。
欠片も気にかけることなく、これからの先の事に想いを馳せる。
(あれでインドラが諦めるとは想えぬな。
寧ろ、怒りを煽ってしまったからな。
こっちは武人でなければ、戦いを嗜好してるわけでもないからな)
厄介な相手を敵に廻したと嘆息しながら、行動を絞る。
(まぁ、最低でも朕より先に回復することはなかろう。
ならば、他の駒に見つからない内に神氣を戻しておかねば。
…何処か霊峰と成り得る場所はないものか)
このまま敵に遭遇してしまえば、それこそ決死を決行しなければならない。
元々戦う気がない。
隙を突き、欺いて逃走できればいい。
(確率を高めておけれるなら、それに越した事はない。
完全なる状態に戻す事を最優先とするか)
結論に達すると、その場にしゃがみ込み地面に触れる。
そしてそこに脈打つ流を感じ取る。
龍脈と呼ばれる、星を奔る生命の流れ。
人間に当て嵌まれば血管に当たるものだ。
地にはそれが無数に流れており、流れが集中した場所は大地のパワースポットと、霊峰として霊験あらたかな場所されていた。
ヴリトリはそこから星の生命力を掬い上げ、枯渇しかけている自分の神氣の回復に当てようとしていた。
その為、霊峰なる場所を探る手段として、毛細血管程度の龍脈を探る。
川が海に還るように、その血管も霊峰なる海に達する道となる。
(霊峰までとは欲を言わなくても、龍脈にでも当たれば)
北海道の大地は沃地で、龍脈の宝庫とも言えた。
探索して、北西の微妙な流れを感じる。
(近いな)
存外に近すぎる。
何も傷ついているのはヴリトラだけではない。
インドラも回復を計る為、そのスポットを占拠しているかもしれない。
もし居るなら、わざわざ戦いを仕掛けに行ってるのと代わらなくなる。
(…どうしたものか)
確率的には高い。
敵とて近場に龍脈ポイントがあれば、間違いなく汲みにいくだろう。
砂漠でオアシスを見つけたように。
安易に結論は出せない。
だが、このままではこの地を離れるだけの力を得られない。
リスクを伴わなければ、回避する力すら得られないのが現状だった。
(インドラが居たとしても、逃げるだけなら可能だろう。
問題があるとすれば、他の敵の動向が一度も掴めていないのが気に掛かる)
不意を突かれれば、喩え逃げに徹していても倒される恐れはある。
(それに此方は生身だからな)
孤立無援。
そんな単語が頭を掠め、それを寂しく想ってしまった自分に苛立ちを覚える。
(今更なにを期待する。
くだらぬ)
閉ざされた感情のまま、人の世を眺める。
その眼には命の胎動を感じることはあっても、人なる者を認めていない。
無機質な瞳。
(良かろう。
これが朕の選んだ道なれば、それに斃されるのも一興)
自嘲気味に笑うと、北西に進路を取り歩き出す。
その後ろを、捨てられた子犬のように少年、もとい青年が付いていくのだった。
そこに拡がるは大きな湖。
昼下がりの射光が反射して、瞳に飛び込んでくる。
眩しさに顔を顰めながら、その壮大な景色に暫し心奪われる。
広大な水の鏡。
水面が風で波打ち、それと光が混じり合いビロードのような光沢に似た反射を見せる。
素直に綺麗だと想った。
少しばかり余裕の足りない心中が、洗い流される気がした。
澄んだ水が、此処が龍脈の集点だということを告げていた。
確かにこの湖は、星の命を彷彿とさせる、命の輝きを放っていた。
敵の気配もせず、そのお蔭で緊張が解けたのか、暫し景色を楽しむ。
(とっ、こんな事をしている場合ではなかったな)
浜辺で膝を付き、手で砂を掬ってみる。
生暖かい濡れた感触がする。
妙に普通よりも温かい砂にいぶかしみ、少し奥の方まで掘ってみる。
そうすると水が湧き出してくる。
湖の水が染み出しているのだろと想ったのだが、その水はやけにぬるかった。
掘れば掘る程に温かさを増し、汚れた湯溜まりが出来上がる。
(此処は温泉か)
それは屈斜路湖の東側湖畔にある温泉で、砂湯と呼ばれる有名な場所だった。
名の通り、湖畔の砂を掘るとお湯が染み出してくるのだ。
穴を掘る場所によっては出てくる温泉の温度が違い、場所によれば温泉玉子が作れるくらいの熱さの沸く。
(成程、これは宝庫だな)
この屈斜路湖には何重にも龍脈が重なり合い、その生命力を発揮していた。
(これならば汲み取れる)
ヴリトラは早速ボロボロの着衣を脱ぎ捨て、毛布を剥ぎ取る。
贅肉の一欠片すら窺えないしなやかな肢体が大気に曝される。
湖まで歩み寄ると、何の躊躇もなく湖に肉体を浸していく。
そのまま歩みと止めず、どんどんと底を歩いて湖に潜っていってしまう。
「あぁ、あぅ」
その様子を樹の影で眺めていたソーマが、想わぬ行動に焦りと戸惑いの声を上げていた。
後を追おうとするが、自分が泳げない事を思い出し、湖の前で踏み止まる。
「あぅぅぅ」
眼を凝らすと、未だ底を歩き続けるヴリトラの姿が窺えた。
だが、それを追いつく手段を用いていないソーマは、追う事を断念せざる得なくなる。
今にも泣きそうな表情を浮かべたまま、ヴリトラが残していった毛布を拾いあげるしか行動を起こせないでいた。




