第2話 夜の森はやっぱり危険
森の中を適当に進んだ結果……私は立派に迷子になっていた。
まぁ、そうなりますよね……というか、適当に道を決めたらそうなるって、進み始める前に気付こうよ、私。
そんな風に少し前の自分を責めても後の祭りだ。
方位磁石も持っていなければ地図もないのだから、結局どの道を選んでも一緒だったよ、と自分を慰めてみる。
あぁ、せめて携帯電話を持っていればよかった。
そうすれば、電話で助けを求められたのに……どこに電話すればいいのか見当もつかないけど、そこは検索サイトを使えば、なんとなかなったはずだ。
カムバック、携帯電話……あ、カムヒアかな? とりあえず携帯電話を下さい。どこにでも行けるドアでもいいです、猫型ロボット様。
なむなむと祈ってみても、携帯電話は落ちてこないし猫型ロボットも現れない。
神様も猫型ロボットもいないんだ、と私は溜息をついた。
いつの間にか太陽は沈んでいて、周囲は闇に包まれていた。
爽やかな小鳥のさえずりは、もう聞こえない。
かわりのようにに梟の声が聞こえてくる。
時々、吹く風に草が鳴る音が、昼間よりも大きく聞こえた。
水場は発見できなかった。
もちろん食料もない。
高い木の上になっている実を見つけて、食べてみようかとは思ったのだ。
けど、伸ばした手は残念ながら木の実に、かすりもしなかった。
ついでに木登りにも初挑戦してみたけど、無理だった……自分の運動神経の無さを呪いたい。
もしかしたら食べる事のできる野草とかもあるのかもしれないけれど、残念ながら私にそんな知識はない。
かといって、雑草すら食べようと覚悟するほど空腹な訳でもない。
たまに見かけるキノコを食べようという気も、今のところなかった。
キノコって怖いって言うしね……毒キノコのロシアンルーレットとか嫌すぎる……。
あぁ、ここがファンタジーな世界で私が動物のお友達なら、愛と勇気を友達にしたヒーローが来てくれるかもしれないのに、あんぱん食べたい、あんぱん……一欠けで我慢できそうにはないなぁ、などと現実逃避のように考える。
そんな訳で真っ暗な森の中、私は若干の空腹を覚えながら木に体を預けていた。
空腹よりも少し乾いた喉の方が不快だった。
夜露で渇きをしのぐ……そんな手段を思いついたが、とりあえず、そこまでの渇きではないので却下する。
そして、ぼんやりと闇に染まった森を見た。
さすがに暗闇の中を、夜通し歩く勇気はなかった。
梟の声が妙に不気味に聞こえる。
誤魔化すように羽織っていたコートを脱ぐ。
それを膝の上にかけると、疲れて地面に投げ出した足を揉む。
明日も多分、結構な距離を歩かなければいけないだろう。
森の出口はまったく見える気配がない。
そんな事実に溜息がまた零れた。
せめて火をおこす手段があったらよかったのになぁ、と考えても仕方がない事を思う。
暗闇の中、1人過ごすのは酷く心細い。
まして、知らない森の中だ……時折聞こえる獣の声に、ぶるりと体が震えた。
獣は火が苦手だっていうし……何で私はライターの1つも持って家を出なかったんだろう。
そこまで考えて苦い笑みが出た。
そもそも、こんな事態を予測できる方が怖い。
暗闇に染まる木々から地面へと視線を落とす。
だいたい、火をおこす手段があったところで何だと言うのだ。
炙って食べたい物がある訳じゃない。
凍えるほど寒い訳じゃない。
火が消えないように、燃え広がらないように見張る人間だっているだろう。
半ば自暴自棄になりながら考えていると、それが正しいような気もしてくるから不思議だ。
夜通し起きて、見張り番をして……そのせいで翌日、疲労を抱えて歩くのも本末転倒のような気がする。
そう思い直し、木に預ける体重の比率を上げる。
とりあえず歩いてる間に鹿や兎は見たけれど、怖そうな獣は見なかった。
だから、火なんてなくでも大丈夫じゃないかな?
……たぶんこのまま寝ても大丈夫、だよね?
そんな楽観的な考えが頭に浮かんで、私を支配していく。
……この時の私は、完全に森を舐めていた。
いつの間にかうつらうつらとしていた私を起こしたのは、カサカサという草が鳴る音だった。
それは普段の私なら、起きることがないだろうと思う微かな音だった。
……熟睡していなかったとしても、聞き逃してしまうはずの音だった。
眠気の残らない、妙にスッキリとした頭が冷静な判断を下す。
風は吹いていない……なら、これは獣が草を踏む音だ、と私はなぜか確信した。
暗闇の中で視界を巡らす。
昼間と同じ静寂を湛えた木々、静まり返った梟達、そよ風さえも許さない張り詰めた空気。
無意識に息を潜めながら、私は周囲を見渡す。
そして次の瞬間、私はその獣の闇に光る青い双眸と目があった。
……それは闇と同じような黒い毛並みをもつ狼だった。
私がそれを認識すると同時に、グルルル……と狼が低い唸り声を上げる。
逃げなきゃ、と思うが体は言うことを聞かない。
私は狼から目を逸らすことが出来ないまま、ドキドキと走る心拍を聞いていた。
狼の方も唸るだけで飛びかかってくる様子はない。
ただ睨み合いが数瞬、続いた。
落ち着け。
私は自分で自分に言い聞かせた。
いつの間にか止めていた息を吐き出して、吸う。
落ち着け。
もう一度、自分に言い聞かせながら、意識して深呼吸をする。
それから、ゆっくりと左手を地面へと着けた。
ヒヤリとした大地の冷たさと少し湿った草の感触が妙にリアルだと、そんな事を他人事のように思う。
カサリと微かに草が鳴る……その音が妙に大きく聞こえて、私の心拍はさらに速さを増した。
カラカラと喉が渇く。
私は覚悟を決めるために、もう一度、深呼吸をした。
落ち着け、大丈夫だ。
自分に暗示をかけるように、言い聞かせる。
体は言うことを聞くようになっていた。
大地についた手に力を入れる。
その力を利用して体を捻り、私は狼に背を向けた。
同時に足を踏み出し、走り出す。
後ろは振り返らない。
ただ、逃げなくてはという本能と、早くと急き立てる恐怖のままに、もつれるような足で走った。
時間感覚が失われる。
長いような、一瞬のような奇妙な感覚の中、闇に向かって走る。
……けれど、そんな暗闇での鬼ごっこは、あっけなく終結を迎えた。
「あっ……」
見えない何かに私が躓いたことによって。
地面が近づき、ドンと音を立てて私は転んだ。
その土を払う間も惜しんで、両手をつき、立ち上がり、再び走り出そうとする。
けれど、私のその動作より格段に速く、狼が近づいてくる。
その気配に、私は咄嗟に体をそちらへと向けた。
……今まさに狼は私に飛びかかろうとしていた。
「っ嫌……!」
その瞬間。
死にたくない、と強く思った。
狼が私に襲いかかるのがスローモーションのように見える。
そしてその狼の爪が私に触れようとした、その、瞬間……。
狼が……破裂した。
ビチャリという湿った音が聞こえた。
それに続いて生暖かくて、水よりも粘度を持った液体が私に降り注ぐ。
そして一瞬遅れて……血の匂いが、私を包む。
赤い色が見えたような気がした。
「え……?」
何が起こったのかは分からなかった。
けれど、その理解不能な出来事と同時に、私は今まで体験したことがないほどの疲労感と眠気に襲わる。
そして私混乱する思考のまま。
私は……その感覚に抗えず意識を、手放した。




