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昔の記憶と今の状況が重なりすぎて、ああもう、無理。限界だ。
「先帰ってる」
「あっ、ちょっと、待ってこーちゃん」
勢いよく走り出す。
「何か気を悪くさせたなら謝るから。ねぇ!」
何もかも無視して一心不乱に走り続ける。そうすることで風が何もかも取り去ってくれる気がした。町の喧騒も誰の声も聞こえない。地面を蹴る靴の音でさえ耳には入らない。夕焼け空の下であんな言葉。はちきれそうだった。罪の記憶と重なりすぎてどうかなりそうだった。ありふれた言葉なのに俺はそれを恐れた。
坂なんて二秒もあれば登り終える。直線なんて一秒だ。心と体がつり合わない。あああ。くっきりと。全てがくっきりと。あの時の情景が頭に浮かぶ。オレンジ色じゃない。ヒカリの赤い光景。おばあちゃんが死んだ。そう、全ては俺のせい、俺が悪いんだ。
もっと、もっと速く。丸く切り取られた夕焼けから逃げるように走る。慣れない行動に全身が悲鳴をあげる。それが限界を超える前に、
「っだはあーー!」
家に着いた。ドアを開ける前に軽く息を整える。呼吸音がおかしい。肺が痛い。せわしなく肩が上下に動いた。帰ってきたらまずヒカリに謝ろう。理由も言わず先に帰ったことを謝ろう。
何度も繰り返しそう言い聞かせるとやっと少し心が落ち着いてきた。無我夢中で走ったから、学校から家まで十分もかからなかった。全力で走ったからものすごく息が苦しい。
俺は二階の自室へと続く階段を三段飛ばしで駆け上がり、部屋に入り次第、かばんを投げた。そのままベッドに全体重を預け、目をつむった。誰にも介入されない世界へ意識を向ける。そして、何も意識することなく、平穏無事な日常生活を送る。そうしたかったし、そうでなければならなかった。でも、もう無理かもしれないと心の片隅で思っていた。自分が変わらない限り、何も変わらないと理解していたから。
眠りは思いのほか浅かった。目が覚めたのはあれから二時間後。足はぱんぱんに膨らみ、内腿の辺りがもう筋肉痛を訴え始めていた。代わって目眩や吐き気やあのかき乱されるようなざわついた感覚は消えていた。一階に降りるとリビングでは、母さんが椅子に座ってテレビを見ていた。
「随分長いこと寝てたわね。今電子レンジで温めるから座って待ってなさい」
ぶーんと機械の稼動音がし始めた。一人分の料理がテーブルに並べられていて、それぞれの皿には丁寧にサランラップがかけられている。
「ヒカリちゃんが一回見に行った時にはもう寝てるみたいだったから私たちで先に食べたわよ」
「見に行ったってことはヒカリは俺の部屋に来たんだ……」




