転校生とユウ
海沿いの真っ直ぐな道をユウと全力で走り、学校目前の急な登り坂をかけあがる。
このときほどこの坂が憎いと思ったことはない。
坂を登りきったところで二人揃って息を整える。
制服が汗を吸い込んで非常に気持ち悪い……。
「ぜぇ……ぜぇ……。くっそなんだってこんな高い場所に建てんだよっ……」
「はぁ……っ……め、珍しく意見が合ったわね……。っ……ハァ~~~~っ……」
「だ、大体っ……お前が掃除なんかしてるからーー」
「分かった分かった分かりましたっ! 全部私がわるう御座いました~!」
嫌味たっぷりにそう言ってやった時だった。
ーーキーンコーンカーンコーン…………
SHR開始のチャイムが鳴り響く。
いつもならば何でもないただの合図なのだが、今日は死の宣告にしか聞こえなかった。
「やっべ!?」
私たち三年生は学校の三階だ。つまり今度は階段ダッシュをしなければならないと、こういうことになる。
朝から私たちを殺す気なのだろうか?
静まり返る廊下を、二人の足音がバタバタと騒がしく駆け抜ける。
教室の扉の前にたどり着いた。
ただ、ただね? ちょーーっとでいいから休ませてくれないかな……?
「……覚悟はいいな?」
「う、うん……」
私とユウは同じクラスで、その担任が遅刻や欠席にはやたらと厳しいタイプの先生なのだ。つい先日なんかは一分遅刻した生徒を午前中ずっと立ちっぱなしで授業を受けさせていた。
私たちは一分どころか五分近くも過ぎている。覚悟とはそういう意味なのだ。
「よし、じゃあ開けるからな?」
「……………」
私が無言で頷くと、ユウが勢いよく扉を開けた。
「すんません遅れましたっ!」
「すいません!」
「……?!」
扉を開けて最初に目に入ったのは私たちの担任ではなく、一人の女の子だった。クラスメートではない見知らぬ女の子。だけどこの学校の制服を着ているということは生徒なのだろう。
それにしても可愛い女の子だ。女の私ですらそう思うのだ。教室の男子は全員食い入るように見ている。
「お前ら……五分も遅刻たぁ夏休み前だからってうかれてんじゃねえのか?」
「「すいませんでした……」」
別にうかれてはなかったけれどここで口答えをしたら後が怖いから素直に謝っておこう。
うーん……しかしながら教室中の視線が全て私たちに突き刺さっているなあ……痛い痛い。
「遅刻だけならまだしも、転校生をいきなり怖がらせんな」
成る程。転校生ということならば納得がいく。
そう思ったとき、女の子はまだ少し警戒しながら頭を下げているユウの制服の裾をくいくいと引っ張った。
「あ、え……? な、なんでしょう?」
ユウ~、動揺しすぎて敬語になってるよー。
「…………」
彼女は更に一歩前へ出て、体がくっつきそうな距離で今度はじーっとユウの顔を眺める。
「あのー……なにか?」
女の子の言葉を教室の全員が静かに見守る。
「……ユーリ?」
彼女の声はまるで、やさしい風鈴のような綺麗に澄んだ声だった。
「えーっと……この学校に何人『ゆうり』がいるか知らないけど、確かにその中の一人です」
「……ユーリ……!」
「なっ!?」
途端、彼女は少し頬を朱に染めてうっすらと涙まで浮かべた心底嬉しそうな表情で、ユウの胸に顔を埋めた。
「なにいいいいぃぃぃぃぃぃ?!」男子の驚愕の叫び。
「きゃーーーーーーーっ♪」女子の臼桃色っぽい喚声。
「ほぅ」感心したような笑みを浮かべるわが担任。
男子と女子の反応は分かるが、担任がその反応はいかがなものだろう。
「…………」そして私はというと、突然の状況に何も言葉にできないでいた。
「……ユーリ。わたし……約束守りましたっ……」
騒がしい教室の中、その言葉はユウとそばにいた私にしか聞こえてはいなかった。
………………。
…………。
……。
成木愛実。それが彼女の名前だ。
今まで都会の方に住んでいたのだが、彼女曰く「家庭の事情で」この島に越してきたらしい。それ以上は言わなかった。
その彼女はというと、SHRが終わった瞬間にクラスメート中に囲まれて質問攻めにあっていた。
人前は苦手なようで、挨拶も今もそうだが顔を真っ赤にしておろおろしていた。
「ユウ」
「はぁ~……」
一番窓際の後ろから二番目がユウの席で、その後ろが私だ。
私は、暑さとは別の意味でぐでーっとなっているユウの背中をつついた。
「ねえユウってば」
「はいはい聞こえてますよー……」
机に突っ伏したままヒラヒラと手を振るユウ。
私はどうしても聞きたいことがあった。
「ユウは成木さんと知り合いだったの?」
「まぁ……な」
「何処で?」
「……いいじゃんかどこだって」
「あら、そんな言い方はないんじゃない?」
隣から凛とした声が聞こえ、その方を見ると、腰より下まである艶やかな長い黒髪がさらりと揺れた。生徒会長の桂木彩乃だ。
彼女とは中学校からの付き合いで、私やユウと過ごす事が多かった。
凛々しい外見もさることながら、分け隔てない彼女の性格は男女問わず人気がある。告白されることも数知れずあったがオーケーしたことはなく、理由が好きな人がいるかららしいのだ。
もしやと思うが……それがユウの事だとしたら……? いやいやいやそれは無い……とは言いづらいよなぁ。
気のせいかも知れないけど、彩乃が時々熱っぽい視線を向けることがあるような気がするし……。
もしそうだとしたら……私に勝ち目はないかも……。
「私も気になるわぁ。あの娘と貴方の馴・れ・初・め♪」
好奇心たっぷりの目で、わざとどこか含みのある言い方をする彩乃。
「な、馴れ初め!?」
「バカ言うなって……俺とあいつはそういうんじゃない」
「じゃあなんだってんだ?」
そう話に入り込んできたのは、桂木昇だった。昇くんはご察しのとおり彩乃の弟だ。全く似てないが二人は双子で、先に生まれた彩乃が姉となったらしい。
昇くんも同じく中学からの付き合いで、ユウとは悪友といった感じである。
ちなみに言っておくと、『昇』は【のぼる】ではなく【しょう】なので、中学から今までで間違えられることが多かった。彩乃の話だと、生まれた次の日から間違えられていたようだ。
かくいう私たちも間違えたメンバーの一人である。
「なんだって言われても……。都会にいたときのただの知り合いとしか……」
ユウはそう言ってちらりと教室の真ん中辺りにいる成木さんへと視線を向けると、丁度彼女と目が合う。すると成木さんはぽっと頬を染め、微笑んで小さく手を振ってきた。
「おい悠李……あれはただの知り合いに向ける反応じゃねぇぞ?」
「…………」
「そこで黙秘は怪しいっ!」
「絶対何かあるわね。私たちの仲でも言えないほどの『ただならぬ』関係なのかしら?」
『ただならぬ』を強調する辺りなんとも彩乃らしい。が、それは私を尚更不安な気持ちにするだけだった。
「そうなのかっ? あんな美少女転校生とムフフな間柄だったと?!」
「ふ、不潔!」
「さっきから憶測でものを言い過ぎだあんたらは! 綺羅も一々全部真に受けんなよ!」
ーーキーンコーンカーンコーン…………
悠李の叫びは、一時間目開始のチャイムでかきけされた。
「あら。それじゃあ続きは昼休みにでも」
「絶対だかんな!」
彩乃と昇くんは、それぞれ言い残して自分の席へと戻り、クラスメートも蜘蛛の子を散らしたようにわらわらと自分の席へと帰っていった。
………………。
…………。
……。
私は、授業が始まって数分で寝ているユウの背中と、黒板に書かれたことをノートに真面目に書き留める成木さんの背中を交互に見る。
ユウと成木さん……なにがあったんだろ……。夏休みまで一週間もないこの時期に転校してくるなんて……。それに約束、とかなんとか言ってたしなぁ。
約束が夏休みと関係あるのだろうか?
ああぁぁっ! モヤモヤするー!
「くかー……くかー…………」
「(こんのー……一体誰のせいで私がこんなに気を揉んでると思ってんのよこいつはっ!)」
無性に腹立たしくなった私は、ユウの椅子を蹴りあげてやった。
「んがっ! だ、おわぁ?!」
慌てて飛び起きた勢いで、ユウは机を巻き込んで椅子から転げ落ちた。静かだった教室に派手な音が響き渡る。
「くっ………………城元貴様ぁあ! SHRといい授業中といい俺に喧嘩売ってるのか?!」
「いいっ?! 今のは綺羅がっーー」
「問答無用ーーー!!」
「何でこんな目にいぃ!!」
追われるユウと追う担任。二人は教室を飛び出して行った。
「(ユウごめんねっ)」
因みに、この授業は自習となりました。