儀礼正装の完成?
リフェルアは時間制限付きの工程を難なく終わらせ最終調整に入っていた。
『おお、殆ど仕上がったな』
『ここまで不手際は無し。見事と言う他無いな』
「……」
(さすがに、疲れたわね……)
ミルドリィスとシュリゼリアの二柱が相変わらず呑気に感想を述べる。顔には出さないが、リフェルアは休憩を挿みつつだが、都合八日に及ぶ極限の集中により、身体は元より精神も疲弊していた。
『この根気は母親譲りだな』
『確かにな。フィーリアスは挫けるのが早かったからな。休憩の回数はリフェルアの倍ぐらい取っていたな』
(……褒められているのかしら? だとしても微妙に喜べないわね。倍の休憩を入れて、期限内に間に合うのなら、それだけ族長は作業が早くて正確だってことになる)
リフェルアの両目の下には見事な隈が出来ていた。右手は腕ごと反応が鈍い上、指は針を握る形で固まりかけている。
(しかし我ながら、無茶をしたわね……。ドワーフと違ってあんまり丈夫には出来ていない割には、よく保った方ね)
何だかんだ言いながらも打ち上げ、剣を完成させた後も元気に動いていたヴィシュルに対し、完成まで後一歩の所で無理が利かなくなっているリフェルア。二人の種族的な肉体強度の差は如実だった。
後は数か所、表面に刺繍を入れ、釦や金具を取り付けるだけになっている。ここで集中力を切らせ、眠りに落ちる事だけは回避しなければならない。そうなったら、恐らく数日は眠り続けることになってしまう。
(……あ――。刺繍糸が……)
余分に準備してあったはずの刺繍糸が、一色だけ無くなっていた。予定以上を通り越して、修正範囲が広がってしまったことと、その場で閃いた縫い合わせをし過ぎたせいだ。そのおかげでリフェルア自身、今までで一番の出来でこの工程までこぎつけているという自負があるが。
しかし、今回使用している刺繍糸は特定の魔力と精霊の力のみを導通させる特殊な染料で染められている特殊品なので、当然のことだが代用は利かない。
リフェルアはまだ右手よりまともに動く左手で、ある物を取り出した。エルフの静鈴だ。
「――」
何事か呟くと、鈴を揺らした。
そうして待つこと三分ほど。
「姉様、何か用ですか?」
「ええ、リフィル……。悪いのだけれど、新鮮なベルラの花弁を四枚、セフィールの水五リットル、無染ヴィークス糸十メートル、撹拌棒と一緒に持ってきてくれるかしら」
蚊の鳴くような細い声で、材料をつらつらと述べたリフェルアはそれで椅子に凭れ掛かって目を閉じてしまった。
「えっと……はい。解りました」
大好きな姉に頼まれ、断る気配など微塵も無い。言われた通りの物を準備するために走っていく。
『弟を扱き使うか』
『まぁ、仕方ないだろう。普通ならとっくに倒れている状態だ』
二柱の言葉にも反応せず、リフェルアは只々沈黙していた。
材料保管室に入り、材料をごそごそと漁る。
「えっと……。セフィールの水は今汲んでるから、後は無染ヴィークス糸十メートルと――」
言われていた材料の殆どはここで揃う。ただ一つを除いて。
「ん~……新鮮なベルラの花弁って事は、摘んで来いってことだよね」
乾燥させ、粉末になっている花弁は染料として様々な種類がストックされているが、新鮮な――つまり生花の状態で栽培しているものは品種が限られている。セフィールの内部、または周辺で環境を再現できるものだけが栽培されているからだ。
ベルラはセフィールの大樹から少し離れた辺りに他の植物と一緒に栽培されている。
(姉様の疲れ方だと、意識が一回でも途切れたら詰んじゃうから……それまでに何とかしないと)
水が汲み終った事を確認し、収納布に容器を収めて走り出す。ここから栽培地までリフィルの足でおよそ三分弱。
(急がないと! ――あ!! これも必要だよね!?)
リフェルアが揃った材料で染色から始める事は解りきっている。だが、染色の後には乾燥させなければ糸は使えない。その為の段取りも何も出来ないだろうと解るほど、リフェルアは目に見えて衰弱していた。魔力も大分使い込んでいる様子だった。あのリフェルアがあそこまで自分の身を削るような縫製を、リフィルは見たことが無かった。
何時も、いつだって澄ました顔で涼しげに作業をこなしていたのに。
一分――いや、一秒の遅れだって今のリフェルアには負担になる。いつも、他者の前では凛としているリフェルアが、形振り構っていない現状がどれほどのものなのか、リフィルは完全とはいかないものの、理解していた。
最後に一つの道具を追加で収納布に入れると、セフィールを文字通り飛び出す。
そして外に出るなり、
「質量軽減!(マス・オリヴィエイション)」
自身の質量を装備品ごと一時的に軽減。体に掛かる重量負担を軽減する。
身体の性能は変わらないので単純に加速が早くなり、制動が効きやすくなるが、反面向かい風や横風に滅法弱くなる。この時間の森の中が比較的弱い風しか吹かないので効果がある魔法だ。持続時間は五分程度。駆け抜けなければ。
リフィルは目的地までいつもより早くたどり着いた。
「え~っと……。ベルラ、ベルラ――」
木札でどの列に何が植えられているか判るようになってはいるが、所々木札の文字が掠れているものがある。熟練者は葉の形状や花弁の形で簡単に見分けるのだろうが、それは本格的にこちらの仕事を始めたのが遅かったリフィルには出来ない真似だった。
「え……っと、ビュレア? ブレイ? ベルラ……!」
アルファベット表記でいうところの「B」列を後ろから見て、ようやく発見した。
(四枚……。採取にあたって特記事項は無かったよね)
特殊な採り方をするものもあるが、ベルラにそういった制限はなかったはずだ。
収納布に纏めて収め、来た道を引き返す。
眼を開いたリフェルアは、自分の視界に異常を発見していた。
(……参ったわね。色彩が消えてる)
自分の目に映るのは、モノクロの世界になっていた。白と黒とそれのグラデーションで作られるグレースケールの世界だ。
(目と頭に負担を掛け過ぎね。まさか腕より先にコッチが参るとは)
だが、ここからの作業に色彩感覚は不要だ。後一色の刺繍糸で刺繍を終わらせ、釦を縫い付けるだけなのだから。
「姉様! お待たせしました!!」
リフェルの声が響いてきた。それはリフェルアの頭にも響くものだったが、それは瑣事だ。
「お帰りなさい。準備は?」
「ばっちりです」
ばさっと収納布を広げると、中身をその表面に取り出した。
リフェルアの眼には水の入った圧縮容器とそれを注ぐ輪郭しか見えない容器。半透明の撹拌棒と白の糸の束。頼んでいない巻き取り機。そして薄い灰色の花弁が四枚確認できた。
(気を遣わせてしまったようね。巻き取り機を頼み忘れていたわ。
……花弁が薄灰色?)
少しだけ違和感を覚えたリフェルアだったが、気にしている体力と精神力的な余裕は余り無い。
(握力は……駄目ね。今素手で抽出なんてしたら、針が握れなくなる)
余力も殆ど無い。最早自分との戦いだ。
「リフィル、私の代わりに圧縮容器から水を移して、花弁を四枚一気に絞って三摘垂らしたら均一に撹拌しなさい」
「はい」
リフィルは言われたとおりに圧縮容器から水を移し、脇に綺麗な布を置いて、四枚を軽く丸めた花弁の塊を掌の中央で両手を合わせて揉む。
花弁の持つ植物の堅さが無くなってきたところで、捻りながら一気に圧縮。
下方向に少しだけ隙間を作り、絞り出した液体を垂らす。
一滴、二滴、三摘――。
三摘目が垂れた時点で手を水の上から退かし、余計に抽出液が入らないところで両手を離す。脇に置いた布で右手だけさっと拭き、撹拌棒を持って水と抽出液を撹拌する。
「姉様、色を均一にできました」
「次よ。無染ヴィークス糸を浸して」
「はい」
無染ヴィークス糸は半径五㎝で巻いてある。束ねてある紐だけ処理してそれをそのまま染色水に投入する。
糸は見る間に染色水を吸い、見事に染まっていく。
染色水は一分と掛からず無くなった。
「染色水が無くなりました。乾燥させます」
「解っていると思うけど――」
「はい。微風揺々(ブリーズ)ですね」
五リットルの水を残らず吸い上げてすっかり重くなったヴィークス糸を持ち上げ、この作業場にも設置してある二本の棒に解しながら引っ掛けて伸ばしていく。
伸ばし終ると、棒に対して水平になる位置に移動し、両腕を肩の高さで広げ、
「微風揺々(ブリーズ)」
リフィルを中心に扇状にそよ風が発生した。
これで完全乾燥まで放置だ。
凡そ十分少々で完全に乾燥できた。
それを確認し、リフィルは巻き取り機を使い、糸を巻き取って使える状態にする。
「姉様、準備できました」
「ありがとう。手間を取らせたわね」
「いいえ。このくらい何でもないです。頑張ってください」
「ええ。後、少しだから」
リフェルアはリフィルから出来上がった刺繍糸を左手で受け取ると、右手に刺繍針を持ち、一発で糸を通し、作業を再開した。どうやら色彩感覚が狂っても、魔力と精霊の力は通常の色彩感覚とは違う部位で認識しているらしく、はっきりと視得た。
疲れなど無いかのようにまた、驚異的な速度で縫いだした。
(……一応、気配を殺してここに居ようっと。下がれって言われなかったし)
リフィルは端の方にゆっくり移動し、気配を殺し、膝を抱えて座る。
リフェルアはそれすら気に留めず一心不乱に縫い続ける。
(うわぁ……見る間に刺繍されてく……凄い、なぁ――)
『ん~、この調子で最後まで保つか?』
『微妙なところだな。我々はまだ余力があるが、リフェルアの魔力と体力が保たん可能性があるな』
「えっ? わっ……!」
リフィルの両脇に二頭身のデフォルメ上級精霊が何時の間にかいた。大声にならないように自分の口を慌てて両手で押さえる。
『小僧、フィーリアスの息子か?』
「は、はい……」
『リフェルアとも違う、妙な流れを持っているな。まぁ、今はどうでもいいか。そこで大人しく指を咥えて観ていろ。いずれ、お前も辿り着くかもしれない境地だ』
「はい」
そんなことを言われている間も、リフィルの眼はリフェルアの手元に集中していた。
ほとんどが縫いあがり、最後の釦付けに入った。
そこまできて、リフィルはその服に違和感を感じていた。
(……でも、何で黒地に紫色の刺繍なんだろう? 黄色とか、そっちの方が映えると思うんだけどな?)
終わったら聞いてみようと、そう思った。
「……終わっ……た――」
最後の釦の縫い糸を止め、糸切鋏で切る。
そして、完成すると儀礼正装は一度、強力に発光した。
『む……随分派手に光ったな』
『ここは、ほんのり光る程度だったはずだが……』
二柱は揃って同じ格好で小首を傾げた。
その突然の発光で視界を焼かれたリフェルアは、目を閉じて頭を振る。
「……何よ、今の光は――?」
一度焼かれたことで色彩感覚が戻ったのか、色が正常に見えるようになっていた。そして、縫い上げた服を見て、リフェルアが一度、身体を振るわせた。
「………………」
「ね、姉様?」
何やら、リフェルアから物凄い圧力が周囲に撒き散らされ始めた。
「……リフィル……。貴方……本当に、ベルラを摘んできたのよね……?」
「は、はい……!」
思わず直立してしまう。
「どの列から?」
「えっと、『B』列、です……」
そこで、こちらを見ていなかったリフェルアが、ギ・ギ・ギ・と、ぎこちなく首を動かして振り向き、頭をかくんと斜めにする。
「……ベルラは、『V』列よ……! 貴方が摘んできたのはベイルラの花弁よ!!」
言われた瞬間、リフィルの思考が凍り付く。
「……え? ええ!? そんな、そんな事……が……。
それじゃ、その儀礼正装は――」
「どんな状態になっているのか、調べないと解らないわ! ああ、もう――!?」
取り乱し、絶叫しかけた所で、プツっと、椅子から崩れ落ちた。
「わ、わ、わっ!? 姉様!!」
『む、限界が――』
『ここま――』
二柱が強制送還され消失した。
「え、ちょっと!? ど、どうすればいいのーっ!?!?」
その場に取り残されたリフィルの絶叫が響き渡った。




