役目と実力確認
すぅ。と、眼を開く。
「ん、目覚めたか。
どうだ? きちんと自我を残しているか?」
彼が横を向くと、そこには美しい黒髪の、美貌の女性が一人。凛々しい雰囲気を滲ませて佇んでいた。
「貴女は……。
ああ、俺は俺のままみたいだ」
「上々だ。私の竜血を受け切ったな。見事だ」
そうして、彼女は彼の頭を撫でる。
「さて、色々と説明しなければならないんだが……。まずは名前を教えてもらおう」
「確か……華月」
「カヅキ……。どんな意味を持つかは知らんが、響きだけでも大層な感じが在るな」
「まったくだ。何を考えてこんな合わない名前を付けたんだか」
彼、華月は自分の容姿が盛大に名前負けしていると知っている。弛んだ眦に締りの無い造りの顔だ。とてもではないが字面のようなものにはなれない。
「ほぅ、何やら自分自身と釣り合わんと思っているのか」
「ああ。まぁ、それはいい。それで、貴女の名は?」
言われて、自分も名乗っていないことを思い出したのか、彼女はぽん。と、手を打った。
「私の名はアルヴェルラ。ヴェルラと呼んでくれ」
「解った。
それで、俺に何をさせたいんだ? 役目が在ると言っていただろ」
「お、覚えていたか。ならば話が早いな。
カヅキには私だけの騎士に成ってもらう。まぁ、もう下準備は済んだからな。後はそれらしい格好と技術を身に付けてもらうだけだが」
「女皇陛下。いつまで説明に時間を掛けていらっしゃるのですか」
そこまで話した所で、二人の間に割ってはいった声があった。
「む、何用だテレジア」
そこにはヴェルラには及ばないものの美女と言って差し支えの無い女性が居た。
「何用だ、ではありません。昨日から公務も放り出して……いい加減陛下の印が必要なものが溜まってきているのですよ」
「七面倒な。そういうものは任せると言っただろう。私はこれからカヅキに色々教えねば――」
「それこそ我らにお任せください。新米竜騎士の教育は、陛下のお手を煩わせるまでも在りません」
そこまではっきりと言われ、自分の旗色の悪さを悟ったヴェルラは、降参したようだ。
「解った。ならばカヅキに状況の説明と、その後の教育について、しっかり教えてやってくれ」
「任されました。このテレジア=アンバーライド、名に賭けまして」
右手を胸に当て、しっかりとアルヴェルラを見据えて宣言した。
「では、残りの事はテレジアから聞いてくれ。またな、カヅキ」
ヴェルラは華月の返事も待たずに出て行った。何だかんだと言っていたが、自分をテレジアが呼びにきたと言う事の重大さをきちんと解っているのだろう。
残された華月はテレジアを見、どう声を掛けたものか迷った。
「初めまして。私はテレジア=アンバーライドと申します。先ほどの会話を聞き逃していなければお分かりかとは思いますが」
「いえ、初めまして。瀬木 華月です」
「成る程、本当に『意思疎通』の玉を持っているのですね。何とも都合の良い話ですが。
と、今の貴方には理解出来ませんね。その辺りも追々説明いたしますが、まずは今の状況を説明いたします」
はきはきとした口調で言葉を連ねるテレジアに、華月は少し戸惑った。が、ついていけないほどではない。
「貴方は此処ではない世界から、この世界に強制召喚されました」
「……え?」
「理解できないのは、何処でしょうか」
テレジアの眼が鋭くなる。華月を探っている。試している。
「ここが違う世界だっていうのは、現実みたいだから納得できないけど理解はする。強制召喚ってどういうことだ?」
「強制召喚とは、対象の意志を無視した状態での召喚を指します。大抵の召喚はこれに属します。今回、貴方に作用したのは広範囲型英雄召喚だと推測されます。資質を持つ者を一斉召喚し、召喚後にそこから絞り込む為の召喚魔法ですが。貴方は魔法効果範囲の端に居たのでしょう。途中で振り落とされたようです。貴方と同様に途中で落とされた人間も居るかもしれませんが、アルヴェルラ女皇陛下の治めるこのドラグ・ダルク国に現れたのは貴方一人でした。ここまでで何か?」
テレジアの視線は鋭くなるばかりだ。以前の彼なら萎縮し、質問など出来なかっただろうが、ここは前の世界ではない。もう萎縮する必要は無い。
「と、言うことは、俺の他にも何処かに大量に召喚された人間が居るはずって事か?」
「その通りです。何の為にその召喚が行われたのかは、推測ですが魔王討伐の為に勇者を異世界から呼び寄せるためだと思われます」
「魔王に、勇者か」
華月は少し頭痛がした。と、同時に自分がその選別に掛けられなくて良かったとも思った。勇者なんて冗談じゃない。冷静に考えれば責任は重いわ面倒くさいわ、苦労した挙句に死ぬか、何の得も無いまま元の世界に戻される可能性だって高い。そんなものにされなくて済んだのだ。華月には滅身奉仕の精神など、もう在りはしないし、「勇者? マジ俺凄くね!?」等と言う自己中思考も持ち合わせていなかった。
「何を考えているのか知りませんが、今の貴方はある意味勇者と同じほど面倒な立場に在ります」
「は?」
まるで華月の思考を読んだかのようなテレジアの言葉に、思わず聞き返してしまった。
「一つ。今、貴方は女皇陛下と契約を交わし、竜騎士として此処に存在しています。その身体は最早、人ではなく竜になっています。最も、純竜種と違い、一度竜化したら戻れませんが。当然、元の世界には帰れなくなりました。その身にこの世界の理が上書きされましたので。
話が逸れましたね。
二つ、竜騎士とは主たる竜に仕える下僕です。主が死なない限り粉微塵になっても死ねず、逆に主が死ねば自身が健常だろうと死にます」
華月が頭を抱えたくなったのは当然だろう。
元の世界に未練は無い。だが、あのままならば確実に死んでいたし、仮に怪我もなくこの世界に来たところで訳が解らないまま殺されていた可能性が高い。女皇や魔法、魔王に勇者という単語と、明らかに文明レベルが彼の居た世界より低いと推測できるこの部屋の造り。結果として導き出されるのは完全にRPGのような夢とロマン溢れる幻想世界なのだろうという結論だ。
「その表情からすると割と理解が早いようですね。手間が省けて助かります。
そして、此処からが重要です。
三つ、貴方はドラグ・ダルクの女皇陛下が竜騎士です。これから体術、適正が在る武器の扱いは元より学術に適正が在れば魔法も覚えていただきます。それも人間レベルの温い物ではなく、半不死となったその身体の限界の無い訓練です」
「それって、始めは何回も死ぬような事になるって訳か」
「その通りです。本当に理解が早いですね。こちらとしては好都合ですが。ただ、貴方が早々に必要なものを身につければ済む話です」
正直洒落にならない話だ。
「口頭での説明は以上です。以降の教育は基本的に私が行います。疑問が在れば気兼ねなく尋ねてくれて構いません」
「了解……。で、訓練ってもしかしなくても今からだよな」
「当然です。そこの服に着替え、向かいます」
華月が寝ていたベッドの脇には、黒い布で作られた服があった。というか、既に着ている服が自分の物では無い事に今気づいた。が、深く気にすると色々終わる気がしたので華月はその事に触れるのを止めた。
「私は扉の外に居ます。一応言っておきますが――」
「逃げたりしないよ。朦朧としてたが『契約』を交わしたんだし、何より……」
「何です?」
「何でも無い」
ヴェルラに、「期待している」と、言われたから。なんて、とても言えるわけが無かった。
華月は周囲の風景に呆然となった。
「なんだ、ここ……」
「これがドラグ・ダルクの全容です」
目の前には高々と聳え、周囲をぐるっと囲んでいる山脈があり、そこに出来た広大な盆地に幾つも街のようなものが作られていた。山脈の山にも小さい穴が幾つも穿たれていて、何か在ると解る。
街のようと表現したのは建物の間に道が無く、緑で埋められている為で、建物の間が狭いところが集落の単位なのだろう。幾つか広場らしき場所も見えるが、自然に開いていた場所をそのまま使っているのだろうと思われる。
「四方をヴェネスド山脈に囲まれ、大陸と繋がっているのはごく僅か、おまけに山脈の向こうは海です。つまりドラグ・ダルクは半島にある国となります。
ドラグ・ダルクには基本的に闇黒竜種のみが住み、山にドワーフと、森の一角にエルフが少数居ます。若干、竜騎士を従える竜が居ますが、圧倒的少数ですし、貴方を含み竜騎士は人間では在りません。したがって人間は皆無です」
そこで、テレジアは鋭い視線を華月に向ける。
「我ら竜種、それも特にダークネス・ドラゴンは人間を嫌悪しています。私も人間が嫌いです、個人的に。しかしながら竜騎士の皆さんはそれぞれが才覚を見初められて、高潔な精神を持ち此処に居ます。貴方がそうなるか否かは貴方次第です」
そしてふいっと顔を逸らす。何と言っていいか浮かばなかった華月は黙っている他無かった。
「行きますよ。まずは貴方の基礎身体能力を確認します」
大人しく後をついて行くと、皇宮の下部には訓練施設らしき場所があった。
天然石で囲われ、地面が剥き出しになっている。そこの中央にテレジアが佇み、華月を見ている。
「出来るものなら私に一撃入れてみてください。もう始まっていますので」
そう言われ、華月は自分の身体を意識する。何かが変わっているのだろうか? それとも身体能力自体は以前と同じなのだろうか。既に馴染んでいるのか変わっていないのか、感覚で解る事は無かった。
軽く囲いに使われている天然石を殴ってみる。以前なら間違いなく痛みを感じるだろう力で。
だが、痛みは無く、むしろ石が若干ずれた。
「……」
無言で重心を落とし、軽く前傾姿勢を取る。
両脚で思いっきり地面を蹴る。
今まで感じた事の無い風を切る感覚。
急激に迫るテレジア。
「でやっ!」
「……」
華月の右ストレートはテレジアの半身だけズラす見事なスウェーで回避された。
「あれっ!?」
むしろ引き残したテレジアの足に躓かされ、派手に真正面から地面にダイブする羽目になる。
「……擦り傷も無い?」
地面を盛大に転がったはずなのに、体には傷一つついていなかった。
そうなると、無様に転がされた事実が華月の頭に染み渡り、怒りを巻き起こす燃焼源となる。
羞恥と不甲斐無さで握り締められた拳が、華月の怒りの度合いを窺わせる。
ゆらりと立ち上がり、自然体を装う。
そしてあくまで自然に、前のめりに倒れこむ。
「?」
テレジアがその動きを怪訝に思ったときにはもう華月は行動に移っていた。
右足で思い切り地面を蹴り、全力で走り出す。
移動速度が人間の枠を超えていた。
顔を上げてテレジアの位置を確認し、彼女の間合いの外で鋭く方向転換。以前では考えられない鋭い動きで背後を取る。
左足を軸にし、右の回し蹴りを放つ。
「甘いですよ」
それはテレジアの右手で掴まれていた。
そのまま足を持ち上げられ、上空に放り投げられた。軽く十メートル程飛ばされ、落下する。下ではテレジアが迎撃する様子も無く立っているが、何もしないわけは無いだろう。
「このままだと、一回殺されるな……」
確実な死の予感を感じるが、最早怖いとは思わなかった。感じなかった。
想ったのは――。
「やられっぱなしってのは、面白くないな」
姿勢を変え、足を地面に向け蹴りの形を取り、空気抵抗を出来るだけ減らせると思われる体勢を取る。
空気抵抗を抑え、急加速しながら降下する。これを強襲降下と言うのだが、当然華月はそんな事は知らない。最も、生身でそんな事をすれば地面との接地時に足を大々的に損傷し、良くて再起不能、普通なら死亡となるだろう。
急に加速した華月の動きにもテレジアは見事に対応した。
自分の脚技の間合いに華月の足の裏が入った瞬間、自らの右足の裏を突き出し華月の重力加速度まで完全に相殺した。
「取りあえず、見事と言っておきましょう」
一瞬の停滞時間でそう告げ、再び重力に引かれた華月を今度は左足で蹴り飛ばした。飛ばした先は周囲を囲う天然石の側面だ。普通の人間なら骨折その他で生きているかも解らない状態になる速度が出ている。
「……痛く、ない?」
「当然です。貴方の身体は最早竜種のそれと同等。先ほど説明したとおり、主の祝福を受けた竜血には激痛と引き換えに人間を竜化する効力が在るのです。体験したでしょう。それにより人間を殺すには十分な力程度では痛みなど感じません。
さぁ、きなさい。まだ終わりませんよ。次からは、その竜化した身体でも軋む私の普通の力で反撃します」
挑発する。徹底的に実地で学ばせる気だ。
「上等だ!」
華月は無謀――いや、果敢に挑んで行った。