武将 島津義弘 第65話 道中の報と西軍の乱れ
慶長五年七月。
薩摩を発った島津軍は、肥後の宿場に入っていた。
梅雨明けの空は重く、街道の土はまだ湿りを残していた。
宿場の木戸をくぐると、旅籠の軒先には他国の兵の槍が立てかけられ、
人と馬の出入りで、道はいつもより騒がしかった。
宿場役人が、義弘方の兵站役に近づいた。
「西軍が、どうにもまとまりませぬ」
役人は声を潜め、近江方面から届いた噂を伝えた。
「近江に軍勢は集まっておりまするが、
誰が指図をするのか、はっきりせぬとか」
旅籠の主人も、酒樽を運びながら口を挟んだ。
「近江で軍勢が動かぬそうで。
ここを通った兵も、皆、同じことを申しておりました」
街道の先を見に出た先発隊は、
他国の兵が行き交うのを目にした。
黒田家の旗、立花家の旧臣と思しき旗、
名を伏せたままの小勢の旗。
その列の端で、兵たちが小声で話していた。
「三成殿は苦戦らしい」
「諸将が、なかなか腰を上げぬとか」
島津の兵は耳をそばだてたが、
誰も確かなことは知らぬ様子だった。
豊前の城下に入ると、
城下町の空気は、さらに重くなっていた。
町奉行の役人が、島津家の使番に言った。
「黒田家の動きが遅うございます。
上方へ向かうとは申しておりまするが、
いつ立つのか、誰にも分かりませぬ」
筑前の宿場では、
「諸将が上方へ向かうのをためらっている」
という話が、旅籠の座敷で囁かれていた。
「家康殿に付くか、三成殿に付くか、
どちらにも決めかねておるようで」
三成の軍勢が近江で足並みを揃えられない、
という追加の報も届いた。
島津家の家臣は、道中で集めた報を一つにまとめ、
宿営の折に義弘のもとへ持っていった。
「西軍、まとまり悪く、
諸将、去就定まらずとのことにございます」
義弘は、地図の上に置かれた指を動かしながら、
黙って報を聞いた。
九州諸将の動きも、安定してはいなかった。
立花家がどこまで兵を出すのか、
大友旧臣がどちらに付くのか、
黒田家が本当に上方へ向かうのか。
それぞれの名が、宿場ごとに違う形で語られた。
ある宿場では「黒田は家康殿に心を寄せている」と聞き、
別の宿場では「まだ様子見だ」と聞かされた。
兵糧の確保も、少しずつ難しくなり始めた。
「米は、すでに他国の軍勢に押さえられております」
兵站役は、宿場の蔵の中を見て、
残りの俵の数を指で数えた。
街道では、他国の兵とすれ違うたびに、
互いに情報を交換した。
「どちらへ?」
「上方へ」
「西軍か、東軍か」
「まだ、決めかねております」
そんなやり取りが、何度も繰り返された。
島津軍は、街道の混雑を避けるため、
ときおり脇道へそれ、進路をわずかに変えた。
島津軍の兵站役は、
宿場ごとに米の量を確認し、補給の可否を判断した。
「ここでは十日分は出せまするが、
次の宿場は、すでに他国の軍勢が押さえております」
馬の疲労も、道中で目立ち始めた。
脚の震え、首筋の汗、息の荒さ。
休息地点は、当初の予定よりも増やさざるを得なかった。
道のぬかるみ、谷の深さも、
進軍速度を鈍らせていた。
近習が義弘のもとへ来て、
「道が沈み始めています」と報告した。
十郎太は、街道の地形を見ていた。
谷の幅、峠の高さ、川の流れ。
列が伸びすぎれば、
後方が遅れ、前方との間に隙が生まれる。
「ここは列を詰めたほうがよろしい」
「ここは湿地が多く、足が取られます」
湿地帯を避けるため、
十郎太は迂回路を提案した。
兵の足音の“間”を聞き、
疲労が音に出始めているかどうかを確かめた。
「ここは遅れます」「ここは沈みます」
十郎太は、そう報告を重ねた。
三成不利の報は、道中で少しずつ増えていった。
「近江で、すでに一部の諸将が動かぬとか」
「家康殿のほうへ心を寄せる者も多いとか」
そうした言葉が、宿場ごとに形を変えて届いた。
家中では、
「戦が始まる前に、形が決まってしまうのではないか」
という声が、小さく漏れた。
夜営の灯の下で、
義弘は地形図を広げていた。
薩摩から肥後、豊前、筑前を抜け、
関門海峡を越えて山陽道へ至る線。
その先にある近江、美濃。
そこへ向かう道の上で、
すでに戦の形が崩れつつあることを、
義弘は報の重なりから読み取っていた。
島津軍は、それでも北上を続けた。
街道の土は、行き交う軍勢の足で固く踏みしめられ、
夏の湿気は、夜になっても抜けなかった。
美濃へ向かうその道は、
まだ戦場ではなかったが、
戦の終わりの気配だけが、
先に立って流れていた。




