↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
54/81

武将 島津義弘 第54話 再出兵と巨済島海戦(1597)

慶長二年(1597)三月。


文禄の役後に続いていた講和交渉は、

明・朝鮮との折り合いがつかず、

ついに決裂した。

秀吉は激怒し、

諸大名に対して再び海を渡るよう厳命を下した。


義弘は加治木の港から船団を出した。

薩摩の春はまだ冷たく、海風には冬の名残があった。


船団は坊津へ寄り、五島列島の東側を抜けて壱岐へ向かった。

壱岐の勝本で一度停泊し、潮の流れを確かめる。

その後、対馬の厳原で風待ちを行い、釜山浦へ渡った。


釜山浦の港は、再出兵のために各地の大名の船が集まり、

兵糧の積み込みで混乱していた。

倉庫には空の俵が積まれ、

文禄の役で疲弊した補給線が、まだ立ち直っていないのが見て取れた。


義弘は船を降りると、日本軍の再編状況を確認した。

兵の入れ替えは進んでいたが、

補給は遅れ、港の周囲には兵糧を待つ兵が列をつくっていた。


その日のうちに、巨済島方面への移動命令が届いた。

朝鮮水軍が再び動き始め、

補給船団がしばしば襲われているという。


義弘は船団を巨済島へ向けて進めた。

島影が見える頃には潮流が速くなり、

風向きも南から東へと変わっていた。


船団は巨済島北側の入り江──

日本軍がよく使う長鬐浦チャンギポへ入った。

義弘は船を降り、周囲の地形を静かに見た。


南側は潮が巻き、

北側は浅瀬が多い。

敵が突入してくるなら、

潮に逆らう南側からだとすぐにわかった。


日本側の船団の配置を確認すると、

補給船団が遅れていることが判明した。

兵糧不足の兆しが、すでに戦線を揺らし始めていた。


義弘は船手衆を集め、布陣の指示を出した。

関船を中央に、小早を左右に広げる。

大筒の角度を調整し、

接舷戦に備えて槍・火矢の準備を命じた。

風上を取るために船団を少し北へ寄せる。


「十郎太。敵の動きを見よ」

義弘は短く命じた。


夕刻、朝鮮水軍が南側から接近している報告が入った。

李舜臣が復帰したばかりで、

敵の隊列はまだ整っていない。

潮流に逆らって進む船が多く、

隊列は長く伸びていた。


義弘はその乱れを見逃さなかった。


「ここで迎える」

迎撃位置を修正し、

船団の間隔を狭めて連携を強めた。


風向きが変わる瞬間を待つ。

海は静かだったが、

潮の流れだけが速く、

敵の船底を押し返していた。


やがて、敵船団が突入してきた。

義弘は砲撃の合図を出した。


関船の大筒が火を噴き、

小早が敵船の側面へ回り込む。

接舷した船では白兵戦が始まり、

槍と火矢が飛び交った。


潮流に押された敵船は隊列を崩し、

旗艦が退却を始めた。

海戦は短かった。

だが、巨済島周辺の制海権は確保された。


戦が終わると、

義弘はすぐに補給線の状況を確認した。


補給船団の遅れは深刻だった。

長鬐浦の港は混乱し、

陸路の補給も滞っていた。

南原方面の戦線が不安定との報告も届いた。


義弘は家久と十郎太を呼び、

状況を整理した。


「戦は、ここから崩れる」

義弘は静かに言った。


潮流、風、補給、敵の動き。

海の外界は、すでに乱れ始めていた。


巨済島の海で義弘が掴んだのは、

ただの勝利ではない。

これから続く

南原の崩壊、泗川の極致、露梁の死地──

その最初の兆しだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。