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灰神の魔女王  作者: ゆめあき千路


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2.破壊者がさがすもの

〈花の谷〉にもっとも近い集落は、山ひとつを隔てた向こうにある。


 開墾された山裾の麦畑は黄金色にかがやき、用水路の水は豊か、その流れは清らかで無数の小魚が泳いでいる。

 昔と変わらず平穏であった。


 ニックが一本道から集落に入ると、畑を耕していた若者がひとり、走ってきた。


「ニック・ファニスじゃないか。生きていたのか!?」


昔からの知り合いのトムスだ。友というにはやや希薄な付き合いであるが、昔なじみにちがいない。


「トムス! きみたちは無事なんだな」

「その顔は……もう〈花の谷〉を見たんだな」

「ああ。何も無かったがな」

「この前会ったときとは別人みたいだ。まるで――急に十年も()けたみたいだぞ」


 トムスは気の毒そうに言い、ニックは両手で自分の顔を触ってみた。皮膚が(かわ)いてカサカサだ。まる一日、水分を取っていない。のどがカラカラだ。


「すまないが水を一杯くれないか。それと何か食べる物も……。いったい何があったのか、知ってるなら教えてくれ」

「水ならいくらでも……食べ物もやるよ。つまりきみは、本当に生きた人間なんだな?」

「なんだよ、人を幽霊みたいに」

「ほんきで幽霊かと思ったんだぞ。そうか、それであいつらは……!」


 トムスが急に顔色を悪くした。

 ニックはイヤな予感がした。


「俺がなにか?」

「すぐに逃げろ。あいつらが捜していたのはおそらくあんただ」


 ニックは心臓が止まるかと思った。


「俺を? なぜだ?」

「いや、その前に俺の家に来い!」


 彼はニックの腕を掴むと急いで家に連れていった。


「なんだってんだ。トムス、それより何が起こったのか、もっと詳しい話を教えてくれ。なぜこの集落は無事だったのかも」

「知らん。俺たちも理由はわからない。とにかく、五日前にあいつらが去ったときにはすべて終わっていた。隊商に行った皆が戻ったのは一週間前だった。ニック、おまえ今までどこにいたんだ?」


「旅先で知り合った男の手紙を届けに、東の村へ立ち寄っていたんだ」

「そうか。それで帰還が遅れたのか……」


 トムスは周囲を見回し、誰も見ていないのを確かめてからニックを家へ押し込んで、ドアをピッタリ閉めた。


「やつらは小さな部隊だった。ここを破壊しなかったのは、〈花の谷〉の破壊だけを命令されたからだと言っていた」


 トムスはニックを居間に立たせ、戸棚や机の引き出しやら、あちこちなにかを探し回った。


「犯人を知っているのか?」

「灰神の使徒の軍団だと。こんな小さな田舎の集落を破壊しても無意味だと。余計な殺生はしない主義だとうそぶいてやがった」

「だったらなぜ……?」


〈花の谷〉には生けるものがなにひとつ残されていなかった。植物の種子にいたるまで、徹底的に破壊され尽くしていた。

 なぜそこまでの破壊と絶望を〈花の谷〉へ与えなければならなかったのか?


「これと、これも、これもだ。少ないが、持っていけ!」


 彼は小さな袋を四つ、ニックの手に押しつけた。金が入った革袋だ。小さくともずしりとした重さから中身は銅貨ではなく、貴重な金貨が入っていると察せた。


「おい、これは……。なぜだ?」


 トムスはけっして裕福ではない。〈花の谷〉の繁栄ぶりに比べれば、集落は貧しかったとさえ言えよう。


「もらえないよ。金なら持ってる」 

「おまえには必要だ。これから境海を越える船に乗るには、もっと金がいるだろうが!」


 トムスは居間中を動き回ったせいで息を切らせていた。


「やつらは南の港から船に乗ってきたそうだ。西は隊商の旅路があるからすでに捜索されているかもしれん。だからおまえは東の港から船に乗って境海を渡れ」

「待ってくれ。ほかに郷の人間は……?」


「やつらはここにも来た。この村に〈花の谷〉から男が逃げて来なかったかと聞かれた。やつらは〈花の谷〉には人間はひとりも生きていないと言った。もしも逃亡者を(かくま)えば俺たちも皆殺しにすると言われた。やつらは二日間この集落にいて、斥候(せつこう)が〈花の谷〉を何度も往復していた。それがやっと出て行ったのが、五日前のことだ」


 そこで彼はいったん言葉を切った。興奮した己を落ち着かせるためだろう、深く息を吸い込んで、大きく吐き出した。


「やつらが捜していたのはあんただと思うんだ、ニック。やつらは〈花の谷〉の男を捜していた。ほんとうに住人が一人残らず殺されたなら、ここへ探しに来る必要もない。やつらは目的の男をいまも捜しているんだ」


 トムスに礼を言い、すぐにニックは集落を発った。




 敵がかの伝説の灰神の使徒ならば、その冷酷さには定評がある。


 彼らがどれほど邪悪な虐殺者なのか、旅の間に得たうわさ話はむろん、吟遊詩人が歌う伝統的なサガやバラッドでも、いやというほど伝えられている。


 すべてはこの世界の人類史における悲劇だった。


 人間が住まう世界があるかぎり、灰神は人間の崇拝者から選りすぐった邪悪な狂信者を選んで魔法の力を与え、その冷たい魔力で人の世を支配しようと画策する。


 物語の終わりにはたいがい神々に選ばれた英雄や聖なる乙女があらわれて灰神とその使徒の軍勢を永遠の奈落へ追い落とすにせよ、それは一時の勝利でしかない。

 数多くの嘆きと無数の犠牲が払われた後のことだ。


 人間に灰神を崇める者がいるかぎり、人の世に灰神の脅威はくすぶり続ける。

 境海世界では、古代史のむかしより、灰神に滅ぼされた国の伝承はあまたあった。


〈花の谷〉を破壊したのが灰神の使徒で間違いなければ、ニックがこの集落に留まるのは危険すぎた。

 灰神の軍団はこの世で最も邪悪な魔法に長けた連中だ。どこかに魔法の見張りを残しているかも知れない。


 もしもニックがここにいると気づかれたら――ニックに話を聞かせてくれたトムスばかりか、彼とこの集落にも信じがたい(わざわ)いをもたらすことになる。


 ニック・ファニスは集落からじゅうぶんに離れると、背負った荷の中から服を出して着替えた。

 それは遠い町で買った替えの服だった。いつも着ている旅装は、〈花の谷〉独特の染め糸で織られた旅商人の服だ。萌黄(もえぎ)色の上着とシャツを油紙でていねいに包んでヒモでくくり、道端の岩かげへ穴を掘って埋めた。


 傷むかもしれないが、燃やして処分するよりマシだ。いつか取りに戻れる日が来るかも知れない。

 いまとなっては唯一の故郷の形見だが、これを着ていたら〈花の谷〉の者だと一目で見分けられてしまう。




 峠の分かれ道にきた。

 東と西と、南への分岐点。

 どの道も過去に隊商で利用した。それぞれの先がどこに続いているかはよく知っていた。


「東の港から船に乗り、境海を渡る……」


 トムスに言われたことを考えた。

 境海の向こうへ渡り、さらに世界の階層をも越えてしまえば、いかに灰神の使徒といえど、そうそう追っては来られまい。

 昔から知られている境海の性質とは、良くも悪くも人間の宿命すら変えるという人知を超えた魔法なのだ。


 ニックは南への道を進んだ。


 頭には故郷を滅ぼした仇への復讐だけがあった。


 いったい何者が――灰神の使徒であれ、何の意図があって、〈花の谷〉を生命のカケラすら残らぬ廃墟にする必要があったのか。


 ニックは平凡な旅商人だ。これまでの半生で個人的なトラブルはあったが、それで命を狙われるほどの心当たりなどない。

 商いの取引でもめた経験もあるが、それとて商人としての学びである。小さなもめごとはその都度解決ずみだし、そういった案件のなかに、〈花の谷〉を焼き滅ぼすほどの恨みが残っていたとは考えられない。


 そんなニックを草の根分けてまで捜し出して殺したい理由とは、何なのだ?


 この探索の果てにある答えがたとえ地獄であろうと――このときのニックは南へ行く以外の選択肢を思いつかなかったのである。



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