29 クェート市(3)
「んあ……」
パチ、と意識が覚醒する。
見慣れない天井……ああそうか、クェート伯爵城に滞在しているんだった。
伸びをして体を起こそうとしたところで、隣に体温を感じることに気が付く。
「んん……」
俺が少し動いたからか、隣で眠るリナが声を漏らした。
昨日の夜、リナにチェスでボコボコにされた俺は、勝者の権利と称して俺のベッドに潜り込むリナを止めることができなかったのだ。
メリーとイリーナ嬢は歯噛みしていたが、前者はリナによって追い出され、後者はやってきたメイドによって連行されていったので、この部屋にはいない。
「…………」
隣で無防備に眠るリナのあどけない寝顔を見ているとドキドキしてしまったので、視線を逸らしてゆっくりと体を起こす。
そのままなるべく音を立てたりしてリナを刺激しないよう、慎重にベッドから降りる。幸いリナが壁際を占領しているので、簡単に降りることができた。
リナが起きていないことを確認すると、優しく布団を掛け直し、急いで、しかし無音で着替えを済ませる。
ダミー用に普段から装備している鉄剣を手に取って、そろりと扉を開けて、そして閉める。
「はぁ……」
朝から疲れさせてくれる。
溜め息を吐いた俺は鉄剣を腰に差し、朝食を食べるべく食堂に向かった。
◇
朝はそれぞれの用事があるので、食事は一緒ではないらしい。
食堂にはメイドが数人控えているだけで、料理は並んでいない。頼めば運んでくれるようだ。
「あら、ハリーさん、おはようございます。もう起きたんですね」
名前を呼ばれ振り返ると、そこにいたのはイリーナ嬢だった。
昨晩は日付が変わる頃まで夜更かししていたはずなのに、眠そうな気配は一切ない。リナなんかまだ眠っているというのに……。
「おはようございます。普段から野営で慣れているので」
「それは凄いですね。よろしければ、朝食をご一緒しませんか?」
「ええ、喜んで」
俺が返事をすると、イリーナ嬢は控えていたメイドに歩み寄り、料理を頼んでいった。
一般庶民の俺にはまだまだメイドを小間使いに使うのは慣れないので、イリーナ嬢がやってくれるのはとてもありがたい。
「ハリーさんは、本日は何かご予定は?」
「昼頃まではギーナスさんに稽古をつけてもらうことになっていますね。その後は特に決めていないです」
「では、昼食を済ませたら街を見て回りませんか?私、案内しますよ」
「それは楽しみですね。是非お願いします」
イリーナ嬢と雑談している間にメイド達が食事を持ってきたので、並んで席に座って食べ始める。
丁度食べ始めたタイミングで、メリーとリーニャが一緒にやってきた。
「ふわぁ、おはよう、2人とも」
「おはよ~」
「おはようございます」
「おはよう」
メリーは眠いのか欠伸をしている。
リーニャは1人だけ早く寝たはずなのに、同じく眠そうだ。
リナがいつまでも起きてこないが……ま、寝かせとくか。
◇
「ハリー殿は本当に筋が良いですね。たった数時間でここまで成長するとは……」
「いやあ、ギーナスさんの教え方が上手なだけですよ」
ギーナス氏による稽古を終え、タオルで汗を拭く。
中々にキツい稽古だったが、充実した時間だった。
「この分だと、明後日には『魔力撃』を教えられそうですね」
「『魔力撃』……?ああ、リナが言ってたやつか……」
「魔力撃」スキルがどんなものか、興味が湧いてきた。
だがまあ、焦る必要は無いだろう。クェート市に滞在する期間は特に決めていないが、もうすぐ年末なので、その辺りまでは滞在しようと思っている。まだまだ時間は残されているのだ。
「では、私はこれで」
「はい、ありがとうございました」
お辞儀をして去っていくギーナス氏に、俺もお辞儀を返す。
彼のお陰で、レベル以外の面も強くなれそうだ。
◇
「ではハリーさん、行きましょうか」
「はい」
イリーナ嬢に手を引かれ、城から出て街に繰り出す。
いつもならメリーやリナ辺りがついてくるのだが……今日はいない。
メリーはこの街の神殿に顔を出すと言っていたし、リナはリーニャと共に料理を学ぶと言って調理場に向かって行ったからだ。もしこのことを見越していたのならば、イリーナ嬢はかなりの策士だろう……。
「どうしましたか?」
「い、いや、なんでもないです。それにしても、この街は他と比べて獣人や亜人が多いですね」
思考を読まれないようにパッと思いついたことを言ってみたのだが、確かに獣人が多い。
流石に人族より多いわけではないが、これまで見てきた街は貧民街にしか獣人・亜人はいなかった。それに比べ、ここクェート市は普通に平民街にも彼らの姿が見える。
「そうですね……私達は他の貴族と比べて、比較的獣人嫌いではないですから……。それと、最近はお隣のラエン伯爵領からの移民も増えていますね」
「ああ、なるほど……」
ブルーノ子爵の地下牢を脳内に思い描きながら、イリーナ嬢の言葉に頷く。
きっとブルーノ子爵の魔の手から逃れようとした獣人達が、獣人差別の少ないクェート伯爵領に流れてきたのだろう。彼らには是非幸せになってもらいたい。
「それよりも。ハリーさんの武器を買おうと思っているのですが……」
「俺の武器、ですか?」
「はい。強敵と戦う時には不要でしょうが、その鉄剣は量産品でしょう?それの代えとなるものがあった方が良いかと……」
確かに、いくらダミーと言っても量産品の鉄剣は弱い。これは盗賊の頭目に壊されてから新しく買ったものだが、前と性能がほぼ同じだ。もう少し質が良ければ、もっと上手く正体を隠すことができるだろう。
「なるほど……ですが、イリーナさんはそれでいいんですか?」
「もちろんです。ハリーさんと一緒にお出掛けできれば、それだけで嬉しいんですよ」
「そ、そうですか……」
真っ直ぐな笑顔を直視するのがなんだか気恥ずかしくなり、思わず顔を逸らしてしまう。
美少女の笑みを正面から見続けられる程、俺の肝は据わっていないのだ。
◇
この街をよく知るイリーナ嬢に案内され、イチオシの武器屋にやってきた。
どうやらここは、領騎士団の武具を発注している店らしく、店主とも顔見知りなのだそうだ。
「へいらっしゃい!……ん?イリーナ嬢ちゃんじゃねえですか!今日はどういったご用件で?」
扉を開くと、人の好さそうなスキンヘッド店主が出迎えてくれた。
「こちらの方の剣を見繕って頂こうと思いまして……」
イリーナ嬢が答えるのに合わせて、俺も店の中に入る。
「おお、もしかして婚約者ですかい?ちょっと頼りなさそうだが、歳の割には鍛えてんな……ちょっと待っててくれ」
「こ、婚約者……」
スキンヘッド店主は店の奥に消えて行ったが、隣のイリーナ嬢は「婚約者」発言に頬を染め、手を当ててうっとりと呟いている。
店主ぅ……この空気どうしてくれるんすか!
夢見る子供のような表情をしているイリーナ嬢に話しかけるわけにもいかず、スキンヘッド店主が戻ってくるまで非常に悶々とする時間を過ごした。
やがてスキンヘッド店主が戻ってくると、手には数振りの剣が握られていた。
「ま、色々試してみてくれ」
店主からの許可も得られたので、カウンターの上に置かれた剣を一本手に取る。
店内は素振りを想定しているのか、天井がそこそこ高い造りになっている。剣士のことをよく考えた造りだ。
「ソイツは片手半剣だな。鋼鉄製だが、質はそれなりに良い」
店主の言うように、鋼鉄特有の金属光沢が感じられた。
今使っている鉄剣より若干重い。まあ、両手で使うことも想定しているのだから当然と言えば当然なのだろうが……。
軽く素振りしてみるも、なんだか合わない。
片手で振るには重いし、両手で振るには軽い……なんか気持ち悪い。
片手半剣をカウンターの上に戻し、次の剣を手に取る。
「ソイツは灰輝銀合金製の片手剣だ。魔剣になる程使われちゃいないが、そこそこの一品だぜ」
ズシリと重みを感じる剣だが、不快な重みではなくむしろ頼もしい重みだ。
灰輝銀製ということで軽く魔力を込めてみると、名前の通り灰色っぽい輝きが見え始めた。
その状態で振ってみると、斬撃の軌跡に灰色の残光が見えてとても美しい。
それに手に馴染むようだ。他のもの次第だが、これが一番合っている気がする。
「後の2本は魔剣だ。そこそこ値が張るが大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
片方は純灰輝銀製、もう片方は魔物の素材を使ったものらしい。
どちらも魔力を通してみると赤い輝きを放った。後者はともかく、前者は先程と同じ灰輝銀なのに輝きが違うのは何故なのだろうか?
「それは魔剣だからだな。魔剣は等しく赤い輝きなんだよ。まあ、濃さとかは多少の違いがあるがな。魔力を流した状態だと、刃毀れしにくかったり実体の無い相手にも攻撃が通ったり、色々便利なんだぜ」
「へぇ~、なるほど……」
聖剣の青い輝きの反対と言うことか。
ならば、聖剣に魔力を流した時も同じように刃毀れしにくくなるのだろう。これからは聖剣で戦う時は、積極的に魔力を流していこう。
魔剣と言う響きには惹かれたが、両方ともあまり手に馴染まないようだったので、結局灰輝銀合金製のものを購入することにした。気のせいかもしれないが、『勇者』の称号が反発していたりするのかもしれない……単なる勘違いの線も大きいが。
「まいど!また来てくれよな!」
RPGの店主のような定番のセリフを背中で受け取り、店を後にした。
「ハリーさん、この後はお洋服を見に行こうと思うのですが、お時間は大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。夕飯の時間まで付き合います」
「分かりました!行きましょう!」
上機嫌に俺の腕を引くイリーナ嬢に微笑みながら、武器屋から離れて行った。
この後の買い物の様子に関して、何か言うことがあるとすれば1つだ。
女性の買い物って、長いね。




