魔法の開眼と魔力の鍛錬
短距離走の実習の結果は、驚くべきものだった。十五名の生徒候補のうち、六名が、かつてないほどの速さで体育館の床を駆け抜けた。彼らの口からは、興奮と驚きが入り混じった声が漏れた。
「こんな方法があるんだったら、子供の頃からかけっこは一番だったのにな」
その興奮の言葉に、ラウラは、すぐに釘を刺した。 「魔力による強化は、本当の身体能力ではありません。競技の際には使用禁止です」 彼女は、魔法を、ルールを破るための道具にしてはならない、という倫理を教え込んだ。
足が速くなった六人には、さらに次の課題が課された。垂直飛びだ。 「上手く飛べれば、あの高い天井まで飛べます。ただし、降りてくるときに、床に激突しないように、ゆっくり降りるイメージも作ってください」 魔法とは、力を加えるだけでなく、その力を制御し、安全に終えることまで含めて、初めて完結するものなのだ。
そして、ただ一人、魔法が発動しなかった若者が残った。
「あなたに魔力があるのは間違いないのよ」ラウラは、優しく語りかけた。「あなたの名前は?」 「はい、グスタフ・アッカーマンです。救護隊で衛生兵をやっております」とその若者は生真面目に返事をした。彼の表情には、期待と、それ以上の不安が入り混じっていた。
ラウラは、自信を持って告げた。 「グスタフさんは、銅の魔力を持っています。これは、聖女カミラと同じクラスの魔力です。回復魔法という奇跡を起こすのに、十分すぎる力を持っているから、自信を持って」
「本当ですか?」グスタフは、半信半疑で聞き返した。他的瞳は、驚きで揺れていた。 「本当です。きちんと測定した結果ですから、間違いありません」
ラウラは、魔法使いとしての権威をもって断言した。 「グスタフさんは、魔法でどんなことをしてみたいですか?」
ラウラの問いに、グスタフは恥ずかしそうに顔を赤らめた。 「ラウラさん、笑いませんか」 「もちろん」 「僕は、魔法が使えるのならば、妖精のように空を飛び回りたいのです」
それは、軍人らしくない、純粋で、かわいらしい夢だった。 「かわいらしい夢ですね。でも、不可能ではありません」ラウラは、優しく、しかし確信に満ちた声で、彼をコーチした。「目をつぶって、自分が自由自在に飛び回る姿を、はっきりと、強く、イメージして。できたと思ったら、軽く飛び上がってみて」
グスタフは、ラウラの言葉を信じ、目を閉じた。彼の心の中で、軍服姿の衛生兵ではなく、背中に羽が生えて自由に空を舞う「もう一人の自分」が創造された。そして、彼が意を決して軽く飛び上がると、なんと、彼の体は、ふわりと床から浮き上がったのである。
その瞬間、グスタフの顔には、これまでの不安が一掃され、純粋な驚きと喜びが広がった。彼は、自らの内に秘められていた「奇跡の素質」を、初めて信じることができたのだ。ラウラの教育は、まず、信じるという根源的な魔法を、彼らの心に灯すことから始まっていた。
垂直飛びに挑戦していた残りの六名のメンバーも、ほどなくして魔法の感覚を掴み始めた。彼らは、重力という世の理から解き放たれたかのように、高く、高く、手を伸ばせば天井に触れられるほどの高さまで飛び上がれるようになった。グスタフのように、ただ浮遊する悦びを味わう生徒も、次々と現れた。
中には、着地の際の「ゆっくり降りるイメージ」が間に合わず、床に激突して、ラウラの即座の回復魔法を受ける者もいた。だが、その痛みさえも、彼らにとっては、魔法が現実の力であることを証明する、貴重な体験となった。
最終的に、この中央体育館に集まった十五名全員が、それぞれに異なる形で魔法を発現させ、自らが魔法使いであることを確信できた。彼らの瞳は、未来への期待と、秘められた力を解放した興奮で、熱く輝いていた。
「初日にしては、上出来だわ」 ラウラは、心の中でそう呟いた。彼らに魔法を信じ込ませるという、最も困難な第一歩は、成功裏に終わった。
明日、彼らを待つのは、魔力の源泉を押し広げ、枯渇の恐怖を克服するための、耐久訓練だ。この一日で得た「信じる力」を、今度は「持続する力」へと変えていくのだ。ラウラの教育は、魔法の奇跡だけでなく、その裏側にある、泥臭い鍛錬へと進もうとしていた。
二日目の朝、中央体育館に集められた十五名の若者たちの目は、昨日とは比べ物にならないほど、生き生きと輝いていた。それは、自分たちが『魔法使い』なるものであるという確信と、これから目にするであろう新しい奇跡を期待している、純粋なきらめきであった。
ラウラは、彼らの熱意に応えるように、しかし、その瞳の奥には厳しい教師の顔を覗かせながら語りかけた。
「今日から、正式な魔法学校入学までの間、一日も欠かさずやっていただく鍛錬を指導します。この鍛錬を怠けると、回復魔法という高度な魔法を、完全な形で使うことができません」
生徒たちは、その言葉の重みに、再び緊張した眼差しでラウラの次の言葉を待った。 「皆さんに、最も重要に思っていただきたいのは、魔力量をできるだけ増やしてきていただく、ということです」
ラウラは、魔法の本質を教えた。 「そのための方法は様々ありますが、毎日、できるだけ魔法を使ってきてほしいのです。筋力と一緒で、魔力は鍛えると鍛えただけ増えてくれます。逆に、サボるとサボっただけ、魔力は減ってしまいます」
彼女は、生徒たちの自由な発想を促した。 「空を飛びたい人は空を飛んでも良し、ただし、上空で魔力切れを起こすと危険なので高くは飛ばないように。水を出し続けてもいい、でも、排水を考えて水を出して。私は、校庭を水で一杯にしてしまったことがありますから」
ラウラは、自己の失敗を教訓として示しながら、繰り返した。 「自分の得意な魔法を、毎日できるだけ使ってきてください。魔法でも、継続は力です。くれぐれも、サボらないでください」
魔力の放出を促すラウラの言葉を聞き、一人の生徒が、最も実用的な質問をした。 「効率的な魔力の放出方法を教えてください」
「あなた方が今すぐ使えそうな魔法で、魔力消費が大きいのは、結界魔法だと思います。結界魔法を教えましょう」 その言葉に、生徒たちは驚きに声を上げた。結界は、高度な防御魔法だという認識があったからだ。
「結界魔法は、イメージが難しい。特に攻撃を受けるわけでもないですからね。自分の目の前に、魔力で壁を作るイメージをしてみましょう。石の壁をイメージしても、板の壁でもいいですよ。ただし、物質として壁が出来上がるわけではありません」
ラウラは、そう言いながら、自身の魔力を静かに放出した。彼女の背丈ほどの壁が、生徒たちの前に、わずかに光を帯びる透明な膜となって立ち上がった。 「すごい!」生徒たちは、その視覚化された力に、小さな歓声を上げた。
「さあ、やってみてください。結界ができると、それを維持するためには、魔力をだいぶ消費します。それが、あなたたちの魔力増強の訓練になります」
ラウラの指導の下、生徒たちは、見えない力の壁を、己の意志の力だけで築き上げるという、新たな試練へと挑み始めた。彼らの目の前には、ただの壁ではなく、彼らが戦場で兵を護るための、命の砦の原型があった。
生徒たちは軍内部から集められていたため、中には戦場で修羅場をくぐった経験がある者もいた。彼らにとって「結界」という概念は、空想ではなく、生死を分ける盾に他ならない。そのため、彼らは、その結界魔法の訓練には、より一層真剣に取り組んだ。
いかんせん、生徒たちの魔力量はまだ少ない。ほとんどの者が、自分の目の前に、小さな手持ちの楯ほどの結界を、短時間しか維持できない状態だった。それでも、彼らの真剣な眼差しは、入学までの半年間、この練習に真摯に取り組んでくれるだろうという確信を、ラウラに抱かせた。




