退院そして捜査会議
午前6時頃にアクセスしていただく方が多いので投稿時刻を午前6時に変更します。今日は午前6時にもう一回投稿になります。
クリスティーナ姉さんは、家族三人に守られるようにして、病院の門を出て行った。数週間は自宅療養をしてから、職場に復帰する予定だという。あの事故で、あわや命を落としかけたというのに、またあの土木の現場に戻ろうとしているのだ。ラウラは、その芯の強さ、何があっても前を向いて歩き続ける姉の潔さに、改めて畏敬の念を抱いた。 姉は、自分の生きる道を知っている。ラウラもまた、自分の場所を見つけなければならない。魔法の真理を探る、この研究所での日々の先に、きっと。
ラウラは、姉のクリスティーナが退院したことで、張り詰めていた糸が緩むのを感じていた。彼女が滞在している先端医学研究所の宿舎は、すべてが合理的で無駄のない空間だったが、やはり実家とは違う。
「留守の間に、もし急な魔法治療が必要になった場合は、私がちゃんとやっておくから。あなたは実家でゆっくりと骨休めをしてくるといいわ」
カミラは、そう言って微笑んだ。彼女は普段、ラウラに対して、聖女としての使命感と、研究者としての厳しさで接することが多かったが、この言葉は、心からラウラの身を案じる、温かい友人の響きを持っていた。ラウラはこの数週間、カミラやハワード医師と共に、チームとして姉の治療と研究にあたってきたのだ。
カミラの思いがけない心遣いに触れ、ラウラは、こらえきれずに目元を拭った。
「こんなことで泣かない、泣かない」 カミラはいつもの調子で言ったが、その声の端には優しさがにじんでいた。ラウラは、その一言にますます感激し、涙が止まらなくなってしまった。
久しぶりに実家の扉を開けると、そこには、いつもの穏やかな、そして少しばかり騒々しいワーグナー家の日常が待っていた。
クリスティーナは、自宅の明るい居間で、背筋を伸ばして紅茶を飲んでいた。彼女は、父のハンスと、母のインゲに、何かを真剣な顔で話している。ラウラが席に着くと、一家の会話は自然と、今回の事故、いや、事件の話題へと移っていった。
「ねえ、犯人は捕まったのよね? どうなったの?」 ラウラは尋ねた。
父は、静かに頷いた。 「ああ。軍警察からフリードリヒが、わざわざ捜査の状況をこっそり聞き出してくれたんだ」
話によると、現場で事故を誘発させたと思われる犯人は捕まったものの、軍警察の取り調べでも、その真相の全貌がつかみ切れていないのだという。
「元請け会社の名前は出てきたけれど、証拠がまるで揃わないらしい。このままでは証拠不十分で釈放される方向だと、兄さんは言っていたわ」 クリスティーナが、沈痛な面持ちで語り継いだ。
「捜査にあたっている軍警察の人間たちは、信念を持って捜査に取り組んでいるらしいんだが、公共工事の闇の深さに、ほとほと参っているようだ」 父が溜息をついた。
ラウラは、違和感を覚えた。 「ただの事故じゃないのね。クリスティーナ姉さんは、何か真実を掴みかけて、危険な目に遭ったんじゃないの?」
クリスティーナは、紅茶を一口飲むと、まるで授業で生徒に教えるかのように、淡々と話し始めた。 「公共工事というのはね、元請け会社が入札で落札した仕事を、下請け、孫請けへとピラミッド式に回していくうちに、末端になるほど適正な利益が上げられなくなって、みんなが窮することになるのよ」
彼女は、静かに息をついだ。 「そうすると、どうなると思う? 窮した孫請けが、指定された材料より品質や強度の劣るものを、しかも少量しか使わないという『手抜き』をする。私たちが監査人として全体像として掴んでいるのは、そういうことよ」
そして、クリスティーナの瞳に、事件当日の真実の光が宿った。
「今回事故の起きた現場では、まさにその『指定の材料より劣るものを使っている』というタレコミが、監査室に入ったの。私は、これは動かぬ証拠を掴めるチャンスだと思って、単身で現場に駆けつけた。その時に、事故に巻き込まれたのよ」
その言葉を聞いた父、ハンスは、顔を曇らせた。 「実を言うと、発覚を恐れた黒幕が、事故を誘発させて、お前を消そうとしたという情報を、内々に教えてくれた者がいたんだが……」
父の重い告白に、一家の空気が一瞬にして凍り付いた。だが、クリスティーナは、肩をすくめてみせた。 「私たち、国の公共工事の監査人は、いつでも狙われているわ。そんなことは、今に始まったことじゃない」
クリスティーナのその言葉の潔さと、覚悟の深さに、そこにいた家族全員が、言葉を失い、ただただ息を飲むことしかできなかった。ラウラは、姉の強くしなやかな生き様に、魔法とは別の、人の持つ強さの力を見た思いだった。
シュテファン兄さんは、居間のテーブルに広げられた公共工事の資料の上に、そっと自分の厚い指を置いた。彼は次兄であり、家族の中ではもっとも早く職人の世界に身を投じた男だ。その手が、闇に手を染めた者たちが使った材料を、今、見定めようとしていた。
「材料の品質については、うちの工房で鑑定できるよ。何を隠そう、俺は金属工房に勤めているんだからね」
その声には、魔法使いや軍人ではない、物を作り出す者としての確かな誇りが滲んでいた。 「本来使うべき材料と、今回の現場で使われていた材料を鑑定して、強度や耐久性の正確なデータを出してみようか」
クリスティーナ姉さんは、目を細めた。彼女の顔には、まだ事故の疲労が残っているはずなのに、監査人としての光が宿っていた。 「そうね。元請け会社の息の掛からない、中立な場所で鑑定すれば、真の結果が分かるはずだわ。材料さえ手に入れられれば、必ず持っていく」
こうして、ワーグナー家の居間は、まるで事件を扱う捜査会議の場と化した。家族の誰もが、クリスティーナの命を狙った闇に対し、それぞれの持ち場で立ち向かおうとしていた。




