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シーン5

ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……。

低い、地を揺るがすような重い駆動音が響き渡った。霧の向こうから、巨大な鉄の影が姿を現す。戦車の隊列だ。鈍い鋼色の車体が、泥濘をものともせず、ゆっくりと、しかし確実に彼らの陣地へと迫ってくる。その砲身は、死を告げるかのように、静かに前方へと向けられていた。


「ここから逃げろ!」

誰かが絶叫した。その声は、絶望と恐怖に歪んでいた。兵士たちは、この巨大な鉄の獣が自分たちを轢き潰し、塹壕を破壊し尽くすことを知っていた。


「手投げ弾と弾薬を運べ!」

別の叫び声が響く。声の主は、カッチェンスキー、通称カットだ。彼の顔は泥と汗で汚れ、目は血走っていたが、その眼差しには、まだ諦めという文字はなかった。


塹壕の縁によじ登り、ポール・バウマーはライフルを構えた。彼の全身は泥にまみれ、体は鉛のように重い。だが、迫り来る死の恐怖が、彼の内なる獣を呼び覚ます。兵士たちが次々と塹壕から這い上がり、濃い硝煙の中を、絶望的な突撃を開始する。彼らは銃を構え、あるいは銃剣を振りかざし、来るべき死に抗うかのように叫び声を上げていた。


ズガァァァンッ!

戦車の主砲が火を噴いた。炸裂音が鼓膜を破り、地面が大きく揺れる。泥と土砂が噴き上がり、数人の兵士が吹き飛ばされ、肉片と化した。周囲は一瞬にして地獄の窯と化す。銃声と悲鳴、そして焼ける肉の匂いが、空気を満たした。


ポールは、塹壕の縁に伏せ、ライフルを構えて発砲した。狙うは、戦車のわずかな弱点。しかし、弾丸は分厚い装甲に弾かれ、虚しく火花を散らすだけだ。


泥濘を走り、カットが戦車に肉薄していく。彼の右手には、柄付きの手榴弾が握られていた。戦車は無慈悲に砲撃を続け、機関銃が火を吹く。ダダダダダッ! 泥の中に伏せる兵士たちが、次々と血の塊と化していく。


カットは戦車の巨大な車輪に狙いを定めた。全身が泥と埃で覆われ、視界は悪い。だが、彼の瞳には、目的を達成しようとする燃えるような意志が宿っていた。

ドスッ!

彼は力強く手榴弾を戦車の履帯キャタピラの隙間にねじ込んだ。


間髪入れず、カットは泥の中に転がるように身を隠した。

ズガァァァァンッ!!

けたたましい爆発音が響き渡り、戦車の車輪が大きく吹き飛んだ。煙と炎が立ち上り、鉄の塊は勢いを失い、泥の中に傾いでいく。


「ここから逃げろ!」

塹壕の底で、パウルは叫んだ。彼の声は、喉が張り裂けんばかりに嘶いていた。顔は煤と血で汚れ、瞳には純粋な恐怖が宿っている。目の前には、白煙を上げて地響きを立てながら迫り来る、巨大な鉄の塊。装甲車だ。その鈍重な車体が、彼らの脆弱な防御線を容赦なく踏み潰そうとしていた。


「手投げ弾と弾薬を運べ!」

カットの叫び声が、砲声の合間を縫って響き渡る。彼は既に、瓦礫と化した塹壕の縁によじ登り、迫り来る敵に向かって叫んでいた。兵士たちは、もはや理性を失ったかのように、半狂乱で弾薬箱を手渡し、手榴弾を次々と投げつける。


パウルもまた、凍り付くような恐怖と、しかしそれ以上に湧き上がる生存への渇望に突き動かされ、泥濘を駆け抜ける。足元は粘りつく泥で滑り、ブーツが抜けそうになるが、止まることは許されない。背後からは、装甲車の重い履帯が、泥と骨を踏み潰す音が地響きとなって迫ってくる。

「全力で次の塹壕に逃げる「パウル」」

彼は、ただ次の安全な場所、次の物陰、次のわずかな遮蔽物へと、盲目的に走るしかなかった。


ズガァァァァンッ!

巨大な爆発音と、金属が砕ける甲高い悲鳴。煙と炎が立ち上る中、後退するドイツ軍の兵士たちが、次々と血の塊と化していく。装甲車の砲塔から放たれる機銃掃射が、まるで雨あられと降り注ぐ。ダダダダダッ! 泥濘に伏せる兵士たちの体が、激しく痙攣し、やがて動かなくなる。


パウルは、必死に泥の中を這い、残骸となった塹壕の縁に辿り着いた。息を整える間もなく、彼は後ろを振り返った。そこには、追撃する装甲車の群れが、地平線を埋め尽くすかのように迫っていた。その機械的な進撃は、人間の生命に対する一切の慈悲を持たず、ただひたすらに、前進を続ける。


「北東2キロ先のエギザックで立て直す」

誰かの叫び声が、かろうじて彼の耳に届いた。しかし、2キロ先。それは、この地獄では果てしない距離だった。一歩一歩が、死へのカウントダウン。


パウルは、残された最後の力を振り絞り、再び走り出した。彼の視線の先には、同じように泥と血にまみれ、疲れ果てた戦友たちが、必死の形相で撤退を続けている。彼らはもはや、故郷の若者たちではない

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