霞の中の婚約者ー中編ー
第二話をお読みいただきありがとうございます。
今回は、高橋ではなく、その助手・前園椿の視点から物語が進んでいきます。
どこか謎めいた前園の目を通して浮かび上がるのは、霞山楓という人物の輪郭、そして彼女の過去にまつわる微かな違和感です。
静かに進む足取りの中に、じわりと広がっていくミステリアスな空気を、ぜひ感じ取っていただけたら嬉しいです。
ご堪能あれ。
翌日、二人は霞山楓という人物について集めた情報をもとに、捜査を開始した。
「椿、“そっちの方“はお前に任せていいか?」
事務所のデスクに座り、タブレットを操作しながら高橋が問いかける。
「えぇ、お任せください。夕方には戻ると思います。」
前園は小さく頷くと、椅子から立ち上がり、壁にかけてあった紺色のコートを手に取った。
外は朝から曇り空で、窓の向こうには霧雨が降っている。
前園は、コートを羽織り、何気なく空を見上げた。
「行ってきます。」
振り返った前園に、高橋も短く「頼んだ。」とだけ応える。
早足に事務所を後にする前園の背中を見送りながら、高橋は再びタブレットに目を落とした。
ーーそれぞれが、それぞれのやり方で、霞山楓という存在の輪郭を探りにいく。
高橋は、カタカタとキーボードを操作しながら、これまでに集めた情報を整理している。机の上には、霞山に関するメモと、いくつかの書類が散らばっていた。ネット検索を続ける中、高橋はふと、ある大学の記事に目を留めた。それに、霞山楓の名前が載っていた。どうやら彼女は、学生時代にインタビューを受けていたようだ。ページをめくるようにスクロールしていくと、そこには“青森県出身“と書かれているのを見つけた。
「青森県出身、、、、。」高橋が呟いた。その瞬間、数年前に報じられていた事件が脳裏に浮かぶ。それは“霞野村“で発生した、悲惨な集落全滅事件だった。事件自体は、ニュースでも大きく取り上げられていて、高橋も当時のことをよく覚えている。確か、その事件では唯一生き残りがいたが、その人物は匿名報道されていたはずだ。
「まさか、そんな、、、、、、。」高橋は深く考え込むことはなく、すぐにその思考をやめた。今は、霞山の情報を掘り下げることが先決だ。しかし、心の中で、あの事件との関連性が引っかかることを感じずにはいられなかった。
ーー前園は霞山の自宅近くを歩きながら、静寂に包まれているこの場所に、どこか不自然な違和感を覚えていた。これまでにも、不思議な感覚を抱えたことがあったが、今日はそれが一層強く、まるで地面の下から、あるいは空気そのものが震えているように感じる。
「お前は、ここに住んでいるんだな?」前園は静かに、遠くに立つその影に声をかけた。
影は少し驚いたように振り向き、すぐに頷いた。「あぁ。」
「霞山楓という人物は知っているか?このマンションに住んでいるんだ。」
山田から預かっていた写真を見せる。
「、、、、、あの女か。知ってるぜ。たまに話していた。」
相手の声は落ち着いていて、余計な感情が混じっている様子はなかった。
「どんな話をしていたんだ?」前園は少しだけ間を置いて尋ねる。
「さあな。どうでもいい話だよ。愚痴とか、男の話とか。」
その答えに、さらに踏み込もうとする。「もっと詳しく教えてくれ。何か感じたことでもいい。」
その質問に対し、相手は少し黙った後、やや重たい口調で答えた。「あいつは、来た時から、おかしかった。普通の人間とは違う、、、、、、何かあったんだろうけど、詳しくはしらねぇ。でも、普通の人間だったら、こんな風には感じねぇ。」
前園はその微妙な感覚を感じ取り、少し眉を顰めながら尋ねた。「それでも、何かがあったというのはわかるんだな。」
相手はしばらく黙った後、最終的にゆっくりといった。「俺が見てきた限りじゃ、あれは普通じゃない。言えるのはそれだけだ。」
「わかった。ありがとな。」
黒い影は、前園を見送るように静かに立ち尽くしていた。言葉少なに、だが確実に何かを感じ取った様子だった。
前園はその場を後にし、霞山についての謎が深まっていることを再確認した。まだ何も確信が持てないが、何かが間違いなく隠されているーー
事務所に戻ると、前園は静かにドアを開け、「ただいま戻りました。」と軽く挨拶をした。高橋は書類に目を通していたが、前園の声に反応して、軽く頷いた。
「お疲れ様。」高橋は普段通りの調子で返す。
前園はソファに座りながら、少し間を置いてから話し始めた。「調査の結果、大きな進展はありませんでした。霞山については、何かを隠していたように感じます。」
高橋は資料を見ながら、「隠してる、ね。」と呟き、目をあげた。「俺もそれは感じた。青森が出身地ということは分かったが、それだけじゃまだ何もわからない。」
「そうですか、、、、、。」前園は静かに微笑んでから続けた。「霞山は過去を消したがっているように感じます。隠しているというよりも、振り返りたくないような、、、、、。」
高橋は机の上を片付けながら、頷く。「それはあり得るな。過去になんかあったんだろうけど、そこまで踏み込むのは難しいかな、、、、、詳細な情報と位置が欲しい。ネットで見つけた教授に接触するのが一番手っ取り早いな。」
素早くタブレットを開き、霞山に関連する情報を整理しながら話す。
「ネット記者として潜入することにしよう。さっき見つけた記事、あれを使って潜り込む。」
前園は大学に向かう準備を始める。記事に関する情報を頭に叩き込み、少しだけ姿を変える。
高橋は、無線で指示を送る準備を整えていた。今後の調査で重要なポイントを逃さずに収集するため、前園が情報を得るたびに、逐一サポートできるようにしている。
「何か変わったことがあれば、すぐに連絡してくれ。無理せず、慎重にやれよ。」
前園は少しだけ微笑んで答える。
「分かりました。行ってきます。」
「あぁ、頼んだ。」
前園は大学の研究室に到着し、軽くノックをしてから部屋に入った。中にいる教授は机に向かって何か書類を見ていたが、前園の存在に気づくと頭を上げた。
「失礼致します。」
前園はきちんとした口調で挨拶をし、名刺を差し出した。
「私、サーチポイントの瀬戸内和人と申します。以前取り上げた方の現在について、お伺いできればと思いまして。」
教授は名刺を見てから一瞬考え込み、軽く頷いた。
「サーチポイント、あぁ、あの記事以来だね。何か続編でも?」
前園は柔らかい笑みを浮かべながら答える。
「はい、あの記事が非常に好評でして、今後の方向性について少し取材を進めることになりました。」
教授は微かに驚いた様子を見せながらも、リラックスした表情で言った。
「なるほど、霞山のことか。確かに話題になったけど、あまり詳しく話せることはないよ。」
前園は席に勧められ、座りながら話を続ける。
「いえ、大丈夫です。在学時の研究内容についてお伺いできればと思いまして。では、インタビューを始めさせていただきます。霞山さんが行っていた研究テーマについて何か印象に残っていることはありますか?」
ボイスレコーダーの開始ボタンを押し、質問を始める。
教授は少し考え込むようにしながら、答える。
「そうだねぇ。私が特に関心を持ったのは環境保護や地域社会の発展に関するテーマだったよ。」
興味深く聞きながらメモを取る。
「環境保護ですか。それはとても興味深い分野ですね。具体的にはどのような研究だったのでしょう?」
思い出すように話し始める。
「彼女は主に地域の自然環境や、土地の利用方法に特化していた。あまり目立たないテーマだが、彼女なりに深く掘り下げていた。」
さらに質問を続ける。
「なるほど。それに関連して、霞山さんがどこか特定の地域に強い関心を持っていたということはありますか?彼女が研究に取り組んだ場所が何か特別だったり、、、、、、。」
ゆっくりと答える。
「うーん。そうだな、、、、、、。彼女は青森から来たと行っていたが、その出身地に何か特別な土地があったわけではない。でも、自然環境に対して強い愛着心があったのは確かだ。」
その答えにメモをとりながら、話を続ける。
「青森というと具体的にはどのあたりでしょう。」
教授は少し首を傾げながら言った。
「確か、青森市の近く、山岳地帯だったと思う。ごめんなさいねぇ、正確な場所までは覚えていない。」
前園はその情報をしっかりと記録し、さらに質問を投げかける。
「いえ、大丈夫です。なるほど、山岳地帯、、、、、、それなら自然環境にも強い愛着心を持つのは納得ですね。」
教授は微笑みながら、しばらく沈黙が続いた後、考え込むように言った。
「えぇ、でも霞山はあまり自分のことを話すタイプじゃなかったからな。どこか謎めいた感じがあった。でも、まぁ、研究は真剣に取り組んでいたよ。」
ボイスレコーダを止め、話をまとめる。
「貴重なお時間をありがとうございました。とても参考になりました。」
教授は軽く手を振りながら、言葉を続けた。
「気をつけてな。もし他に気になることがあれば、また連絡してくれ。」
前園は軽くお辞儀をし、部屋を後にした。無線で高橋に報告をする。
「青森市近郊、山岳地帯ということです。」
「お疲れ。了解。次は青森に向かう。」
前園は、ハンドルを握り探偵事務所ーー高橋の元へとアクセルを踏む。
最後までお読みくださりありがとうございました。
前園椿という人物について、少しずつ輪郭が見えてきたかと思います。
一見無機質にも見える彼の内側に何があるのかーーそれは今後の物語の中で、ゆっくり明かしていきます。
次回もまた、高橋と前園の視点を交えながら、調査の行方を追っていきますので、引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。
静かに、けれど確かに、謎の扉をノックして参ります。