9.春風と貴族令嬢の訪問
冬の名残が消え、春の風がアウス村を優しく包む頃。
ユースとフィリアは、森での収穫を終えて昼食のために村へ戻っていた。
「午後は畑、耕さないとだし……フィリアは何する?」
「んー、ユースが畑やるなら、私も手伝うよ。あとで何か作るのもいいかも」
そんな会話をしながら村に戻ったユースの目に、見慣れない光景が飛び込んでくる。
村の中心近く、立派な馬車が止まり、周囲には鎧を着た護衛騎士たち。そして、村長バルドと話している見知らぬ貴族の姿。その傍らには、絢爛なドレスに身を包んだ、同年代くらいの女の子が立っていた。
「……なんだ、あれ。貴族?こんな村に?」
「すごい……あのドレス、絶対高いやつだよね」
ユースは内心、転生してから初めて見る“本物の貴族”の登場に戸惑いつつも、昼食の準備のため家に戻ることにした。
──少し前、ユースたちが森にいた頃。
アウス村の畑では、村人たちが春の耕作に精を出していた。そんな折、遠くから豪華な馬車が近づいてくるのを見つけた若者が、慌てて村長を呼びに行った。
馬車から姿を現したのは、この地方を治めるグラシア子爵・ローガン。たくましい体躯に鋭い眼光を持ち、かつては王国でも名を馳せた元魔法騎士。
そのすぐ後ろからは、気品と柔らかさをまとった少女が馬車を降りる。クラリス・グラシア。ローガンの娘であり、ユースやフィリアと同じく8歳を迎えた貴族令嬢だ。
「これはこれは、グラシア子爵閣下……!アウス村村長、バルドにございます」
「今日は突然の訪問、失礼する。アウス村から納められる農作物の品質が良いと聞いていてな。視察を兼ねて、直接見に来た」
村長の伝えローガンは、周囲を見回しながら静かに頷く。
「恐れ入ります。ぜひ、村をご案内させていただきます!」
案内を始めようとしたその時、クラリスがふと村長に声をかけた。
「この村には、私と同じくらいの年の子って……いますか?」
「おお、いらっしゃいますぞ。ユースという少年と、フィリアという少女が。お二人とも非常にしっかりした子たちで──」
「……でも、今は森に収穫に行っていて村にはいないのです」
村長の言葉に、クラリスは「あら……」と肩を落とした。
(……この子、ずいぶんがっかりしているような?)と、村長は内心で首を傾げつつも、ローガン一行の案内を再開する。
その頃、ユースの家では、母のセラが春の空気を取り込むように窓を開け、家の掃除をしていた。
ユースとフィリアは、森で採ってきた素材を使って昼食を準備中。焼きたてのパンにハーブのスープ、香ばしく炒めた山菜の料理が並ぶ。
「わあ、いい匂い~!もう、お腹ぺこぺこ」
「こらこら、まだ完成してないよ」
笑いながら調理を続けるユースに、セラも「ふふ」と微笑む。
「じゃあ、お父さんを呼んでくるわね」
そう言ってセラが外へ出た後、フィリアがそっとユースの袖を引いた。
「ねえ、ユース。今日も、なにか甘いの作ってくれない?」
「甘いの?うーん、簡単なのでいい?」
「もちろん!」
そんなやりとりの後、ユースは手早くデザートの準備に取り掛かり、やがて食卓が完成した頃――
玄関の扉が開き、セラと父・ガイが玄関を開けて戻ってくる。だが、二人の後ろには村長と見慣れぬ人物たちの姿が。
「……っ!?!?」 「う、うそ……え、なんで、貴族が……!?」
ユースが戸惑いながら頭を下げ、フィリアも慌ててお辞儀をする。
初めて見る貴族の姿、しかもドレス姿の少女と鋭い視線の騎士風の男性に、ユースは思わず背筋を正してしまう。
「まあまあ、そんなにかしこまらなくていい。今日はちょっとした視察だ」
ローガンはそう言って軽く笑い、ユースの家の中の香りに深く頷く。
「視察中にこの家からとても良い匂いがしてきてな。クラリスが興味を持ったのだ。村長に案内してもらって、少しだけ立ち寄らせてもらった。できれば君の腕前を少し味わわせてはもらえないか?」
「ご、豪華な料理じゃないですが……もしよければ、すぐ用意します!」
ユースは慌ててそう答える。思わぬ来客に胸がざわつく一方で、ただの訪問にしては違和感が残る。
(……なんだろう。このままじゃ済まないような、そんな予感がする)
この春の風は、何かを運んできたような――そんな予感を覚えながら、ユースは再び調理に取り掛かるのだった。