62.忍び寄る二つの影
風属性のカミルは、空気の流れを読み、特定の位置に設置された的に風を当てるという制御課題に取り組んでいたが、どうにも上手くいっていない様子だった。
「……ううん、また逸れた」
苦い顔で手を引くカミル。彼の放った風の矢は、目標からずれた位置に当たり、かすかに地面の砂を舞い上げただけで終わっていた。
「カミル、力の出し方はいいんだけど……少し風の流れに逆らってるかも。こっちから流れてる風を感じてみて」
声をかけたのはユースだった。隣にはフィリアも立っていて、うなずきながら説明を補足する。
「ほら、私だったら炎を出すとき、空気の流れを見て、どう燃えるかも考えるの。風もきっと同じでしょ?」
「……なるほど。風がただ吹けばいいんじゃなくて、空気全体の流れと一緒に動かす……ってことか」
カミルは目を閉じ、ゆっくりと深呼吸した。
そして再び構え直すと、手のひらに意識を集中させ、そっと風を送り出す。
今度の風は、先ほどよりも柔らかく、しかし確かな意志をもって目標へと届いた。
布で作られた軽い的が、ぱたんと音を立てて倒れる。
「……やった」
カミルの瞳が、ほのかに光る。
それを見たフィリアが小さく拍手した。
「うん、ちゃんと届いてたよ! さっきより全然いい感じ!」
「ふふ、ありがとう。ユース、フィリア。君たちのおかげだ」
はにかんだ笑みを見せるカミルに、ユースも安心したように微笑んだ。
ちょうどそのとき、訓練場にハリス先生の低く響く声が届いた。
「――今日の授業はこれまでだ。魔法は才能ではなく、理解と制御によって真価を発揮する。今日学んだことを忘れるな」
生徒たちはそれぞれ片付けを始め、解散の準備に入る。
ユースたちも道具を整え、汗をぬぐいながら訓練場をあとにした。
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放課後。まだ夕暮れには少し時間がある静かな時間帯。
ユースとフィリアは学園の校舎を出て、敷地内の施設マップを手に歩いていた。
目的は、学食で話題に上がった「学生用の共同調理スペース」の見学だ。
すると、後ろからカミルが軽やかに駆け寄ってくる。
「ユース、フィリア。よければ一緒に寮へ戻らないか?」
「あ、ごめんね、カミルくん」
フィリアが先に応じた。
「ちょっと寄り道するの。寮の近くに共同で使える調理スペースがあるんだって。そこ、見に行ってみたくて」
「へえ、調理スペース? そんな場所があるのか」
「うん。場所とルールを確認して、今後使えたらいいなって思って」
ユースが地図を見せながら説明すると、カミルは小さく笑った。
「なるほど。料理、得意なんだね。」
「うん! ユースの料理、ほんとに美味しいよ。スイーツも、ちょっとびっくりするくらいのレベル!」
「ふふ……そこまで言われると気になるな。よかったら、その調理スペースの見学、僕もついていっていいかい?」
「もちろん!」
フィリアがにこっと笑って、すぐに了承した。
三人は並んで歩き出す。まだまだ学園の敷地内は広く、夕方の陽光が建物の影を長く伸ばしていた。
が――
その背後、二つの小さな影が、建物の端にぴょこんと隠れた。
「……聞いた? 今の話」
「ええ。聞き逃すわけないでしょう。共同調理スペース、ですって?」
アリシアとクラリス。
制服の袖をひらひらさせながら、柱の陰に身を潜め、こっそりとあとを追い始めた。
「これはきっと、スイーツに違いないわ……!」
「また何か作る気ね、ユース。なら――抜け駆けなんて、許さないんだから」
そんなふたりの熱視線に、肝心の三人はまだ気づかない。
夕暮れに染まりゆく道を、ユース、フィリア、カミルの三人は、のどかに会話を交わしながら、目的の施設へと向かっていた――。