54.新たな扉、揺れる距離
朝日が差し込む小さな窓から、光の筋が床に伸びていた。
王都の仮宿舎。ユースとフィリアがしばらく過ごしていた、小さな二人部屋。
「ユース、起きてる?」
「うん、もう少ししたら朝ご飯の準備するよ」
光属性の魔法で淡い光球を天井に灯すユースに、フィリアは小さく微笑んだ。
火属性の彼女は、手慣れた様子で湯を沸かし始める。朝の支度は、もうすっかり二人の日課になっていた。
けれど今日は――いつもと違う。
机の上には、昨夜届いた入学許可の封筒。そして、宿舎移動の案内状。
「仮部屋」は、今日でお別れなのだ。
「……ちょっと、寂しいね」
「うん。でも、これからが本番だから」
ユースの言葉に、フィリアはこくりとうなずいた。
その時、木扉が軽く叩かれる音が聞こえてきた。
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仮宿舎の前には、学園の職員と数人の引率生徒が並んでいた。
「それでは、新入生の皆さんは、これより正式な学生宿舎へ移動します」
荷物をまとめたユースとフィリアも、その一団に加わる。クラリスはすでに先に寮へ入っており、今日は合流予定だという。
学園敷地の奥――歴史を感じさせる石造りの建物が、彼らを迎え入れた。
「うわ……すごい……」
「さすが、王国の学園の寮だね……」
重厚な扉の先に広がるのは、手入れの行き届いた回廊と、緑に囲まれた中庭。
学生宿舎は男女別に棟が分かれており、ユースとフィリアもここで別々の寮に入ることになる。
「ここからは、男子寮・女子寮に分かれて案内します。女子は私についてきてください」
引率の女性職員が案内する先には、女子寮の棟がそびえていた。
そこで鍵を受け取ったフィリアは、名簿に自分の名前と「部屋番号」が書かれているのを確認する。
「……別々なんだね」
ぽつりと漏らした言葉は、誰にも届かず、胸の奥に沈んでいった。
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女子寮の部屋は、思っていたよりもずっと整っていた。
書き物机、ベッド、魔力計測用のランプ、個人ロッカー。そして、大きな窓から差し込む陽の光。
「……ひとり、かぁ」
ベッドに腰掛けたフィリアは、ぽつんと呟いた。
仮部屋ではいつも、すぐ隣にユースがいて、火を灯し、光を作り、一緒に笑っていた。
それが当たり前のように思えていたのに――今は、それが遠くに感じる。
「バカだな、あたし……こんなことで、泣きそうになるなんて」
ぐっと拳を握る。
「でも……大丈夫。ひとりでも、やっていけるって決めたんだもん」
窓の外に目を向けると、向かいの男子寮の灯りがいくつか灯っている。
きっとその中のどれかに、ユースがいる。
「負けないからね、王女様にも……クラリスさんにも……」
言葉に出すと、不思議と気持ちが落ち着いてきた。
自分の力で、ここに来たのだ。
ユースと肩を並べて、これからも――そう、心に誓ったはずだ。
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夕方、校庭の片隅にある学生用の休憩スペースで、三人は再会した。
「お二人とも、無事に入寮できたようで何よりですわ」
クラリスはいつもの微笑みを浮かべていたが、その背筋の伸びた所作には、どこか貴族の気品が滲む。
「ありがとう、クラリスさん。部屋、すごく広かったよ。窓から中庭も見えるし」
「ふふ、それは良かったですわ。寮生活、きっとすぐに慣れますわよ」
クラリスは紅茶の入ったポットを取り出し、三人分のカップに注いでいく。
その洗練された所作に、フィリアはまた少しだけ圧倒される。
「……思ったより静かすぎて、ちょっとだけ、寂しいかも」
ぽつりと零したフィリアの言葉に、クラリスは小さく目を見開いた。
「そう……ですのね」
一瞬だけ浮かんだ表情は、驚きか、それとも共感か。
けれどすぐにクラリスは微笑みを取り戻し、軽く頷いた。
「でも、寂しさも、新しい生活の一部ですわ。すぐに、楽しくなりますわよ」
「うん……そうだね」
ユースは二人のやり取りを黙って見守っていたが、そっと手元の布をほどいた。
「そうだ。これ、ふたりに食べてもらおうと思って、持ってきたんだ。入学祝いにね」
広げられた布の上には、小さな焼き菓子が並んでいた。
丸く焼かれたやわらかいクッキーのようなものに、ほんのりとハチミツの甘い香りが漂う。
「……これ、ユースが作ったの?」
「うん。村で作ったときよりはちょっとだけ改良してみた。材料は手に入るものでね」
フィリアの瞳がきらりと輝いた。
クラリスも目を丸くして、そしてふわりと微笑んだ。
「まぁ……これは素敵なお祝いですわ。いただいても?」
「もちろん。味はまだまだだけど、ちょっとでも元気出たらいいなって思って」
三人で焼き菓子を手に取り、一口かじる。
ハチミツのやさしい甘さが口いっぱいに広がり、不思議と心がほぐれていく。
「おいしい……ユース、ほんとにすごいね」
「……んふ。甘いの、久しぶりに食べましたわ。ほっとしますわね」
笑みを交わしながら、三人は小さな焼き菓子を囲んでいた。
これから始まる学園生活。その入口に立つ三人の距離は――
ほんの少し、けれど確かに、近づいていた。