20.再会と、甘き火花の始まり
ラウディア王国の王宮。その壮麗な石造りの門をくぐったユースたちは、白銀の装飾が施された回廊を進んでいた。
クラリスはいつも通り落ち着いた面持ちで歩み、フィリアは少し緊張した面持ちで、隣のユースの袖を軽くつまんでいる。
「ここが……王宮……。なんか、すごいね……」
「うん。緊張するけど、気を張りすぎないようにしよう。今日は“お届け”がメインなんだから」
ユースはそう言いながら、風呂敷包みをしっかりと胸に抱えた。中には、昨夜仕込んだ“プリン”が入っている。
女官の案内でたどり着いたのは、王宮内でも特別に設えられた迎賓室。白い壁に金糸のタペストリー、香のほのかに漂う広い部屋に、すでにひとりの少女が座っていた。
「ようこそいらっしゃいました、ユース様。……そして皆様」
淡いミントグリーンのドレスに身を包んだ少女は、にこやかに立ち上がる。金の髪をゆるやかに巻き下ろし、深い湖のような碧眼がこちらを見つめていた。
「アリシア様。ご機嫌麗しゅうございます」
クラリスが一歩前に出て、優雅に一礼する。アリシアも丁寧に礼を返す。
「クラリス様こそ。ようこそお越しくださいましたわ。お部屋は整えてございます。ごゆるりとお過ごしくださいませ」
その後、アリシアの視線がフィリア、そしてユースへと移った。
「……おふたりも、どうぞお入りなさいな。お客様ですもの」
微笑みは崩さないものの、その声色は王女としての格式を湛えていた。
(やっぱり……アリシア様、今日は“王女”としての顔なんだ)
ユースはそんな印象を抱きながら、部屋の中央へと進む。そして、風呂敷を解き、慎重に箱を差し出した。
「心ばかりですが……。どうぞお召し上がりください」
アリシアは目を丸くした。
「まぁ……これは、前にお話していた“特別なお菓子”ですのね?」
彼女はそっと箱を開け、銀のスプーンでひとすくい。慎重に、口元へと運んだ。
──その瞬間。
「……これはっ……!」
小さく漏れた声のあと、アリシアはしばらく黙ったまま、ゆっくりと天井を見上げた。
「ふわっとして、ぷるんとして、とろけて、甘くて……! まるで雲の中で夢を見ているみたいですわ!」
感嘆の声とともに、心の底から幸せそうな笑みが広がる。
「こちらは“プリン”といいます。よければ、レシピを後ほどお渡しします。お口に合ったようで、嬉しいです」
ユースが控えめに言うと、アリシアはじっとユースを見つめ、まっすぐにこう告げた。
「ユース様って……ほんとうに、魔法みたいな方ですのね」
その視線に、思わずユースは目を逸らしてしまう。
「……王女殿下のご感想、勉強になりますわ」
横から静かに入ってきたクラリスの声。その口元には微笑が浮かんでいるが、どこか鋭さがあった。
「クラリス様も、お召し上がりになります? ユース様のプリンですわよ」
アリシアが挑発するような、けれど無邪気な笑顔で言い返す。
ピリ、とした空気が部屋に走る。
「皆さんで味わってもらえたら嬉しいです」
ユースの柔らかな声が、空気をふわりと中和させた。
クラリスは一口、品よくスプーンで掬って口へ。
「……っ」
その瞬間。
「ふふん、それね。昨日の夜に私が“甘いもの食べたい!”ってお願いして作ってもらったの。だから私が一番最初に食べたのよ!」
フィリアが得意げに声を上げる。
「ふーん……じゃあ、わたしは二番目……」
アリシアは唇を尖らせながら、小さくふくれっ面を見せる。
「わたくしは三番目、ということですね」
クラリスが静かに笑う。だがその瞳の奥には、負けじと燃える灯が宿っていた。
フィリアは胸を張りながら続けた。
「あったかくて冷たくて、とろっとして……あれはもう、魔法みたいだった! さすがユースだよね!」
その言葉に、ふたりのヒロインの視線が交錯する。小さな火種が、そこに確かに灯った。
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アリシアはスプーンを銀の器にそっと置いた。先ほどまでの無邪気な笑顔が、ふと陰を潜める。代わりに浮かんだのは、まっすぐな意志を宿した瞳だった。
「ユース様。お願いがございますの」
迎賓室に漂っていた甘い空気が、瞬く間に張り詰めたものへと変わる。
アリシアは椅子からゆっくりと立ち上がり、両手でスカートの端をつまむと、しとやかに一礼した。
「わたくしの、専属になっていただけませんこと?」
その一言に、ユースの思考は一瞬止まった。
「……せんぞく、って」
思わず聞き返すと、アリシアはこくりと頷いた。
「ユース様の作るお菓子も、優しさも、物の見方も……とても興味深いのです。もっと、あなたのことを知りたい。そして、あなたから学びたいのですわ」
彼女の声は、王女としての威厳を残しながらも、どこか年相応の少女らしさと、隠しきれない独占欲を滲ませていた。
フィリアが驚いたように息を呑み、クラリスがゆっくりと微笑を浮かべる。
「……それは困りますわ、アリシア様」
その声音は穏やかだが、言葉の端に、僅かに鋭さが混じっていた。
「彼にはすでに私の専属として、グラシア領での協力をお願いしています」
アリシアは一瞬だけ目を丸くし、それから楽しげに口元を緩めた。
「まぁ、それはクラリス様の“ご希望”でしょう? でも、わたくしは──ユース様の“お気持ち”を伺っているのですわ」
真っ直ぐな視線が、ユースを捉えて離さない。
ユースは少し戸惑いながらも、落ち着いた声で応じた。
「今は、王都に滞在している間……皆さんと同じ立場でお手伝いできればと思っています。特別、誰かの専属という形は……すぐには決められません」
控えめながらも、確かな意思を込めたその言葉に、アリシアは一拍の沈黙のあと、ぱっと笑顔を浮かべた。
「ふふ、それなら──今のうちに、たくさんお話をしなくてはなりませんわね。だって、どなたの元に行くのか決まる前に、印象を残しておかないと」
「さすが、王女殿下。積極的でいらっしゃること」
クラリスがほほ笑みながらも、その瞳には静かな炎が宿っていた。
フィリアはというと、何かを言いたげに口を開きかけたが──ユースの袖をきゅっと握るだけに留めた。
……そんな牽制の空気を、どうにか丸く収めたいと、ユースは苦笑いを浮かべる。
「み、皆さんで仲良くしていただけたら、嬉しいです」