表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある公爵令嬢の死に様  作者: 鈴木 桜
第1章 理不尽への抵抗
9/40

第9話 どうして、私だけが


 アイセルが生まれたその日、彼女の母は自ら命を絶った。


 そこにどんな葛藤があったのかは知らない。

 だが、アイセルが生贄の証である黄金の瞳を持って生まれてきたことが、母に死を選ばせた根本の原因であることは間違いない。


『お前に妻を殺された』


 物心ついた頃、父に投げつけられた言葉を今でもはっきり覚えている。


 アイセルが五歳を迎えた頃、父は後妻を迎えた。

 そしてすぐに妹が生まれた。

 ミーナと名付けられた義妹は、いつも両親に抱かれていた。


 アイセルは、一度も抱きしめてもらったことがないのに。


 彼女は広い屋敷の一等立派な部屋で、何不自由なく暮らしていた。食べるものも着るものも一級品で、望めばなんでも与えられた。


 ただ、愛と自由だけがなかった。

 誰にも愛されることなく、アイセルはただ生きていた。


 いつか死ぬために生きる。


 そうやって、アイセルは幼少期を過ごした。


 そんな彼女に転機が訪れたのは、七歳の誕生日だった。

 この国の子どもは七歳を迎えると神殿で祝福の儀式を受ける。

 アイセルも例外ではなく、父に連れられて神殿を訪れた。


 彼女は、初めて屋敷の外に出たのだ。


 だが、外の世界は夢に見たような世界ではなかった。


「あれが、生贄の……」

「本当に瞳が金色だ」

「公爵家の直系とは」

「嫡男がいらっしゃらないと聞いたが」

「だが、後妻が」

「いや、後妻も生んだのは女児だったと……」

「王家からの補償があるのでしょう?」

「同情も集まるし、むしろ得をしたのでは?」


 人々が何を言っているのか、子どもながらアイセルにも理解できた。

 怖いと思った。

 人間は、こんなにも醜いのかと。


(お父様は、どう思っていらっしゃるのかしら)


 チラリと、父の顔を仰ぎ見た。

 その顔は、いつも通りだった。


 何を言われても顔色一つ変えず、しゃんと胸を張って堂々と、威厳たっぷりにゆったりと歩を進める。


 その姿を見た人々が、次々に口を噤んでいった。


(これが、公爵家の当主……)


 思わず、感嘆の息が漏れた。

 父のことは、正直好きではない。

 だが、その堂々とした姿は幼い彼女の目に眩しく映った。


(私もこんな風に)


 どんな悪意にさらされても、堂々と歩ける人間になれるだろうか。




 そしてその日、アイセルは神官から生贄日記を渡された。




『生贄よ、絶望するな! 立ち上がれ!』


 その力強い言葉に、衝撃を受けた。


(絶望、そうか。……私は、絶望していたのか)


 望みはないと、そう信じ込んでいた。

 だが、そうではないと、かつての生贄たちが語り掛けて来る。


 日記には、彼女たちの逃避行の様子も書かれていた。

 逃げ出した生贄が見聞きした、外の世界の様子が、克明に記録されていたのだ。


 知りたいと思った。

 外の世界に何があるのか。


 行ってみたいと思った。

 彼女たちが出会ったあの人たちがいる場所に。


 自由がほしいと思った。

 自分の足で、どこへでも行ける自由が。


「死にたくない」


 そう、思った。




 それからというもの、彼女は生贄日記の解読のために猛勉強した。日記に書かれている魔法について完璧に理解するためには、古い言語を使いこなせなければならない。

 毎日のように王立図書館に通い詰めた。


 もちろん護衛という名の見張りがついていたし、図書館と屋敷の往復以外の寄り道も認められなかった。

 護衛の騎士は、王立騎士団から派遣されてきた。

 だが彼らは、一様にアイセルと深いかかわりを持とうとしなかった。

 いつか死ぬ運命にある令嬢だ、情が移っては辛くなるのだから、そうするのは当たり前のことだった。


 騎士だけではなかった。

 親戚も使用人も、誰も彼もがアイセルを腫れ物のように扱い、彼女と距離を置いた。




 そうして過ごすうちに。

 少しずつ、少しずつ、アイセルの中で何かが膨らんでいった。


 その気持ちをなんと呼べばいいのか、アイセル自身にもよく分からなかった。

 怒りにも似た仄暗い気持ちが、胸の奥底で渦巻いている。


(死にたくない)


 その一心で勉強に励む自分。


 そんな彼女を尻目に、ミーナは両親に愛されてのびのびと育っていく。

「大きくなったら、きっと美人になるぞ」なんて、未来を期待されて。


 自分以外の皆には未来があって、愛されて、幸せで。


「どうして、私だけが!」


 叫び出したい衝動に駆られたのは、一度や二度ではなかった。

 枕に顔を押し付けて、声にならない声を上げながら朝まで泣き通したこともあった。

 思わずミーナに掴みかかろうとして、でも、できなくて、拳を強く握りしめて血が滲んだこともあった。


「どうして私を産んだの!」


 今はどこにもいない母に向かって、吐き捨てるように喚いたこともあった。


 どうして、どうして、どうして!


 その気持ちをぶつけるように、アイセルはますます生贄日記の解読に没頭していった。




 そんなある日、日記に綴られていた一つの言葉が目にとまった。


『私だけじゃなかった』


 それは、何百年も前の生贄の言葉だった。

 彼女が王都を逃げ出してから八日目の記録だ。


『この世界には、理不尽があふれている』


『弱者は強者に踏みつけられ、生き方を決めつけられる』


『それでも、彼らは生きている』


『……私は、何のために生まれてきたのだろうか』


 その問いが、彼女の最後の言葉だった。




 ──それでも彼らは生きている。




 その言葉が、アイセルの胸に深く突き刺さったのだった。




 * * *




「私はね、やっぱり生贄として死ぬべきだと思ったわ」


 ぽつり、ぽつりとアイセルが話すのを、エラルドは黙って聞いていた。


「だって私が死にたくないとわがままを言えば結界は消えて、多くの人が危険にさらされる。

 ……今度は、私が彼らに理不尽を押し付けることになるんだから」


 その葛藤を抱えていたのは、十歳になるかならないかの幼い少女だ。


「答えの出ない問いを繰り返したわ。

 何度も、何度も、何度も……」


 彼女はいったいどんな思いで、自分に問いかけ続けたのだろうか。

 それを思うと、エラルドの胸がぎゅうっと締め付けられた。


「今でも、答えは分からない」


 アイセルの声が、わずかに震えたような気がした。

 彼女は気高くて、何もかも確信をもって前に進んでいるように見えた。


 だが、そうではなかった。

 彼女は今もなお、葛藤し続けているのだ。


「だから、私は逃げるわ」


 彼女が理不尽に抵抗するためにできることは、それだけ。

 逃げて逃げて逃げて、自分に問い続けることだけ。


「死にたくないから。生きていたいから。……私が生まれてきたことの意味を知りたいから」


 ぽろり。

 エラルドの瞳から、涙がこぼれた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ