第6話 なぜ、彼女だけが
騒ぎに乗じて城の中に入ることはできた。
だが、問題はその先だった。
「侵入者がいるらしい!」
「探せ! 女と男の二人組だ!」
「男の方は騎士だ! 剣をもっているぞ!」
早々に、二人が侵入したことが露見してしまったのだ。
「あらあら」
幸い、城の中は入り組んでいて隠れる場所はたくさんあった。二人は美術品が並ぶギャラリーのさらに奥、物置の中に隠れた。
外からは慌ただしい足音がひっきりなしに聞こえてくる。
「どうしてバレたのかしら?」
「尾行されていたのかもしれません」
「あの役人の手下かしら?」
「おそらく」
迂闊だった。
尾行されている可能性について、もっと早くに気づくべきだったのだ。
「これでは動きようがありません。夜になるまでここに隠れましょう」
言いながら、エラルドはさらに倉庫の奥を目指した。
物置の中は数百年かけて集めたであろう収集品の山だ。この中に息を潜めて隠れていれば、日暮れまでに見つけ出すのは至難の業だろう。
日が落ちれば室内も暗くなる。
そうなれば、脱出することもできるはずだ。
エラルドは音を立てないように巨大な絵画をどかし、割れた花瓶の残骸を避け、古びた飾り棚の向こうへ回った。
「まあ、ヒュペルビオスの絵画だわ。本物かしら?」
アイセルの方はのんきに美術品を見物しながら、彼の後ろを追いかけて来る。
なかなか危機的な状況なのだが、彼女の方はあまりにも飄々としていて、エラルドまで気が抜けてしまいそうになる。
「……何かないのですか?」
「え?」
「この状況を切り抜けるような魔法かなにか、ありませんか?」
エラルドが尋ねると、アイセルは今まさに思い出したと言わんばかりにポンと手を打って生贄手帳を取り出した。
「そうよ、あの魔法がいいわ!」
生贄手帳をパラパラとめくり、アイセルはそのページを開いて見せた。
「『隠された扉を探す魔法』よ! これだけ古い城ですもの、きっと隠し通路があるわ!」
彼女の言う通りだ。だが、今から隠し通路を探して、果たして誰にも見つからずにその扉をくぐることができるだろうか?
(そんな便利な魔法があるなら最初から使ってくれれば……)
思ったが、エラルドは口には出さなかった。
彼女の──かつて生贄だった女性たちの魔法に頼りきりになるのが、少し情けないからだ。
「近くに隠し通路があるといいわね」
うきうきといった様子でアイセルが呪文を唱えようとした、その時だった。
「ここは調べたのか!?」
倉庫の中に二人組の兵士が入って来たのだ。
エラルドは慌ててアイセルの腕を引き、飾り棚の後ろに隠れた。
アイセルの身体を抱き込むようにして、彼女の口元を自分の胸に押し当てる。
「呼吸はゆっくり、静かに」
アイセルの耳元で囁くと、彼女は小さく頷いてから言われた通りに息をひそめた。
兵士たちが美術品をどかしながら、倉庫の奥へと進んでくる。
ドキドキ、ドキドキと、二人分の鼓動の音がやけに耳に響く。
「聞いたか? 見つけたら報奨金だってよ」
「どういうことだ?」
「城に忍び込んだ女が、王都から逃げ出した生贄のご令嬢かもしれないんだと」
兵士たちの会話に、アイセルの肩がビクリと震えた。
(まさか、もうすでにそこまで知られているのか?)
知られている、というのは少し違うかもしれない。
(おそらく領主に確信があるわけではない)
時間経過を考えれば、領主のもとに王都からアイセルが逃げ出した旨の知らせが届いていてもおかしくない。そして、例の代官が町に戻って領主に何らかの報告をしている可能性が高い。
領主は『王都から逃げ出した生贄』と『村で代官に立てついた妙な女』、この二つの情報から推論を立てたのだろう。
だから兵士たちに報奨金を約束し、アイセルとエラルドを徹底的に探そうとしているのだ。
状況は、最悪だ。
彼らはただ城に侵入した不審者を探しているのではない。この国の存亡に関わる重要人物を捜索しているのだ。
(このままでは見つかる……!)
エラルドはアイセルを抱く腕に力を込めた。
だが、ふと思った。
(……このまま捕まった方が良いのではないか?)
そうだ。
この国のためには、アイセルを王都に連れ戻さなければならないのだから。
「まったく生贄様にも困ったものだ」
「なあ」
「生贄様に逃げられたら、俺たちどうなるんだ?」
「困っちまうよ」
「あと半年だろう?」
「黙って我慢してくれりゃあいいのになぁ」
兵士たちの会話に、またアイセルの肩が震えた。
同時に、エラルドの胸がひどく痛んだ。
彼女は今、どんな気持ちで彼らの言葉を聞いているのだろうか。
(なぜだ)
なぜ、彼女だけが。
こんな心無い言葉を向けられなければならないのか。
そう思った次の瞬間には、エラルドはその場に立ち上がっていた。
「っ!」
古い美術品の山の中。
突然現れたエラルドの姿に兵士が驚き目を見開く。
黒い髪、黒い瞳の地味な出で立ちの騎士だ。
だが、その彼から並々ならぬ気配が立ち上っているのに、二人の兵士はすぐに気づいただろう。
彼は怒っているのだ。
兵士たちはブルリと身体を震わせた。
次いで、一人が人を呼ぶために大声で叫ぼうとした。
だが、彼は声を出すことすらできなかった。
エラルドがネコのような俊敏さで兵士に肉薄し、その腹に拳を叩きこんだのだ。
「ぐぇっ!」
兵士はひしゃげた声を立てて気を失い、その場に倒れた。
「ひっ」
もう一人の兵士はすでにへっぴり腰で、エラルドに睨みつけられると腰を抜かしてその場に尻餅をついた。
「い、命だけは!」
兵士の懇願に耳を傾けることもせず、エラルドは腰を抜かした彼の胸倉をつかみ上げた。
長身のエラルドにそうされると、兵士の方は足が浮いてしまう。
「ひぃっ」
バタバタと足を動かしながら、兵士は逃げ出そうと必死になった。だが、エラルドの身体は微動だにしない。
エラルドは、兵士の顔を鋭く睨みつけた。その剣幕に、兵士の顔が青ざめる。
「殺してはダメよ」
怒りに我を忘れかけていたエラルドに声をかけたのはアイセルだった。
優しい手つきで、エラルドの肩をポンと叩く。
「助けてくれてありがとう」
にこりとほほ笑んだアイセルに、エラルドは毒気を抜かれた。
兵士の胸倉をつかんでいた力を緩め、彼をその場に座らせる。
「……助けたわけではありません」
ボソリとつぶやくと、アイセルは小さく肩を竦めた。
「ええ、分かっているわ」
やはりほほ笑むアイセルの顔をそれ以上見ていられなくて、エラルドは顔を伏せた。
(何も分かっていない)
自分にだって分からないのだから。
どうしてこんな風に怒りがわいてくるのか。
どうして彼女を助けたいと思うのか。
エラルドの心は、もうぐちゃぐちゃだ。
葛藤するエラルドをよそに、アイセルは兵士の前に座り込んだ。
「さあ、ちょうどいいわ。この人からいろいろと聞き出しましょう」
そして、不敵に笑う。
「証拠を手に入れて、逃げるわよ!」