第39話 奇跡が生まれる場所
絶対に諦めない。
そう決めたエラルドは、まず王子に辞職を願い出た。
彼は騎士だ。
本来であれば騎士団に戻らなければならない。
だが、この辞職を王子はすんなりと認めた。
「アイセル嬢を救う方法を探しに行くのだな?」
王子の問いに、エラルドは苦笑いを浮かべた。
どうやら彼には何を考えているのか筒抜けだったらしい。
「彼女は生贄となって、光の中へ消えた。だが、これを『死』と断ずるのは早計、というわけか」
「はい。私たちは魔法について何も知りません。ですから、彼女の身体も魂も、今もどこかに在る。その可能性を否定できないのではありませんか?」
「否定できないだけだ。可能性はほとんどない」
「それも、分かっています」
「それでも行くのか?」
「はい」
「いいだろう。ダリルを使え。報酬は王家がもとう」
「よろしいのですか?」
「ああ。アイセル嬢も騎士エラルドも、今やこの国の英雄だ。その二人のためならば協力は惜しまない」
「感謝します」
こうして、エラルドは自由民ダリルの協力を取り付けることができた。
『この世界で最も魔法に精通している人を探してほしい』
そう頼まれたダリルは、困ったような表情を見せながらもすぐさま動いてくれた。
一か月もかからず、彼は数人の候補者をリストアップしてくれたのだ。
雷鳴のゼフィロス、虚空のアルマス、月影のリゼリア、無明のオルデラン……。
大層だがうさんくさい名前が並ぶリストに、エラルドは眉をひそめた。
それを見たダリルが肩をすくめる。
「あんたが探しているのが、『本物の魔法』を知っている人物だということは分かっている。だが、現代でそれを見つけ出すのは砂漠で砂金を探すのと同じだ」
確かに、無理難題を頼んでいるということは分かっている。だが、必ず見つけ出さなければならないのだ。
「ここからは、足を使って探すしかない」
「なるほど。これらの人物を訪ね歩いて、本物を探せということか」
「ああ。……途方もない旅になるぞ」
その旅をもってしても、彼の願いが叶う保証はどこにもない。
「それでも。私は行きます」
力強く言ったエラルドに、ダリルも頷いた。
「いいだろう。最後まで付き合う」
「いいのか」
「これだけ骨身を削って働かされたんだ。金貨五十枚ぽっちじゃ足りないんだぞ」
ダリルはビシッとエラルドを指さして、ニヤリと笑った。
「報酬の代わりに、最後まで見届けさせろ。いいな」
こうして、エラルドとダリル、そしてエンゾの三人は、『本物の魔法』を探して旅立ったのだ。
大陸の各地で出会った魔法使いたちは、口をそろえて言っていた。
『世界のどこかに、奇跡が生まれる場所がある』と。
どこにあるのかは判然としない。
だが、どこかにある。
その場所を探して世界を巡り、三年後、とうとうその場所に辿り着いたのだ。
* * *
大陸の北の最果て。
そこには勇壮な山がそびえたっていた。
山頂はどこまでも高く、雲に隠れて見えない。
その山の頂が、どうやら目的の場所らしい。
エラルドとダリル、エンゾは、五日をかけてその山を登り切った。幸い天候にも恵まれて、比較的楽に山道を進むことができたのだ。
「アイセルの幸運が、俺たちにうつったのかもな」
ダリルが可笑しそうに笑った。
夏だと言うのに、山頂付近にはまだ雪が残っていた。
その雪の中に、小さな小屋が立っていて。
扉の前に一人の老人が佇んでいた。
その老人は白いひげをたっぷりと蓄え、不思議な服を身にまとい、大きな杖を持っていた。
「なんとまあ、本当に来るとは思わなんだぞ」
老人はエラルドの顔を見るなり呆れた表情を浮かべた。
「人の願いとは、まったくもって難儀なものだのう」
ぶつぶつと言いながら、老人はエラルドに歩み寄った。
そして、彼の肩をポンと叩く。
「ふむふむ。まあ、愛とは人を強くするものだ。
……よく来たな」
老人の何もかも知ったような口ぶりに首を傾げていると、小屋の方から物音がした。
ガシャン、と何かが落ちて壊れる音がして。
思わずそちらに目をやると。
黄金の瞳が、エラルドを見つめていた。
「エラルド……?」
バラ色の唇が震えて、自分の名を呼んでいる。
エラルドは、それに応えるよりも早く駆けだしていて。
めいっぱいの力で彼女を抱きしめた。
「エラルド、エラルド……!」
「アイセル様……!」
互いの名を呼びながら抱き合う二人を、ダリルも老人も優しく見守っていた。エンゾは、やっぱり男泣きに泣いていた。
「『奇跡が生まれる場所』か。うむ。確かに、そうなのかもしれんなぁ」
パチパチと薪の爆ぜる音を聞きながら、老人が優しく語り始めた。
アイセルがなぜここにいたのか、その理由をダリルが知りたがったからだ。
「ここには人の願いが集まりやすい。ただ、それだけのことだ」
アイセルは遠くからやってきた三人を小屋の中に招き入れ、ミルクを温めてくれた。そして彼女が編んだのだという、温かいブランケットを着せかけてくれる。
小屋の中には、彼女の暮らしの気配があふれていた。
この三年間、アイセルはこの場所で過ごしてきたのだ。
そのアイセルは全員の飲み物を準備すると、少し照れた表情を浮かべながらエラルドの隣に座って、彼にピタリと寄り添った。
「あの日、神は怒りと呪いを浄化され、光の中へ消えていった。その直前、どうやらこの娘を道連れにすることを不憫に思ったらしい」
「あの神が、ですか?」
あのどす黒い気配を思い出して思わず顔をしかめたエラルドに、老人が声を立てて笑った。
「神とは人智を越えた存在。元来、気まぐれなものじゃ」
言われてみれば確かにそうだとエラルドは思った。
なぜならあの神は、エラルドが証明の門をくぐった時、彼に悪意はないと証明したのだから。
あのどす黒い恨みと憎しみが神の本質だったなら、きっとエラルドは門の下で炎に焼かれて死んでいただろう。
(あの神の気まぐれで生かされたのだろうか。
それとも……)
考えても、もはや誰にも分からないことだ。
エラルドは頭を振った。
「神は光の中に溶けて消える直前、娘をこの地に置いていったのじゃ」
「では、なぜすぐに帰っていらっしゃらなかったのですか? 知らせをいただければ迎えに来たのに」
エラルドが言うと、アイセルが小さく肩を竦めた。
「それも神様の気まぐれ。私は迎えが来るまでここを動けない。そういうルールを決められてしまったの」
なんという、ややこしい。
「ふぉふぉふぉふぉ。最期の最期に、神は試したかったのじゃろう、人間を」
老人が可笑しそうに笑うと、つられてアイセルもほほ笑んだ。
「人がその願いに見合うだけの生き方を示せるか。
神は、確かめたかったのかもしれんなぁ」
きゅっと、アイセルがエラルドの手を握った。
「私は信じていたわよ。あなたが、必ず迎えに来てくれるって」
彼女の手から温もりが伝わってくる。
確かに、彼女はここに生きている。
思わず、エラルドはアイセルを抱きしめていた。
「……奇跡に感謝します」
唸るように言ったエラルドの身体を、アイセルが優しく抱き返す。
「その奇跡を引き寄せたのは私たちよ。
胸を張りましょう」
神の気まぐれに導かれ……。
否、自らの手で奇跡を引き寄せて。
二人は、再会を果たしたのだった──。
次回、最終話です。
本日の夜、投稿を予定しています!




