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ある公爵令嬢の死に様  作者: 鈴木 桜
第4章 人の願い

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第38話 この気持ちは


 奇跡は、起きなかった。


 エラルドがどれだけ叫んでも。

 それ以上、何も。

 そう、何も。


 起こらなかった。


 これが、この物語の結末なのか。




 * * *




 世界が、目まぐるしく変わっていった。


 結界を失ったリヴェルシア王国が最初に行ったのは、街道の解放だった。諸外国の商人に街道への自由な出入りを許可したのだ。

 大陸のほぼ中央に位置しているリヴェルシア王国の街道を商人たちが自由に行き来できれば、西と東、北と南の物流が変わる。

 北のフリギアスと東のゼノビアは、戦争よりもこの利益を優先した。


 同時に、有事に備えるために西側諸国から技術提供を受けて軍備を整えた。

 その他、あらゆる分野で新しい技術が取り入れられ、国内産業も瞬く間に発展していった。


 人々の反発がなかったわけではない。

 だが、結界が消滅し、今まさに解決しなければならない問題が山積みとなっている状況では終わったことを議論しても意味はなかった。


 またセディリオ王子は、神殿が数千年にわたって建国神話を偽っていたこと、神の怒りを鎮めるためにアイセルが犠牲となったこと、この二つの物語を実に効果的に活用した。


『私は、理不尽を受け入れない』


 その言葉の通りに生き、最期には人々を理不尽から守るために死んでいった。そんな彼女の短い人生の物語は、瞬く間に人々の間に広がっていった。


 彼女の死に様に、人々は心を奮い立たせたのだ。


 やがて人々は、自分たちの暮らしのために手足を動かすようになった。

 理不尽に、負けないように。


 新しい人、新しい技術、新しい秩序。

 その中で、よりよい未来を目指して歩み始めたのだ。


 あの日、アイセルが願った未来だ。


 だが、その未来に。

 彼女だけが、いない。




 * * *




 あの日エラルドは、セディリオ王子が助け起こしてくれるまで、拳で床を打ちつけながら泣き続けていた。


 何度も何度も彼女の名を呼んで。

 それでも何も起こらない。

 ただそれを繰り返すことしかできなかった。


 それでも。

 今ここで何があったのか。

 彼女が、どう死んだのか。

 それを伝えなければならなかった。


 それがエラルドの務めだった。


 涙をぬぐい、悲しみを飲み込み、王子にすべてを語った。


「……そうか」


 王子の目にも、涙が滲んで。

 隣で一緒に話しを聞いていたダリルも悲しげに肩を落とし、エンゾはおいおいと声を上げて男泣きに泣いた。


「騎士エラルド、今日までご苦労だった」


 それからは、すぐに王宮の客室に連れていかれ、けがの治療に専念することになった。

 あの黒い塊に焼かれた皮膚は普通の火傷よりもひどい傷となってエラルドを苦しめた。


 数日間、高熱にうなされ、目が覚めると。

 枕元には、生贄日記が置かれていた。

『君が持っているべきだ』と、王子自らしたためたのであろう手紙が添えられて。


 パラパラと日記をめくる。

 日記にかけられた魔法の効果が切れたのか、日記には本来の内容が記されていた。


 しばらくめくっていると、見慣れた筆跡が見えた。

 アイセルの字だ。

 旅の途中、彼女も生贄日記に日々の出来事を書いていたことを、この時になってエラルドは思い出した。


『蛍が舞う湖。世界は、こんなにも美しかったのね』


『焚火で焼いただけのお肉がこんなに美味しかったなんて。すごいのはお塩ね。お塩を最初に発見した人は、本当に偉大だわ!』


『バーで合言葉を言って秘密の地下室へ……。なんだか物語の主人公になったみたいでドキドキした!』


『街で暴漢に襲われるなんて! 驚いたけど、ちょっと楽しかった』


『ああ、空が青い。どこまでも続いているみたい。屋敷に居た頃と、見ている空は同じはずなのに。不思議だわ』


『子どもたちに鬼ごっこに誘われた。よそ者なのに、仲良くしてくれてありがとう』


『エラルドが作ってくれたスープが美味しかった! レシピを教えてくれたから、ここにメモしておかなきゃ』


『仕事の帰り道、今日はエラルドが迎えに来てくれた。二人で一緒に買い物をしながら帰って、二人で並んで夕日を見た。とても、とても、きれいだった』


 少女らしい、軽やかな筆致で綴られる日々の記録。

 一文字、一文字、読む度に。

 あの旅の出来事が鮮明に思い出されて。


 また、エラルドの瞳から涙がこぼれた。


『明日、全てが終わる』


 最後のページだ。


『そうしたら、エラルドにこの気持ちを伝えよう。

 ずっと私を守ってくれてありがとう。

 私の大切なものを一緒に大切にしてくれてありがとう。

 あなたのお陰で、私は私のままでいられた。


 あなたが一緒だったから。


 これからも一緒にいてほしいって。

 私が言ったら、彼は困るかしら?』


 最期の瞬間、彼女は確かに言った。

『愛しています』と。


 この日記に綴られた気持ちが愛と呼ばれるものだと、彼女はあの瞬間に気づいたのだ。


 エラルドは両手で自分の顔を覆った。


(どうして、今まで気づかなかった……!)


 彼女の心も身体も、全てを守りたい。

 彼女のためなら、いくらでも命を差し出せる。

 叶うなら、永遠に彼女と共に生きたい。


 エラルドが彼女に対して抱くこの気持ちが、愛だと。

 どうして今まで気づかずにいたのか。


 彼女に伝えられなかった気持ちが行き場を失くして。

 ただただ、嗚咽となってエラルドの喉から零れ落ちた。


 その晩、エラルドは夜が明けるまで泣き続けた。




 東向きの大きな窓から、朝陽が差し込む。


(そういえば……)


 彼女は毎朝のように朝日が昇るのを見ては、瞳を輝かせていた。

 余命十八年。

 その運命を背負って生まれてきた彼女にとって、昇りゆく朝日は、特別なものだったのだろう。

 今日も生きていると、朝日が昇る度に実感していたのかもしれない。


「……生まれてきたことの意味を知りたい」


 そう語っていた彼女は、人々を理不尽から守るために死んだ。

 ではそれが、彼女が生まれてきた意味なのだろうか。


「……いや、違う」


 エラルドは、そっと、日記を閉じた。


 彼女は確かに、気高く、美しく、勇敢に死んでみせた。

 だがそれが、生きるということなのか。


「違う。そうじゃない」


 立ち上がり、エラルドは明るくなり始めた空を睨みつけた。


 次いで、エラルドは自分の頬を自らの拳で殴りつけた。

 バシンと大きな音が鳴って、頬にじわじわと痛みが広がって。

 ぼんやりとしていた思考が明快になっていく。


 彼女の騎士である自分が。

 彼女のことを愛している自分が。


 今、すべきことは何なのか。


「理不尽を、受け入れない」


 そうだ。

 それが彼女と自分の、始まりだった。


「絶対に、諦めない……!」




 * * *




 大陸の北の最果て。

 そこにエラルドがたどり着いたのは、それから三年後のことだった──。


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