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ある公爵令嬢の死に様  作者: 鈴木 桜
第4章 人の願い

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第37話 ある公爵令嬢の死に様


 ──自分の欲で未来を汚す。


 酷い言葉を投げかけられても、アイセルの心は揺らがなかった。


『そもそもの間違いは、魔法などという低俗な術がこの大地に蔓延ったことだ!

 そなたの義母も、欲のままに魔法を使い、娘を殺した!

 魔法は多くの悲劇を生んだのだ!

 だから私が必要とされた!』


 神が何かをわめき続けているが、少しも響いてこない。

 アイセルの心の中は、あの夜に見た蛍舞う湖のように凪いでいて。


 もう何も。

 彼女の中に迷いがないからだ。


 アイセルは、エラルドの手を握った。

 それに応えるように、エラルドが力強く手を握り返してくれる。


 何度も、何度も繰り返してきたやり取りに、胸が温かくなる。


 何があっても、この人だけは自分の味方でいてくれる。


 たくさんの出来事を通して、彼はその身体と心全部で、それを信じさせてくれた。


 その事実が、アイセルにどれだけの勇気をくれたのか。

 エラルドは分かっているのだろうか。


 握った手を通して、彼の温もりが伝わってくる。

 自分の温もりも、彼に伝わればいい。


(ああ、この気持ちを、なんと呼べばいいのだろう)


 アイセルは、そんなことをぼんやりと考えながら、生贄日記を開いた。その続きに、あの神官の日記から魔法を書き写してある。


(早く終わらせて、帰ろう)


 そして、新しい今日を、この人と共に生きる。

 そのために、アイセルは今ここにいる。

 

『神が必要なのだ!』


 水で象られた神が怒り狂っている。

 泉の水面が揺れ、神の身体すらバシャバシャと音を立てて。大理石の壁も、ミシミシと音を立て始めた。


「エラルド」

「はい」

「離れないでね」

「もちろんです」


 エラルドはアイセルの腰を抱き、反対の手で日記を支える彼女の手に触れた。


『生贄を寄越せ!』


 神官の日記にも書かれていた。

 神は長く人の世に留まり過ぎたのだ。


 人の世で欲や怨念に晒され、何か別のものになってしまった。だから、いつか誰かが解放しなければならない。


 それは神という存在を消すと言うことだ。

 神殺し、その業を誰かが背負わなければならない。


 その役目を自分たちが負う。

 覚悟を、アイセルもエラルドも、とっくの昔に決めている。


「“天に還れ”」


 アイセルが唱える。

 同時に、黄金の光の奔流が二人を飲み込んだ。

 その光が、ズズズズと不穏な音を立てながら神の泉から黄金の水を吸い上げていく。


 吸い上げられた水が美しかったのは最初の内だけだった。泉の底には、どす黒いドロドロとした何かが溜まっていて。

 金色の光は、そのどす黒いものを吸いつくして。

 グルグルと渦巻きながら、天井に向かって昇っていく。


『神を解放する魔法』だ。


 あと、もう少し。

 そう思った、次の瞬間だった。


 黄金の光がバチンと弾けて、部屋の中に散らばった。


「アイセル様!」


 咄嗟にエラルドがマントを使ってアイセルの身体を覆い、守ってくれる。


「何が起こったの!?」

「わかりません!」


 あのどす黒い塊が、儀式の間の中に散らばって。

 それぞれがドクドクと脈打ちながら、少しずつ、少しずつ膨らんでいく。


 その黒い塊が触れると、大理石の床も壁も、そこから黒いシミが広がっていった。


『今さら、全て元通りになると思うなよ、人間』


 ギーギーと不快な音の混じる声が、アイセルの鼓膜を揺らす。


「抵抗しているんだわ」


 神が。

 消されてたまるかと。


 それもまた、当たり前のことだ。

 人の欲で縛り付けられた神が、今度もまた人の願い、欲のために消される。


 その理不尽を黙って受け入れる道理はない。


 エラルドはアイセルの手を引き、ひらりひらりと黒い塊を避けた。本能的に、触れてはならないと分かっているようだ。


「このままでは、この塊が外に出てしまうのでは?」


 壁の大理石は、黒くそまるどころか、そこからじゅわじゅわと音を立てて溶け始めている。

 こんなものが外にあふれたら。

 想像して、アイセルの背を冷たいものが伝った。


「いったい、どうすれば……!」


 なんとかしなければ、だが、どうやって。


 焦りだけが募る間にも、黒い塊が広がっていく。

 もう、壁も床も白い場所を探すのが難しいくらいだ。


 その時だ。


 天井の近くで漂っていた、黄金の光の残滓から一筋の光が差した。

 光の行く先は、アイセルの手の中。

 生贄日記だった。


 慌てて日記を開く。

 すると、新しいページに、黄金の光が文字を刻み始めた。


 古い言語ではない。


 今のアイセルが使い慣れている易しい言葉で、黄金の文字が綴られていく。


「魔法は、人の願いが生み出した奇跡……」


 思わず、といったようにエラルドがつぶやいた。

 今まさに、その奇跡が起こっている。


 アイセルとエラルドの願いを叶えるために、奇跡が起こったのだ。


「『神の怒りと呪いを浄化する魔法』」


 だが、その言葉には続きがあった。


「『ただしこの魔法には、生贄が必要』」


 その文字を最後に、黄金の光が消え失せた。


「……」

「……」


 二人とも、何も言えなかった。

 今、何をすべきなのか。

 それは分かっている。


 だが、こんな結末は。

 あんまりだ。


 瞳の奥が熱くなって、涙がにじむ。

 だが、涙が零れ落ちることはなかった。


 エラルドが、その涙ごと、アイセルを抱きしめてくれたから。


「私がいきます」


 震える声で、彼が言った。

 そして、アイセルの手から生贄日記を優しく取り上げる。


 その瞬間、日記は生贄の悲しみが綴られただけの、ただの日記になるはずだった。

 だが、アイセルの手を離れても日記の中身は変わらず、生贄たちが綴った願いと魔法がそのままエラルドの手に渡った。


「どうやら、過去の生贄の皆様も、それを望んでいるようだ」


 エラルドが優しくほほ笑む。

 その顔が、涙で滲んで。


「ダメよ!」


 アイセルは思わず叫んで、エラルドの腕に縋り付いた。


「いかないで!」


 だが、エラルドはそれを振り払って、一歩前に出た。


「私は、あなたの騎士です」


 振り返った彼の、黒々とした瞳が、優しく細められる。

 何もかも、覚悟を決めた。

 そんな表情に、胸が締め付けられた。


 だけど。


 アイセルにだけは分かった。

 彼の瞳の奥で揺れる、悲しみに。


 エラルドがくるりと向きを変えて、アイセルに背を向ける。その瞬間に、駆けだしていた。


 黒い塊が足に触れた。

 じゅわじゅわと音を立てて皮膚が焼けているのがわかる。


 痛い、痛い、痛い。


 だが、そんなことに構ってはいられない。


 この人を、死なせたくない!

 その一心で彼の元に駆け寄って、その手から日記を取り上げた。


「アイセル様!?」


 エラルドが腕を伸ばす。

 だが、それをひらりと交わした。


 二人の間に黒い塊が通り過ぎ、距離が離れる。


「エラルド」


 アイセルが呼ぶと、エラルドは弾かれたようにアイセルに駆け寄った。

 彼の身体にも黒い塊が触れて痛むだろうに。

 それに構わず、アイセルの肩に触れる。


 これが最後だ。

 こんなに近くで、この人と見つめあうのは。


「あなたを愛しています」


 その言葉にエラルドが驚いている間に、アイセルは呪文を唱えていた。


「“光へ”」


 光の中へ、全てを還す。

 そのための導き手が必要なのだろう。それが生贄だ。


 唱えた瞬間、アイセルの視界が光に包まれて。

 そして、何も、見えなくなった──。





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