第3話 人生最後の自由な時間
ほぼ確実に、死罪だ。
例えアイセルを連れて帰ることができたとしても、処刑台行きを免れることはできないだろう。
良くて打ち首、悪くて縛り首。
(いや、駆け落ちが彼女の捏造だったと証明できれば)
あるいは、死刑は避けられるかもしれない。
だが、彼が自分の意思でアイセルを外に連れ出したのは事実だ。それさえなければ、彼女は逃げ出すことはできなかっただろう。
重罪であることは間違いない。
死刑を免れたとしても、騎士爵は剥奪、強制労働か国外追放か。
エラルドは絶望した。
そんな彼に、アイセルはあっさり剣を返した。
「どうぞよろしくお願いしますね。騎士エラルド」
何も言えず、エラルドは剣を受け取ることしかできない。
「では、とにかく南に進んでくださいね!」
それだけ言って、アイセルは荷台で横になってしまった。昨夜から眠っていないので、どうやら疲労の限界だったらしい。
すぐにすやすやと寝息を立て始めてしまった。
その様子に、エラルドは深い深いため息を吐いた。
簡素な馬車の荷台で、美しく気高い高貴な女性がすやすやと眠っている。
その女性と自分は、駆け落ちしたことになっている。
その現実離れした現実が、信じられない。
だが、現実は残酷だ。
太陽は既に真上を過ぎている。
このままでは山間で野宿を強いられることになってしまう。
彼女の言う通りにするのは癪ではあったが、とにかく馬車を進めるほかないようだ。
「はぁ」
エラルドは再び深いため息を吐いてから、アイセルの身体に自分のマントをかけた。そして荷台に幌をかけ、しっかりとロープで固定する。
その際に彼女から生贄日記を取り上げることも考えたが、やめた。
アイセルはぎゅうっと日記を抱きしめて眠っていたのだ。
まるで子供がぬいぐるみを抱きしめるように。
(大切、なのだろうな)
彼女が逃げ切ることは不可能だ。
今頃、公爵家も王宮も大急ぎで捜索隊を編成しているだろう。
連れ戻されれば、彼女は神殿に幽閉されるかもしれない。儀式の日まで、決して逃げ出せぬように。
かつての生贄たちがそうだったように、この逃避行は一時の気休めにしかならないのだ。
再び溜め息をついてから、エラルドは御者席に沈むように腰かけ、手綱を握った。
地図はないが、風景からだいたいの現在地は分かる。
王都から西に回り、標高の低い山や小高い土地が続く南の丘陵地帯に入ったのだろう。
かつて南部地域との交易品を運ぶ商人が行き交っていた道だ。今ではもっと東に通りやすい街道が整備されているので、ほとんど使う人はいないが。
(半日も進めば人里があるはずだ)
エラルドは谷川の流れに沿って馬車を進めた。
その間も、この状況を打破するために思考をめぐらせる。
(第一に、儀式の日までに必ず彼女を連れ戻さなければならない)
そうしなければ、神が築いた結界が消滅する。そうなれば、この国に外敵から身を守る術はない。
この国の騎士として、それだけは看過できないのだ。
(だが、無理やり連れ戻すのは……)
あまりにも後味が悪い。
彼女にとっては、人生最後の自由な時間だ。
許されるなら、その時間を守ってやりたいとも思う。
だが、彼女の逃亡に手を貸せばエラルド自身の罪がどんどん重くなっていく。
(どうしたものか……)
* * *
数時間ほど谷道を進むと、少しばかり視界が開けた。山間の盆地だ。そこには小さな村があるようだ。夕餉の支度が始まっているのだろう、煙突から煙が上がっているのが見える。
「村に着きます。起きてください」
エラルドは村に着く前にいったん馬車を止めてアイセルを起こした。
このまま人前に出るわけにはいかないからだ。
「ん……。はい。いま、……起きますわ」
荷台の中からごそごそと音がして、しばらくするとアイセルがひょっこり顔を出した。
その顔を見て、エラルドが驚きに言葉を失う。
「!?」
「どうかしら?」
ニコリとほほ笑んだアイセルの姿かたちが、すっかり変わっていたのだ。
透き通るような金髪は、傷みの目立つ茶髪に。
金の瞳は、青色に。
白かった肌は健康的に焼け、着ていたドレスも綿の質素なワンピースに変わっていた。
姿が変わってもその所作からは上流階級の気配がにじみ出ているので一般的な平民というには少し無理があるが、豪商の娘だと言われれば通らなくはない。
生贄日記の魔法を使ったのだろう。
「ここからは、商家の娘と駆け落ちした騎士という設定でいきましょう!」
力強く拳を握りしめたアイセルに、エラルドはがっくりと肩を落とした。
確かに、人里に入るためには変装が必要だ。そのために、エラルドも馬車を止めたのだ。
だが、果たしてその設定は必要なのだろうか。
彼の疑問が伝わったのか、アイセルがニヤリと笑う。
「姿形だけを変えても変装は完成しないのよ。設定が大事なの」
「それも生贄日記の知恵ですか?」
「そうよ! 三代前の生贄は変装の名人だったみたい!」
アイセルは嬉しそうに手を打ってから、エラルドにも魔法をかけた。
「“この騎士を地味な姿に”」
アイセルが唱えると、エラルドの姿も変化した。といっても、髪や瞳は元々目立つ色ではないのでそのままだ。
変わったのは、服装と剣の装飾だった。
エラルドが身に着けていた王立騎士団の制服は、深紅の生地に金の装飾が施された派手なデザインだ。その服から装飾がなくなり、色は茶色に、素材も粗末だが丈夫な綿に変化した。
剣には家紋をかたどった象牙の装飾が施されていたが、それも消え失せ、簡素で実用的な剣に姿を変えてしまった。
「『騎士を地味な姿にする魔法』よ」
「……これは、元に戻るのですか?」
制服はまだいいとしても、剣はまずい。正騎士になった祝いに父が誂えてくれたものだから。
「えっと……『魔法の効果は七日間。その間、騎士がどんな服を着てもどんな剣を身に着けても、地味な姿になります』ですって! 便利ねぇ」
便利だが、使用目的がかなり限定的な魔法だ。
(変装の名人だったという三代前の生贄も、騎士を連れていたのだろうな)
エラルドは再び溜め息をついて、御者席に戻ったのだった。
村に到着すると、意外にも二人は歓迎された。
東の街道が整備されてから旅人や商人の往来がほとんどなくなっていたので、久々の客なのだという。
ほとんど廃業状態だった宿屋で部屋を借りることができた。
その夜は、歓迎の宴が開かれた。
村人たちは二人のために豚を一頭、肉にしてしまった。さらに村長がとっておきだという酒瓶を持ち出し、村中の家から食べ物と酒が集められた。
「いやあ、旅人なんて嬉しいねえ」
「都の話を聞かせておくれよ!」
「ねえ、騎士様は王様に会ったことある?」
次々と話しかけられてエラルドは目を白黒させてアイセルに助けを求めた。その様子にアイセルが声を立てて笑う。
「私は箱入り娘だから外のことはよく知らないのよ」
アイセルの言に、村人たちが納得して頷く。
「深窓のお嬢様か」
「それを騎士様が攫って来たってわけかい?」
「いや、それは、その……」
「なんだい、恥ずかしがるなよ!」
「惚れた女のために、立派じゃねえか!」
「俺たちは応援するぜ!」
こんな調子で、村人たちはすっかり『駆け落ち』の設定を信じてしまったのだった。
宴の間、アイセルは終始楽しそうに笑っていた。
だが、時折。
笑顔を浮かべたまま寂しそうに目を伏せるのを、エラルドは確かに見たのだった。
* * *
夜遅くまで宴が行われた、その翌朝。
アイセルとエラルドが宿屋の部屋で出発の準備を進めていると、
事件が起こった。
「さっさと金を出せ!!!」
野盗でも来たのかと、エラルドは慌てて外に出た。
だが、そこにいたのは野盗などではなかった。
広場の真ん中で、立派な服を着た小太りの男が、数名の騎士を連れて村長に迫っていたのだ。
「納めるもの納めないで、のうのうと暮らせると思うなよ!」
どうやら、税の徴収に来た役人らしい。
「決められた税は納めたはずですが……」
「増税だって言ってんだろ!」
「そんな、横暴な……!」
村長が口答えをした、次の瞬間。
──バキッ!
騎士の一人が手近にあった鳥小屋の柱を叩き折った。
それに続くように、他の騎士たちも周囲の小屋や荷馬車を破壊し始める。
「言うことが聞けないって言うなら、この村をつぶすしかねぇなぁ」
ニタリ。
役人が下卑た笑みを浮かべる。
「お、おやめください」
「だったら税を払え!」
「こんな夏の時期に、麦もそれほど残っておりません」
「金はないのか!」
「蓄えは我々が暮らすだけでせいいっぱいで……」
「払えねえなら、女子供を売って金にしろ!」
今度は、騎士の一人が村人に手を伸ばした。
小さな子どもの腕をひねり上げる。
「いやぁ!」
「やめてください! はなしてください!」
子供が泣き叫び、母親が騎士に縋り付いた。
「気の毒ですが、ここは隠れましょう」
エラルドはアイセルの肩を押し、建物の陰に入るよう促した。
アイセルは追われている身なのだ。
役人の前に顔をさらすわけにはいかないはず。
だが。
アイセルはあっさりとエラルドの腕をかわして、広場に進み出てしまった。
彼女のあまりにも堂々とした姿に、村人たちも役人も騎士も驚きに目を見開く。
広場の真ん中に出ると、アイセルは手を腰に当て、キッと役人を睨みつけた。
「これ以上、好き勝手はさせないわよ!」