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ある公爵令嬢の死に様  作者: 鈴木 桜
第3章 悪意の証明

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第25話 黒と金


「そもそも、今のこの国に未来はない」


 王子が身を乗り出して膝に手を置く。静まり返る執務室の中、ソファの軋むギシリという音がやけに耳に響いた。


「結界に守られていて外敵から襲われる心配はない。それは確かに我々に平穏な暮らしを与えてくれている。

 ……だが、それだけだ」


 王子の瞳がアイセルの方を真っすぐ見つめている。


「年々、人口は減少傾向。特にこの百年は酷いありさまだ。人口はかつての七割にまで減っている。

 亡命する者が後を絶たないのも原因の一つだが……。

 そもそもこの国の民には、今よりも暮らしを良くしようという気概が決定的に欠如している。向上心がないのだ。今のままで幸せだから」


 今のままで幸せだから。

 これ以上の何かを望まない。

 それは、この国に暮らしているエラルドにも実感として理解できた。


「だが国外はどうだ!?

 敵国と戦うために魔法の技術を磨き、近年では科学という学問が隆盛し、人の暮らしは日々進化しているという!」


 王子はぐっと拳を握りしめ、そして項垂れた。


「この国は結界によって守られている。だがそれゆえに、周囲の国々から取り残されてしまっているのだ。

 ただ穏やかに、時と共に滅亡に向かっているだけだ」


 彼の言うことは間違っていないだろう。

 いつかこの国は、穏やかなまま終わりを迎えるのかもしれない。


「何代も前の王が、それを危惧して結界の破棄を計画し始めた。だが周囲を説得しきれず、我々は結局生贄を差し出し続けてきた」


 難しい問題だ。

 発展と新しい未来。穏やかで安全な暮らし。

 この二つを天秤にかけたとき、どちらを優先すべきか。簡単に決められるようなことではない。


「いつか滅びるなら……。

 その前に、新しい未来をこの国に提示したい。

 それが、我ら王家の願いだ」




 結局、アイセルはこの面談で結論を出さなかった。


 生贄を回避して逃げ出すことと、結界を破棄するために積極的に行動すること。

 どちらも結果は同じだが、同じではない。


 アイセルにも新たな決断が必要だ。


 王子はその気持ちを汲み、返事を待ってくれることになった。

 ただし、裏切り者の捜索については王子と協力するということで合意したのだった。




 * * *




 アイセルとエラルドが二人そろって舞踏会に出席することが決まったのは、その数日後のことだった。


「なぜ私まで……」


 公爵邸のアイセルの私室で、数人の女性に囲まれ『あーでもない、こーでもない』と着せ替え人形になりながら、エラルドがぼやいた。


 舞踏会への出席が決まるとすぐに、王子の依頼を受けた服飾店のスタッフが押し寄せてきたのだ。


 アイセルのドレスを新調するのは分かる。

 彼女は公爵令嬢、つまりこの国の王侯貴族の中で王女の次に身分の高い女性。

 舞踏会に出るというなら、それなりの格式を備えたドレスが必要だ。


 もちろんエラルドは護衛の騎士として出席するつもりだった。ところが、王子にアイセルのパートナーとして出席するように命じられてしまったのだ。


『結界に関する考えは派閥や人によって様々だ。今回の舞踏会では、裏切り者を探しつつ、貴族らの情勢も探ってくるように』


 このように命じられては、エラルドも断ることはできなかった。

 かくして、エラルドの夜会服も新調することになった、というわけだ。


「エラルド様は上背があって手足が長いので、どんなデザインでも似合いそうですわねぇ。お色はやはり黒がよろしいかしら? いいえ、華やかな赤? 青? いっそ純白で完璧な貴公子に仕上げても……」


 ブツブツつぶやくデザイナーにエラルドの頬がヒクリと引きつる。


 アイセルはといえば、部屋の奥の衝立の向こうで同じように様々な色の布地をとっかえひっかえ身体に巻き付けられている。


「あきらめて。この人たちは王子殿下のご依頼で来たんだもの。納得できるまで帰らないわよ」

「はあ」

「でも、希望は言ってもいいのよ」


 エラルドは思わず顔をしかめた。

 希望と言われても、彼は社交界には無縁だったので相応しい服装というものが分からないのだ。


「好きな色とか、何かないの?」


 悩むエラルドにアイセルがコロコロと笑う。


「色、ですか」

「ええ。好きな色の服を着ると、気分がいいでしょう?」

「それは、まあ……」


 再び考える。


(好きな色、か)


 これまでの人生で、考えたこともなかった。

 エラルドにとって服とは機能的であればそれでよかったからだ。特に色にこだわったことは一度もない。

 好きな色、と問われてもパッとは思い浮かばなかったのだが……。


 ふと、脳裏に一つの情景が思い浮かんだ。

 あの日、この部屋で。

 午後の日差しに照らされてきらりと光った、あの黄金の輝きが。


「……金」


 ぽつり。

 こぼれたのは小さな声だった。

 だが、部屋にいた全員がその声を確かに聞いた。


 次の瞬間、女性たちがわっと沸き立つ。


「素敵!」

「金糸で縁飾りを入れるのはいかがですか?」

「では、布地は何色がいいかしら? 騎士団の制服と同じ赤色はどう?」


 彼女たちが何にそんなに興奮しているのか理解できず戸惑うエラルドを他所に、話がどんどん進んでいく。


「布地はもちろん、黒ですわ!」


 デザイナーの鶴の一声で、エラルドの服に使う色が決まった。


「アイセル様のドレスも同じ配色にいたしましょう」

「黒い布地に金の刺繍……シックで素敵ですわ」

「お色が地味ですから、フラウンスを重ねてシルエットを豪華にしましょう」

「金糸はすこし黄色味を押さえた色合いがいいでしょうね。その方がぐっと雰囲気が出ますわ」

「ええ。その方がアイセル様の金の瞳が映えますわね!」


 と、こんな調子でアイセルのドレスの色もあっという間に決まってしまったのだった。


 早々に解放されることになってエラルドの方はホッと息を吐いたが、アイセルの方は複雑そうな表情で衝立の向こうから出てきた。


 その頬が、わずかに赤みを帯びている。


「どうされましたか。体調がお悪いのでは?」


 エラルドが思わず尋ねると、アイセルはきゅっと唇を引き結んでそっぽを向いてしまった。


「なんでもないわよ」

「しかし……」

「大丈夫よ、何も問題ないわ。うん。そう。何も問題ない。そうよね。うん。たぶん」


 はっきりと物を言うことの方が多いアイセルが、こうもあいまいな言葉を繰り返すのは珍しい。


「本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫よ!」


 この時彼女が何を考えていたのか、そして服飾店のスタッフたちがどうしてニヤニヤしながら二人を見守っていたのか。

 その理由が分かったのは、舞踏会の当日になってからのことだった。




 * * *




 黒い絹地に金糸で星の文様の刺繍が施されたドレスを身にまとい、金と黒羽の飾りを髪に挿したアイセルを目にした途端、エラルドは言葉を失ってしまった。


 女神と見まがうほどの美しさだったからだ。


 その女神が玄関ホールに向かって階段を下りて来る姿に、ぼーっと見惚れてしまう。


「エラルド」


 呼ばれて、慌てて彼女に駆け寄った。

 今日の彼の仕事は、彼女のパートナーだ。

 本来は騎士の仕事ではないが、王子に命じられたので仕方がない。

 パートナーがいつどこで誰に見られても美しくいられるよう、完璧にエスコートしなければならない。


 エラルドは慎重な手つきでアイセルの手をとり、足元を確認しながら殊更ゆっくりと階段を下りた。


 その様子を屋敷の使用人たちがじっと見つめている。


「似合ってるわ」


 アイセルがエラルドの耳元に顔を寄せて、そっと囁いた。


「そう、でしょうか」


 あの服飾店が仕立ててくれたのは、それはもう立派な宮廷服だった。エラルドはこんな高級な布地に触れるのは生まれて初めてだし、こんな見事な刺繍を間近で見るのも初めて。


 慣れない高級品ではあったが、繊細で、それでいて控えめな金の縁飾りは本当に美しいと思った。


「気づいている?」

「え?」

「みんな、あなたに見惚れているわ」


 二人を見守っている使用人たちのことだろう。確かに何人ものメイドが頬を赤く染めているし、彼らの目には羨望が混じっているようにも見て取れる。


「いいえ。皆アイセル様に見惚れているのです」


 それが事実だろうとエラルドが断言すると、今度はアイセルの頬がほんのりと赤くなった。


「そういうところよ」

「はい?」


 彼女はいったい何が言いたいのだろうか。


「本当に気づいていないの?」

「何のことです?」

「黒と金は……。あなたと私の瞳の色よ」

「あ、確かに。そうですね」


 今になって気づいたエラルドがハッとすると、アイセルは小さくため息を吐いた。

 その頃には二人は階段の下に辿り着いていて、玄関の外で待つ馬車に向かって歩き出していた。

 相変わらず、使用人たちの視線が痛い。


 アイセルは気まずそうに視線を逸らしてから、エスコートされているのとは反対の手でちょんと自分のスカートをつまんでみせた。ドレスが揺れて、金の刺繍がキラキラと輝く。


「……お互いの瞳の色を自分の服やドレスに使うのは、恋人同士がすることなのよ」


 何を言われたのか、咄嗟には理解できなかった。


 だが、自分が大いなる間違いを犯したのだと気づいた瞬間、エラルドの顔はリンゴよりも真っ赤に染まったのだった。


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