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ある公爵令嬢の死に様  作者: 鈴木 桜
第2章 自由への道

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第14話 駆け落ち


 エラルドの腕に力が入る。

 そうすると、アイセルの耳が彼の胸元に押し当てられる格好になって。

 ドッドッドッドッと駆け足のような脈動がアイセルの鼓膜を揺らした。

 さらに言えば、彼の肩がわずかに上下していて額には汗がにじんでいるように見える。


(宿に戻ったら私がいなかったのでしょうね)


 それで慌てて探しに来てくれたのだ。

 彼を労わるために夕食を調達しにきたというのに、これでは本末転倒だ。


「けがはありませんか?」

「大丈夫よ」


 アイセルが即答するとエラルドはホッと息を吐いたが、すぐに眉間に深い皺が寄った。彼の手が遠慮がちにアイセルの髪に触れる。

 優しい手つきとは裏腹に、彼の気配に殺気のようなものが混じっている。怒っているのだ。


「大丈夫よ」


 もう一度、言い聞かせるように言った。

 男に髪を掴み上げられて、痛かったのは事実だ。数十本髪が抜けただろうが、その程度のことでけがはしていない。


「だから穏便にね」


 一応言っておかないと、彼なら暴漢の一人や二人、殺してしまいかねない。


「……分かっています」


 まだこの街での目的を達成していないのだ。

 ここで揉め事を大きくして、街に居づらくなるのだけは避けなければならない。


 エラルドは、ようやく殺気をおさめて男たちの方をチラリと見た。

 男たちは一瞬怯んだが、すぐに気を取り直す。


「おいおい、兄ちゃん」

「その女は今俺たちと大事な話してんだ」

「邪魔すんじゃねぇよ!」


(命知らずなの?)


 アイセルは内心でハラハラした。

 丸腰とはいえ、エラルドがただ者でないことなどすぐに分かりそうなものだが。

 数で優っているので勝てるとでも思っているのだろうか。


 エラルドも同じことを思ったらしい、小さくため息を漏らした。


「これ以上なにを話す必要があるんだ」

「なにぃ!?」

「まだ治療費を払ってもらってねぇよ!」

「その姉ちゃんがうちのアニキの腕を折ったんだぞ!」

「なあ、アニキ!」

「お、おう!」


 アニキと呼ばれた男も引っ込みがつかないのか、わずかに表情を引きつらせながら男たちの前に出た。顔色が青いところを見ると、このアニキなる人物だけは現状が自分たちにとっての危機だと察しているようだ。


「だいたいお前、急に割り込んできて!」

「その女の何だってんだ!」


 男たちのヤジに、今度はエラルドの眉がピクリと動いた。

 ややあって、エラルドがアイセルの肩を抱く手にさらに力を込める。


「……恋人だ」


 小さな声でボソッと答えた途端、エラルドの頬がボッと赤く染まる。

 それに当てられて、思わずアイセルの顔まで熱くなってしまった。


「こ、この人は俺の恋人だ! これ以上、触れることは許さんぞ!」


 今度はやけくそだと言わんばかりの表情でエラルドが怒鳴る。


 それを見たアニキと男たちは、ポカンと口を開いて固まった。


「ヒュ~」


 野次馬の中で口笛が鳴った。

 それを皮切りに、人々が沸き立つ。


「よっ! ご両人!」

「赤くなっちゃってぇ!」

「初々しいじゃねぇか!」


 もはやお祭り騒ぎだ。


「けっ」


 それを聞いたアニキと男たちが舌打ちして、各々に渋い表情を浮かべている。


「見せつけやがって」

「ばかばかしい」


 彼らにとっては付き合いたてのカップルの惚気に巻き込まれたという、なんとも情けない状況に陥ってしまったのだ。

 このままケンカを続けても、旨味など一つもない。


「覚えてやがれ!」


 捨て台詞を吐いてから、男たちは足早に人混みの中に消えて行った。


「あらあら」


 その様子に、呆れを通り越して可笑しさがこみあげてきた。


「覚えてやがれ、なんて。実際にこんなセリフを使う人が、この世に存在するのねぇ」


 思わず漏らすと、エラルドが深いため息を吐いた。


「まさか、その調子であの男たちを煽ったんじゃないでしょうね」

「よく分かったわね」

「あなたという人は……」


 今度は頭を抱えてしまった。


「いいですか。こういう状況では無駄な抵抗などせず、助けが来るのを待ってください」

「どうして? 大丈夫よ『睾丸を締め上げる魔法』もあるし」

「なんですか、その物騒な魔法は」


 今度はぎょっと目を剥く。今夜の彼の表情筋は大忙しだ。


「その魔法は、できれば使わないでいただきたい」

「どうして?」

「その魔法を食らった敵が目の前にいたら、……敵なのに、気の毒だと思ってしまうからです」

「え?」

「……ちょっとこう、想像しただけで、背筋が凍ります」


 よく分からないが、アイセルは素直に頷いた。


(エラルドが怯えるほどの魔法ということね。ここぞという時のために大事にとっておきましょう)


 アイセルはそう納得したのだった。


 コソコソと話す二人の周囲では、野次馬たちによるやんややんやのお祭り騒ぎが続いていた。


「すごいな、兄ちゃん!」

「あの不良どもを一瞬で黙らせた!」

「かっこいい!」

「誰も馬に蹴られたくはねぇからなぁ!」

「逃げてったよ、情けないねぇ!」


 などと、言いたい放題である。

 そして。


「そら、これ食べな!」

「こっちも!」


 近くの屋台から次々と二人に差し入れが届いた。肉や野菜の串焼き、たっぷりのミートソースとチーズを挟んだパン、魚の素揚げなどが次々と二人の手元に放り込まれる。


 期せずして、二人は美味しい夕食にありつくことができたのだった。




 * * *




 宿に戻ると、二人は交代でシャワーを使った。水回りは部屋に備え付けではなく、共同のトイレやシャワーが宿の一階にある。シャワーを使うには銅貨三枚が必要だったが、二人とも王都を出てから一度も入浴をしていなかったので、これは必要経費だ。


 アイセルは先にシャワーを使わせてもらって、寝間着に着替えてから二階の部屋で髪を乾かした。

 公爵邸で暮らしていた頃のようにシルクのネグリジェとはいかないが、軽い素材のワンピースに着替えて素足になると、全身の緊張がほぐれた。


 そこにエラルドが戻って来た。

 ベッドの上でゴロゴロしながら髪を乾かすアイセルを見て、彼の表情がぎゅーっと縮こまる。


「どうしたのですか?」

「……なんでもありません」


 そう言いつつも、エラルドは渋い表情のまま扉の前で動かなくなってしまった。


「本当にどうしちゃったの?」

「やはり別の部屋を取りましょう」

「もう、その話は終わったでしょう?」


 エラルドはけっこう頑固だ。

 それは、彼がアイセルの護衛騎士になる前から、知っていたことではあったが。


 ──エラルドが王子に勝利してしまった御前試合を、アイセルも見ていたのだ。


 何事にも手を抜くことができない、実直な騎士。

 それがエラルドに対する第一印象だった。


(この人なら)


 そう思って、あの夜、外に出たいと頼んだのだ。

 彼はアイセルが見込んだ通りの人物だったというわけだ。


 巻き込んでしまって申し訳ないと言う気持ちがないわけではない。

 もしも彼が王都に帰りたい、元の生活に戻りたいと言ったら、全てをかけてその願いを叶えるつもりでいる。


 だが、彼はアイセルの騎士になりたいと言ってくれて。

 今夜も、彼女を守ってくれた。


 それが何だかむず痒い。


(このまま彼と二人で旅を続けられたら)


 それは、どんなに幸せなことだろうか。


 だが今は、そんな妄想に浸っている時ではない。


「とにかくこの街で亡命仲介人の助けを借りなきゃならないの。そのためには駆け落ちのカップルだと思われていることが、一番都合が良いのだから」


 よくある設定であるがゆえに不自然さがなく、人に紛れることができる。その上、周囲の人に同情心を抱かせることができる。


『もしも騎士と二人で逃げるなら、駆け落ちという設定で乗り切るべし』


 実はこれも、生贄日記に書かれていた知恵だった。


「……わかりました」


 エラルドはがっくりと肩を落として、おずおずと自分のベッドの端に腰かけた。

 二人部屋だが、幸いベッドは二つある。


 ようやく二人とも腰を落ち着けたところで、アイセルは今日の本題に入ることにした。


「それで、指輪はいくらで売れましたか?」


 アイセルの質問に、エラルドの肩がビクリと揺れる。


「……売れませんでした」


 思わぬ回答に、アイセルは驚いた。


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