成長記録
毎日朝起きたら、SNSを起動して、お気に入りユーザーが更新していないかチェックするのがサオリの日課だった。
日常の出来事を面白おかしく語っている会社員、
飼っているペットの写真をアップしている老人、
昨日行ったライブの感想を語っている女子高生……その中でも、最近のサオリのお気に入りは、生まれたばかりの赤ちゃんの成長記録をアップしている主婦のアカウントだった。
『そらまめ』さんというそのアカウントと、サオリは直接の面識はない。顔も見たことがないし、それどころか、本名も、何処に住んでいるかも知らなかった。だがそれでも仲は良かった。サオリもまた去年、二人目が生まれたこともあって、ネット上で意気投合したのである。それ以来、見ず知らずの他人と、たまに世間話をする程度には繋がっている。
知らない人間と繋がっているなんて、初めは奇妙な感覚だったが、今ではすっかり慣れてしまった。普段は目に見えないのに、ふとした瞬間に姿を現す幽霊みたいな感じ……というと、向こうに悪いだろうか。とにかく都会生まれのサオリにとっては、田舎の寄り合い的な文化が苦手なこともあって、付かず離れずの距離感が何とも心地良かった。
夫と結婚してから早数年になる。車がないと碌に買い物にも行けないような田舎の生活にも、だいぶ慣れてきた。だがいかんせん、娯楽がない。エステサロンもなければ、美味しいイタリアン=レストランもない。スターバックスも、吉野家も、ガストもない。毎晩道路工事ばかりしているのに、定食屋の一つも見当たらないのだった。
そんな彼女がSNSにのめり込んで行くのに、さほど時間は掛からなかった。
《おはようございます! 今日はキヌちゃんとお出かけ!》
その日も朝から、『そらまめ』さんは早速ベビーカーに乗せた赤ちゃんの写真をアップしていた。キラキラと飾られた絵文字とともに、顔の部分だけが隠された赤ちゃんの写真。それを見て、サオリは思わずほほ笑んだ。早いものね。この間生まれたばかりだと思っていたのに、もうこんなに大きくなって。
実際にはキヌちゃんの顔も見たことがないのに、キヌちゃんが初めて立った日も、初めて『ママ』と呼んだ日も、トマトが食べられなくて泣き出してしまったことも、サオリは良く知っていた。『そらまめ』さんは毎日欠かさず何度も更新しているので、サオリはいつしか、キヌちゃんに我が子のような親しみを感じていた。
《キヌちゃんおはよう! 今日は早起きだね!》
《キヌちゃん良い夢見れた?》
《おはようキヌちゃん。トマトまだ食べられないかな??》
ぼんやり写真を眺めていると、何処からともなく、次々にコメントが寄せられていく。愛嬌たっぷりなお転婆娘といった感じのキヌちゃんは、SNS上でちょっとしたアイドルだった。一応サオリも、毎日一枚は必ず息子の写真をアップしているが、いいねはボチボチしか付かないし、コメントと言ったら、外国のよく分からない業者からがほとんどだった。
「写真撮るよ」と息子に声をかけても、「うん……」と笑顔すら見せず、気のない返事しかしない。別にモデルみたいにポーズを取れとは言わないが、もうちょっと愛想良くしても良いのに。キヌちゃんと比べると、特に映えも意識していなかったから、当然なのかも知れない。
《キヌちゃんおはよう。今日も可愛いね》
サオリはニコニコ笑顔の絵文字を添えて、写真にコメントを送り、SNSを閉じた。
それがサオリの日課だった。
今では毎朝キヌちゃんの写真を見ないと落ち着かない。来月はキヌちゃんの誕生日もある。迷惑でなければ、私も何か、プレゼントを贈ろうかしら。そんな風に思いながら、サオリはパートの仕事に出かけた。
ところが、である。
次の日、SNSを覗いても、『そらまめ』さんは更新していなかった。
それどころか、次の日も、またその次の日も。とうとう一週間、音沙汰がなくなって、サオリは心配になってしまった。直接メッセージを送っても、返事はない。とはいえアカウントはそのまま残っているから、退会したとか、公式からアカウント自体を凍結停止させられた……という訳では無さそうだった。
キヌちゃんの写真は一週間前のもので止まったままだった。
一体何があったのか。同じキヌちゃんファンだったユーザー達に動揺が広がる中、サオリはネット上で、とある噂を耳にした。
どうやら『そらまめ』さんは、亡くなったらしい。
一週間前にN県で起きた殺人事件。まだ特定はされていないが、どうやらその被害者が『そらまめ』さんでは無いか……という噂だった。
パートから帰宅すると、サオリは急いでその事件を検索して、詳細を読み耽った。
殺されたのは空木マミさん32歳。専業主婦で、旦那と娘二人の四人家族。近所の人に言わせれば、『誰とでも仲良く接し、親切で、側から見ても幸せな家庭を築いていた』。
怨恨や借金もなく、彼女を知る誰もが『殺されるような動機など思い浮かばない』と口を揃えた。それでも彼女は殺された。14歳になる長女のAちゃん(仮名)の手によって。
記事によると、Aちゃんはマミさんが寝ている間に台所から刃渡り14センチの出刃包丁を持ち出し、彼女の体を何度も何度も滅多刺しにしたらしい。首の動脈を切断されたマミさんは出血多量で死亡。その後、Aちゃん自身も自殺をはかろうとしたが、目を覚ました旦那さんに辛うじて止められた。
警察の調べでは、Aちゃんは『お母さんが私の写真を勝手に晒している』と証言。どうやらマミさんのアップしていた写真がAちゃんの同級生の目に留まり、それがきっかけでいじめられるようになった。赤ちゃんの頃のおねしょした写真や、転んだ写真を知らない大勢に笑われているようで嫌だった……と話している。
Aちゃんは度々、マミさんに『私の写真を勝手に上げないで』と抗議していたが、マミさんは笑って取り合わなかったらしい。マミさんのSNSはフォロワー10万人以上と人気があり、写真を上げるたびに収益が……
「お母さん」
突然背後から呼びかけられ、サオリは驚いて飛び上がった。振り向くと、小学校から帰ってきた息子が、暗い顔をして、肩越しに私のスマートフォンをじっと覗いていた。
「……また写真撮るの?」
サオリは息子の手に、包丁が握られているのをはっきりと見た……。