第8話 玉座
エリザシエリーは、飛び回るのが大好きだ。
とにかく、どこへでも行きたがるのだ。この好奇心旺盛さは、母親に似たのか、それとも多くの世界を渡り歩いてきたという、フロンティア精神あふれるシラベール家初代頭首の血によるものだろうか。
まあ両方だな。
しかし、それにしても、いくらなんでも動き回り過ぎる。
あるいは、話にだけ聞くあこがれの祖母、エリザマリー様に、どこかの世界で出会いたかったからかもしれない。
シエリーは、隣の町からはじまり、他の勢力の治める土地や、他の茎や、なんと異世界などを含め、色んな所で迷子になった。どれだけ苦労させられたか、きっと誰の想像も超えているだろう。
なかでも最悪だったのは、シエリーが、おなじみのネオジューク地下にある魔族宮殿――その頃には魔王宮殿になっていたか――に迷い込んでしまった時だ。
魔族という存在に強い興味をもち、ついていってしまった。
エリザマリー様が降臨したばかりの頃、魔物から逃げようとして、地下深くの魔族の宮殿に迷い込んでしまった過去があった。だから、これは完全に祖母の血だ。
私は持ち前の追跡スキルを用いてシエリーの後を追った。
ひとまず安心していいのは、魔族の重要な場所に足を踏み入れたところで転生者にも人間にも罰は無いことだ。種族間での不可侵の約束なんぞをしているわけでもなかったのだから。
だったら、なぜ、シエリーの迷い込みが最悪なのか。
それは、まあ、なんというかな……ああ、まったく、トラブルメイカーの極みだ。
私がシエリーを発見したのは、魔王の玉座の前だった。
今にも座面に落ちようとしていた。
魔王は、一柱ではない。すでに多くの魔王が誕生している。転生者が数えきれないほど喚ばれているのと同じように、到底数えきれないほどの魔王が存在しているのだ。
魔王の中の魔王は、まだいない。それは、人が滅んだ時に決まるのだろう。
ゆえに、その玉座というものは、通常時は空席であり、新たな魔王を誕生させる儀式の時にだけ、玉座へと続く扉が開かれる。
本来は、どんな高位の魔族であっても、すでに魔王になっている者以外は、決して入れる場所ではないのだ。
どういう偶然が重なったのか知らないが、なぜか扉が開いていて、なぜかシエリーがそこにいて、今にも玉座に座ろうとしていた。
玉座には、仕掛けが施されている。そこに座ると、どんな存在であっても魔王化してしまうのだ。
人であれ、転生者であれ、エルフであれ、神であれ、虫けらであれ、座ったが最後、あらがえない魔王化が待っている。
一説によれば、魔王化とは、一種の呪いに近いものであり、魔王化を解除するための方法も複数存在するのだという。その複雑な術式を、魔王たちは持っている。
その証拠……となるかどうかは不明だが、魔王となった者が裁きや会議を経て不適格と判断され、ただの魔族に降格するという事例をいくつか聞いた。
だったら、私も魔王らしい動きをせずに、善行でも積みまくれば、魔王の位を剥奪してもらえるのかもしれない。
もっとも、魔王となっても自我が残っていればの話だが。
そもそも人間の不法侵入が原因で起きた魔王化を解除する義理なんて、彼ら彼女らには一切ないのだ。魔王たちにそんな慈悲を期待するのは絶対に間違っている。
要するに、その豪華な椅子に座ったが最後、自力で魔王から足を洗うことは、まずできない。
シエリーは、そんな呪い500%の椅子によじ登り、今にも座ろうと椅子の手すりからジャンプした。そのまま座面に小さな尻を自由落下させてゆく。
私は、彼女の名を叫び、空中で彼女を抱きしめた。
この選択を、私は全く後悔しない。
もしかしたらシエリーがあの豪華な椅子に座って、最強無敵にして最悪最後の魔王となり、この世界の空の色を塗り替えるみたいな結末もあったかもしれない。
どう考えたって嫌だろう。そんなの。
私の愛するエリザマリー様は、そんなことを望まないだろう。愛する孫のそんな姿、絶対に見たくないはずだ。
だから、私が、かわりに座った。
もちろん、座ろうと思って座ったわけではない。できれば回避したかった。けれども、どうあっても、自分がそこに座らなければ、シエリーを助けられない体勢だったのだ。
身体が熱かった。
魔王になるのだなと感じ、背筋の奥は鋭い冷たさに襲われた。
なんとかもってくれよと自分に言い聞かせながら、私はシエリーの手を握り、地上へと向かった。闇の中を手探りで進み、光のもとへと戻ることができた。生還してすぐに、まるで太陽の光に敗北したかのように、大地に行き倒れた。