茂木酉坂には近づくな
明治初期の頃の話だったと記憶している。
関西のある地方の村に「茂木酉坂」と呼ばれる坂があった。
村境に面し、名前のとおり木々が生い茂る場所で、酉の方角(西)にあったからそういう名前にで呼ばれていたらしい。
村を出入りするにはこの坂ともう一つの街道を行き来するのが普通だったが、この坂を通ることを村の人々は忌避していた。
というのも坂が昼なお暗く、道が悪かったことが一番の理由だったが、ほかにも「少し前まで山賊が出た」とか「坂には鬼や魔物が出て、人を捕って食う」とか言われていたからだという。
いずれにしろ、地元の印象は良くなく、たまに事情を知らない外部の人間がやって来るくらいで、利用する者はほとんどいなかった。
そんな中でも、村には変化が起き始めていた。
時代は俗信が溢れていた時代から、文明開化の明治時代に移り変わろうとしている頃である。
長く伝わっていた怖い話も「迷信」として笑い飛ばす人間や気風が生まれていた。
村から町場へと務めていたYもそんな一人だった。
彼はその村の生まれながら学校で優秀な成績を収め、町場の銀行で重役を務めるくらいに出世していた。
そんな彼は毎日町場まで街道を使って通っていたが、常々不満を抱いていた。
というのも「茂木酉坂」を使って通えば、はるかに通勤時間を短縮できたからである。
が、坂に伝わるいわくを信じる家族に反対され、やむなく街道を使って通勤していたのだ。
彼は「この明治に鬼や魔物なんて馬鹿馬鹿しい」と吹聴しており、微塵も信じていなかった。
そんなある日のこと。
Yが失踪した。
帰宅時間になっても町から帰らず、夜になっても行方不明のままだった。
深夜になっても戻って来る様子はなく、翌日になって職場で尋ねると「昨日は定時に帰宅した」と仕事仲間が証言する。
ここにきて家族も警察を頼ることになった。
そして数日後、Yと思われる男が「茂木酉坂」で遺体で発見された。
というのも、遺体には頭部が無く、何者かにねじ切られたように首から下だけが転がっていたという。
遺体は損壊されていたが、所持品を荒らした形跡はなく、警察の検分で持ち物からYであると特定された。
そのため、単なる強盗ではないとされ、通り魔の類ではないかと類推された。
警察では早速付近の捜査を開始したものの、目撃者や証言も得られなかった。
ただ「Yは帰宅時にいつもの街道を使わず、茂木酉坂を使って帰宅しようとし、その帰り道に何者かに襲われた」という推測だけが残されたという。
それから数年後。
Yの死が村人の記憶から徐々に薄れ始めた頃、またしても失踪事件が発生した。
今度は村の少年Mで、暑い夏の盛り、夕方以降に行方不明になったという。
異変を察したMの家族をはじめ、村の消防団や青年団も参加し、村一帯を捜索。
その結果、夜半過ぎに「茂木酉坂」に転がるM少年の遺体が発見された。
無残なことにM少年の遺体は両手が無く、凄まじい恐怖の表情を浮かべて仰向けで転がっていたという。
夕方まで一緒に遊んでいた村の少年たちの証言では、M少年は仲間たちと別れた後、帰り道に「茂木酉坂」のある森に虫捕りに向かったらしい。
そこで何者かに襲われたのだろう。
また、M少年はY同様、坂に伝わる迷信を過少評価しており、Yの事件もよく知らなかったという。
当然だろう。
同じ村の中で起きた殺人事件の詳細を子どもに言い聞かせる親など、その遺族に知れたら不謹慎だとそしりを受けかねない。
せいぜい怖い言い伝えぐらいにしかお茶を濁せない。
が、今回はそれが最悪の結果を招いてしまった。
「茂木酉坂」の怖い話は、M少年の中で、大人が子どもに言い聞かせるただの迷信としか受け取られなかったのだ。
ただ、村人たちは一様に恐怖した。
通り魔の仕業にしろ、鬼や魔物の仕業にしろ「茂木酉坂」には何かかがある。
それは二つの事件に横たわる奇妙な符号もあった。
何故ならば…
先に亡くなったYは、頭部をねじ切られた遺体で見つかった。
M少年の遺体からは両腕が失われていた。
そして、Yの姓には「頭」、M少年の姓には「手」の文字がそれぞれ含まれていたという。
さらに深い謎があった。
村人の中には、体の部位を名字に含む家が不自然なほどに多かったのだ。
その部位を奪われ、死んでいった二人にどんな意味や因縁があったのだろうか。
計り知れない謎と恐怖を込めて、村人たちは坂の名前を呼び変えた。
そして、こう囁き合ったという。
「茂木酉坂には近づくな」と。