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巫女姫、踏み出す

 巫女姫にとっては、二度目の凱旋式の舞台だ。舞を奉納しながら、周りを観察していく。軍団兵も市民も、舞台に引き付けられてくれているようだ。貴賓席の兄達は、少し驚いたような表情を浮かべている。十歳の少女としては完成度の高い舞だろうが、中身はつい昨日まで19歳だった、神々の代理として振る舞う経験を積んだ巫女姫だ。幼い身体には慣れないが、どう動くかは魂に染み付いている。

 戦利品の中に埋もれている王女も、口を半開きにしてうっとりと…というより、ねっとりとした視線を向けてきている。


──王国の神々は、わたくし達のものとは異なるのではないのでしたっけ?


 征服された国の人間が、征服者である異国の神々に捧げられた舞を見る態度としてこれは正しいのか、どうか。貴賓席より一段低い舞台からだと、表情までよく見える。見えるが故に、違和感は膨らんでいく。

 軍神の武威を讃える部分に差し掛かるところで、巫女姫は足の運びをあえて崩した。中央から舞台の際に向けて進み、荷台に座る王女に迫る。右手に持つ枝の先をぴたりとその喉元に向けて据え、見下すような、挑発的な笑みをぶつけていく。


──あなたは、生贄。相応しく振る舞いなさい。


 精一杯のメッセージを込めたつもりだったが、王女は求婚を受けた乙女のように頬を染め、目を潤ませた。ぱくぱくと動く口から何か言葉が漏れる。舞の流れに合わせて舞台中央に戻る巫女姫の動きに迷いは無かったが、頭の中は疑問符でいっぱいだった。


──『推せる』と、聞こえたような?


 意味は分からないが、少なくともこちらの意図は全く伝わっていないようだ。完全に異質なものを前にした感覚に、今までの推論が意味を成さないように思えてくる。

 歌い手達が太陽神を讃える祝詞を三度繰り返し、舞い終えた巫女姫が舞台中央で跪く。少し遅れて、嵐のような拍手が湧き上がった。視界の隅に、座ったままぴょこぴょこ跳ねるように拍手をする王女の姿が映る。

 もうおかしな少女に気を取られるのはやめて、儀式の流れに従い立ち上がり、ゆっくりと階段を上り賢帝の前に出る。舞によって神々をその身に降ろした扱いとなる巫女姫が月桂樹の枝を皇帝に渡すことで、祝福が帝国に与えられ捧げられた戦利品も皇帝の手に戻るという筋立てだ。

 巫女姫の手から枝を受け取った賢帝が、それを天高く掲げる。


「帝国に永遠の加護を与え給え!」


 賢帝の声に、満場の観衆が呼応し次々と神々を讃え叫ぶ。興奮は競技場の外にも溢れたようで、帝都全体に震えるような大歓声が湧き上がった。

 巫女姫は膝を折り、賢帝に礼を捧げた。後は、先程の長椅子に戻れば出番は終わりだ。顔を上げると、優しい深緑の瞳と目が合った。皇帝ではなく、務めを果たした妹を労る兄としての視線に、体の奥から温かいものが込み上げてくる。その途端、無意識に抑えていたものが爆発した。


──失いたくない。


 五歳になる日に巫女姫として神々に捧げられ、祭祀の頂点に祀り上げられた。その時から繰り返し繰り返し、神々の依り代として相応しくあるように、現世の欲に惑わされぬようにと教育されてきた。与えられた身分と権力に恥じない振る舞いを演じ続けてきた。自分自身の感情を捨て、巫女姫として在るべく生きる。それが正しく、必要なことであると納得していたはずだ。


──大兄様も小兄様も、失いたくない。もう、繰り返したくない。それも神々の思し召しなんて、諦めたくない。


 武帝は戦乱の中、帝都から遠く離れた北辺で味方のはずの部族に裏切られ敗死した。賢帝は元老院の議場で、属州独立派の議員に殺された。生涯を賭けて帝国のために奔走し続けてき兄達の最期が、そんなものであっていいはずがない。巫女姫の中で、蓋をして目を逸らしてきた感情が暴れ出す。

 見上げたまま動こうとしない巫女姫に、賢帝が眉を顰める。凱旋式の進行ではなく、幼い妹の異変を心配する視線を受けて、巫女姫の拳に力が籠る。


「皇帝陛下に、お願いがございます」


 幼く、透き通るような高い声が競技場を揺るがす歓声にも負けずに響いた。口々に叫び声を挙げていた観衆が静まっていく。明らかに儀式の流れと異なる振る舞いに、居並ぶ元老院議員も困惑の視線を送るのみだ。


「聞こう、最高位神祇官殿」


 賢帝は巫女姫を官職で呼び、その発言を受け入れた。皇帝は、官職で言えば執政官にして元老院議長、最高位軍司令官。行政と立法・司法、軍権の長と並ぶ祭祀の頂点にある存在として、巫女姫の『お願い』は簡単には却下できない要求となる。それを理解した上で受け入れてくれたことに、巫女姫の口角が上がっていく。


「神々への奉納は、わたくしにお任せください」

「──よかろう。そのように計らう」


 神々への奉納品の選別を、巫女姫が行う。つまり、戦利品から好きなものを分捕るという宣言である。ただ一言それだけを伝えると、巫女姫は側仕えの待つ自席へと引き上げた。

 賢帝が改めて勝利を宣言し、式典の終了を告げる間も、何とも言えない不穏な空気が漂う。賢帝と巫女姫を見比べて、何やらひそひそと言葉を交わす有力議員達の姿があちこちで見られる中、まず武帝が動き戦車に乗り込んだ。さっと片手を挙げて号令を出すと、整列していた兵が動き出す。次に、賢帝が側近を従えて退場していく。その後ろに続いて、巫女姫も競技場に背を向けた。付き従う側仕えは、いつにも増して無表情だ。


──想定外の出来事に弱いのですよね、ペトラ。


 感情を顔に出さないだけで、内面は意外と揺れ動きやすい彼女には悪いことをした。いずれどこかで、きちんとした説明が必要だろう。それと。

 去り際に競技場内を見やると、王女は相変わらず他人事のような顔で武帝の退場を見送っていた。もしあれが演技だとしたら、大した役者だ。

 意図してのものかは知る由もないが、巫女姫の知る未来では帝国を分断する混乱のきっかけとなった少女。


──あなたは、わたくしが囲い込みます。帝国に害を為すなら、神々の祝福をその身に授けましょう。


 明るい日差しに照らされた競技場から、暗い回廊に入る。日差しに晒されて火照った体に、ひんやりとした空気が心地よい。前を進む一団の中で、賢帝が次々と小声で指示を出しているのが聞こえてくる。

 しばらくすると、どおっと地鳴りのような響きが伝わってきた。凱旋式を終えて退場した兵に、外で待っていた市民が歓声を挙げたのだろう。太陽は中天に差し掛かったばかり。戦勝の祭はまだまだ続く。醒めぬ興奮の渦の中、巫女姫は静かに競技場を後にした。

お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、王女もアレです。


続きが気になるという方、是非ブックマークをお願いいたします。

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