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巫女姫、疑う

 競技場に戦利品が並び始めると、観衆の目には熱狂の中にも品定めの色が宿り始める。積み上げられた珍品にはどれほどの価値があるのか。それがどのように帝国に、自分に利益をもたらすのか。

 競技場に皇帝と共に列席できるのは、元老院議員を始めとする豪商や有力市民たちだ。戦利品は神々にまず捧げられ、次に皇帝に、そして帝国臣民の代表たる元老院議員に、そして市民に下げ渡される。一般民衆には凱旋式期間中の飲食の振る舞い程度だが、元老院の重鎮ともなれば一財産の異国の珍品を得る権利があるのだ。

 東方の装飾過多な刀剣。帝国内で流通するものとは全く異なる意匠の織物。珍しい色の貴石を連ねた帯留めに、陽光を艶やかに反射する黄金に黒真珠の象嵌された胸当て。興奮が戦勝から欲望に塗り替えられていく中、賢帝の横に佇む巫女姫は、これから先の出来事に想いを馳せていた。


──この後、大兄様の入場。戦勝の報告を受けて、わたくしが祝福をして、神々への供物を受け取る。それを小兄様に下げ渡し、小兄様の勝利宣言で式典は終わり。ペトラの説明も、記憶通りでした。


 目の前に並べられる戦利品に、巫女姫の心が動くことはない。前は異国情緒に胸を高鳴らせたものだが、その異国が十年もせずに帝国を滅ぼしにかかるとなると情緒どころではない。


──今後二十年に渡り支払われるはずだった賠償金も三年で滞り、戦利品程度では傾く帝国の財政には焼け石に水、でしたっけ。


 戦利品の分配で元老院での微妙な政治バランスを一時的に改善できたが、結局大きな利益を得ることになった派閥に対して実力行使があり、円滑な議会運営は二年で破綻。賢帝が属州を巻き込んだ抗争の調停に忙殺されているうちに、天候不順に始まる大飢饉、北方蛮族の侵入。武帝が各地を転戦する中、東方王国の離反。そこから先は、ただただ混沌。属州が自衛を名目に中央の統制を離れ、帝都の食糧供給も滞り、敵軍に包囲される中で民衆の暴動。


──いけません、今日は楽しむと決めたのでした。


 ともすれば暗くなる思考を振り払い、目の前の華やかな凱旋式に意識を戻す。丁度その時、戦利品最後の馬車が入場してきた。

 飾り立てられた馬車の上で、装飾に埋もれるようにしている異国の王女。帝国のどのような要求でも呑まざるを得ない敗戦国の立場を、視覚的に象徴する戦利品。

 すっかり品定めをする目になっている満場の観衆を前に、怯え縮こまっている──かと思いきや、彼女はぽかんと口を開け、キョロキョロと黒玉のような瞳を泳がせていた。なんというか、こう…。


──こんな、バカっぽい子でしたっけ?


 前の凱旋式は遠い記憶とはいえ、たしかもっと悲壮感のある印象だった、ような?首を傾げる巫女姫の前で、馬車ごと貴賓席の前に引き出された幼い王女は、賢帝の姿を認めると大きく目を見開き、頬を紅潮させてコクコク頷き始めた。


──この子、偽物では。


 あまりにも人質という身分から遠い振る舞いに、巫女姫の中で疑念が膨らんでいく。ぱっと見は記憶にある王女の容姿だが、どうにもおかしい。取り繕うように背筋を伸ばして表情を引き締める少女に、じとっとした視線を送る。

 突然、爆発するような大歓声が湧き上がった。武帝が入場してきたのだ。兵が皇帝万歳を叫び敬礼を捧げる中、白馬を駆る姿は神話の住人と言われても違和感の無いほどに輝いていた。

 四頭立ての戦車に見惚れていた視線をふと戻すと、人質の王女は瞳を潤ませ、両手を口に当てて前のめりに武帝を見つめていた。どう考えても、武帝その人に打ち負かされ、屈辱の条件を飲まされた敗戦国の王女のする行動ではない。


──いやまあ、場の空気に呑まれた、という可能性も無くは…無いですね、うん。


 偽物疑惑が確信に変わる頃、武帝は貴賓席の前で戦車を降り、賢帝に敬礼を捧げた。誇らしげなその表情からは、弟である共同皇帝に対する親愛が滲み出ている。敬礼を受ける賢帝も、両手を広げて兄に対する敬意を示した。皇帝万歳の叫びが、雲一つない初夏の空に吸い込まれていく。収まらぬ熱狂の中、武帝は貴賓席に続く階段を上り、一段低い舞台で満場の観衆に向き直った。彼がその手を高く掲げると、歓声がすうっと収まっていく。


「今日、私は神々の加護の元、ここに帝国の勝利を携え戻ってきた」


 よく通る声が、今回の遠征を語り始める。帝都を出発し、陸路と海路で敵地に向かい、敵の大軍を打ち破る。次々と降伏し恭順を示す都市を従え進み、ついに大会戦で国王を討ち取る所まで話が進む頃には、皆歓声を挙げることも忘れ、固唾を飲んで聞き入っていた。

 馬車の荷台に乗せられた王女も含めて。

 実の父親である国王がどのように殺されたかを目の前で聞かせるなど悪趣味だと思っていたが、この王女にはそんな配慮は無用だったらしい。偽物だとしても容姿からすると同胞が攻め滅ぼされた物語を聞いているはずだが、きらきらと目を輝かせている様子からはそんな悲壮感も感じられない。


──何が狙いでしょうか。


 偽物を立てる目的は複数ある。

 まず第一に、王女を渡したくないという感情。肉親の情にしても王国の面子にしても、帝国の言いなりになりたくないという思いは理解できる。その場合、帝国に発覚すればどのような報復があるか分からないので、替え玉には徹底して王女の演技を叩き込む。王女を詳しく知る者がいないなら、幼い子供でも俯き無言を基本にしていればそこまで違和感はないだろう。身分によるが、帝国で王女として遇されるなら替え玉の子供にとってもそう悪い話ではない。

 第二に、刺客。人質とはいえ、高貴な身分であれば応対するのは帝国の中枢に近い人物になる。今のように、皇帝の間近まで接近できる機会も出てくる。諜報や暗殺に特化した教育を施した子供というのは、おそらくどの国でも抱えている。武帝暗殺に成功すれば帝国は大混乱に陥り、王国に遠征軍を派遣するのも当面は無理だ。混乱に乗じて失地回復を狙うというのも、ありそうな話ではある。

 そして第三、そもそもすり替えを発覚させる目的のもの。このように華々しく帝都で凱旋式を行い、王女として市民にお披露目した以上、彼女の存在は政治的なものになる。この後に彼女が偽物だと判明した場合、それを見抜けなかった武帝の無能は元老院で格好の攻撃の的になる。王国に抗議しても、ここまで連れてきてしまった後では王国が偽物を仕立てたのか、道中で誰かがすり替えたのかが立証できない。逆に王国から本物の王女をどこにやったと抗議される可能性もある。偽物であることをごく少数の知る秘密として囲い込むにしても、彼女が自分は偽物だと漏らせば終わりだ。いつ血を噴き出すか分からぬ腫瘍をその身に抱えているような状況を解決する最も簡単な方法は、王女の暗殺。死ねば人質の意味は無くなるし王国との関係も悪化するが、国内政治的には安定する。


──前は、王女は二年もしないうちに死んだ。


 武帝の演説は佳境に入り、王国首都に迫り降伏の使者と謁見する場面に差し掛かっている。そろそろ遠征で帝国が得た利権の説明と、その奉納に話が移るはず。次は戦勝を神々に捧げる、巫女姫の出番だ。儀式の流れを思い返しつつ、不審な動きの王女を観察する。感心したように頷きながら話を聞いている彼女は、やはり当事者には見えない。

 巫女姫の知る範囲では、王女の死因は暗殺。王女を下賜された皇帝派閥の議員宅が襲撃を受け、家人もろとも殺されたという。襲撃の首謀者として西方属州を本拠とする有力議員の名が挙がり、派閥間の抗争に拡大していった。

 仮に、王女が偽物だと察知した議員が暗殺騒動をでっち上げ、偽物の処分と対立派閥への攻撃を図ったのだとしたら。


──考えすぎでしょうか。


 そもそも前回は、王女の行動にこんなに違和感を覚えることなどなかった。まだ自分自身が幼く、大観衆を前にした儀式を控えて緊張していたというのもあるだろうが、ここまであからさまな態度に気付かないものだろうか。

 賢帝を横目で窺うが、穏やかな表情からは何も読み取れない。帝都に留まり伏魔殿とも称される元老院を日常的に相手にしている彼が、何も感じていないはずがない。賢帝の采配に委ねるべきか、否か。


「──帝国に勝利をもたらした神々に感謝を!」


 武帝の声が一際大きく響き、満場の観衆から怒号にも似た帝国万歳の歓声が挙がる。演説を終えた彼が貴賓席に向き直り、再度敬礼を捧げる。皇帝万歳、帝国万歳の大合唱の中、巫女姫は静かに立ち上がった。後ろに控える側仕えから、瑞々しい葉を付けた月桂樹の枝を受け取る。

 一歩、また一歩。武帝の待つ一段下の舞台に進む。その歩みに合わせて声は収まっていったが、興奮のもたらす膨大な熱量はむしろ競技場内に貯留し、渦巻いているようだった。


──前は、怖ろしく感じたものでしたが。


 静まる会場の視線が、巫女姫一人に集中する。前は震えてどうしようもなかったが、今は意識して微笑みを浮かべる余裕すらある。舞台に降りた巫女姫に代わり、武帝が賢帝の隣に用意された席に座る。整然と居並ぶ軍団兵を前に、巫女姫が両手で枝を捧げ持った。

 舞台袖に控える楽師が竪琴の弦を震わせると、歌い手の巫女達が太陽神と軍神を讃える歌を歌い始めた。その響きに合わせ、巫女姫の体がふわりと舞う。回り、屈み、伸び上がり、止まる。一つひとつの動きが音と調和し、月桂樹の葉と巫女姫の淡い茶色の髪が、日差しを受けて黄金色に輝く。静かに笑みを湛えながら白い衣を翻らせる姿は、神々の依り代と人々に信じさせるに十分な神聖さを帯びていた。

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