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或る女、飛ぶ

 気付けば、至近距離で褐色イケメンに覗き込まれていた。

 状況を理解できず、情報処理の追いつかない私の頭はフリーズしている。そうしている間にも、きらきらと複雑な色に輝く瞳は心配そうに歪められ、背に回された腕にさらに力が込められる。…褐色イケメンに抱きしめられる格好になっていることに気付いた私の思考回路は、完全にショートした。


「ファトマ、気付いたか?」


 低い、艶のある声が耳に響く。大きな手が、優しく頭を撫でる。何これ。どういう…何?


「すまない。お前を守ってやれない兄を、許してくれとは言わない。だが、信じて欲しい。お前を…愛しているのは、真実だと」


 熱の籠もった瞳で甘く囁かれ、脳内の私が鼻血を噴く。何コレ妄想にしてもベタすぎるでしょ。いや美味しく頂けますけれども。


「アデル、時間だ」


 後ろから声をかけられて振り返ると、そこにも褐色イケメンがいた。おかわりか。

 私を抱きしめていた方の褐色イケメン…アデルは、辛そうに顔を歪め、腕を離した。頭を撫でていた手が、頬をなぞる。優しく温かなその感触に、心の奥底がじりじりと焦げるようだ。

 回らない頭に、少しだけ引っかかるものがあった。アデル。ファトマ。そうなると、もう一人は。


「ハーディ、兄様」


 後ろから声をかけてきた方の褐色イケメンの頬が、ぴくりと動いた。夜の闇のような瞳が、まっすぐに私を見る。躊躇うように伸ばされた手は、しかし固く握り締められ私には触れなかった。


「…必ず迎えに行く。待っていろ。どうか、…どうか、健やかに」


 ともすると冷たく聞こえる声色の中に、私に向けられた確かな愛情を感じる。ハーディの横に立つ武装した兵士が、私の手を取る。向かう先にあるのは、黒い船腹から百足のように櫂を突き出したガレー船だ。出航準備で慌しく動き回る人々でごった返す桟橋を、手を引かれながら歩く。

 髪を流す風。潮の香りに入り混じる、雑多な異国の匂い。日は昇ったばかりで、水面を薄赤く輝かせている。ガレー船の甲板に立つと、この港の全景が見渡せた。離れた所に立つ二人の兄と、廷臣たち。日干しレンガの建物が並ぶここは、海の玄関口、リディアの町。

 周りにいる人たちが、皆見上げるほどに大きいことに今更気付く。いや、皆が大きいのではなく私が小さいのだ。まだ九歳でしかない身で帝国に差し出された悲劇の少女、ファトマ。『星は赤の大地を越えて』の主人公、ハーディとアデル両王子の妹。

 次々と舫綱が解かれ、どぉんと太鼓が打ち鳴らされる。それに合わせて、ゆっくりと船が動き出した。ゆらりとした揺れと共に、私の記憶が溢れてくる。

 この世界の住人ではない、日本人の私の記憶が。




 取り立てて何という特徴もない人生だったと思う。特に努力したと言えることもなく、人に誇れることもなく。その他大勢の一人、それが私だ。中高一貫の女子校から私立大に進学して、そこそこの会社に就職。教育に金を惜しまなかった両親のおかげで、何不自由ない独身一人暮らし生活を謳歌できている。

 趣味は嗜む程度に二次元を。基本的には漫画を摂取していて、それに関連して文章や映像にも手を出す感じだ。わりとマイナー志向で周囲の人と話が合わないのが悩みといえば悩みか。刀を振るって鬼退治とか年端もいかないヤンキーが喧嘩するとかって話にのめり込めれば、たぶん会社でもライト層と絡みやすいとは思う。

 最近…というか、ここ数年の推しは『星は赤の大地を越えて』。連載開始から十年以上になる、少女漫画の中でも歴史大河系の作品だ。古代地中海世界っぽい架空の舞台で、現実世界で言うなら小アジアのペルシャっぽい王国の兄弟王子がローマっぽい悪の帝国に立ち向かうストーリー。某女しかいない歌劇団が舞台化したことで、「あー聞いたことあるかも」くらいの知名度を獲得している。「アニメ化決定!」と雑誌に載ったのは何年前だったか。それ以来何の話もないあたり、色々お察しだ。まあ、世間的にはそういう扱いの作品である。

 そんな『星赤』に久々に動きがあった。漫画出版社合同のイベントで、企画展示が行われたのだ。場所はでっかい逆三角形の国際展示場。連載年数的には大御所だがいまいちメジャーになりきれない作品をねじ込んだ担当者、マジ有能。『作品の世界観を表現したスクリーンの前で、等身大のキャラクターと記念撮影ができます』。つまり引き延ばした背景イラストの前にキャラポップスタンド並べただけってことね。マジ無能。

 まあ供給の少ない作品なので、搾取と分かっていても行きますとも。展示場ホールは友情努力勝利の絶対王者を中心にメジャー雑誌群の展示とイベントステージで埋め尽くされていて、お目当ての『星赤』は連絡通路にひっそり佇んでいるとしても。イベントステージ参加券のついてない入場券は安いからいいんだ。

 当日はよく晴れていた。暦の上では秋と言うが殺意を感じる日差しの下、お目当ての企画展示に直行する。一階の連絡通路は東西の展示ホールに挟まれて、いい風が吹き抜けている。

 宣伝バナーの群れを抜けた先、搬入道路が近付くあたりに『星赤』はあった。体育館のステージ弱くらいの大きさのスクリーンに、王宮と赤茶けた大地が印刷されている。その前には、メインの王子二人とヒロイン、敵役の皇帝の等身大ポップと作品ロゴと説明の立看板。思っていたよりはいいじゃん、と腐していた担当者に謝りながら、写真を撮りまくる。新情報は…無しか。ちっ。

 一通り撮り終えたら、今度はツーショットだ。男性キャラは少女漫画のお約束で軒並み長身で、私の身長だと自撮りがなかなか難しい。誰かに頼めばいい?嫌だよそんな公開処刑。そもそもここ、あんまり人が通らないし。

 風にはためく背景スクリーンとなかなかベストな角度に収まらないポップに苦戦しつつ、あれこれ試行錯誤していた時だった。

 たぶん、最初は屋外に展示するつもりじゃなかったんだろう。風を受けた時にどうなるかは、あまり考えていなかったのかもしれない。

 これだけ大規模なイベントになると、設営の末端にはバイトも混ざる。ちょっと長さが足りない固定ロープを、よく考えずに手近にあったビニール紐で代用したんだろう。そうでなくても、適当な結び方をしたロープは繰り返しの振動で緩み解ける。

 特に強風注意報とか出てる日ではなかったが、展示場は海が近い。東西を巨大なホールに挟まれた連絡通路は、時として想定外の強風が吹き抜ける。

 私は私で、風に煽られて倒れそうになるキャラのポップに気を取られていた。後ろで何が起こっているのか、見ていなかった。


 突風に煽られたスクリーンが大きくたわみ、下を支えていたスチール製のポールが引っ張られた。水を溜めたウェイトに結ばれていた紐の、一つが解ける。続けて二つ、また一つ。最後を支えていたビニール紐が引き千切られ、大きく上に舞い上がる。その頃には、上を支えていた紐もいくつか解けていた。支えを失ったスクリーンは風に翻弄され、ポールが天井にぶつかり跳ね返った。

 スクリーンの一点を中心にフルスイングするような形になったポールは、風に煽られ真ん中から折れそうになっていたキャラポップを支えていたアラサー女──私──の頭に、クリーンヒットしたのだった。


 そうして私の意識は勢いよく打ち放たれ、『星赤』の世界まで吹っ飛んでいったのである。

 …そんなことってある?

次回もまだ王女のターンです。

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