3章 我、今生に至る
ベンツはどんどん山奥深くに進んでいく。
さっきまで点々とあった民家も、今はもうほとんど見かけない。
辺りは人の手がまったく入っていない、天然の樹氷の森によって囲われている。
「……なあ、どこまで行くんだ?」
中年の女性の運転手に尋ねると、彼女はルームミラー越しにちらっとこちらを見てきて言った。
「もうすぐで着きますよ」
さっきからずっとこんなやり取りをもう、かれこれ三十分は繰り返している。
雪国の運転だから慎重になるだろうし、公道よりも時間がかかるのは理解している。
それにしたって、駅から遠すぎる気がした。
こんな辺鄙な場所に旅館を開くのは不可解だ。空華から建物の保存目的だと聞いてはいるが、それにしたって不便すぎる。
そもそも観光名所もスキー場もないこんな地域じゃ、旅館の経営が成り立つわけがない。僅かな登山客が泊まってくれたとしても、建物を保存するための費用どころか、従業員の給料分すら稼げないだろう。おそらく経営が長期化するほど、赤字がどんどん膨らんでいくことになるはずだ。
俺の不信感が限界まで達しかけた時、さっと森が途切れて視界が開けた。
森の中にぽっかりと開けた空間。
そこに旅館は孤独にぽつんと建っていた。
建物自体は三階建てでそれなりに大きいのだが、いかんせん周りを囲う山々と背の高い樹氷と比較すると一回り小さなサイズとして目に映ってしまう。
かなり時代を感じさせる外観の建物だ。木造建築で屋根は瓦葺き。全ての窓の向こうに例外なく障子が見える。玄関に通ずる入り口は当然のように引き戸だった。
運転手が先立って戸を開け、俺達を招き入れてくれる。
中は暖房が効いていてとても温かった。
玄関で待っていたのだろう女将らしき女性が深々と頭を下げて俺達を出迎えてくれた。
「ようこそ、遠いところからおいでくださいました」
「こんにちはー。とっても素敵な建物だね」
「お褒めいただき、ありがとうございます。長旅でお疲れでしょう、ゆっくり休んでください。温泉はすでに掃除を終えているのでいつでもご入浴いただけますよ」
仲居らしき女性が「お荷物をお持ちします」と言ってくれたので、彼女に預けた。
彼女達の態度に怪しいところは特になかった。辺りを見回してみても、ごくありふれた普通の旅館の玄関だ。落ち着いた雰囲気が漂っており、ここにいるだけで心が休まる。
色々と考えすぎだったのではないかと思えてきた。
きっと矢千夜の与太話で変に疑心暗鬼になっていただけだったんだ。案外、今更になって俺と別れたことを後悔しだして何かちょっかいをかけたくなったんじゃないだろうか。そう考えると、彼女がちょっとだけ可愛く思えてきた。けれども俺はもう、空華一筋だと心に決めているが。
今夜俺達が宿泊する部屋も、どの旅館にもありそうな和室だった。
「わー、畳だ、畳だ~」
空華は日本人ゆえの本能に従い、畳の上をごろごろと転がりだす。
そんな様子を、荷物を運んでくれた仲居はくすくすと笑って見ていた。この人達は、空華がまだ小、中学生ぐらいの幼い女の子だと思っているんだろうか。いや、さすがにそれはないか。空華の令嬢だということは、旅館の従業員全員に通達が行ってるだろうし。だとしたら、なかなか肝が据わっている。良家の令嬢相手でも、ごく普通の女の子と同じ対応ができるのだから。
俺は感心しながら靴を脱ぎ、畳へ上がった。足の裏に、程よい温もりを感じる。どうやら床暖房が設置されているらしい。
俺はちょっと気になって仲居に訊いてみた。
「床暖房はどの客室にも設置されてるのか?」
「はい。この辺は冬場になるとめっきりと冷え込みますからね。お客様に快適にお過ごしいただけるよう、全てのお部屋に設置しております」
「なるほど……」
床暖房の設置費用はそこそこ高額なはずだ。
こんな儲かりそうもない旅館に、そんな高い先行投資をなぜしたのだろうか。ただ単に建物の保存だけが目的ではないような気がしてきた。
……まだ矢千夜の呪縛にかかってるな、と俺は内心で苦笑した。
別にいいじゃないか、床暖房ぐらい。そんなことでいちいち猜疑心を抱いていたら切りがない。
おそらくこの旅館を経営しているヤツは空華の家に負けないぐらいの資産家で、別荘のつもりでここをオープンすることにしたんじゃないだろうか。それなら全ての辻褄が合う。
畳でごろごろしてた空華が、ぴょんと跳ね起きた。
「ねえ山村くん、早速温泉に行こうよ」
「それもいいが……なあ、この辺って何か外で面白いものはないのか?」
「面白いものって?」
「観光できそうな場所だよ。温泉で温まるのはその後にしたいんだ。先に入ったら外出が億劫になるし」
「なるほど、それもそうだね」
「そうですね……。近くに神社が一社ございます」
「神社か。空華も確か言ってたな」
「うん、旅館のご主人に聞いてたんだ。そこに行ってみる?」
「そうだな。こんな山奥に建ってるんだ、他の場所とは違った面白いものがあるかもしれないしな」
「うちの旅館から、案内の者を出しましょうか?」
「んー、どうする?」
「旅館の人の仕事を邪魔するのも悪いし、場所だけ教えてもらえばいいんじゃないか?」
言うまでもなく、空華と二人きりになりたいだけの方便だ。
我ながら演技派、自然な感じを装えたと思う。
空華も特に怪しむ様子もなく「そうだねー」って納得してるし。
仲居は「かしこまりました」と軽くうなずいて、テーブルを手で示して続けた。
「当旅館のパンフレットに、この周辺の地図が載っています。神社の位置も記されていますので、ぜひご活用ください。何かわからないことがございましたら、当旅館の者にお声がけください」
「ああ、ありがとう」
「ありがとねー」
仲居はきれいな所作で頭を下げて、しずしずと退室していった。この旅館に来る前もどこかで同じような仕事をしていたのだろうか、すでに彼女のふるまいは文句の一つもつけようがないぐらい、全てが完璧だった。
「じゃあ、行くか」
「うん、しゅっぱーつ!」
小さな拳を振り上げる空華の所作が可愛らしくて、俺は思わず一笑を零した。
ようやく固い縄のように縛ってきていた緊張がほぐれてきた気がした。
○
「ここが神社か……」
神社は旅館から徒歩五分程度の距離にあった。
雪がこんもりと積もっていて、なかなか雰囲気が出ている。
「ここも最近改築されたばかりで、きれいになったらしいよ。今は雪が積もっててちょっとわかりにくいけど」
「へえ」
俺は神社の名前を確かめるべく、門柱へと目を向けた。
だが側面は鏡のようにツルツルで、まだ文字が彫られていなかった。
「改築途中なんじゃないか? まだ門柱に神社の名前が彫られてないぞ」
「あ、本当だね。どうしてだろ?」
「パンフレットにも神社としか載ってなかったよな。もしかしてまだ、名前が決まってないのか?」
「そうなのかな? でも、歴史があるって聞いたんだけどなぁ」
「歴史がある名前のない神社。……そんなものが存在するのか?」
「でも実際、目の前にあるじゃん」
俺はもやもやした思いを抱きながらも、鳥居をくぐろうとした。
だがふと思いつき、俺は方位磁針がついている腕時計を見た。
「……やっぱり、この鳥居は変だ」
「え、どこが?」
「鳥居の色が黒色なんだ」
「……確かに、普通は赤色だよね」
「黒い鳥居は他の神社にも存在しないわけじゃない。東京の世田谷区にある松陰神社は、北方の守護神である玄武に合わせて鳥居を黒いものにしている」
「なら、別にこの鳥居も変じゃないんじゃない?」
「いいや。この鳥居は東向きに配されている。つまり東方の守護神、青龍に合わせた青色なら問題はない。だが実際は黒色だ」
「へえ……。なんでだろうね?」
「わからないが、この神社はどうも普通じゃないみたいだ」
「そうなんだー。まあ、考えてても仕方ないし、とりあえず中に入ってみようよ」
「……ああ」
俺は空華に促されて鳥居をくぐった。
神社の中はいたって普通だった。改築されたばかりだからか、色々なものが真新しく欠損が少ないことを除いては。
「……ほとんど誰も、ここには来てないんだろうな」
「どうしてわかるの?」
「雪の積もり方が他の場所と比べて深すぎる。屋根の上はさすがに雪かきされているが、参道はほとんどだ。管理者は最低限建物が潰れないようにしているが、参拝者のことは配慮していない。いや、する必要がないんだろうな。こんな辺鄙な場所に来るヤツなんて、そうそういないだろうし」
「……もしかすると、あれかもね。怪談的な背景があるかもしれないよ」
「なんだそりゃ?」
「ほら、よくあるじゃん。事故で亡くなった人を弔うために、お地蔵様とか祠を作る……みたいな」
「よくあるのかどうかは知らないが……。だとしても、こんな立派な神社を作るか?」
「うーん……。どっちかっていうと、お寺が建てられそうだよね」
「扁額もないし、祀ってる神様もまだわからないんだよな……。この神社の謂れとか彫られた石碑があれば、そこに名前があるかもしれないが――」
辺りを見回してみると、ふとあるものに目が留まった。
「あれかもな」
俺達は雪がうず高く積もった場所に近づいていって、それを手で除けていった。
果たしてその下からは、台座に載った薄い石が出てきたが……。
「何も書かれてないね」
俺の期待とは違い、目の前の石には人の手が加えられた形跡がまるでなかった。
「道祖神なのか……?」
「でも注連縄もされてないし、神様も彫られてないよ?」
「じゃあ、なんなんだこれ。もしかして門柱みたいに彫られてないだけなのか?」
「そうかもしれないね」
改築する時に、果たして石碑まで新しいものに変えるのだろうか? 破損してたならともかく、普通は元のものをそのまま置いておく気がするが……。
「祀られている神様の名前すら知らないまま、参拝とかしていいものか……」
「きっと大丈夫だよ。大半の人が神様の存在とか全然気にしないで、習慣として賽銭箱にお金を放ってるだけだもん」
「事実なんだろうけど、改めて聞くと日本ってもはや無神論者の国なんだなって思わせられるな……」
「みんな、お年玉とクリスマスプレゼントは好きなんだけどね」
「……じゃあまあ、とりあえず賽銭はしていくか。このまま何もしないで帰って、神様に祟られるのは嫌だしな」
「そうだね。あ、五円玉ってあったかな?」
「空華って、縁起とか気にするんだな」
「まあね。安いお金で賽銭を済ませられる言い訳にできるから」
「……金持ちなのにせこいな。どうせだったら、四十五円入れたらどうだ?」
「始終ご縁がありますように、だっけ。それは嫌だよ、ずっと神様に見張られてるなんて」
「そういう意味じゃないだろ……」
「ちょっと幸運が欲しい時だけでいいよ、神様が来てくれるのは」
「お前、一遍罰が当たった方がいいぞ」
「たった四十円で拗ねる神様の罰とか、全然怖くないよ。夢月の守護神様の方が強いもん」
「へー。空華にはどんな守護神がついてるんだ?」
「きっとすーっごく強くて、優しい神様」
「……わからんのかい」
「だって夢月もどっちかっていうと、無神論者なんだもん。オカルトとか神聖なものってあんまり興味ないんだ。知識としては面白いと思うけどね」
「なるほどなあ。まあ、両親が医学界とかに勤めてるとリアリストに育ちそうだよな」
「どうだろうね。……それで、山村くんはいくらお賽銭するの?」
「……五円」
「あはは。夢月達って、似た者同士だね」
「そ、そうだな」
俺は紅くなった顔を隠すため、そっぽを向いた。
目の前をふわりと白く小さいものが舞っていた。
「……賽銭が終わったら、もう帰るか。雪が降り始めてるみたいだ」
「あ、本当だ。この辺って一度吹雪くと、一週間以上続くこともあるみたいだよ」
「マジか……。そんな場所じゃ、スキー場も開けないよな」
「もし吹雪が長引いちゃったら車も出せないし、しばらく帰れないかも」
「えっ……。じゃ、じゃあ、大学はどうするんだよ?」
「うーん、お休みするしかないね」
「翌週って、最終授業だろ。単位取得に必要なテストが結構あるのに……」
「大丈夫だよ、補講を頑張れば」
「……はあ。俺の冬休みが……」
「そのお詫びになるかわからないけど、クリスマスはパーティーに呼んであげるから」
「それって、金持ちが集まるパーティーか? 誘ってくれてありがたいんだが、俺なんか絶対に場違いだし……」
「心配しないで。夢月とモニクと、あと使用人が少しいるだけのささやかなのだから」
「……あれ? 両親とかお姉さんはいないのか」
「みんな海外にいて帰ってこれないんだって」
「へえ……。寂しいな」
「だから山村くんが来てくれたら嬉しいなって」
「わかった。クリスマスには、夢月のパーティーにお邪魔させてもらうよ」
「うん、約束だよ」
空華がにこっと笑って、小指を立てた手を伸ばしてきた。
俺も小指を絡めて、拝殿の前で彼女と指切りをした。
だが絡めた指を空華はなかなか離そうとしなかった。
「……もう少し、このままでいいかな?」
「えっ……?」
「山村くんの手、温かいから」
頬を染めた空華が、白い息を吐きながらおねだりしてきた。
心臓に急かされるまでもなく、俺の答えは決まっていた。
「それなら指切りより、もっと温かくなる方法があるだろ」
「ほえ?」
俺は小指を緩めて手を動かし、そのまま空華の手を握った。もう片方の手も、彼女の手に被せる。すべすべしていて柔らかい、小さな空華の手。触れていると胸の奥がぽかぽかと優しい温もりに包まれる。きっと温泉に入ってもこうはならないだろう。
空華も、空いている手を俺の手に重ねてくれた。
「……あったかいね」
「ああ……」
俺達は長いこと手を取り合って、互いの赤らんだ顔を見つめ合っていた。
○
神社から帰ってきた俺達は、楽しみにしていた温泉へと向かった。
温泉は屋内と露天風呂の二つがあるみたいだった。
引き戸を開けるなり玉手箱の煙のように出てくる湯気と、温泉特有の香り。それだけでもうテンションが上がってくる。
さっと体を流して、とりあえず屋内の温泉で体を温める。
少ししてから、露天風呂へと向かった。
カラカラと戸を開けて、外へ出る。
さすがに外は寒い。北風が骨にまで吹き付けてくるようだ。
屋根もないから、粉雪が直接肌に落ちてくる。それもまた冷たい。
俺は急いで、霧のようになっている白い湯気へと向かう。それはもう、温泉の輪郭すらロクに見えないほどだった。
近づいてようやく温泉の周りに置かれた石がぼんやり見えてくる。
ふと、なぜ温泉の周りに石なんて置くんだろう……と疑問を覚えたが、寒さでそれどころではなくて、そのまま乳白色の湯の中に飛び込んだ。
熱い湯のお陰で、一気に体が温まっていく。ごくらく、ごくらく。漢字の『極楽』ではなく、平仮名ののびのびした感じがぴったりの心地よさである。
俺はついつい気分がよくなって、鼻歌なんて歌ってしまった。
その時、湯気の向こうから「えっ!?」と驚きの声が聞こえてきた。
女の声だ。幼さが色濃く残り、丸みを帯びている聞き慣れた声。
声のした方を見やると、湯気の中に小さな人の輪郭。
ふっと北風が吹いて、湯気が晴れる。
そしてクリアになった視界に映ったのは……。
「山村くん?」
「……空華」
温泉に浸かっている空華が、少し先で目を丸くしている。
湯が濃い乳白色でよかった、お互いのやっばいところは見えなくて済んでいる。だけど空華の湯の熱で火照った華奢な肩はなかなか色っぽくていいなぁとか、俺の思考はすでにあっちのライン側へ行っちゃっているが……。
空華は驚きが冷めると、すいすいこちらへ泳いできた。
「わー、ここって露天風呂は混浴だったんだねー」
「あ、ああ」
……あれ。コイツ、もしかしてその手の羞恥心は持ち合わせてない?
「この温泉、とってもいい湯だよね。疲れがすっ飛んでいっちゃうよ」
「そ、そうだな。……あの、俺、そろそろ上がるよ」
「ほえ、なんで? まだ入ったばかりじゃん。もう少し浸かっていきなよ」
「……あ、ああ」
なんで俺の方がテンパってるんだ……。
空華はこんなに平然としてるじゃないか、落ち着け、落ち着け。
恥ずかしがることはない。
ただ一緒に温泉に入っているだけじゃないか。……一糸もまとわずに。
ぼんっ、と顔から湯気が出てきたような気がした。
こんなん、まともな精神状態でいられるか。
目の前で可愛い女の子が、生まれたままの状態でいるんだぞ。
そりゃこんな気分にもなるだろ。こんな気分にも。
「ねえ、山村くん」
「お、おう。なんだ?」
「夢月ね、ずっと夢だったの。こんな風に、友達と一緒に旅行に来るのが」
俺は混乱の沼からすっぽり抜け出して、まじまじと空華の顔を見てしまった。
「……まさかお前、今までぼっちだったのか?」
「友達はいたよー」
けらけら笑われてしまった。
俺は「そ、そうだよな」と目を逸らしながらぎこちなく笑った。
空華は両手で湯をすくい、それが指の間から漏れる様を眺めながら続けた。
「でもね、ずっとモニクとか、使用人が傍にいたの。だからかな、本当に素直に楽しめた旅行って一回もなかったの」
「……まあ、資産家の令嬢だから仕方ないだろ」
「だから、嬉しかったの。こうして山村くんと二人だけで旅行に来れたことが」
空華は顔を上げて、真っ直ぐに俺のことを見てきた。
それからふわりと柔らかい笑みを浮かべて彼女は言った。
「ありがとう。夢月と一緒に旅行に来てくれて」
「……ああ。どうしたしまして」
全身がさっきの何倍も熱い。湯の中で広げた手に、空華の手の感触が蘇ってくる。
胸の奥が苦しい。すぐそこに、無防備な空華がいる。今なら……。
……いや、やめておこう。
俺はぐっと堪えて、ただ空華に笑みを返した。
辺りが暗くなり、ぽつぽつと灯篭に明かりが灯りだす。
夜はまだ、始まったばかりだ。
今夜。部屋の灯りを消した後に、空華に想いを伝えるんだ。
それから……。
俺は温泉の湯が濃い乳白色であることに、心から感謝した。
温泉を出た俺達は、豪勢な夕食を食べて腹を満たした。
さっきまでは粉雪程度だった降雪は、今はすっかり矢の雨みたいな吹雪へと変貌を遂げていた。
「……これは数日間続くかもしれませんね」
お膳を下げに来た仲居さんがため息混じりに言った。
「マジか……。食事とかは大丈夫なのか?」
「ええ。従業員とお客様の一ヶ月分の食事を備蓄していますから」
「そうか。なら安心だな」
「でもせっかく雪国に来たのに、雪遊びできないのは残念だね。それに露天風呂にも入れなくなっちゃうし……」
「俺としては、大学のテストを受けられない方が痛いけどな……」
「まあ、まだ長引くと決まったわけではありませんし。それにお帰りが困難になっても、お泊まりになられている間はしっかりとお世話させていただきますので、どうぞご安心を」
「そりゃ、ありがたいが……。何日もいたら、退屈しそうだなぁ」
「Wi-Fiは繋がってるし、電気も通ってるからスマホゲームなら遊べるよ。それにほら、こんな状況だから缶詰状態で執筆とかもできちゃうよ!」
「……物理的に外に出れないからな。まあ、当分の過ごし方は明日になってから決めればいいか」
「そうだね」
「では、お膳の方を下げさせていただきます。お布団はいかがなさいますか?」
「俺達で勝手に引いておくよ。な、夢月?」
「うん。だからお構いなくー」
「わかりました。では、おやすみなさい」
仲居さんが出ていった途端に、俺の鼓動が一オクターブ高くなった。
もう今夜は誰もこの部屋に入ってこない。
つまり明日の朝まで、この部屋で俺と空華は二人きり!
これはもう、何も起きないはずが……。
「……あ、れ?」
突然、頭が重くなるような感覚。あまりにも、乱暴な……眠気?
「あれ、山村くんどうしたの? もしかして、疲れて眠くなっちゃった?」
遠くに空華の声が聞こえる。
答えようとしたが、舌が動かない。
思考が鈍くなり、段々何も考えられなくなっていく……。
「……おやすみ、山村くん」
空華の声を最後に、俺の意識は深い闇の底へと沈んでいった。
○
目が覚めると、見慣れない天井が視界を占めた。
なんの飾り気もない真っ白な天井。病院にでも使われていそうだ。
ゆっくり息を吸って吐く。ちゃんと呼吸はできる。
手も問題なく動く。
「……あ、目を覚ました。よかった……」
声のする方を向くと、夢月が心配そうな顔で俺のことを見ていた。
「……ここは?」
「医務室だよ。旅館の地下にあるんだ」
「医務室……?」
「覚えてる? 山村くん、夕食を食べた後に急に倒れちゃったんだよ」
「……ああ、そういえば」
夕食を終えて、いよいよ空華と二人きり! ……ってタイミングで急に頭が重くなって、それから……もう後のことは覚えていなかった。
「慌てて旅館の人を呼んだら、ここに運んでくれたの」
「俺、何か病気にでもかかったのかな?」
「それはお医者さんに診てもらわないと、わからないけど……。体の調子はどう?」
俺は体を起こして、肩を回したり足を上げてみたりした。
「……少し怠いけど、特に異常はなさそうだな」
「そっか、よかった」
実際は軽めの熱の症状が出ているのか頭が少し熱く、痛みのようなものも発していた。だが空華に心配をかけるのが嫌で、とっさに嘘をついてしまった。
「お医者さんを呼んでくるから、ちょっと待っててね」
空華はぴょんと椅子から飛び降りて部屋を出ていった。
それからすぐに白衣を着た女性と共に戻ってきた。彼女が医者だろう。
医者は聴診器や体温計などを使って、俺を診察した。
最初はただの風邪だろうと思っていたが、段々と医者の顔が険しくなっていくにつれて心中に不安が立ち込めてきた。
一通り診察を終えた医者は俺から目を逸らして黙り込んでしまった。
「……なあ。どうだったんだよ?」
俺が尋ねると、ようやく医者は重い口を開いた。
「詳しくは申し上げられませんが、山村さんは重い病気にかかっていらっしゃいます」
「マジかよ……」
「う、嘘……。昨日まではあんなに元気だったのに」
ショックを受ける俺達に構わず、医者は説明を続ける。
「今はまだ症状は軽めですが、いずれ悪化する可能性が濃厚です。今日から朝と晩に一本ずつ注射を打たせていただきます。それで当分は様子を見ましょう」
「な、治るのか……?」
「現状ではわかりません」
俺は言ったん嗜好を整理して、医者に訊いた。
「……なあ、医療従事者には説明義務があるはずだろ。わかってる範囲でいいから、俺がかかってる病気について教えてくれないか?」
医者は少しばかり考えてから、うなずいて口を開いた。
「山村さんのかかっている病気は、簡単に言ってしまえば質の悪い風邪のようなのもだと思われます。しかし厄介なことに、通常の薬が効きづらい種類の菌によるものです。また自然治癒が期待できない点もこの病気の特徴です」
「放っておいて治るようなものじゃないってことか。……その病気って、なんなんだよ?」
「それは……、新型のインフルエンザです。E型というものが、先日アメリカで発見されたんです。ニュースでご覧になっていませんか?」
「……いや。あまりニュースは見ないんだ」
「そうですか。E型は今はまだ効果的な治療法は判明していませんが、幸い空気感染する可能性がほぼないことがわかっています」
「じゃあ、どうやって感染するんだ?」
「現在の時点では詳細な感染経路は不明ですが、E型の全貌を解明すべく空華グループも研究に全力を尽くしていますので、直に明らかになるかと」
「……死亡率はどれぐらいだ?」
「E型は症状こそ重くなる傾向にありますが、死亡者はほぼゼロに近いです。安静にしていれば、命に別状はないでしょう」
「そうか……」
俺は脱力して、肩の荷を下ろした時のように息を吐きだした。
「何かお困りのことがありましたら、遠慮なくお呼びください。それでは」
医者は診察器具を仕舞い、部屋を出ていった。
残った空華は暗い面持ちで俯いてしまった。
「夢月がこんな寒い場所に連れてきちゃったから、体調を崩しちゃったのかな……」
「そんなわけないだろ。さっき医者も言ってたじゃないか、新型のインフルエンザだって。空華のせいじゃないよ」
「でも、もしもここに来なければ……」
「やめてくれよ。空華が落ち込む姿なんて、俺は見たくないんだ」
「山村くん……」
「大丈夫だって、すぐに元気になるから」
「本当?」
「ああ。元気になったらまた、一緒に温泉に入ろうぜ」
「……うん!」
曇天の切れ間から覗く陽光のように眩い笑みに、俺の頬まで緩んだ。
きっとすぐに快復する。
この時はそう思っていた……。
○
日に日に体調が悪化していく。
怠い、しんどい、熱い……と、心中で何度呟いたことか。
それを口に出すことさえ、今は億劫だった。
頭が重くて、思考が鈍い。何かを考え始めると段々意識が霧がかっていって、最後には出発点が見えなくなってしまう。
朝と夕の食事の後には、決まって医者に注射を打たれた。
「痛いかもしれませんが、すぐに済みます。我慢してください」
医者は決まってそう言って、俺の上腕部に注射針を打ち込んだ。
腕がいいのだろう、痛みはほとんどない。
だが投薬された後は特に体が熱くなった。
薬が効いているからだろう……そう信じ込みたかったが、いかんせん肌が焼けるような苦痛は耐えがたく、医者に対する疑念が湧いてくる。だからといって、何ができるというわけでもないのだが……。
「ぐっ、あぁ……。なあ、これは本当に治療薬なのか……?」
「症状の進行を遅らせる薬です。治療薬は今、各国の研究機関が開発しているはずです。完成までの辛抱です、今は耐えてください」
何度このやり取りをしただろうか……。三回目から数えるのをやめてしまって、今はもうわからない。
俺は朦朧とした意識の中で、切に願った。
どうか神様、早く俺の病気を治してくれ……と。
薬の副作用が終わるのを見計らったかのようなタイミングで、いつも空華はお見舞いに来てくれる。
「山村くん、調子はどう?」
「だいぶ良くなってきたよ」
「そっか。早く全快するといいね」
「外の様子はどうだ?」
「まだ吹雪いてるよ」
「そうか……。空華も暇だろ、スマホがネットに繋がらなくなってるしな」
「Wi-Fiの調子が悪いみたいなんだよね。これじゃあニュースも見れないから、E型がどうなってるかもわからないよね」
「まあ、どうせ吹雪いてるんじゃ治療薬ができても病院には行けないだろうけどな」
「うん……。せめて吹雪が止めば、山村くんを病院に連れていけるんだけどね」
「俺が倒れた日からずっと吹雪いてるんだっけ?」
「うん。もう三日になるね」
「まだ三日しかたってないのか……」
体感的にはもう一週間は経っていた。苦痛が続くと、時間の経過は遅くなるらしい。
俺をじっと見ていた空華は、ふいにくすっと小さく笑みを零した。
「なんか、山村くんの肌白くなってきたね」
「そうなのか……?」
「うん。多分ずっと部屋にいて、日に当たってないからじゃないかな?」
「元から俺はあまり部屋を出ない引きこもりだったけどな」
「そっか。でも今はすごく肌の調子がよさそうだよ」
「……病気の何かの作用か? だとしたら、変な症状だな」
「肌がきれいなる病気とか、奥様方が喜びそうだね」
「はは……。欲しいなら譲ってやりたいけどな」
「具合が悪くなってでも美肌を求める人はいそうだよね。……でもそれは山村くんだけのものだよ」
「ん……? E型にかかってるヤツって、世界中にいるんだろ」
「……そうだね。本当、早く元気になってほしいよ」
「ああ、頑張って闘病するよ」
「早く病気なんてやっつけちゃってね! そうしたらまた、小説を書いてほしいな」
「『黒巫女様』の次回作、頭の中ではもう完成してるんだけどな……。今の状態じゃ執筆なんてできっこないし」
「本当!? 楽しみにしてるね」
空華の笑顔が、忘れかけていた青空の清々しさを思い出させる。
……早く、元気になろう。
空華とやりたいことがいっぱいあるんだ。
どこかに一緒に遊びに行ったり、美味いものを食べたり。
好きなアニメや本の話をしたり、もちろん書いた小説を読んでもらったり。
そして俺の想いを伝えて、恋人になって……デートをするんだ。
まあ、すぐには関係性も変わらないだろうし、しばらくは友人だった頃とあまり変わらない日々が続くんだろうな。
だけどほんのちょっとずつ、心の距離が近くなっていって……、いつか恋人同士らしいこともする日が来るはずだ。
それから結婚して、赤ちゃんができて……。
ああ……ダメだ、もう意識が……。
「……疲れちゃったんだね。ゆっくり休んでね、山村くん」
空華の声が聞こえる。
それだけで俺は幸福感に包まれて、不安を忘れることができる。注射なんかよりもよっぽど即効性のある、最高の薬だった。
「……やく……せてね……さまに」
空華が何かを言っているようだったが、よく聞き取れなかった。
意識が微睡みに優しく包まれていく。今日はよく眠れそうだった。
次に起きた時、ここ数日の中で一番体調が悪かった。
頭が火山の噴火口にでもなったように尋常じゃなく熱いうえに、頭痛もかつてないぐらい激しいものになっていた。頭蓋骨が今にも割れそうだ。時折、毛穴が開いたかのようにスースーと妙な清涼感を覚えることもあった。その時だけは頭の苦痛からは解放された。頭の苦痛だけは……。
体は常に電流が流れているように痺れていて、まったく動かすことができない。いや、痙攣したようには動いている。だがそれは己の意思によるものではまったくない。
自由にできるのは瞼ぐらいだが、視界がおかしい。
まるで焦点が定まらないのだ。
クリアになったかと思えば急にぼやける。少し経って、また明瞭になる。それを何度も繰り返している。段々と気持ち悪くなってくる。度数の強すぎる眼鏡を何千回もかけたり外したりしているようだ。
一番つらいのは、それを声に出して訴えられないことだった。
いくら声を出しても、それは掠れたものになってしまう。まだ映画に出てくるゾンビの方が今の俺より上手く発声できているだろう。
だから医者が来ても、今の俺の症状を上手く伝えることができなかった。
ただ俺の症状がヤバいことは、一目見ればわかっただろうが……。
医者はなぜか今日は終始無言だった。
こういう時は普通、「大丈夫ですか」とか、「しっかりしてください」みたいな励ましの言葉をかけてくれるものだと思うが……。
だが注射だけは律儀に打っていった。
その投薬が、なぜか今日は気持ちよかった。
針の感触はわからない。だが薬が体に流れ込んできた瞬間、すっと体に染み入って苦痛が幾分か和らいだ気がしたのだ。その薬が全身に回ってくれと強く願ったが、心地よい感覚は一瞬にして薄らいでしまった。
それでも薬がちゃんとこの病気に効くとわかり、多少の気休めにはなった。
医者が去ってからしばらくして、いつも通り空華がやってきた。
彼女は苦しみ悶える俺を前にしても依然と平静を保ったまま、傍までやってきた。
「……長かった。たった四日だけど、長かったなぁ」
空華はしみじみと呟くように言って、達成感に満ちた表情になった。
「やっと、やっとこの時が来たんだ。これで夢月の願いが叶う……」
一体、空華は何を言っているんだろう。
わからない。頭が全然回らない……。
「山村くん、ありがとね。夢月はあなたのことは別に好きじゃなかったけど、でもあなたに会えて本当によかったと思ってるよ」
視界がふいに滲んだ。
空華は、俺のことを……愛していない。
自分の中の何に、ヒビが入る。
違う……そんなの、嫌だ。信じない、信じるものか。
そうだ、これはきっと夢なんだ。苦痛が見せている悪夢に過ぎない。だから、今見ている世界は現実なんかじゃない。
この意識が認知している幻想に誑かされるな。今見ているもの、聞いてるものは全部、一切合切、忘れてしまえっ……!
「……早く死んでね。でないと、夢月は会えないんだから」
死……? 空華が、俺の死を……望んでる?
あり得ない。そんなこと、あるはずがない。
約束したんだ。俺は空華とクリスマスパーティーをするって。
それまでは死ねない。死ぬわけにはいかないんだ。
やっとわかった。
コイツは悪霊だ。空華に化けた、空華の姿をした悪霊なんだ。
俺の心を折って絶望させて、病魔で喰らい殺すつもりなんだ。
負けるもんかっ……。
俺は生きて帰るんだ、現実世界に。
帰る、帰る、帰る、帰るっ、帰るっ……、絶対に帰ってやるッ!
体こそ動かないが、自分の中に全てを吸い込んでしまうような、不可思議な感覚が生まれつつあるのを感じた。
……これはもしかしたら、破邪の力か?
黒巫女は悪霊を退治する時、自身の中で魔を払う力を練り上げる。それこそが破邪の力である。
それが俺の中にも宿ったというのか?
もしかしたら今の俺はおかしいのかもしれない。
現実と妄想がごっちゃになっているだけなのかもしれない。
だとしても、俺はこの細い蜘蛛の糸みたいな可能性に賭けるっ!
僅かでも、一パーセントでも可能性があるなら、それにオールインしてやるっ!
だから神様……、お願いだ。
俺の望みを叶えてくれ! 破邪の力を授けて、空華の悪霊を払わせてくれッ!!
おこがましいかもしれない。
本当なら、自分の身を捧げるぐらいの対価が必要なのかもしれない。
だがそれは認められない。
空華との約束を守らなくちゃいけないんだ、命に代えても。
だから……だから神様、この願いを聞き届けろ。
俺と空華を……助けてくれッ!!!!!!
直後、吸引力は身の内で急速に膨らんでいった。さながらビッグバンのごとく。
これで、空華の悪霊もっ……!
視界が曙光に目が眩むように白んでいく。
同時に俺の意識が掻き消えていく。
「……なれるよ。山村くんなら。信じてるからね」
気を失う直前、聴覚が空華の声を拾った。
直前まで何を言っていたかを聞き逃していたせいで、言葉の全貌をつかむことはできなかった。だが信じているという言葉はきっと、悪霊に憑かれていては発せないはずだ。
俺は最後の気力でつかんでいた意識を手放した。
苦痛もいつの間にかなくなり、体が白い砂となって崩れ落ちていくような眠りが訪れる。
空華を守れて……、本当によかっ……た……。
……………………。
○
ゆっくりと意識が浮上してくる。
最近は苦痛で無理矢理起こされることが多かったから、久しぶりのまともな目覚めだ。
目を開くと、ちゃんと視界が安定している。心なしか、以前よりかなり視力が上がった気がする。なんか景色がすごくすっきりとして見える。
体を起こすと、まだ体調が万全じゃないのか少しだけ胸が重かった。
頭をぽりぽりと掻こうとして、気付く。ずっと寝ていたせいか、髪がかなり伸びていた。せっかくこの前切ったばかりなのに、また散髪に行かなきゃいけないのか。面倒臭さから軽くため息を漏らす。
自分の手を見て気付いた。
確かに肌が白くなっている。 それに指が少しほっそりしている。長いことまともに栄養を取れていなかったから、痩せてしまったんだろうか。でも今の手の方がきれいに見えるし、却ってよかったかもしれない。禍を転じて福と為す、ってヤツだ。
うんと伸びをしてみる。凝っていた体が解れていく、心地よい感覚。このままふわっと体が宙に浮いていきそうなぐらいだ。
手を下ろしたちょうどその時、医務室のドアが開いた。
快復してから一番に会うのは、アイツがいい……!
その祈りが通じたのだろうか、部屋に入ってきたのは空華だった。
彼女は俺が起きているのを見ると、ぱあっと顔を輝かせた。
「……やっと、やっと……願いが叶うんだ」
なんか、すごい大仰な喜び方だ。ちょっとこっちが照れ臭くなってしまうぐらいに。
「……おはよう、空華」
久しぶりに発した声は、ちょっと違和感があった。なんかいつもより大分音程が高い気がする。まあ、少し経てば元に戻るだろう。
「あっ、う、うん。おはよう、山村くん」
「なんか治ったみたいなんだ。自然に快復したから多分、E型のインフルエンザっていうのじゃなかったんだろうな」
「そっか、よかったね」
心なしか空華はそわそわしていた。
きっと元気になった俺を早く温泉とかに誘いたくて、うずうずしているのだ。
「一応、医者に診てもらった方がいいんだろうな。ちょっと呼んできてくれないか?」
「わかった、呼んでくるね!」
空華はとたとたと駆け足で部屋を出ていき、「先生、せんせーい!」と大声で医者を呼び出した。その喜びように俺は思わず笑ってしまった。
すぐに医者は空華に先導されてやってきた。
医者は俺を見るなり、「これは……」と驚きに目を丸くしていた。
「ありがとな、色々面倒を見てくれて。もうすっかり元気になったみたいだ」
「え、あ、はあ……。ご快復、その、おめでとうございます」
「すまないが、一応診察してくれないか。自分じゃ気付かないだけで、まだどこか悪いところがあるかもしれないからな」
「わ、わかりました」
それから俺は診察を受けた。
医者はどこか戸惑った様子だったが、仕事は手早かった。さすがプロだ、どんな状況でも職務をこなす際の切り替えが早い。
なぜか聴診をされる時、本能的な羞恥心が湧いてきた。
以前なら胸がまるまる見えるぐらい平気で服を上げることができたが、今回はヘソがギリギリ見える程度に留めてしまった。
医者は少し困った表情をしていたが、「……まあ、いいでしょう」とそのまま聴診器を引っ込めてしまった。
「……え、やらないのか?」
「もうすでに全快しているのはわかっていますから。峠はすでに越えたようですしね」
俺は少しの間、呆気に取られていた。
この医者は仕事は完璧にこなすタイプだと思っていた。今までなら、こんな風に中途半端なまま診察を切り上げたりはしなかったはずだが……。
もやもやしたまま診察は終わり、医者は部屋を出ていってしまった。
「よかったね、山村くん。完治だってよ、完治!」
「……ああ」
「あれ、どうしたの。浮かない顔だね」
「い、いや、そんなことないぞ。病み上がりだから、まだ本調子が出ないだけだ」
「そっか。それなら、温泉入りに行こうよ。あったかいお湯に浸かってればきっと、暗い気持ちなんてどこかに吹っ飛んでいっちゃうよ!」
「……そうだな。医者ももう、何をしても大丈夫だって言ってたもんな」
「着替えとか洗面用具は脱衣所に持って来てもらえるように、仲居さんに頼んでおくよ。夢月は先に行くけど、山村くんはゆっくり来て大丈夫だからね」
そう言って空華は駆け足で部屋を出ていった。
残された俺は、空華に言われたように、のんびり脱衣所に向かうことにした。
しばらく寝たきりだったし、ちゃんと歩けるか心配だ。急がず、慎重に行こう。
とりあえず足をベッドから床へ下ろしてみる。
……あれ。足が床についていない。ぷらんと垂れ下がっている。
なぜだろう。普通のベッドなら、余裕で足がつくのに。そんなに高いベッドなのか?
それに足も手みたいに白くきれいになっている。心なしか、病で倒れる前より一回りぐらい小さくなっているような気がする。なんか視力が上がっているみたいだし、見え方が変わっているのかもしれない。
そっと腰を浮かして立ってみた。
いつもより世界が大きく見える。
視線の位置が少し低くなっている……のか?
いや、この部屋にあるものが一般標準より少し大きめのサイズで作られている可能性もある。現にベッドも高かったみたいだしな。
俺は試しに一歩踏み出してみた。
……歩幅が狭い気がする。
まあ、それも部屋がおかしいせいだ。
俺は以前と何も変わっていない。そのはずだ……。
なぜか行動する度に、胸中で不安が少しずつ大きくなっていく。
俺が寝ている間に、何かこの世界に異変が起きたのだろうか?
それとも俺がおかしくなってしまったのだろうか……。
そういえば、精神疾患の一つに不思議の国のアリス症候群っていうのがあったはずだ。
確か視覚には何も異常はないが、目に映る物体のサイズだけが違って見えるらしい。
外界にあるものの色や形はしっかり視認できているのに、大きさだけが異なっている。だから自分の体が大きくなった、もしくは逆に小さくなったと錯覚してしまうそうだ。
ちょうど今の俺みたいに……。
せっかくしんどい病気が治ったのに、今度は精神疾患か。
一難去ってまた一難とはよく言ったものだと、俺は思わずため息を漏らした。
まあ、インフルエンザと違って身体的苦痛がないからまだマシだ。それでも生活を送るうえで大分不便な思いをしそうだが……。
俺は重い気分を引きずったまま温泉へ向かった。
旅館の中を歩いている内に、俺は自分が不思議の国のアリス症候群にかかってしまったことを強く実感した。
以前より周りのものが大きく見えて、自分が小さくなってしまったような気がするのだ。
窓が高い位置にあったり、通路が長く感じたり……そんな例を挙げれば切りがない。
ここに来た時は見下ろしていた仲居さんが同じぐらいの身長だった時は驚いた。なぜか相手はさらに唖然として、幽霊と遭遇した時みたいに目を見開いていた。
おそらくインフルエンザE型にかかって臥せっていたはずの俺が普通に出歩いているから驚いたのだろう。
さすがにあの態度は接客業を生業としている人間のふるまいとしてどうかと思うが……。
ようやく脱衣所に着いて、中に入る。
やっぱり前より広く感じる。ロッカーも幾分かデカイ。子供の時はこんな景色が見えていたなあとなんか少し懐かしくなった。……いやまあ、そんな呑気なことを考えている場合じゃないのだろうが。
とりあえず温泉に浸かってゆっくり考えることにする。
着替えの入っているロッカーを求めて、一つ一つ開けていく。
ただそんなことをしなくても、洗面所の傍にある一ヶ所がわかりやすく開かれていた。仲居さんの心遣いだろう。
ありがたく思いながら俺はロッカーの前まで行こうとした。
その際に、洗面所の鏡がふと目に入った。
……へ?
俺は立ち止まってまじまじと鏡を見た。
……なぜだ?
見間違いだと思った。だが間違えようがない。
なぜなんだ……?
疑問符が頭上を延々と周回する。だが答えが出ることはない。
頭の中に浮かんだ疑問を、そのまま彼女にぶつける。
「お前は誰だ?」
鏡の中の少女が俺とまったく同じタイミングで口を動かす。
しかし室内に響いた声はたった一つ(・・)。
この場で言葉を発したのは一人。
つまり声の主は……。
「……まさかコイツは、俺なのか?」
再び少女は口を開き、俺の動きをなぞる。
俺が右手を上げれば、彼女は左手を上げ。
彼女が右手を下げれば、俺が左手を下げる。
左右対称の動きをする鏡の中の少女。
線が細く、肌が白い。目つきがやや鋭く、鼻が高い。胸が小さいながらもきれいな膨らみを持っている。美形ながらもまだどこかあどけなさの残る彼女は紛うことなく、俺自身だった。
おまけに唇が黒い……。そこに目が引きつけられ、何かを想起させようとしていく。
俺は呆然と鏡の中の少女を見つめる。
複雑に絡まっていた糸が解れていくように、今まで保留していた疑問の答えが頭の中に浮かんでくる。
不思議の国のアリス症候群の正体は、やっぱり世界に異変が起きたわけじゃなかった。
おかしくなっていたのは、やはり俺の方だ。
俺が男の時より背の低い少女になっていたから、周りのものが以前よりも大きく見えていたのだ。
空華が肌がきれいになっていると言っていたのは、俺が少女の体に変化していた兆候。
ではなぜ、俺は女体化してしまったのか?
その原因は……。
「あ、やっと気づいたんだ」
入口の方から声が聞こえた。
見ると、のれんを除けて空華が浴室に入ってきていた。
俺は彼女に駆け寄って訴えようとした。
「聞いてくれよっ。俺、いつの間にか女体化してて……。それはきっと、あの医者に打たれていた注射のせいなんだ。それしか原因は考えられないだろ、なあ!?」
「うん、知ってるよ」
あっさりとした様子で肯定し、うなずく空華。
……知ってる? 空華が?
予想外の返答を受けた途端、俺の頭の中にノイズが走り思考が一時ストップする。
そんな俺を空華はくすくす笑って言った。
「だってその注射を打つように指示したのは、夢月だもん」
「は……? お前、何言ってんだよ」
「つまり山村くんは、夢月の手の上で踊ってたっていうことだよ。……ずっと前からね」
「ずっと前……?」
「うん。二回目に会った時ぐらいかな? その時からこうするって決めてたの」
言葉を交わせば交わすほど、わからなくなっていく。
……空華は一体、何を言ってるんだ?
俺が困惑すればするほど、空華の笑いはより一層大きくなっていく。
「山村くん、おいで」
空華が手招きしてくる。チェシャ猫のような笑みを浮かべて……。
「教えてあげるよ、あなたがどれだけ無知蒙昧なのかをね」
○
また地下室へと連れてこられた。
医務室とは違う、別の部屋だ。
室内は洋風だった。
洒落た品が並べてある棚。沈み込みそうな毛足の長い真紅の絨毯。重厚感のあるマホガニーの机を挟むようにソファが置かれている。座り心地がよく、ベッド代わりにしたら気持ちよく眠れそうだった。
向かいのソファに座った空華が口を開く。
「初めて会った時、夢月は一目惚れしたの」
開口一番の言葉に、俺はどきんと心臓が跳ね上がるのを感じた。
だがすぐに、それが言葉通りの意味であるはずがないことに気付いた。
「……黒巫女様に」
ほうと熱い吐息を空華は漏らす。その様子に、俺は思わず唇を噛んだ。
「こんな素敵な人に初めて出会ったの。カッコよくて、可愛くて、魅力的な女の子。でもたった一つの壁が、夢月と黒巫女様の逢瀬を妨げた。……ベルリンの壁なんかとは比べものにならない、高く分厚い強固な壁。……そう、世界の違い」
まるで舞台役者のような大仰な身振りと発声だ。しかしそれには見る者の感受性がどれだけ鈍感であろうとも確実に心を射止めて、悲哀の感情を揺さぶるだけの力があった。
「夢月は考えたの、どうすれば黒巫女様に会えるのかって。目が覚めている間はずっと。夢の中では黒巫女様に抱かれながら、彼女に尋ねたわ。でもあの方は夢月をむさぼるのに夢中で、ロクに答えてくれなかったけどね」
空華は頬を染めてくすくすと笑う。それはまさしく、恋する乙女の顔だった。
「考えて、考えて、考え抜いて。そうしてね、思いついたの」
「黒巫女に会う方法をか?」
冗談のつもりで尋ねたつもりだったが、空華は俺の問いにあっさりとうなずいた。
「うん、そうだよ。それはね、とても簡単なことだったの」
空華は身を乗り出してきて、顔を近づけてくる。
彼女の指が、俺の細い顎を捕らえてきて強引に目を合わせてくる。
「山村くん、あなただよ」
「……俺が、どうしたんだよ?」
円い双眸がぼうっと光を放つ。
闇夜に浮かぶ二つの火の玉のように、ある感情を煽り立ててくる輝きだ。
「黒巫女様の考えを全て理解していて、彼女に最も近しい人物。その人になってもらえばいいのよ」
「……まさか」
背筋をつうっと冷たい汗が伝った。
俺の予感が正解だと告げるかのように、空華の薄い唇がにゅっと三日月の笑みを描いて開いた。
「そう。山村くん、あなただよ。あなたこそ、この世界で唯一黒巫女様の全てを理解している人物なの。だからこそ……」
一度言葉を切って、目を細める。怪しい輝きが一層強くなり、俺の目を縫い留めた。
すっと薄くなった空気の中、空華の囁くような声が聴覚を占めた。
「――世界でただ一人。山村くんだけが、黒巫女様になりえる唯一の存在なのよ」
心臓から送られてくる血液が、酷く冷たく感じた。たとえ猛吹雪の中に裸で立たされていたとしても、こんな絶対零度まで体温が下がることはないはずだ……。
空華はうっとりした表情で俺の顔を眺めている。
それはどんな優れた芸術品を眺めてもそうはならないだろうっていうぐらい、心の底から陶酔しきったものだった。
「ああ、夢月の思い描いていた通りのお顔。素敵。本当に素敵だよ……黒巫女様」
「……俺は、黒巫女じゃない。山村翠命だ」
「うん、今はまだ、ね」
顎から空華の指が離れている。
その時になってようやく俺は呼吸を思い出すことができた。
椅子に座り直した空華は、紅茶を口に含んでから訊いてきた。
「何か聞きたいことはある?」
俺は思考の歯車を噛み合わせることにしばらく手惑って、ようやく浮かんできた疑問を空華にぶつけた。
「どうやって俺をこんな体にしたんだ?」
「ああ、そんなこと?」
夢月はどこから小さな黒い箱を取り出した。開くと、中には一本の注射器と液体が入った試験管が二本入っていた。
「これが山村くんに打っていた薬だよ」
「……投薬し続けるだけで体を作り替えるなんて、信じられないな」
「でも事実なの。山村くんはコネクトームって知ってる?」
聞かれたのは二度目だ。
俺は間を置かず、淀みない口調で答えた。
「脳の全神経配線図を意味する造語……だろ」
「そう。空華の家は、その全貌を解明して、精神の病を手術によっての治療を可能にした」
「……なあ、それって本当なのか? コネクトームって脳の中にあるんだろ。まさか毎回、
手術の度に頭を開いてるのか?」
「山村くんの言うように、手術の度に頭を開くのは非効率的だよね。開頭手術ってお医者さんの腕が必要だし、患者さんのお財布にも優しくない。だからそんなことは滅多に行わないよ」
「じゃあ、どうするんだよ?」
「そこで登場するのが、これだよ」
空華は手に盛った箱をひらひらと振った。
「病は気からってよく言うよね。でもその気を作り出してるのも、また体なんだ。だから心を直すには体の調子を整えるのが一番なんだよ。精神科医が規則正しい生活と食生活を勧めるのもそれが理由だね」
「……話が見えないな」
「そう? 山村くんなら、もう予測できると思うけど」
俺なら……察してる?
その言葉を反芻していると、ふいに閃きが訪れた。
「……まさか、作り替えてるのか? 俺の時みたいに、精神病の人達の体も……」
「うん。まあ、山村くんの時みたいに容姿や体の構造を作り替えたりしないよ。ただ体の不調を直す程度だから」
「……投薬で体の不調を直すって、それ普通の薬じゃないか」
空華は軽く一笑し、液体の入った試験管を指差して言った。
「これは厳密には薬じゃないんだ」
「薬じゃないって……じゃあ、なんだよ?」
「大量の微生物を閉じ込めた液体だよ」
「……微生物って、アメーバとかオペルクラリアとかか?」
「そうだよ。この中にいるのは、もっと人体に影響を与える種類のものだけどね」
微生物……コネクトーム。
頭の中でカチリとパズルのピースが組み合わさる音がした。
「……なるほど、そういうことか」
「ん、何かわかったの?」
「ああ。空華家が発見した手術方法はこうだ。まず、必要な微生物を用意する。次にその微生物全てのコネクトームを調整する。患者の体の中で望んだ働きをするように、あらかじめ思考をプログラミングしておくってわけだな。それからコネクトームの調整を終えた微生物を人体に無害な液体に入れて、注射器を使って患者の体の中に送り込む。そうすれば後は微生物が患者の体の不調を整えてくれるってわけだ」
「さすがだね、百点満点の回答だよ」
俺は少し浮かれた気分になったが、すぐにあることに気付いて全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
「……待てよ。コネクトームを書き換えることで生物の思考を意のままにできるって……。それじゃあまるで、洗脳じゃないか!?」
「まるで、じゃなくて洗脳そのものだよ」
空華はさらりと言ってのけて、クッキーを口に放った。
パリポリという咀嚼音が、俺には鬼が骨を噛み砕いている音のように聞こえた。
「もっとも人間のコネクトームは複雑で、今はまだ望んだ人格を作り出したりすることは難しいみたいだけどね」
「そ、そうか……」
俺は僅かながらも安堵感を覚えた。……完全に不安が消えたわけではないが。
「でも微生物を介して人体を好きなように作り替える術は手に入れられたの。その成果の結晶が、今の山村くんだね」
俺は自分の体を見下ろした。
膨らんだ柔らかい胸、白く滑らかな肌、ほどよく肉が乗った、スタイルのいい体。髪は数日間ではあり得ないほど伸びており、癖がなく艶やかと質すら変わっている。
こんな体なのに、なぜか股間のものは依然としてついたままだった。
「ね、前の体より今の方が素敵でしょ?」
「ふざけるなっ。元に戻せッ!」
机をぶっ叩いて怒鳴りつけても、空華はまるで動じなかった。
彼女は笑みを浮かべたまま肩を竦めて、スマホを取り出した。
「山村くんはまだ、自分の立場がわかってないみたいだね。ちょっとわからせてあげなくちゃダメかな」
そう言って空華はどこかに電話をかけた。
「……あ、もしもし? ……うん、処分しといてってお願いした二人だけど、ちょっと予定を変更したいの。まだ殺してないよね? ……よかった。今からこっちに持ってきてくれる? ……そう、ありがとう」
俺は愕然として電話先の相手と会話している空華を見ていた。
明らかにヤバイことを空華は夕食のメニューを決めるようなノリで話していた。
それに殺す予定だった二人を、ここに連れてくるって……まさか。
じっとりと手が冷たい汗で滲んでくる。
空華はそんな俺を楽しそうに笑って眺めてくる。
「大丈夫だよ、黒巫女様。あなたを殺しはしないから」
「……俺は翠命だ」
「そうだね。ただ、山村くんには……。あっ、もう来たみたいだね」
空華が何かを言いかけた時、ドアが開いた。
ガラッガラッと大きな台車を引いて、金髪の仲居さんが入ってくる。
その台車に載っているものを見た瞬間、俺は目を疑った。
「なっ……、そ、その人達って……」
「そうだね、駅の待合室で会った二人だね」
山男と、小太りな男。登山客の二人だ。
彼等は膝を抱えるような格好で縛られ、猿轡をされていた。身動きを取ることも、しゃべることも許されない。完全に囚われの身だ。
空華は二人の元へ行き、生ゴミを前にした時のような目で見下ろした。
「この人達はね、連邦捜査局……FBIの捜査官なんだって。笑っちゃうよね、山村くんがFBIの採用テストのクイズを出している傍に、本物がいたんだから。でもまあ、思ったより簡単に捕まえられて拍子抜けしちゃったけど」
空華は靴を履いた足で、山男の頭をぐりぐりと踏んづける。山男は空華のことを睨めつけるが、拘束された状態では何もできない。
「やめろ、今すぐソイツ等を開放しろ!」
俺は空華に飛びかかろうとするも、背後から羽交い締めにされて失敗してしまった。
振り返るといつの間にか背後に回った仲居さんが、俺のことを見下ろしていた。
……っていうか、コイツは……。
「も、モニク!?」
「はい、ご無沙汰しております」
モニクは平然とした様子で挨拶を述べた。あまりの代わり映えのしない口調に、一瞬現状を忘れかけたほどだった。
我に返った俺は、空華の方へ視線を戻した。
彼女は注射器を手に、針を試験管の蓋へ突き刺していた。おそらくゴムとか簡単に貫通できる素材なのだろう。
プランジャが引かれると、シリンジが無色透明な液体が満たされる。よく見ると液体の中に、様々な色の点が浮かんでいた。カラフルというには、少し毒々しい色合いだ。あれこそが、コネクトームをいじられた微生物の巣窟なのだろう。
空華はペン回しのように注射器を弄んだ後、針を山男へと向けた。彼の顔は一瞬にして蒼ざめ、巨大な体がビクッと震える。
「みじめだね。せっかく鍛え上げた体も、こうなったら役に立たないんだもん。あ、そもそも使い物にならなかったからこんな風に拘束されてるんだったね。えへへ、忘れてたよ」
いつもの明るい口調でしゃべる空華。大好きだったその姿が、彼女との思い出の数々がたちまちスーチンの絵のように歪んでいく。
「まあでも、無駄な努力じゃなかったよ。あなたが体をたくましく鍛えてくれたからこそ、今から行うショーがよりダイナミックになるんだから」
空華が注射針を山男の首へ近づけていく。
「おいっ、やめろッ!」
俺は嫌な予感に駆られて叫んだが、まるで聞こえていないように空華は変わらず緩慢な所作を続け……。
「それじゃあ、バイバイ」
ついに針を山男の首に打ち込んだ。瞬間、彼の顔に苦悶の色が生じる。
だがそれだけだった。変化らしい変化は何もない。
失敗か、あるいは質の悪い冗談だったのかと、胸を撫で下ろしかけた直後。
突如として、山男が目を見開いて、ガタガタと体を震わせだした。
「――――――!!」
「お、おい、どうした!?」
問いかけるも、猿轡をされている山男が声を発せるはずもない。いや、そもそもあんな様子じゃ俺の声は届いていないだろう。
だが異変の正体は、見ているだけでつかむことができた。
瞬きをしている間に、山男の皮膚の色が薄くなっていった。ほぼ同時に腕や足、腰回りに胸と全身の各部位がほっそりとしていく。しかし胸だけは後から発酵したパンのように膨らんでいった。
髪がみるみる伸びていく。ウェーブがかった茶色のヘアだ。
顔の輪郭も面影を残しながらほんの少し線が滑らかなになっていた。髭はすべて抜け落ちて、顎がつるっとしたものになる。
まるでパラパラ漫画を見ていたかのようにあっという間だった。
そんな短時間で目の前の山男は、女の姿へとなり果てていた。
だが変化はそれで終わらなかった。
山男はさらに表情を歪ませていく。
その顔に一本の皺が生じる。それはたちまち本数を増やしていき、顔が一気に老け込んでいく。
細くなった体がより細く変じ、枯れ木のようにみすぼらしい姿になり果てる。
髪はちぢれて色が落ち、白く染まった。
さっきまで若い女だった山男は一瞬にして老婆の姿になり、そしてこと切れた。
注射器を抜いた空華は次の試験官に針を刺しながら言った。
「微生物による構成物質の組み換えはね、急速にやるとすると今みたいに体が耐えられなくなって死んじゃうの。マンガの主人公に小学生になっちゃった探偵っているでしょ? あれはちょっと技術不足で、まだ実現できないね。高校生を子供にするためには最低でも二日は必要かなぁ」
液体を注射器に込めた空華は、今度は小太りの男へと向けた。
もう俺は、声を発することもできなかった。
今しがた目にした現実離れした光景。それによって受けたショックは、あまりにも大きすぎた。頭も心も、すぐには整理できない。
液体を投与された小太りの男もまた女体化し、老化し、そのまま死んだ。
だがそれを見ても、もう俺は何も感じなかった。
……今見ている光景は、きっと現実のものなんかじゃない。
夢でも見ているんじゃないだろうか。そう、悪い夢を……。
使い終えた注射器を丁寧に箱に仕舞った空華はこちらへ駆け寄ってきて、にゅっと顔を覗き込んでくる。世界で一番可愛らしかったその笑顔が、今はどんなものよりも恐ろしく見える……。
「ね、わかったでしょ」
「わかったって、何が……?」
「山村くん、もうあなたは男の子には戻れないの」
「もど……、れない……?」
空華は慈しみを込めたような目で俺を見てうなずいた。
「そう、戻れないの。山村くんが元に戻るには、そのために必要な微生物を用意してからその全てにコネクトームの調整を済ませて、四日程度は朝と晩に注射で投与し続けないといけないの。そんなこと、山村くんにはできないもんね」
薄々理解していたが改めて聞かされるとその不可能さがより現実味を帯びてきた。もう絶望とかそんなものじゃない。心が麻痺して何も感じなくなってきている。
「大丈夫だよ、山村くんはあの人達みたいには殺さないから。ちゃんと夢月の言うことに従ってくれたらね」
「言うことって……何をさせるつもりだ?」
空華は人殺しであることを忘れかけてしまうような、人懐っこい笑みを浮かべて言った。
「言ったでしょ。山村くんは、黒巫女様になるんだよ」
○
その日から俺は、黒巫女様になるための修行を受けることになった。
朝起きたら、一時間ほど瞑想をする。
黒巫女はそんなことはしないと反論したが、空華いわく「日とは何かに変わるためにはまず、心を空っぽにしなければいけない」そうだ。
朝食を取ってから、『黒巫女様』の音読。
ひたすら黒巫女のセリフだけを音読させられる。
状況が状況だけに、気恥ずかしさとかは全然なかった。だが空華に「気持ちがちゃんと乗ってないよ」と何度も怒られた。
昼飯を挟んで、今度は巫女の勉強。
神社の基本を座学で学んだり、実際に体験する。
もしも別の形で学ぶことができていれば、きっと面白かっただろう。
夕食を取ってから、悪霊退治の練習。
もはやこれは音読の延長戦だ。あるいは劇の稽古。
悪霊なんてそもそも存在しないのだから、退治できるはずがないのだ。多分。
就寝の時には、空華と寝る。
黒巫女たる者、可愛い女の子を愛でなければならないそうだ。
「ナルシストなんだな」
「ナルシストっていうか、事実だよ。夢月が可愛いのは」
夢にまで見た時間も、今はただ空しいだけだった。
吹雪はとっくに止んでいたが、空華は俺を家に帰す気はないようだった。
それに関しては何も思わなかった。
今の俺はもう性別が変わってしまっている。というか、顔には山村翠命だった頃の面影すら残っていない。山男の時とは違って、容姿すらもあらかじめ空華の理想通りになるよう微生物のコネクトームを調整しておいたのだろう。
そんな日々が一週間は続いた。
休憩時間をもらい、ぼんやりと外を眺めておった。
今日は白く小さな天使が空から舞い降りておる。いつも射ている弓を地上に回収しにきたのやもしれぬ。
「黒巫女様ー」
小さき者の声がして、我はそちらを見やった。
小走りに駆け寄ってくるのは夢月じゃった。相変わらず、そそっかしいヤツじゃのう。
「なんじゃ。我は今、雪景色を眺めて詩作にふけっておったというのに」
「あれー。休み時間は、黒巫女様にならなくてもいいって、言わなかったっけ?」
「…………ッ!?」
我に返った俺は、一瞬頭の中が真っ白に染まってしまったのを感じた。
なんだ、今のは……?
思考が完全に別人……、いや、黒巫女になっていた。
まさか……黒巫女の人格が生まれて、俺の意識を乗っ取ろうとしているのか?
愕然としている俺を、空華はにんまりとした笑みを浮かべて見てくる。
「いいんだよ、もう。抵抗しなくて」
「なっ、何言ってんだ……!?」
「わかるでしょ? 山村くんの心は、黒巫女様の体に馴染んじゃってるの」
「……この体に?」
俺は自分の姿を見降ろした。
空華に指示されて着ている、赤袴の巫女服。
その服に身を包まれた体は、日に日に女らしくなっている。
胸はさらに膨らみ、髪は腰の辺りまで伸びてきている。
髪を切る許可が降りることはないだろう。黒巫女の髪型をショートヘアにしておくべきだったか……。今更後悔しても遅いが。
「ねえ、不思議じゃなかった?」
「不思議って……何がだ?」
「夢月は山村くんを男の体から女体化させたんだよ。普通に考えたらまず、女の子らしい振る舞いを身につけさせるはずだよね」
「……確かにな」
だが実際には、そんなことをさせられた覚えはない。
「その特訓をさせなかったのはね、必要がなかったからだよ」
「なんでだよ……?」
「だってもう、山村くんは十分に女の子らしい所作になってるじゃん。あっ、もしかして自覚なかった?」
言われて俺は、今しがた髪を掻き上げようとしていた手を止めた。
……ある。心当たりが、数えきれないぐらい……。
驚愕している俺を見て、空華は愉快そうに一笑した。
「人はね、体と環境には逆らえないの。頭がそこそこ切れる山村くんだったら気付いてると思うけど、この旅館には男の人が一人もいないの」
遅れて俺は、空華の言わんとすることを理解した。
「仲居に女将、運転手。俺が接してきた旅館関係者は全員が女性だった。しかも例外なく、全員が女性らしいきれいなふるまいをしてた……」
「人間は無意識の内に、周りにいる人から影響を受けちゃうの。本人が望むと望まざるとにかかわらず、ね」
「そんな……」
絶望に打ちひしがれる俺の胸をトンと叩き、空華は小首を傾げて目を細めた。
「山村くん、身も心も女の子に……ううん。黒巫女様になっちゃうね」
俺は反論もできず、ただその場に立ち尽くしていた……。
その日の夜、就寝前に空華が言った。
「明日から、ちょっと家に帰らなくちゃいけなくなったんだ」
「……家に? 親でも帰ってきたのか?」
「うーん、まあ、色々あってね。それで三日ぐらいここを空けることになっちゃったけど、その間も黒巫女様になるための修行をサボらないようにちゃんと監視してねってみんなに頼んであるから。頑張ってね」
「…………」
俺は暗澹たる思いで外を見やった。
ここに来てから、空はいつも曇天だ。月も星も太陽も、顔を見せてくれない。みんなそろってどこかに出かけていってしまったのだろうか。
「それじゃあ、今日はもう寝よっか。それとも、まだおしゃべりする? 明日から一人になっちゃうから、寂しいもんね」
「いい……、寝る。おやすみ」
「そっか、おやすみ」
少しすると、隣からすー、すーと規則正しい寝息が聞こえてきた。
何日か前に魔が差して見た寝顔は、とても可愛らしかった。まるで日向ぼっこを楽しむ猫のようで、束の間だがほっこりした。
だがそれに心の底から癒されることはない。空華は俺をこんな姿にしたうえに、少なくとも俺の目の前で二人を亡き者にした、人殺しなのだから。
俺は明日からのことに思いを馳せた。
空華がいなくなったら、少しはここにいるヤツ等も気を抜くだろうか。
だとしても、脱出することに意味はない。
山村翠命ではない俺が、一体どうやって現実社会で生きていけばいいのだろうか。このマイナンバーカードで個人情報が管理された日本という国で……。
いっそのこと、外国に行けばいいのだろうか?
いや、それならここにいた方が幸せな気がする。少なくとも空華は、俺が黒巫女である限り外の危険からは守ってくれるだろうし。
そもそも、空華がいなくても旅館は仲居達によって見張られている。そんな場所からどうやって脱出しろというのか。
ふと俺は、山男の出してきたクイズを思い出した。
あの問題の死刑囚は、今の俺より恵まれているように思う。
自分が自分のままなのだから、今までの人生の延長線上にいることができる。それなら少なくとも、今後の生き方――たとえ明日死ぬことが決まっていたとしても――がここまで急激に変わって、途方に暮れることはないだろうから。まあ、死んだ後のことはさすがに知らないが。
もうこれ以上考えても無駄だろう。
俺は枕に頭を預けて目をつむった。
明日のことは、明日にならなければわからない。その時になってから考えればいいのだ。
この世界はどうせ、配られたカードについて悩むことしかできないのだから。
次の日、空華は昨日言ってたように家に帰っていった。
彼女を見送った後は、仲居達に見張られて黒巫女になるための修行をすることになった。
もう日課になっているから、無心でこなせるようになっていた。
まあ、空華に見張られていたら手を抜いているのがバレて怒られるだろうが、仲居達はそこまで厳しくない。それでも何度か指導が入ったことから、空華の息がしっかりかかっているのだとわかった。ちらっと考えていた懐柔作戦は忘れた方がよさそうだ。
空き時間があれば、ずっと考えていた。この状況を打開する方法がないものかと。
だがなかなかいい案は思い浮かばない。
こういう策略とか考えるのは結構自信があったのだが、いざ自分が窮地に立たされるとなかなか思い浮かばないものだ。こんなことなら普段から兵法書とか読んでおくべきだったかもしれない。まあ、兵法がこの状況で活かせるかどうかは甚だ疑問ではあるが。
こういう風に八方塞がりになった時、有効な思考法が一つある。
それは自分ではなく、別の誰かならどう考えるか……と仮定するのだ。
たとえば信長なら、旅館に放火して空華もろとも皆殺しにするだろうとか。
太宰治なら、仲居と無理心中を図るんだろうなとか。
ベートーヴェンなら、今の心境を曲にして奏でるんだろうなとか。
……って、全然役に立たないな偉人共。
俺は他に役に立ちそうなヤツはいないかと手当たり次第に心の中で相談したが、どいつもこいつもロクな案を持ち合わせていなかった。
まあ、こんな特殊な状況下に置かれる機会なんてそうそうないから、当然と言えば当然なのかもしれないが。
万策尽きかけた時、ふとある人物を思いついた。
他でもない、俺をこの状況下に置いた空華だ。
彼女は頭が切れるし、おそらく悪知恵も相当なものだ。
その知略があればきっと、この窮地を打開する策を思いつくはずだ。
思い出せ。空華は普段、どういう思考をしていた?
覚えている発言の節々から、空華の実態に迫ろうとする。
その時、ある一言が頭の中に響き渡った。
――発想を逆転させるんだよ。
これ、めっちゃ聞き覚えがあるなぁって記憶していたヤツだ。
空華だって人の子だ。その思考法もオリジナルではなくて、あらゆるものの影響を受けているのだろう。
この言葉の意味は、考え方を転換させる。
つまりは前提条件を変えろってことだろう。
今、俺が前提条件としていることは……まず、俺自身を男に戻す。それから脱出する。
この二つだ。
前提を変えるってことは、つまり……。
途端、ぱっと頭の中に光が満ち満ちて、閃きが舞い降りた。
そうか……、これなら今よりも条件はずっと楽になる。
後は方法だが、もうそれは考えるまでもない。
すでに何度も成功しているのだ、今回もその手法を取ればいい。
すぐにでも準備に取り掛かりたいのだが、いかんせん今は仲居に見張られている。黒巫女の修行をサボるわけにはいかない。
今夜だ。就寝前には一人になれるはずだから、その時から始めればいい。
タイムリミットは空華が帰ってくる、三日後まで。つまり夜は……二回しかない。今日と明日は徹夜だろう。
時間的にはかなりキツイが大丈夫だろう。すでに何度も成功しているんだから、今回も同じようにやればいい。
ようやく希望が見えてきて、体に活力が戻ってきた。
興奮のあまり瞑想中ということをすっかり忘れ、「よし」と拳を握りしめてしまった。すぐさま警策が飛んできて、ペちっと肩を叩かれた
一夜目は気分が乗っていたこともあり、準備は順調に進んだ。
だが二日目は寝不足で、おまけに昼間の修行に身が入らなかったせいで居残りをさせられたこともあり体力が限界に近かった。このまま何もかも忘れて布団に入って寝てしまえれば、どれだけ楽か。
だがやるしかない。
俺は気合を入れて、ノートパソコンの前に座った。
その時、誰かが廊下に続くふすまを軽く叩いた。
瞬間的に緊張が体を走り、ビクッと肩が跳ねた。
慌ててノートパソコンを隠しつつ「だ、誰だ?」と問いかけた。
「……わたくしです。モニクです」
空華の右腕的存在だ。どうしてかはわらかないが、今回は旅館に残っていたが。
俺は深呼吸を一度してから、「は、入っていいぞ」と入室を促した。可能な限り平静を装ったつもりだったが、まったく努力は実を結んでいなかった。
ふすまをそっと開き、モニクが顔を覗かせた。
「お一人ですか?」
「ああ。……っていうか今の俺が、誰かを部屋に連れ込めるか?」
「黒巫女様は愛らしい女の子がお好きだと聞きましたので」
「いや、まあそうだけど。っていうか俺は翠命だし」
「まだ自我を保っていらっしゃいましたか」
「まあ、ギリギリだけど。……で、なんの用だ?」
モニクは辺りの様子を窺ってから部屋に入り、音をたてないようにふすまを閉めた。
それから俺の方を向き直り、耳を澄まさなければ聞こえないような小さな声で言った。
「今すぐ、ここを出ましょう」
「ここって……旅館か?」
モニクはこくんと小さく一回うなずいた。
呆気にとられる俺に、モニクは早口で続ける。
「今なら監視の目が緩んでいます。脱出するならこの機会しかありません」
「……そ、そうか。でもなんで……? お前は空華の使用人じゃないのか?」
モニクは背後の様子を窺いながら答えた。
「はい、おっしゃる通りです。だからこそわたくしは山村様にここから脱出していただこうとしているのです」
「……どういうことだ?」
「お嬢様が今回なさろうとしていることは、空華家の資産の乱用です。微生物を用いた構成物質の組み換えは、本来医療に役立てるべく考案されたものです。このような私利私欲のために使われるべきではないのです」
「お前って、道徳心で憤るようなタイプだったのか」
「お嬢様をお任せいただいている使用人として、責務を全うしようというだけです。それさえ果たせれば、別に世界がどうなろうとも構いません」
「……仕事人っておっかないな。でもすまんが、俺はまだここを出ていくわけにはいかないんだよ」
モニクは訝し気に眉を寄せて首を傾げた。
「なぜでしょうか。黒巫女様として一生を全うすると心に決められたのですか?」
「いやいや、そうじゃない。ちゃんと山村翠命に戻って、ここから出たいんだよ」
「元の体に、ですか。しかしそれはお嬢様でなければ……」
「それだよ、それ」
俺はモニクの言葉を断ち切り、ビシッと彼女に指差して言った。
「俺を元の体に戻せるのは、空華だけ。なら、空華の考えを変えることさえできれば全部解決するんだよ」
「確かにそうですが……。何かよい考えをお持ちなんでしょうか?」
「ああ、もちろん。そのために今夜準備してるんだ」
「それがどのようなものか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……いや、よしておくよ。まだお前のことを完璧に信用したわけじゃないからな」
モニクはしばらく考えてから、「わかりました」とうなずいた。
「……山村様のことを信じましょう」
「ありがとう。すまないな、せっかく脱出の準備をしてくれたのに」
「いえ。わたくしとしても、お嬢様には正気に戻っていただきたいので」
「ああ、任せてくれ。絶対に空華を元の可愛い女の子に戻してやる」
モニクは初めてふっと表情を和らげた。彼女の浮かべた笑み、に俺は不覚にも一瞬見とれてしまった。
「何かお夜食とお飲み物をお持ちしましょう」
「ああ、ありがとう」
「……信用なさっていないなら、毒や睡眠薬を疑った方がよろしいかと」
「いやいや、そこは空気読んでくれよ……」
モニクは「冗談ですよ」と言い残して部屋を出ていった。
俺は軽く肩を竦めて、隠していたパソコンを取り出して今度こそ準備を始めた。
予想通り徹夜での作業になったが、準備はなんとか完了した。
俺は相変わらずの曇天の空を見てため息をついてから、腕時計を確認した。
それから修行が始まる前に少しでも体力を回復すべく、布団に入った。
だが夢を見る間もなく、三十分後に仲居にたたき起こされて寝不足のまま修行に向かうことになった……。
○
正午を少し過ぎた頃、空華は帰ってきた。
外に出ると雪がちらちらと降り出していた。今夜もまた吹雪くかもしれない。
車から降りて来た空華はいつも通り明るい笑みを浮かべて、仲居達に「ただいまー」と言って回っていた。
彼女の元へ進み出た俺は、できるだけ威厳を出すようにして言った。
「帰ったか、夢月」
「うん、ただいま黒巫女様!」
「うむ。用事とやらはどうだったのじゃ?」
「まあ、上手く片付けてきたよ。それより山村くん、また黒巫女様になっちゃってるよ。これじゃあ、いつ山村くんが消えちゃってもかしくないね」
今日一番、肝要な点は……ここだ。
俺は努めて平静を装って言った。
「山村……? はて、そやつは一体どこの誰じゃ?」
「……ん? だから、山村くんは山村くんでしょ」
「山村……、山村。すまんが我の知り合いにそのような名前のヤツはおらんのう」
空華は「えっ……?」と声を漏らして俺の顔をまじまじと見た後、見開いた瞳を潤ませて言った。
「……そっか。ついになったんだね、黒巫女様に」
「何を申しておる。我は元から黒巫女であろう」
「黒巫女様……、黒巫女様ぁっ……!」
空華は涙と鼻水でかおをぐしゃぐしゃにして、俺の胸に顔を埋めてきた。以前なら身長差がありすぎてそんなことは叶わなかっただろうが、黒巫女になった今は身長が低くなったこともあり、空華が少し背伸びをすれば容易く実現した。
顔の距離が近いのって結構いいな……と少し心が揺れつつ、俺は空華の頭を優しく撫でてやった。
「まったく、巫女服が汚れてしまうであろうが」
「うっ、うう……。ごめんなさい」
「ふふ、めんこいヤツじゃな。許そう、今は存分に泣くがよい」
「ありがとうございま……す、うわぁあああああんっ」
段々、心の中がもやもやしだしていた。
……空華は本当に、俺より黒巫女の方がいいのか?
俺が消えれば、彼女はこんなにも喜ぶのか……。
複雑な思いを抱きつつ、俺は空華をそっと抱きしめて背中を撫でてやった。
俺は「ちょっと散歩にでも行かんか?」と空華を誘い、神社の方へ二人で来ていた。
別に他に人がいてもいいのだが、気恥ずかしさもある。
何より、サシで話し合った方が気持ちがちゃんと伝わる気がしたのだ。
神社に着いた時、俺は軽く目を見開いた。
「これは……」
神社の様子は依然とは少し違っていた。
まず参道の雪が除けられて、しっかり石畳が見えるようなっていた。
以前はなかった手水所が作られている。柄杓もきちんとそろえて置かれていた。
何より俺の目を一番引いたのは、門柱入れられていた文字だった。
『白藍神社』……物語の舞台となった場所だ。
ようやく俺は理解した。
ここは空華が『黒巫女様』の舞台を再現しようとして生まれた聖地なのだ。
一般人には絶対に不可能だが、資産家の令嬢である空華にはそれができる……。
眼前の光景を目の当たりにして、俺は金持ちの狂気というものを改めて実感した。
「たまげたのう……。まさか我のいた世界を再現するとは」
「もう演技はしなくてもいいよ、山村くん」
空華の苦笑交じりの声に、俺は弾かれたように彼女を見た。
「気付いてたのか……」
「うん。山村くんは嘘が下手だったからね、すぐわかったよ」
「……だとしたらお前、名女優だな」
「まあね。資産家の令嬢って、役者じゃなきゃ務まらないから。まあ、それを実績だけでカバーしちゃうバケモノもいるんだけどね」
軽く肩を竦めて空華も俺の方へ向き直った。
「……さて。夢月をここまで連れてきた用件は何かな?」
俺はやかましく鳴る鼓動に負けぬよう、声量を上げて言った。
「空華、俺を元に戻してやるぞ」
「ふぅん、真っ向から来るんだ……。嫌だって言ったら?」
「お前は考えを変えるさ。これを読んだらな」
俺は巫女服のたもとに入れていたものを取り出した。
「それは……」
「小説だ。俺が昨日と一昨日に徹夜して書いた、出来立てホヤホヤだ」
俺からプリント用紙を受け取った空華は、不思議そうに首を傾げた。
「……小説ならスマホにも送れたでしょ。Wi-Fiは直したんだから」
「空華は紙派って言ってただろ。だからプリントして渡したかったんだ」
「へえ、覚えてくれてたんだ」
「ああ。さあ、読んでくれ」
「ここで?」
「ああ。短編だから、すぐに読み終わるさ」
空華は少しの間考え込んでいたが、やがて「わかったよ」と言って小説を読み始めた。
俺はそんな彼女をじっと見ていた。
空華はこちらには一切目もくれずに小説を読み進めていった。
どれくらい時間が経っただろうか。空華は最後のページを読み終えて、顔を上げた。
俺は息が詰まりそうになりながら、やっとの思いで声を絞り出して空華に訊いた。
「どう……だった?」
「……この小説の登場人物って、山村くんと夢月だよね?」
「ああ……」
「時代は現代。主人公が大学に忘れ物を取りに教室を訪れた際、ひょんなことから小説を書いていることがヒロインにバレてしまう。ヒロインは主人公が小説を書いていることを秘密にする代わりに、自分好みの物語を執筆してくれるようにお願いする……。これさ、夢月と山村くんの出会いそのままだよね?」
俺は無言で一度うなずいた。
「それから二人は小説を通じて仲良くなり、一緒に遊ぶようになって、やがて心の距離が近づいていって結ばれる……。山も谷もない、ごくありふれた恋愛の一つ」
空華はぱらぱらとプリント用紙をめくりながら、軽く吐息を漏らした。
「読んでて思ったよ。これ、物語じゃなくてラブレターみたいだなって」
「そうだ」
俺はきっぱりと言い切って続けた。
「空華、俺はお前のことが好きだ」
空華は小説から顔を上げて、目を丸くして見返してきた。
構わず俺は自身の想いを彼女に告げる。
「心の底から愛してる。だから……、付き合ってくれないか?」
音もなく雪が降る中、俺は空華の返事を待った。
彼女は小説と俺の間で何度か視線を往復させた後、訊いてきた。
「……それって、本気なの?」
「ああ、本気だ」
「そっか……」
空華は空を仰ぎ、長くたなびく息を漏らして、俺を真っ直ぐ見てきた。
真剣な眼差しに俺は我知らず、ごくりと唾を飲み込んでいた。
「……山村くん。今回の小説、ストーリーの出来はともかく、それなりに面白く読めたよ」
「お、おう」
「文章力自体はまだまだだけど、読ませる魅力は少なからずある。主人公とヒロインもまずまず魅力的に書けてる。特に二人のやり取りは退屈せずに読めたよ。お互いの価値観がきちんと提示されてるからだろうね」
なんで告白したはずなのに、小説の講評を受けてるんだ? ……いやまあ、告白の仕方が悪かったんだろうって言われればそれまでだが。
その後も長々続いた空華の話は、「だけど」と強い語調の一言を挟んで流れが変わった。
今までの朗々とした話調から一転して、一語一語に重きを置いて相手の耳に刻み込むような話し方になった。
「たった一つ、たった一つだけこの小説には看過できない欠点があるの」
「欠点……? なんだそれは」
「とてつもない欠点だよ。ドーナツの穴みたいに、誰の目にも留まるぐらい大きなもの。なくてもこの世界は成り立つけど、拭えない違和感がつきまとう。自然ではあるけど立ち止まって考えるとそれがないとおかしい、パージされた要素」
「なんだよ、その要素っていうのは?」
空華は唐突に、両頬を同時に持ち上げた。笑み……? いや、目は笑っていない。
それはピエロの顔みたいに不自然極まる表情だった。
俺はその目にゾッとさせられながらも、瞬きすらできず視線を合わせていた。
空華の口がゆっくり開く。まるで判決を告げる裁判長のように。
「光影さんだよ」
告げられた言葉は、鐘に頭を撃ちつけられたようなショックを俺にもたらした。
「……やち、よ?」
「そう。山村くんの元恋人。本当ならあなたは彼女と付き合っていた。夢月と付き合うためには彼女と別れなきゃいけないのに、そのシーンが丸々カットされている。だからすごく不自然に感じるんだよ」
俺はたじろぎながらも、震える声で訊いた。
「……ど、どうして俺と矢千夜が付き合ってたことをお前が知ってるんだよ!?」
「その元彼女さんにお願いされたんだよ。山村くんと別れてほしいって。笑っちゃうよね、夢月と山村くんは付き合ってなんかいないのに。あははははは、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!!!!!」
空華の笑い声が辺り一帯に響き渡る。
それは俺の中にあった熱をゴリゴリと削っていった。
体の中が空っぽになってしまった気がした。
それでも俺は最後に残った心の破片を燃やして叫んだ。
「で、でもっ……! 面白かったんだろ!? ちょっとは感動したんだろ!?」
「……ん? まあ、そうかもね。最後まできちんと読める程度の出来ではあったよ」
「だったら、それでいいじゃないか! 感動したなら、もう俺を許してくれたって……」
空華は眉間にしわを寄せて、大きく肩を竦めた。
「……確かにこれが、大衆に読ませるものならいいよ。でもこれは山村くんと夢月がモデルの登場人物が主役の小説なんだよ? それに夢月に読ませるために書いたはずだよね?」
「あ、ああ……」
「ならさ、普通の感性を持ってる人なら楽しめないんじゃない? だって読んでたら自分のせいで不幸になった人の顔がちらつくんだよ。そんな小説、はっきり言ってクズ以下の評価しかできないんじゃないかなぁ?」
「うっ、あっ、あぁああっ……」
「でも夢月なら楽しんであげるぅ。最高だよね、自分が存在することで誰かを不幸にできたなんて。ああ、かわいそう、本当にかわいそう。大好きな彼氏を盗られちゃったなんて。しかもソイツが、怪しげな噂がつきまとう殺人鬼だったなんて。本当に世界で一番の悲劇のヒロインだよ、お涙ちょうだいだよ。ねえ……、山村くぅん?」
「ぁあ、あっ、ああ……うわぁあああああああああああああああああああああああッ!!」
もう、耐えられなかった。
頽れた俺は、ありったけの力を込めて石畳をぶん殴った。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、後悔の念が尽き果てるまでっ……。
俺のせいで、俺のせいで矢千夜は……!
彼女はずっと愛してくれていたのに、空華なんかよりもずっと……!!
なんで矢千夜のことを信じてやれなかったんだ。愛してやれなかったんだ。一緒にいてやれなかったんだッ……!
わかっていたじゃないか、空華は黒巫女のことしか眼中にないって! 俺なんかに振り向いてくれるはずがないって!
それなのに、それなのにっ、どうしてッ……!!
「あはは、はぁ、はぁ……。面白かったよ、本当に最高だった。でも、もういいよ。山村くんの出番はいい加減、おしまいにしてくれない?」
「俺の……出番?」
顔を上げると、空華が膝をついて俺の顔を覗き込んできた。
「うん。もういいでしょ。山村くんの出番は終わった。そろそろ退場の時間だよ」
「なんだよ、退場って……」
「その体は黒巫女様のためにつくったものなの。だから正式な所有者に、開け渡してほしいんだ」
いつもなら怒りが湧いてくるはずだ。でももう、そんなエネルギーは欠片も残っていなかった。
「いいよね。だってもう十分に堪能したでしょ?」
「バカ、言うな……。これは、俺の体で……」
「ねえ。この話は山村くんにとっても悪いものじゃないんだよ」
「……何、言ってんだよ」
「山村くん、本当にわからないの? 仕方ないなぁ」
空華はわざとらしくため息を吐いて、プリント用紙にハンドバッグから取り出したボールペンで何か書き始めた。
それは俺が魂を込めて執筆した小説が印刷されているのだが、気力は枯渇していてもう文句の一つすらつけられなかった。
空華は何かを書き終えて、それを俺に見せてきた。
「これ、読める?」
紙には平仮名で『やまむらすいめい』と書かれていた。
「……俺の名前だろ」
バカにされているのだろうか。だが怒ることも、笑うこともできない。俺の感情はほぼ全てが虫の息だった。
「うん、正解。じゃあ、これは」
次に空華が書いたのは、『村娘』だった。
「……『むらむすめ』だ」
「またまた正解。この娘は『黒巫女様』の本編に出てきてたよね」
俺は力なくうなずいた。
まったく話の本筋が見えてこない。
空華は何を言いたいんだ……。
彼女は弱り切った俺を楽しそうに眺めながら続ける。
「まだわからない? 声に出して何度か読んでみればわかるんじゃないかな」
声に……?
やまむらすいめい……むらむすめ……やまむらすいめい……むらむすめ……やまむらすいめい……むらむすめ……むら……すめ……。あれ?
表情から俺の心中を読み取ったのか、空華は口の端を一層吊り上げた。
「そう。似てるよね、音が」
「……だからなんだよ」
「ずっと不思議だったんだよ。普通、登場人物に自分の名前と似た音のキャラはなるべく出さないようにすると思うんだ。たとえサブキャラだったとしてもね」
確かにそうだ。そんな名前のキャラがいたら自分の陰が見えてきて、どうしても扱いづらくなってしまう。
「だけど山村くんは登場させていた。しかもそれを無理矢理意識の範疇に押し出す努力までして。なんでだろうね?」
「……いい加減にしろよ、ただの偶然だろ」
衰えていた怒りが蘇ってくる。
本能が叫んでいた。これ以上はマズイ。踏み込まれるのを阻止しろ……と。
だが空華はそれを知ってか知らずか、話を進めていく。
「結論から言うと、山村くんは村娘に自分を重ねていた。それで満たしていたんだよね、自分の欲求を」
「やめろ……、やめろっ……」
「山村くんは『黒巫女様』を読まれるのを酷く恐れていた。それは自分の欲求に塗れた小説だから。そして夢月送ってきた小説を読んで確信したよ。山村くんは登場人物に自己投影して小説を書くタイプの作家なんだって。あの長い地文からは、それがよく伝わってきたなぁ。でも黒巫女様に自己投影していたなら、今までの小説は一人称で書かれているはずなんだよ。その方がより自分の思いをダイレクトにぶつけられるからね。では、今まで山村くんは誰に自分を重ねて物語を書いていたのか? ……もうさっき、言ったよね」
「やっ……、やめてっ……やめて、ください……」
懇願も空しく、空華は決定的な真実を俺に突きつけてくる……。
「山村くん、あなたは村娘と自分自身を重ねて小説を書いていた。黒巫女様に助けられて、女の子として愛されることを夢見ていた。そんな妄想を知られたくなかったから、今まで誰にも小説を読ませようとしなかったんだよ」
俺の中で、何かが粉々に砕け散った。
それは心臓に近しい何かだった気がする。でもなくなってしまった今、正体を確かめる術はない……。
そんな俺に空華は優しい声音で語り掛けてくる。
「ごめんね、山村くん。本当は黒巫女様になりたかったんじゃなくて、会いたかったんだよね……夢月と一緒で。だから夢月と山村くんは、本当は同士だったんだ」
俺は力なくうなずく。もう、語る言葉も、たばかることもない。
ただ操り人形のように、空華の言うことに従う。それしか俺には選択肢がないのだ。
「だけど夢月、ちょっとだけ山村くんが羨ましいんだよ。だって大好きな人と本当の意味で一つになれてるんだもん。普通なら絶対にありえない、奇跡だよ」
奇跡……ああ、そうか。俺は恵まれているのかもしれない、大好きな人そのものになれているんだから……。
「もしも黒巫女様になったらずっと大好きな人と一緒にいられるんだよ、朝から晩まで。嬉しい時は一緒に喜べて、悲しい時は同じ涙を流せる。同じ食べものを食べて、同じ歌を歌って、同じ景色を眺めることができる。こんな幸せなことって、他にないと思わない?」
言われるままに想像する。
黒巫女が笑えば俺も笑う。
黒巫女が泣けば、俺も泣く。
黒巫女の足が俺の足で、黒巫女の手が俺の手で、黒巫女の全てが俺なのだ。
黒巫女の踏みしめる大地、触れるもの、味わうもの、聞くもの、嗅ぐもの……何もかも知ることができる。
想像するだけで心が満たされる気がした。
「ね。山村くんは、黒巫女様のことが大好きだもんね」
そうだ……、俺は黒巫女のことが好きだったんだ。
あれ、でも一番好きだったのは、本当に黒巫女のことだったのか……?
……いや。そんなことはもう、どうでもいいや。
手を伸ばせば届くすぐそこに、永遠の幸せが待っているのだ。他のことなんて、もう考える必要なんてないんだ。
でも俺は自分の意思で、行動できない。
だから待つ、彼女が指示してくれるのを。
空華は鮮やかに色づいた桜の木を思わせるような、満開の笑みで言った。
「さあ、自分を捨てて。あなたの大好きな人……、黒巫女様になって」
俺……わ……、あ、わ……我……、は。
我は……、我は……。
消え行く何かを見た。
それは知らない世界。
知らない人、知らない建物、知らない自分。
知らない誰かの記憶。
まるで流れ星のように消え去っていく数々の小さな欠片。
我はそれを眺めていた。
はるか遠くにあるそれに触れることはできぬ。
だが次々とそれ等が闇に呑まれていく様を見ると、なぜか胸の内にぽっかり穴が開いたような寂しさを覚えた。
だが我が何を思ったところで、考えたところ、たとえ叫んだところで、始まってしまったこの現象を止めることは叶わぬ。
ただ見ているしか許されぬのじゃ。
ああ、でも。
それでも、願わずにはいられぬ。
どうか、この者が。
記憶の持ち主が、消えてしまったとしても。
彼が幸せだった記憶をどうか、誰かが覚えていてやってくれと。
そう願わずにはいられぬ……。