悪魔は決して嘘をつかない
目に入れても痛くない一粒種、私は娘を、誰よりも、誰よりも愛している。
まもなくクリスマス、プレゼントでも買ってやりたいところだが、貯金通帳残高が二千円では、どうしようもない。
いたって健康な私が、なぜ、こんな状況になったのか、それは……。
実は、我が娘、難病、不治の病に冒されている。私にお金がないのは、望みがなくとも最大限の人事を尽くし、天命を待つべきだと決意した結果だ。
娘の治療方針で対立した妻とは離婚、私は自宅マンションを売り払い、仕事も辞め、娘の介護に専念した。全財産を投じ、藁にもすがる思いで、あらゆる治療を試みたが、残念ながら娘の容体は好転せず、今に至っている。
買い置きのカップ麺を食べてしまったら、もう飢え死にするしかないのかな? いやいや、娘の命ある内は、何とか生を繋がねば!
そんなある日の朝、ふと、アパートのクリーンステーションを見ると、なにやら奇妙なオーラを放つ箱が目についた。その大きさや形から、菓子折りのようだ。こうなったら消費期限切れでも何でも食べてやる! そう思って、私は捨てられていた箱を手にした。
ご存知かな? ゴミはゴミ置き場に置かれたその瞬間から所有者が変わることを。この箱も既にK市の所有物、ま、だけど、生活困窮者には違いない私、市からの救援物資と考えても問題はないだろう。
箱を開けてみると想定外の物、人形? 小さな女の子を模った、ぬいぐるみが入っていた。ああ、なるほど! これは、神様が授けてくれた娘へのプレゼントなんだろう。捨てられていた物だけれど、洗濯すれば問題ないか?
赤い帽子におさげ髪、チェックのワンピに赤い靴、可愛い女の子のぬいぐるみは新品のように見えた。ま、とは言え……。私は洗濯機でぬいぐるみを洗い、乾かして、イヴの夕方、娘の病室を訪れた。
「パパ、ありがとう!」
「ごめんな。こんなものしか、持ってこれなくて」
「いいえ、パパのプレゼントなら、何だって嬉しいわ」
素直で親想いの娘、なぜ? どうして? 彼女の天命はこんなにも短い! ふと、病室の窓から外を見る、鈍色の空から降っていた雨は雪に変わった。天から舞い落ちる浄化の魔法は街を覆い、白い聖夜が訪れるのだろう。神様、どうか、娘にご加護を!!
《妾は神ではないのじゃが》
うん? 頭の中に響く声は、娘の枕元に置いたぬいぐるみから聞こえてくるように思える。とうとう、私、娘のことを案じ過ぎ、どうにかなって、しまったのだろうか?
《いやいや、お主は、まったく正気じゃぞ》
え! 私の思考が読まれている?
《お前は誰だ? 何の目的で私に語りかける?》
《我が名はディアボロス、ま、ディアとでも呼んでくれ》
《ディアボロスだと! 貴様、悪魔か!》
《いかにも! じゃが、お主にとって、妾との遭遇は、そう捨てたものでもないぞ》
《どういうことだ?》
《娘の命、助けて進んぜよう》
《ディア、お前、悪魔なんだろ? その対価は、私の魂か? ならば、何の問題もない、我が魂くれてやるぞ!》
《いやいや、悪魔にも矜持というものがある。恩人の魂を要求するなど、その誇りにかけてできぬ相談だ。本当に助かった、礼を言うぞ、あのまま焼却場で焼かれていたら、面倒なことになっていたからのぉ》
《ならば、何を?》
《お主にとっては、何の関係もない赤の他人の命、ということで、どうじゃ?》
《断る! 我が娘は可愛い、なんとしても助けたい。だが、他人様の命を奪ってまで、望みを叶えようとは思わない》
《左様か、残念じゃな》
悪魔との話しにかまけ、私は娘から目を離してしまっていた。
「パパ、苦しい、なんだか、苦しいの……」
先ほどまで小康状態だった娘の容体が急変した。呼吸は荒く、つく息はふいごのよう、ヒュー、ヒューと喉が笛のように鳴っている。
私は慌ててナースコールのボタンを押した。
医師が病室に駆け付け、看護師に酸素吸入器の装着を指示する。
「お父様、残念ですが、もう我々の手が及ぶ状態ではありません。どうか娘さんに、最後の言葉を掛けてあげてください」
「そ、そんな……」
分かっていた、知っていた。早晩、こんな時が来ることは。だが、どうしても私は、暗闇に蹲る魔物を直視することができなかった、ただ、それだけだ。
《どうじゃ、気が変わらぬか?》
悪魔め! 絶妙のタイミングで声を掛けてくる。なんて狡猾なヤツだ!
《あと、数分で、娘は死ぬぞ? そう言ったであろう、妾は神ではない、十字架に架かった者を三日後に復活させる技など、持ち合わせてはおらぬ》
ダメだ、絶対にダメだ、悪魔の誘惑に負けてはならない!!
《妾には見える、揺らぐ焔、もうすぐ消える、消えるぞ、命の蝋燭が》
私は血が出るほど強く唇を噛んだ。
《わ、分かった、ディア、君の提案を受け入れよう》
《うむ、そうこなくてはのぅ〜 ヨシ! 契約は成った!!!》
ズガガガーーンン!!!!
突如、病室内が黄金色の光に包まれ、まるで雷が落ちたような衝撃が走った。
「アレ? パ、パパ?」
今まで青白かった娘の頬に赤みが差している、助かったのか?
《ああ、保証する。いろいろ世話になったな、またいつか》
フッと悪魔の気配が消えた。おそらく、このぬいぐるみは悪魔を封じる呪物、私との契約が成ったことで、その封印が解けた、ということかもしれない。
当然だが、医師には奇跡と言われた。病が治っていくことを「薄紙を剝ぐように」と言うが、まるで厚紙を剝ぐよう、瞬く間に娘は回復、退院することができた。もう少し元気になれば、私が仕事に出ることも可能だろう。
だが、だけど、一抹の不安、いや、大きな悔恨の念はある。私は誰か他人の命を犠牲にして幸福を買ってしまったのだから。
とはいえ、夢にまで見た健康な娘との二人暮らし、私は自分の犯した大きな罪を忘れつつあった。
そんなある朝、テレビが緊急速報を告げる。
「ゼムルク内戦について、新たな急展開です! 政府軍は兼ねてより保有が噂されていた戦術核兵器の使用に踏み切りました。リーフ大統領はこれを否定していますが、反政府軍の拠点セイトの犠牲者は十万人を超えた模様です。未確認ですが、これに対しNTRO軍はカウンターフォースの準備を始めた、との情報も入って来ています」
え? 何となく胸騒ぎがした。と、その時、あの日、ぬいぐるみから掻き消えた、あの気配、おぞましき悪魔の香がした。
《いやいや、お久しぶり、その節は世話になったのぉ〜》
《ま、まさか、これは貴様の仕業か? 十万人とはどういうことだ!》
《何を怒っておる、妾、嘘などついておらぬぞ。娘の命、その対価が、等価、一対一だなどと、一言も言っておらんがのぉ〜》
《それは詭弁だ!》
《フフフ、教えて進ぜよう、悪魔のご馳走はのぉ、「人の死」ぞ。お主のお陰で、あの忌々しき封印も解けた。後は好きにさせてもらうつもりじゃ》
《そもそも、貴様の目的はなんだ?》
《なぁ、人類は、なぜ八十億もいると思う?》
《どういうことだ?》
《悪魔の贄となるためぞ。一日、十万人として、八万日、二百年は楽しめるかのぉ〜 いや、待てよ、生まれてくる数を考え、殺す数を調整すれば、永遠にでも遊べるということか! あー、そうは言っても飽きてくるな、やはり二百年で殺し尽くすことにしよう、それがよいのぉ〜》
《な、なんてことを!!》
《もう遅い! ま、じゃが案ずるな、契約がある故、お主自身と娘はもちろん、お主の知人には決して手を出さぬ。うん? そうか! 妾が殺さずとも、お主ら百年も待たずに死ぬのか? まこと、人の命は儚いものよのぉ〜 では! 改めて、感謝を!》
アハ、アハハハハハハ!!!
お決まりの高笑いを残し、悪魔、ディアボロスは、何処ともなく消え去った。
「ク、クソォォ!!」
それからというもの、毎日のように、人が死ぬ、多数の人が死ぬ。原因は、戦争、天災、事故、感染症、様々で、起きる事件にどこまで悪魔が関与しているかは分からない。
そもそも、あれは夢、娘を想うあまり、私が作り出した幻影だったのではないか? だが、連日のように大事件が発生する世界、どこかおかしい、狂い始めている。やはり私は狂気の時代を開いてしまった。悪魔の誘惑に負け、破滅へのトリガーを引いてしまったに違いない。
お読みいただきありがとうございます。
恒例、冬の童話祭2023参加作品です。今回は、ショートショートにしました。ま、軽いネタですので、軽ぅ〜く読んでください。だけどですねぇ〜 うーーん、いつも童話とは言い難い作品になっちゃいます。どうも子供向け、不得意なんですよね。「大人の童話」ってことでご勘弁を。
内容について一点だけ。最後の方のテレビニュースですが、最初はもっとリアルな感じでにしていました。だけど、現実の情勢を考えるとシャレにならんな……と思い、架空の国のお話に書き改めました。その分、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、ご容赦ください。
で、本作品を書いた後でふと気付いたのですが、このストーリーって、落語「死神」に似てますよね? 瀕死の人を救う、命の交換、悪魔が主人公を追い込むあたりも、きっと私の無意識下に好きな落語があって、これを書かせたのだと思います。
ところで、今夜は聖夜、みなさんは、どんな方と? あるいはソロで? 「School Days」をご覧になっているのでしょうか? そんな特別な夜に、拙作、大変失礼しましたm(_ _)m