20、『アカバナ様』
こんなに長く書いたの初めて………!
イメージするは夏の猛暑日。クーラーと扇風機の両方を使ってようやく凌げるあの蒸し暑さを、そのまま熊にぶつける想像をする。そして、パッと思いついた魔法名を叫んだ。
「『焦熱地獄』!!」
その言葉が辺りに響いた瞬間、ネズの右手にあった五つの炎元素が熊に向かって飛んでいき、周りを取り囲む。
「グルアッ!?グルオオオオオオォォ!!?」
熊は、自身を囲む魔法に危険を感じたのか、初めて回避行動を取る。しかし、それよりも先に、ネズの魔法が発動した。
フィネアの魔法が止み、一瞬だけ静寂が訪れた後、炎元素が突然明るく光り、ドッッッゴオオオオオオォォォォン!!と轟音を撒き散らしながら爆発した。
そして、その魔法の余波はネズ達のところまでやってきた。
「ちょっ、ネズ強すぎぃぃーー!?」
「初めてで加減ができるわけないだろーー!?」
ネズとフィネアは吹き飛ばされながらも、どちらも無傷で着地する。どうやら、『焦熱地獄』は元素で囲んだ輪の中、つまり内側に向かって爆発するらしく、その分外側への威力は低いらしい。そして、その爆発を輪の中で、至近距離で受けた熊はといえば………
「グルガアアアアアアアアアァァ!!」
これまでとは比べ物にならないほどの大きさと長さの咆哮が辺りを揺るがす。ネズ達が熊がいる方向を見ると、炎に呑まれながらもしっかりと二本足で立ち、こちらを真っ直ぐ見据えている影があった。どうやら、熊の戦意はまだ衰えていないようだ。
「うっそ!?あれで死なないなんて………!」
「あの熊、マジなんなんだよぉ………」
ネズ達は未だに生きる熊を見て、呆然としてしまった。案の定、その隙を逃さず熊が突進してくる。当然、その巨体に炎をつけたまま。
「マジでかっ!?」
「道連れにするつもりか!?」
二人はすぐに魔法を放とうとするが、一人は魔力切れ、もう一人は魔法のど素人で、どちらも魔法を発動することができなかった。
そうこうしてるうちに熊が両手を広げて、二人を抱き上げるようにして迫ってきた。魔法を放とうとして回避という選択肢を捨ててしまった二人は、熊と一緒に仲良く炎に包まれ………………………なかった。
バグンッッ!!と何かが噛み付く音がした後、熊の体が消えた。比喩でもなんでもなく、文字通りに、熊の3mの巨体が、一瞬で消えた。目の前まで迫ってきたあの恐怖も、真夏より暑かった火炎も、火に煽られてずっと吹いていた暴風も、全てが霞の如く一瞬で消え、不気味なほどの静寂が訪れた。
「………………え?え、え、え?何が起きた?」
「ネズの魔法………ってわけじゃないしねぇ………」
当然のように二人が困惑していると、チリーンと、小さく鈴の音がどこかで鳴った。それは前から響いているようで、後ろから聞こえた気もして、左右のどちらかから鳴ったのではないかと思うくらい、鳴った場所が分からなかった。ネズは、どうにもならないと分かっていたが、無意識にフィネアに聞いていた。
「ね、ねぇ、この鈴の音って、なに………?」
「………………え?なんのこと言ってるの………?」
フィネアから返ってきた答えは、ネズを思考停止に追い込むほどの衝撃があった。フィネアはネズと同じくらいか、それ以上の聴覚を持っているはずだ。そのフィネアが、小さいながらもはっきりと聞こえた音を聞き逃すことなんてあり得ない。
ネズがフィネアの答えを聞いて、衝撃のあまり口をパクパクさせていると、またどこかでチリーンと音が鳴った。その音は、先ほどよりも大きく響き、音の主が段々近づいてきていることが分かった。
「ど、どしたのネズ?ま、まさか、また熊が出たとか言うんじゃないよね!?」
(な、なんなくだけどヤバイ感じする!早くここから逃げないと………!)
ネズは、鈴の音が聞こえず、見当違いなことを言っているフィネアを瞬時に抱きかかえ、すでに沈んだ陽の方向へ駆け出そうとした、そのときだった。
チリーンと、今度ははっきりと、前から聞こえた。
そこには、右耳に拳大の大きな鈴を二つつけている大きい白狐、のようなモノが座っていた。
なぜ『ような』なのかは、狐の顔を見ればすぐ分かる。なぜなら、その顔は、五つの赤い線が入った、ねじれた顔だったからだ。ちょうど、耳から先が時計回りにねじれていて、それに沿って五つの赤い線が渦を巻き、その線によって分かれた部分の一つ一つに、こちらを見ている縦長の目があった。そして、最終的に赤線は鼻先に集まっていて、その鼻先は真っ赤に染まっていた。
「………………あっ」
「ちょ、どうしたの!?ネズに抱かれるなんて、ちょっと恥ずかしいんだけど!?」
予想外の化け物を見て完全に固まってしまったネズに、フィネアはまたしても見当違いのことを叫んで、ネズの腕からするりと降りた。
「いやーそれにしても、今さっきのはなんだったんだろうね?ここらへんはあの熊が森の主だったのに」
そう言いながら、あろうことかフィネアは白狐のようなモノの元へ歩き出してしまった。
「あ、ま、待ってフィネア!!」
白狐のようなモノの顔が、赤線に沿って開く。それは、巨大な赤い花の開花のようで、食虫植物の捕食前にも見えた。
バグンッッ!!と、あの熊を消した音が鳴った瞬間、狐の顔は元のねじれた顔に戻っていた。しかし、ネズはもっと別のところを見ていた。それは、狐の足元。さっきまでフィネアがいた場所。そこには、もう何もなかった。文字通り、何もない。それはまるで、あの熊と同じように、『捕食』されたかのように。
「な………………あ………………」
ネズは、怒りに任せて狐を攻撃することもせず、ましてや恐怖に駆られて逃げることもせず、ただただ狐を呆然と見ているしかなかった。
それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。青く輝く月があまり動いていないのを見ると、そこまで時間は経っていないのだが、ネズには何十時間という時を経たような気がしていた。
そんな、謎の緊張感に呑まれているネズの頭に、突然、凛とした女性の声が響いてきた。
『うぬ、不吉なる黒を纏う矮小なる猫を助けたいか』
「………………え?」
まさか喋るとは思わなかったネズは一瞬思考停止したが、すぐに我に返り、ほとんど消え入りそうな声で言う。
「はい………助け、たいです………」
『そうか。なら、我と契約をしろ』
ネズの返答に、まるで分かっていたかのようなスピードで喋る狐。ネズは、狐が出した条件に少し迷いながらも、うなづいた。
『分かった。これで契約は成立じゃ。望み通り、かの黒猫は戻してやろう』
狐がそう言った瞬間、ネズの目の前の虚空から、気絶したフィネアが急に現れた。
「うわっ!ちょっ、よい………しょっと!」
フィネアが地面に激突しないように、すぐにフィネアをキャッチし、静かに地面に下ろした。フィネアに外傷はなく、ただ眠っているだけのようだ。
フィネアが無事で安心したネズに、狐は五つの目を細めた。それは、あの熊と同じように、『捕食者』の目だった。
ネズはそれに気づくことなく、狐と向き合う。
「えっと、それで、契約はどういう契約………なんですか?」
『うぬは知らなくてよい。なんせ、もう死ぬのであるからな!!』
狐はそう叫ぶと、全ての目をカッと最大まで見開き、こちらを凝視してきた。
「うわぁ!?………………………………………あれ?」
ネズは、狐の言葉と同時に得体の知れない何かが体にぶつかったが、何も起きないことに気づいた。
『ぬ………?効かぬ………じゃと?そんなことはあり得ん!もう一度じゃ!』
狐は再度目を見開き、見えない何かを飛ばしてきたが、やはり多少の衝撃があるだけで、とくに何も起こらなかった。
『なっ、『乗っ取り』も『魂食い』も効かぬじゃと!?なぜじゃ!まさか、うぬは我と同格とでもいうのか!』
ネズの頭の中でギャーギャー騒ぐ狐は、どうやら自分で飛ばした見えない何かがネズに効かないことに怒っているようだ。狐の大きな尻尾がイラついたようにバッタンバッタンと地面を叩いている。
それを見て、ネズは身構えたのが少し馬鹿らしくなった。狐が使う見えない何かは、ネズには効かないようだし、今の狐が癇癪を起こした子どもに見えるくらい恐怖が薄れてしまっている。しかし、相手はあの熊を一撃で消し、フィネアに認識されずに『捕食』を行える力を持っている。警戒するに越したことはない。
やがて、狐は見えない何かでは埒が明かないと判断したらしく、もっと実力を行使する方向に舵をとったようだ。それすなわち、『捕食』へと。
『まあ、よい。『精神干渉』が効かぬのであれば、ただ捕食するのみじゃ!!』
狐の顔が、フィネアを『捕食』したときのように、五つの花弁を持つ禍々しい赤い花へと開花した。
「ッ!?」
ネズは咄嗟に両手をかざして身を守ろうとするが、本人もそんなことで身が守れるとは思っていない。狐が嘲笑ったような気配がしたあと、あの噛み付く音が響いた。
「………………………?」
しかし、いつまで経っても衝撃がやってこない。ネズは恐る恐る両手をどけると、狐はあの花のような口を半開きにしたまま固まっていた。どうやら、何かに阻まれて、ネズを『捕食』できないようだ。
『な………ぜじゃ?なぜ………『精神干渉』も………『捕食』も効かぬのじゃ………?』
ネズの頭に狐の掠れた声が聞こえてきた。ネズもなんとなく考えてみると、あることが思い浮かんだ。それは、
「もしかして、『精神干渉』が効かないのは俺が『剛魂者』を持ってるからで、『捕食』が効かないのは『東神の化身』を持ってるから?」
というものであった。確か、『剛魂者』は精神攻撃を無効にするはず。また、狐はどっからどう見ても和テイストで、いわゆる稲荷様に似ているのだ。なら、稲荷様より高位そうな東神、の化身となっているネズは、狐に害されない可能性が高い。
ネズの独り言を聞いた狐は、あることを思い出したらしく、忌々しげに小さく舌打ちをついた。
『チッ、なら、我はあの古き契約に未だ縛られていたのか………。くっ、そうなれば、契約に従う他ないか………』
狐はそう言うと、口を閉じて、頭をネズの身長と同じところまで下げ、服従のポーズを取った。
『我、戦ノ狐神は、古き契約に従い、汝に仕えるとここに宣言する。我、俗名は『アカバナ』。汝を生涯守護する者である』




