1: 苦手な女の子
「ちょっと待ちなさい」
なんということだ。捕まってしまった。
クラスメイトは部活に寄り道…青春と名のつくものを各々が謳歌するこの時間…そう、放課後に。
うっかり机の中に筆箱を置き忘れていたことに気がつき、教室へと引き返したのだけれど。誰もいない夕暮れの教室には彼女がいた。
「…はい、なんでしょうか」
下手に無視できる相手ではないし、仮に相手がいい人だとしても、同様に無視はできないのだが…
なんといっても相手はあの武本アキラ。彼女は授業中と同じように窓際の最後尾に座っていた。夕陽を受けて頬杖をつく彼女は、言ってしまえば綺麗。言ってしまえば、の話だが。
「アンタ、部活はしてないの?」
「してないです」
「学校が終わったら真っ先に帰るの?」
「まぁ…そうなりますかね」
圧迫面接か何かか? 先ほどから彼女は、体をこちらへ向けないどころか首すらも微動だにさせない。ただ目線だけをこちらへ移して二つばかりの質問をし…またもや窓の外へと目線を移した。そして鼻で笑った。
「ふっ…サビシー過ごし方してやんの」
彼女は怖い。クラスの中でもここまで派手な金髪にしているのは彼女だけだし、耳たぶだけでは飽き足らないのか、上のほうまでピアスが占領している。声も冷たい。
だけど僕は、部活をせずに真っ先に帰ることに関しては、彼女だって同じではないか。そう思わずにはいられなかった。ムッとしていた。
「それは武本さんも…」
「ああ?」
「…武本さんは部活してましたっけ?」
いけない。彼女の迫力に思わず声を抑えるところだった。だけど僕は負けない。言ってやるんだ。
「してないけど…何? アタシもアンタとおんなじだって言いたいわけ?」
「おんなじというか…武本さんも部活をせずに…まっすぐ帰るんじゃないんですか?」
結局そういう意味になってしまったが、別にいい。寂しい? この僕が寂しい過ごし方をしているだと? …図星だ。だからこそ腹立たしいのではないか。
派手なあなたと地味な僕。生きる世界は違っても、生きるスタイルでは通じるものがあるのではないか…
「…アンタなかなか言うわね。いいじゃない、気に入ったわ」
なんだそのフィクションのような喋り方は。
おまけに腕も脚も組んで、まるで物語の主人公ではないか。いや、それ以前に…
「よく分かりません…気に入ったとは?」
「言葉通りの意味よ。アンタには食らいつくだけのチカラを感じたってわけ」
もっと謎が深まった。第二のセリフにして深淵に呑まれた。…いや、彼女からヒントはもらった。要は「食らいつく」ことがベスト。
「食らいつく…はい、えーっと…」
難しい…食らいつくって具体的に何をどうするんだ?
「ヒントをあげるわ。…アタシと同盟を結びなさい」
「ヒントっていうか…もはや命令口調じゃないですか」
食らいつく…よし、なんとなくだが見えてきたかもしれない。要するに、思いをきちんと言葉にすることだ。僕が先ほど口にしたのはただのツッコミに過ぎないが、これも確かな一歩なのだ!
「何しみじみしてんのよ。ツッコミはカウントしないわよ」
あ、離れた。彼女に少しだけ追いついたつもりが離れてしまった。ツッコミはカウントしないとバッサリ斬られた…というか、僕の葛藤が見透かされているのか?
「アンタ、アタシとこうしてエンカウントしたわけだけど…率直な意見を聞きたいの。アタシと、なにをしたいの?」
なにをしたいの…? なんだその問いかけは…なんだその純粋な眼差しは! そもそも「エンカウント」って敵と遭遇することを意味する言葉では…
「ごめんなさい…まったく分かりません。僕は筆箱を取りにきただけなんで…」
もうお手上げだ。意味が分からなさすぎる。僕は筆箱をカバンに入れて、入口まで足早に歩いた。
「そっかそっか。そうやって青春のチャンスをみすみす手放しちゃうわけね」
僕は入口の前で足を止めてしまった。止めてしまったというよりも…いや、止めたほうが都合がよかったのかもしれない。僕はもう、彼女の次の言葉が気になって仕方がない。
「青春のチャンス?」
「まさしく」
相変わらず席についたままだが、彼女の声には何やら力がこもっている。
「答えなさい。アタシとアンタは何年生になったと思う?」
「2年生…ですけど」
溜め息をつかれた。僕はなにか間違ったことを言っただろうか? 間違いようがないのだが…まさか彼女は留年していて…
「そう、アタシたちは2年生。2年生になって早くも1週間が経とうとしてる。…ねぇアンタ、1年のときは誰とどんな風に過ごしてた?」
彼女はストレートな質問をした。僕とて多感な時期であり、無駄とは思いつつもなかなか捨てられないプライドがある。
「新しクできたトモダチと…あ、あそんダリ…」
「はいはいそこまで。一旦深呼吸しよっか?」
彼女は鬼コーチのように手を叩いた。僕の悲しくて見え透いた嘘はまったく届いていない。これが野球ならブーイングの嵐だろう。
「武本さんの意図が分かりません。ああ…そうですよ。僕に友達なんていません…去年は誰とも馴染めないまま…容赦のない『2人組作って〜』が僕を確かに苦しめました! 僕は正真正銘のぼっちです! 笑ってくださいよ!」
この放課後、彼女に出会った当初は恐怖を感じていたはずなのだが、このときばかりは虚しい思いがとめどなく溢れ出た。我に返った頃にはもう遅かった。あの顔を見るに、彼女は絶対に機嫌を損ねている。
「あっ…すいません…」
僕は怖さと気まずさで顔を背けた。
「…ははは!」
「え?」
こんなに綺麗に「え?」が出たのはいつぶりだろう。彼女は突然、無邪気な笑い声を上げたのだ。やがて彼女は立ち上がり、顎に指をあててこちらに近づいてきた。
「う〜ん…及第点ってところかな?」
だから…なんなんだこの人は。
「倉持楽人くん!」
「はい!?」
名前を呼ばれた。それもフルネームで。
僕のような人間が、彼女のような人間に認識されていたのか? 名前を覚えていたのか?
「アタシと一緒に…青春、始めてみない?」
突拍子もない上に漠然とした提案。
それに対する疑問と拒絶は、逆光の中にも明るい笑顔を見せる彼女が薙ぎ払った。