第6話 新しい門出
目を覚ましたミナトは視界に映る巨大な窓ガラスと、その奥に見える巨大な建造物の数々を前にして思考の一部が吹き飛ぶが、なんとか落ち着こうと動揺を沈める。
するとようやく自身が椅子に座らされていることに気づき、無駄に広い部屋の中で拘束具の一つすら付けられていないまま椅子に座らされている不可解な状況に機微を捻りたくなるのを我慢し、とりあえずと立ち上がった。
そう長くは生きていないミナトにとっても高層ビルの上階から地面を見下ろす経験はそうあるわけもなく、興味本位に引きずられて窓ガラスの付近へと無意識に足がむきかけたその時、
背後から扉が閉まる音が鳴り、二人の男が姿を現した。
「はじめまして、僕はアーブラハム=ベールマー。ギルド『フォルティス』のギルドマスターだ」
そう言って前に歩み寄ってきたアーブラハムはミナトへと握手を求めるかのように開いた手を向け、それに倣って同じく手を差し出そうとするが、
「フレイム」
向けられたその手は突如として魔力を帯びはじめ、ミナトの回避行動よりも先に魔法が放出される。
ミナトはアーブラハムの手からわずかに漏れ出た魔力を半ば感覚的に感知。
即座に体勢を落として抜刀の構えへと移行するが、掴みかけたその手に剣は握られていなかった。
本来ならそこにあるべきだった刀剣はおそらく剛士によって取り上げられている物だろうが、彼としても抜刀までの刹那にそこまで思考は回らない。
ただ単純にそこに剣がないと理解するや否、魔法自体に視線を合わせてスキルを発動させる。
【魔術式強制解除】
目前にまで迫っていたはずの炎の塊は一瞬にして初めから存在しなかったものへと変貌。
術式を失いただの魔力となった魔法はミナトに傷ひとつつけることなく後方へと散っていった。
「本当に消えるんだ、魔法。冗談かそれに類ずる何かかと思ってたけど、本当に魔法を消せるんだな」
目の前で魔法を消された者が取るべき反応は二つに一つ。
消滅したことを受け入れられずにもう一度放ってくる者、もしくは消滅自体に恐怖する者だ。
だがこの男、姿形だけなら優男にも見えるアーブラハムはそのどれでもなく期待通りと言ったように不敵に笑う。
その今までに感じたことのないタイプの反応に敵意を感じたミナトのとるべき行動は。
(動揺しないと言うこと、ならば俺の能力について知っていると仮定していい。だから知った上で接触してきたと言うことは)
俺が殺されるよりも先にこいつを殺す。
剣がないのなら素手で、幸いなことにアーブラハムだけなら10秒もせずに首の骨を折れる。
両手を広げて踏み込みの体制に移行するミナトに対して、アーブラハムの横にいたもう一人の男の目が開かれた。
「動かねぇほうがいいぞ。そこ、もう斬った」
ミナトが踏み込んだ瞬間、全体重を乗せていたはずの床が切断されて断層のようにずり落ちた。
「………………ッ!」
半分ほどビルの階が変わってしまうほどの変動を前にして、アーブラハムではなくもう一人の男の脅威に何もすることができないミナトは膠着状態に陥いるが、
「双方武装を解いてくれ。僕はあくまで話し合いに来たのであって殺し合いさせるつもりはないんだよ。特に代替えの効かないものはね」
■
冒険者ギルドの主な仕事はダンジョン内の物質を市場に流通させること。
原則としてスキルを持たない人間は冒険者になることは叶わず、今やダンジョンから取れる素材が社会を回す歯車の一つとして機能している現代ではダンジョン素材を使わないということ自体が大きな市場競争に対するロスとなる。
だが冒険者以外ではダンジョンに入ることはできない、つまりは冒険者の存在無しにダンジョンの素材を入手する方法はない。
そのため一部の企業は率先して専属の冒険者を抱えることでダンジョン素材を取りに行かせていたが、中小企業や個人事業主に冒険者を動かすだけの金はない。
そのうえソロで潜れる限界は一桁階層の序盤まで、まともな素材を入手したければ大人数を抱え込む必要性があり、そこまでの大金を支払うだけの金銭的余裕は中小企業にはないのだ。
ダンジョンの素材無しに市場競争を勝ち抜く術はない。
かと言って莫大な金を払って冒険者を雇うにしても、その人件費だけで赤字の可能性もある。
そしてこれらの需要に目をつけた一部の人間が上手いことやってのけた後に生まれたのが大量の冒険者を抱え、彼らが持ち帰ってきた素材の一部を上納させる。
これにより集まった大量の素材を市場に流す「ダンジョン素材を提供する会社」として冒険者ギルドが生まれた。
ギルドは所属している冒険者に市場から得た利益により冒険者にとって最適なサポートを行い、その対価として持ち帰った素材の一部を上納させる。
一部素材を献上するデメリットこそあるものの、本職のプロたちによる装備の調整や怪我の治療、ギルド内のメンバーでチームを組むことで安全に攻略を行えるメリットは大きい。
そのため冒険者ギルドはダンジョン素材を入手したい市場側、そして一人では賄えない多くのバックアップを行えるとして冒険者からも多大な支持を得ている。
そして上位のギルドになればなるほど設備の量も質も高まり、メンバーの実力からしても深い階層への進出も狙える。
そのことから冒険者はできるだけ上位のギルドへの所属を願って自身を売り込むことになる。
「冒険者ギルドの所属方法を知っているかな?」
「訓練学校からの所属、それとギルドに見合う実績をぶら下げて門を叩くこと」
断層のように迫り上がった床の段差を跳ねるように飛び乗ったアーブラハムは、せっかく貼った強化ガラスが完全に粉砕されたことへの不満を表すように破片を踏みつけて砕き、3つに割れた破片の一つを拾い上げた。
「よく知ってるね。調べたことあるの?」
「冒険者なら一度は調べる。それに最近パーティをクビになった時にもう一度調べ直したからよく覚えてる」
「傷口抉ってごめんのついでに…………一つは訓練学校で優秀な成績を収めた上での売り込みをギルド側が承認した場合。二つ目は現役の冒険者が自身の実績と経歴を証明できるものを提示した上でギルドが承認した場合。これが原則の話で、これ以外の前例は無い」
優秀な人材は黙っていても上に行く。
否、上に行く選択を取る。
上位のギルドの優秀なバックアップを望んで有望な冒険者が集まり、有望な彼らを使ってより深い階層の攻略を行えば高ランクのダンジョン素材を入手することができる。
そして得られた高ランク素材を市場に流して莫大な利益を上げる。
得られた利益でギルド職員の固定給や冒険者専用の設備や装備などに関わる必要な人材の確保、そして所属冒険者に支払われるダンジョン攻略に対する別途報酬。
このサイクルが無限に続くことから上位のギルドに入るメリットは計り知れない。
それに上位ばかりが成長を遂げて中の下あたりからは停滞する。
「前例云々は単に面子の問題なんだよ。大手ギルドが一介の冒険者に下手に出て、周りから安く見られるのを防ぐため。あくまでギルドは雇用主で冒険者は従業員って扱いだから……まぁ舐められたら終わりってことなんだよ。商売としても」
「……………………」
現時点でアーブラハムから聞かされているギルド所属手続きに関する流れ自体はミナト自身もよく知っているものと言っていい。
冒険者協会で触りくらいは聞いた後、クビになってから所属すればお抱えの冒険者同士でバランスの取れたパーティを組んで攻略に当たれるメリットを求めて検索にかけたくらいだ。
そのためアーブラハムが長い前置きを置いていることは薄々気づいており、彼が言いたいことも先の会話で理解できた。
だがそれ以上に『ありえない』という現実がミナトの思考を放棄させる。
彼の言うことを間に受けるのならここはこの国で最も強いとされる大手ギルドで、倍率は100など優に超えて表記されないことがもっぱらの超人気ギルドである。
しかも冒険者自体がスキルの発現に制約をかけている以上、誰でも目指せるものではない。
「ただ今回は話が変わった。多少強い程度なら謹んでお断りするものだけど……キミ、魔法消せるでしょ」
初めから理解していた。
あの場でアーブラハムが魔法を放った瞬間、防ぐためには強制解除しかないとスキルを発動させたミナトを見た彼の目は、明らかに驚愕とは別種の何かを含んでいた。
それを言葉で表すのなら「予想通り」
もしくは「そうである事を望んでいた」
「僕のギルドに来い、那岐ミナト。僕は君の力を使いたい」
■
魔法の無効化。
その話を聞いた時、アーブラハムは戦慄以外の何物も感じなかった。
ダンジョンで武器を振り回して戦う冒険者と言えど、武器に限界がある事は確か。
当然剣のリーチから外れれば攻撃は当たらず、打撃をメインに戦術を組み立てる場合はもっと酷になるだろう。
そして何より、魔法の対処は原則として魔法以外では正面から打ち勝てないことになっているのだ。
熟練の冒険者に言わせてみれば障害物を使ったり、多少の工夫をすれば中級の下あたりに位置する魔法なら防げるだろうが、それ以上の魔法を使ってくる相手に対しては『必ず同じレベルの魔法で相殺するしかない』
上位の炎魔法の対処は上位の水魔法。
耐性武具などを使用すれば幾分かは対処のしようがあるが、そんな不便なものを持ち歩くくらいなら魔法で対処する。
となれば魔法を無条件で消し去るスキルなんてものの存在は理に反する。
なんせありとあらゆる魔法の対処をしなくていい。
存在そのものがダンジョンにおけるモンスターへのフリーパスなのだから。
「魔法の無効化、須賀剛士と正面から戦って一矢報いた君の戦闘力、その全てを十全に使えるのはここだけだ」
思ってもいなかったギルドの誘い。
しかもそれが最高峰に位置する全冒険者の憧れときたものだ。
今のミナトの両肩に乗っているのは希望と祝福、人生の転機と言える幸運が舞い降りてきたことに内心ではのたうち回るほどの喜びを得ているが、
つい先日までのミナトなら何も考えずに首を縦に振っていただろうに、仲間から捨てられた記憶が新しすぎたが故にトラウマがよぎっていた。
実際はミナト自体、鍵開けのスキルが魔術式を破壊できるとわかった時点で「魔法を消せる」と公言すれば引く手数多だったかもしれない。
多くの人には道化師と言われようがそれでも鍵開けるだけのやつとして放置されることはなかったはずだ。
だから『ミナトは自分から一人になることを選んだ』
仲間と思っていた人間から見捨てられた事で、もう一度同じ目に遭うかもしれないと、前科があるからこそ強くなった今でも過去を引きずって大胆な行動に出られなかった。
捨てられる可能性がゼロでない限り、あの日の心の傷をなかったことにはできなかった。
「お前が…………」
下を向いて、答えを出しきれないままになっていたミナトにアーブラハムの護衛らしき男が口を開く。
「お前が上に行きたいってんなら、お前が強くなりてぇなら、お前が自分はクソつぇえって誇れるようになりたいってんなら受けろ」
男はそう言うと背負っていたミナトの黒剣を無造作に掴むと持ち主に向かって投げ返す。
「お前もいろんなもん抱えて冒険者になったんだろ」
『俺にはないがお前にはスキルがある。今はまだなんのスキルか分からんが、いつかそれでダンジョンをクリアしてやろうぜ』
(俺は誰かに気に入られるために冒険者になったんじゃない)
過去は変わらない。
あの忌々しい記憶は現実だ。
だけど、そんなものはもうどうでもよかった。
(誰かの顔色をうかがって、他人に合わせて、嫌われないようにって怯えて縮こまるために剣を持ったんじゃない)
ようやく大事な何かを思い出していた。
「俺は…………最強の冒険者になる。だから、そのためにこの世界を踏み台にする」
小さな段差を踏み越えて前に踏み出したミナトは剣を片手に、
「那岐ミナト。冒険者歴1年の駆け出しで、スキルは──」
鍵開けの応用による【魔術式強制解除】
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