シンプルな扉
ニックは朝食を食べたあとも着いてきてくれた。真っ赤なイチゴのタルトが入った籠を嬉しそうに抱えながら。
ガラスのはめ込まれたスモークグリーンの扉を潜る。小さな鈴がカランコロンと揺れた。視界いっぱいに広がる沢山の布。1段目にはクローゼットやタンスが迷路のように置かれており、2段目から天井まで沢山の洋服が見やすいように掛けられている。
ここは衣服のある部屋。住まう者が多いのでこの部屋の服は増え続けている。
「今日はどちら様ですか?」
奥の方から扉の鈴のようなコロコロとした声が聞こえた。彼女はシーテ。ラベンダー色のくせっ毛の床につきそうな程長い髪を雑にひとつに結んだ自分よりも腕が二つ多い小さな女の子だ。シーテは手先が器用で得意な洋服作りを役割としている。
「ケイお兄ちゃんは出かけるんだ!」
「今日は今日は!新しい世界だから着替えなきゃいけないんだよ!」
ニックが自分の代わりに返事をしてくれる。
シーテは金色の瞳はこちらを向くと、朝に言ってたやつだわっ!と急いで奥の方へと去っていった。
そしてドタバタと帰ってくると、両手に収まりきれてない布の塊を渡してくれた。
「ケイお兄ちゃん頑張ってね!」
シーテは笑顔でそう言った。受け取って広げるとそれは、萌葱色の長いローブだ。新しい世界に行く時はだいたいこれを着る。何かと都合がいいからだ。内側には金色の凝った薔薇の刺繍が施されていた。前に着た時はなかったはずだ。
「これは。」
刺繍を指さす。彼女は気づかないと思っていたのか少し驚いて照れながら、
「故郷でのおまじないなの。いいことがありますようにって。凄く上手に出来たから、いざって時には売ってもいい値がつくよ!」
暖かい気持ちになったので、ぽんぽんと頭を撫でて、売るのは勿体ない。と言うと酷く喜んでいた。そうしているとニックはポケットから懐中時計を取り出して
「ケイお兄ちゃん!先生を待たせちゃうよ!」
「いいなぁいいなぁ!その刺繍とっても素敵だね!」
刺繍を眺めながら自分に時計を見せた。
「それは大変ね!後でニックのお洋服にもやってあげるね!あとこれは先生の分だよ!あっ!ちょっと待って!刺繍の入れたハンカチを持ってって!沢山作っちゃったの!先生のところ持ってって!」
近くのタンスからガサツにハンカチを五枚程取り出して渡してきた。
ローブを着て師匠のローブとハンカチを受け取ると、遅れちゃう遅れちゃう!とニックとシーテに押されて部屋を出る。
朝食を食べたところに戻ると師匠が座っていた。目の前のテーブルには様々な物が置かれており師匠は一つ一つ見ては大きめの鞄に詰めていく。全て詰め終わるとこちらに気づいたらしい。自分からハンカチとローブを受け取ると、行くか。と立ち上がった。
「今回は静かな扉だよ。すぐに帰るかもねぇ〜。」
と言いながら迷いのない歩き方で廊下を進んでは曲がって、扉を何度も潜った。この間誰ともすれ違わない。すれ違ったことがない。行くなと言われたことが無いのに誰もこの道を辿りつけることが無い。師匠だけが迷わず行ける道。自分も1人で行こうとした時は何度も通ったはずなのに思い出せなかった。そして真っ黒に塗られた古い扉に着く。この扉はここに居る全員が必ず潜る扉。世界の扉だ。
師匠が扉を開けて中に入る。自分も続けて入る。そうすると目の前には綺麗なカーペットの敷かれた終わりの見えない廊下と一つ一つ違うドアが綺麗に並んでいる。毎度ごとにドアの位置は変わっており、仕組みも謎だ。
そこから師匠は扉から一番近いシンプルな木製のドアを開けた。
師匠の後についてドアの中に入ると先ず雨の降ったあとの匂いがした。顔を上げると小汚い小屋のようなところだった。ひとつだけ窓があり、そこからはキラキラと鬱蒼とした緑が輝いていた。
ここは異世界。星の大きさも世界の方式も違う場所。
師匠はドア閉めてフードを被りまたドアを開けた。そうするとさっきまでの廊下は無くなり緑が広がっていた。
外に出ると眩しい太陽が照りつけた。暖かい風が木の葉を揺らし、虫が音を奏で、湿った空気が頬を撫でた。本物の森の中だ。師匠は黒い箱を取り出してカシャと音を立ててまた鞄に押し込めた。どこかの世界で見つけたカメラというものは師匠のお気に入りの道具の一つだ。
「ケイ、こっちだ。行くぞ。」
フードで隠された顔はこころなしか楽しそうだ。道を真っ直ぐ行かずに森の方へと歩いて行った。はぐれないように木々の間を通り抜けて歩く。師匠の歩みに迷いは無い。
水の流れる音や小鳥のさえずりなどを聞きながら進んでいく。すると大きな真っ白な壁へと辿り着いた。明らかな人工物。
この世界にはどんな者がいるのだろう。
独りぼっちはいるだろうか。
プロフィール2
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師匠(先生)
孤独の住まう家を作った人。使命があり、異世界を飛び廻る。使命とは関係ないのだが、行くあてのない者達を見ると家に連れて帰っちゃうお人好し。本当の名前は誰も…本人も知らない。無いかもしれない。その場の気分で決めている。孤独の住まう家に住んでいる者達の名前も大体この人がつけるから適当。