09. 奇妙な謝罪
子爵家が出した先触れへ、カゼッリ伯爵家から返事が届いた。訪問の承諾と、子供たちの親交を深めましょうという内容だった。
貴族は直截に記さない。謝りに来ていいよ、という意味である。
母や兄は安堵していた。父だけが、まだ難しい顔をしている。何もできないランドルフは、ヴァイオレットについて調べていた。
書庫の資料で、いくつか彼女の事情を知った。もっと詳細を調べようと本をひっくり返しているうち、カゼッリ家への訪問日になっていた。
ランドルフはまだ、ろくな情報を得ていない。
「結局、あの騒動は誰が悪いんですかね」
浮かない顔で呟いた。馬車に乗り込もうとしていた父が、気落ちしている息子へ淡々とこたえる。
「あくまで俺の考えだが、トゥッチ嬢をあの場にこさせた無能こそ、責を負うべきだと思う」
でしゃばって勝手に来たのか、それとも誰かに連れてこられたのか。状況によって見方が変わる。
「父上が、こっそり呼んだのでは、ないんですね?」
「ああ」
「誰が連れて来たのか、ご存知ですか?」
「予想はつく。明言はしない」
どこにも救いがない気がした。責任の所在を突き止めたところで、きっと気が晴れる結果は得られない。
「…………俺は、このまま……知らないままにしておくかもしれません」
「どちらでもかまわない。道義心は捨てて、単純に知りたいかどうかで判断するといい」
カゼッリ伯爵家に着くまで、父とランドルフは、どちらも黙りこんでいた。
カゼッリ家の領主館では、カゼッリ伯爵とジェラルドが待っていた。
さっそく謝ろうとしたランドルフだが、カゼッリ伯爵に静止され、口を閉じる。ケジメだからと、伯爵は先にジェラルドを促した。
ジェラルド・カゼッリが、強張った深刻な顔で小さく頷く。不満がるどころか、後悔している真摯な様子に驚かされる。
「場をわきまえず声を荒げたこと、君の婚約者へ攻撃的に接したこと。どちらもカゼッリ伯爵の子息として、あるまじき失態だった。君の立場を危うくした、自分の愚かさを恥じている。すまなかった。謝罪させていただく」
生真面目な口調。言い訳をせず、自らを厳しく律する態度。高位貴族の矜持とはこういうものかと、その潔さに圧倒された。
「私もジェラルドの父として謝罪する。せっかくの婚約披露で大変申し訳ないことをした」
カゼッリ伯爵もまた、ジェラルドとともに頭を下げた。青菫を背負う親子は、貴族の思惑に翻弄されて四苦八苦していた、ちっぽけなランドルフに謝ってくれた。
第一印象は大事だ。こうして改めて会う機会がなければ、ジェラルドを驕った愚かな子供だと信じて疑わなかっただろう。
彼が令嬢たちを罵倒し、ロゼッタへ人格攻撃したことは、擁護できない。侮辱してやろう、せめて仕返ししてやろうと、暴言を吐いたのは間違った行為だ。
しかし、ヴァイオレット嬢の出自を調べたランドルフは、ジェラルドを責める気になれなかった。
やりきれない気持ちがこみあげて、たまらなくなり、喘ぐように口を開いていた。
「あのっ、すみませんでしたっ!」
社交辞令なら用意してきた。おべっか、ごますり、美辞麗句。高位貴族の皆々様へ、平身低頭お詫び申し上げる媚に媚びた謝罪の数々を、使う気にはなれなかった。
「俺はあの時、ジェラルド様が悪いと、一方的に決めつけました。根拠などありません。ただ信じこみました。もし、俺が冷静に物事を見ていたら、もっと穏便なやり方でおさめられたと思います。それを、あんな……あんな……」
ランドルフの顔が苦渋に歪む。みんな高位貴族の大義ばかり気にしていた。派閥だとか、南部地帯の平和だとか、名門貴族との縁組みだとか。
その中で、たった一人だけ、泣き出した少女のために腹を立てたのがジェラルドだ。愚かしいと笑って、ジェラルドに頭を下げさせて、義務的にこちらも謝罪して、それで終わりか。それでいいのか。驕っていたのは、いったいどっちだ。
「あの時、ジェラルド様は正しく苦情が言えなかったんですね。俺ごときに、おちょくられても、こらえておられたんですね」
ヴァイオレット・トゥッチは私生児だった。
庶子ですらない。アルベローニ家の完全な部外者。平民の少女ヴァイオレットは、あの日、あの場所に居てはいけない人物だった。
けれど、彼女は居た。リベリオの言う『貴族らしい傲慢な無神経さ』ゆえに、あの騒動が発生してしまった。
現状、ランドルフにわかるのは、それだけだ。そんなわずかな情報でも、見えるものは違ってくる。
正直、身につまされた。ヴァイオレットは、俺だと思った。無教養でちっぽけな自分と、どこが違うというのだろうと。
ランドルフは、守られていただけだ。ロゼッタたちが過剰に褒め称え、兄が張り付き、身内の悪党どもが胡散臭く睨みをきかせ、やれ婚約者だ、フィネッティ子爵のご子息だと吹聴し、やっと存在を許されていた。
きっと、ジェラルドが切々と語れば騒動は免れたに違いない。私生児を蔑ろにするなんて可哀想だと訴えれば、みんな謝りさえしただろう。
だが、それは物理的に危害を加えるより酷い仕打ちだ。
「僕が強引に、客の中を連れ回した。ヴァイオレットに、年長者ぶりたかったんだ。あげく、はぐれて騒ぎが起きた。僕の軽率さが招いたことでもある。その点については、令嬢たちにも悪かったと思っている。だから、気に病まないでくれ」
嘘だと思った。主観で行動したことを悔やんだばかりだというのに、直感が優しい嘘だと訴えている。
ランドルフは躊躇し、それからジェラルドへ慎重に問いかけた。
「ひとつだけ、うかがっても宜しいでしょうか?」
「……うん」
「ヴァイオレット嬢をパーティーへ随伴されたのは、ジェラルド様ですか?」
「僕ではない。両親も、違う」
緊張していた体から、どっと力が抜けた。この少年じゃない。ジェラルドと伯爵が、彼女を随伴させたわけじゃない。
何故か、物凄く安堵していた。ランドルフにとって、彼が愚か者であったほうが、今後の問題は簡単だっただろうに。
「でしたら、どうぞ謝らないでください。先程、いただいた謝罪はお返しします。失礼な言動をお詫びするのは、俺のほうです。正しく中立に立てず、大変申し訳ありませんでした」
ジェラルドが目を見張る。
「まて、そういえば、お前、さっき随伴と……。ああ、そうか……。そうか、お前、本当に……。ヴァイオレットの事情を、何も知らなかったんだな」
羞恥で顔に血がのぼる。馬鹿たれすぎて恥ずかしい。
お披露目といっても婚約祝いだ。席が決まっていたわけじゃない。立食形式で行われ、招待客だけではなく、客の婚約者や子供といった随伴者も大勢参加していた。
貴族同士の繋がりに無知なランドルフは、名簿にある名前を暗記するのが精一杯。当日の朝まで、ぶつぶつ呪文のように反芻していた。
フィリッポの名前は名簿にあったのに、異母姉の名前を調べる余裕も、発想もなかったのだ。
「恥ずかしながら、ヴァイオレット嬢がロゼッタの姉君だと知ったのは、帰宅してからです。招待客名簿にお名前が無かったので、親御さんに随伴された貴族令嬢かと思っていました。面目ありません」
「なんだと」
ランドルフをまじまじと凝視する。ジェラルドの端正な顔へ、次第にばつの悪そうな表情が浮かんできた。
「それなら、もういい。僕が従妹の涙に、カッとしたのと同じだろ。お前だって、いきなり婚約者を怒鳴る男を見たから、頭にきただけなんだな」
「はい……元彼かよ、こんちくしょう見てやがれと……敵愾心に駆り立てられまして、ついペラペラと……すいません」
「そんなわけあるか。縁談があって、ただ破談になっただけだ。婚約さえしていない」
しかも、元彼じゃなかった!
ランドルフは恥ずか死ぬ寸前である。
「ただ、どんな形であれ、あの場をなんとかしてくれて助かった。僕が幼稚な子供だったのは事実だ。感謝してる。ありがとう、ランドルフ」
「ううぅ……すみません……すみません……」
感謝までしてきたジェラルドの寛大さが、胸に突き刺さる。
どうしよう、ジェラルド様は、そんなに悪い人じゃない。むしろ、いい人の可能性が高まってきた。いや、絶対いい人だ。この感じは、不器用すぎて誤解されるタイプのいい人だ。
赤くなったり青くなったり、ひたすらヘコヘコ謝るランドルフに、ジェラルドは困った顔をした。傍らに立つカゼッリ伯爵を見上げて、静かに伝える。
「父上、ランドルフはいい奴だと、僕は思う」
そいつぁ、アンタのことですよぉ!と、ランドルフは心で泣いた。
「ついでのようで心苦しいが、今後、こんな機会はないかもしれない。だから、父上。前のことも、詫びてしまっていいでしょうか?」
「…………そうだね。お前のしたいようにして、かまわないよ」
「ありがとうございます」
再びランドルフを見たジェラルドは、たどたどしく口を開いた。
「昔、お前にしたこと、悪かった」
「へ?」
昔? え、何? 何のこと?
「いつか謝らなければと悔やんでいたんだ。きっと、あれも今回と同じで、僕たちはタイミングが悪かったのだと思う。ただ、僕がお前にしてしまったことは、年齢やめぐり合わせの悪さを理由にして、赦されることじゃない」
「? ?」
「それでも、もし赦してくれるなら、今度こそ敵ではなく友人になろう。どうだろうか?」
「? ? ?」
目の前に差し出された右手。浮かぶ疑問符。不安と期待がいりまじった、心細そうなジェラルド・カゼッリ。
え? 待って待って。どういうこと? 俺、ジェラルド様に、なんかされたの?
そんな一瞬の逡巡を経て、ランドルフはジェラルドの右手を力強く握った。真っ直ぐ相手の目を見て、堂々と宣言する。
「過去のことは忘れました」
嘘じゃない。本当に忘れてる。
「これからは、未来を見据えて参りましょう。友人に加えていただけるなら、望外の喜びです」
「ランドルフ……。お前、本当にいい奴だな」
ランドルフは決意した。今後、この爽やかな少年が、自分のような汚いペテン師に丸めこまれたりせぬように、友人として全力を尽くそうと。
こういう堅物の善人は、ランドルフの周囲に、ただの一人たりとも存在しない。キラキラ感が凄かった。真人間の友達を心の底から切望し、かつ、憧れてきたランドルフは、ジェラルドの提案に飛び付いていた。
過去に何があったかのか、もう忘れている。おそらく些細なことだろう。後々、事情が判明したとき許せない事件レベルは、親兄弟の仇である。しかし、一族郎党、皆元気。
悪が栄えた試しはない。正義は勝つ。悪は滅びる。きっとそれは治安維持に必要な戯言なのだ。
ただ、必ず確認しておくことがあった。友人になることで、ジェラルドに迷惑をかけたくない。
「でも、いいんですか? 俺、フィネッティ家の子蜘蛛ですよ」
貴族の紋章は一族の指針だ。本家紋に添えられる印は、当主と嫡流に必要な資質を意味する。
カゼッリ家なら青菫に、血止め草ヤロウの葉。
アルベローニ家なら紅薔薇に、双剣。
フィネッティ家の紋章は、金貨をはかる天秤だ。本家紋には蜘蛛が添えられる。ちなみに蜘蛛は、強欲の象徴。まんますぎて、よく引かれる。
「かまうものか。フィネッティ家は南部貴族の同胞だろ。それに、互いに補い、高め合うのが真の友人だと、父上や兄上がよく仰っている」
うちなんか、トカゲの尻尾はちゃんと用意しとけ、とか言われんだぞ。二大伯爵家はやっぱ違うわ……。すっげえわ……。
ひたすら感服していると、ジェラルドがこそばゆそうに苦笑した。
「お前は柔軟過ぎてやり過ぎるようだし、僕は融通がきかなくて失敗ばかりなんだ。だから、いい友人になれると思う」
「たしかに、足して割ったらちょうど良さそうですね」
それからは、和やかなものだった。ジェラルドが自分の部屋を見せてくれると申し出て、ランドルフがぴょんと飛び上がる。
カゼッリ家の御曹司のお部屋拝見など一生に一度の機会かもしれない。落ち着こうとして、「大きな帆船模型がありそうですね」と軽口を叩いたら、実際にあると言う。なんと、機関車の、模型までも、持っているそうだ。
トキメキが止まらない。顔面構造だけ特出したランドルフだが、その中身は、かっこいい乗り物に弱い健全な男児なのだ。
行きたくて、見たくて、辛抱たまらない。その切なさを、そわそわモジモジと全身で表して父を見上げる。父から冷静に首肯された。カゼッリ伯爵も、行っておいでと寛容だ。
許可が出た途端、ランドルフはジェラルドとともに仔犬のように走り出した。
「こっちだぞー、ランドルフ!」
「ほんと、ジェラルド坊っちゃんは最高だぜ!」
フィネッティ家が流布した恥ずかしエピソードへ、本人が追い付いた瞬間だった。
□
そろって駆け出していった少年たちを見送る。応接間に茶菓を運ばせ、二人の父親たちは言葉を交わした。
「野花を踏みつけたのは君かね、フィネッティ卿」
「いいえ」
子爵の返答は短い。カゼッリ伯爵は考えこんだ。長い沈黙の後に、子爵へ穏やかに語りかける。
「近く、姪に使いを頼むつもりなんだ。アルベローニ嬢へ、お返しするものがあってね」
子爵の表情は変わらない。涼しい顔をしていたが、テーブルの下、膝に置いた指がピクリと動いた。
「フィリッポは、姪にくっついて離れんだろう。彼らだけでは心許ない。ジェラルドを同席させようと思う。君はどうする、フィネッティ卿。ご子息の立ち合いを希望するかな?」
「ジェラルド卿の良き友人として、お連れいただければ幸いです」
「そうか。では、息子を迎えに行かせよう。ランドルフ君は、我がカゼッリ家の馬車に乗せるといい」
「感謝致します、閣下」
フィネッティ子爵は美しい所作でカップをとると、紅茶を口へ運んだ。カップで隠した唇には、愉快そうな薄い笑みが滲んでいた。