08. だまし絵の構造
お披露目の後、兄リベリオは上機嫌だった。逆に父が難しい顔をしていたのが非常に気になる。
着替えを済ませたランドルフは、帰宅早々、執務室に呼ばれていた。子爵家のご当主様とご嫡男様じきじきに、反省会をしてくださるそうだ。
「ははは、面白い見世物だった。なかなか痛快だったぞ、ランディ。父上からも、褒めてやったらどうですか?」
「詭弁で事実をねじ曲げた機転については評価する。だがな……」
父はうんざりした顔でため息をついた。
「現実は三文芝居じゃないんだぞ。相手をやり込めて終わりじゃない。お前はな、物怖じしないし口が達者だ。視野だって狭くない。だが、馬鹿たれだ。情報を得ておきながら、調べもしない。主観で物事を判断するな。調子づいてやり過ぎる癖を改めろ」
「ええと……」
して、そのこころは? などと言おうものなら、確実に首を絞められる。ランドルフは自分の落ち度について、頭を捻った。
まずひとつは、ジェラルドをおちょくり過ぎたことだろう。冷静になってから、自分でも不味いと反省していた。
「カゼッリ家の方々へ、気遣いが足りませんでした」
ジェラルドはカゼッリ家の次男。彼が後継者になる可能性は十分残されている。実際、ボルジャンノ夫人など大叔母の身で当主になった。ジェラルドを叩きのめして恥をかかせたところで、いたずらに敵を増やすだけだ。
ランドルフは事実を曲げるとき、痛快にやってはいけなかった。もっと退屈に、穏便に、つまらない形で収束させるのが最適解だったのだ。
「そうだ。策謀には相応の根回しと下準備が必要だ。とっさの出来事で用意する時間が無かった、などと言い訳にもならない。リベリオ、この場合の事前準備を教えてやれ」
「汚れ役を任せるトカゲの尻尾を、常に用意しておくんだ、ランディ。焚きつけ方は、兄がお前にやったように、適当に応援して背中を押せばいい。参考にしなさいね」
「兄上、怖い!」
地味に、穏便に、退屈に生きて行こうと、ランドルフは誓った。
「怖くないさ。備えを怠ったお前のために、事後処理だってしてやるんだぞ」
「事後処理?」
「今回は、カゼッリ家だけが泥をかぶる結果になった。このまま放置できない。それはわかるだろ?」
カゼッリ家の失態を、アルベローニ家とフィネッティ家がフォローした、そんな解決方法だった。たしかに、カゼッリ家だけを貶めた状態になっている。
二大伯爵家は均衡を保ち、南部貴族の両翼として頂点に君臨するのが望ましい。そして、フィネッティ家はこれまで通り、血統は悪くないのに妙に卑しい、胡散臭い立ち位置を希望している。
「我が家が大活躍したなんて、持ち上げられるのは宜しくない。『婚約者の元彼登場でランディ君は大パニック、ジェラルド坊っちゃんは残念な子を許してくれました。坊っちゃんは最高だぜ!』的な、恥ずかしエピソードで上書きしていくことになったから。ほら、喜べよ」
「前半あたってるしぃ!」
「ははっ、現実味があって愉快だろ。母上が面白おかしく広めてくださるそうだ。そういうの得意だから」
母はまだ帰宅してない。そういえば、ご婦人方と親睦を深めて帰ると言っていた。お披露目で疲れているのに、息子の後始末に奔走してくれている。
「ううっ、俺が無能なばっかりに、母上まで。すいません……」
「ん? お前は無能なんかじゃないぞ」
馬鹿と言われたばかりだ。無能とは違うのだろうか。ランドルフは首を傾げた。
「まだ未熟なだけだ。ちゃんと能力はあるし、結果だって出している。父上と兄は、お前の成長に期待してる」
リベリオの言葉に、前向きな気持ちになれた。ランドルフはやる気をだして、父から注意されたことを考える。
情報は得ていたのに調査不足だと指摘された。思い込みによって行動していたと。自分はあの場で、何を主観で判断していただろう。
あの時は、ジェラルドがヴァイオレットという少女を庇っていた。ロゼッタが弱い者いじめをしたと主張して。ランドルフはただの言いがかりだと判断し、婚約者を助けに行ったのだ。
「え……」
ランドルフが動揺する。自分の思い込みは、ロゼッタは弱い者いじめなどしない、そう考えたことだ。
違っていた? まさか! だが、他には心当たりがない。
「安心しろ。アルベローニ嬢は、誰かを小突き回して喜ぶ娘じゃない。ご令嬢たちは、手なんて上げてないし、悪口のひとつも言ってないだろうさ」
良かったと安堵しかけたランドルフへ、リベリオが首を横に降る。
「でも違うんだ、ランディ。形が違うだけで、あるにはあったんだ。カゼッリ家の馬鹿たれは、思い付く限り悪し様に罵って、彼女がされたのと同じくらい令嬢たちを侮辱してやりたかったのかもなあ」
カゼッリ家の馬鹿たれとは、おそらくジェラルドのことだ。目を見張るランドルフへ、リベリオが告げる。
「彼はね、アルベローニ嬢たちの、とても貴族らしい傲慢な無神経さに激怒していたんだよ」
いったい、傲慢な無神経さとは何のことだろう。ロゼッタは臆病な性格を誤魔化すため、社交では高慢な態度をとっている。しかし、本来は優しい細やかな性格だ。
けれど、兄リベリオの指摘は、上辺ではなく本質的な部分だと思う。ランドルフには見えないロゼッタの一面。それがジェラルドとリベリオには見えていた。
「たしかに彼は、南部地帯を燃やしかけた浅慮な大馬鹿者だ。だけどな、ランディ。私は、彼の愚かさに呆れる一方で、ほんの少し感心していたんだ。ジェラルド卿はカゼッリ伯爵家の嫡流。ご大層な御曹司の身で、よくあの欺瞞を見抜けたものだ。ヤロウの葉を持つ青菫とは、あんな状況でも信念を曲げないんだな」
分別のない粗暴な子供。そんなジェラルド・カゼッリのイメージが崩れていく。しっかり踏みしめていたはずの足元が、揺らぎ始めた。
青ざめる弟を、リベリオが楽しそうに観察している。
「…………兄上の話は難しすぎて……俺……よくわかりません」
「そのうち嫌でもわかるさ、ランディ」
その時、半分考えごとをしながら、半分息子たちの話を聞いていた父が、唐突に口を開いた。
「カゼッリ家へ先触れを出す。伯爵の返事次第だが、ジェラルド卿とランドルフを和解させる。こちらから先方へ出向く」
突飛さに目を丸くする。五男坊とは違い、嫡男リベリオはすでに納得したようだ。
「伯爵側から謝罪に来られては困りますしね。呼びつけたなんて噂がたっては、後が怖い。ヴァイオレット嬢の件、うちの発案だと疑われていますか?」
「確実に疑われている。カゼッリ派から嫌われているからな。だが、ランドルフのおかげで、伯爵ご本人の心証は悪くない。礼を尽くせば信用されるかもしれん。なにより、あんな下策の主犯扱いは我慢ならない。俺は餌の使い方くらい心得ている」
父は不機嫌に眉をひそめた。リベリオが肩をすくめている。
「しかし、これで二度目ですか……。ランディはジェラルド卿と、妙な縁がありますね」
父と兄の意味深な会話。それを耳にしながら、ランドルフはただポカンと立っていた。聞こえてはいる。だが、内容が全然頭に入ってこない。いちいち話が難しすぎて、脳みその許容範囲をこえていた。
最近、寒くなってきたなぁ……。
ランドルフが思考できたのは、それだけである。
「ランディ。おーい、ランディ」
「はっ!」
「私は父上と話の続きをするから、もう休みなさい。おそらく数日後くらいに、カゼッリ伯爵家へ行くことになるからな」
頷いたランドルフに、リベリオはにこやかに笑う。
「それまで暇だろう。カゼッリ家へ行くまでにヴァイオレット・トゥッチという少女を調べてみなさい。お披露目で泣いてた娘さんで、アルベローニ嬢の異母姉だ。きっと面白いぞ?」
ランドルフの経験上、リベリオの『面白い』は、あてにならない。大体が、人間同士の醜い争いや、キナ臭い出来事ばかりなのだ。