06. 婚約披露
ロゼッタとランドルフの婚約披露は、アルベローニ家のガーデンパーティーで行われた。秋晴れの青空の下、春先に出会ったのと同じ場所で発表できるとは幸先がいい。
南部貴族の大半が、この慶事を歓迎した。二人がお見合いした春のパーティーと比較して段違いに招待客が多い。カゼッリ伯爵を筆頭に、カゼッリ派の貴族たちも来訪している。
また、前回は見かけなかった子息や子女たちが、両親に随伴して大勢参加していた。華やいだ若年貴族たちの装いが、落ち着いた秋の薔薇庭園に楽しい彩りを添えている。
今日は、ボルジャンノ夫人、フィネッティ子爵夫妻、そして子爵家の嫡男が保護者として出席している。彼らに伴われて、二人はまず招待客への挨拶回りにかりだされた。
最初に挨拶したのは、カゼッリ伯爵夫妻である。
名門カゼッリ伯爵家の当主は、壮年の寡黙そうな男性だ。威厳ある佇まいで、思慮深い穏やかな目をしている。紫がかった青い髪は紋章どおりの青菫色。気苦労が耐えないのか白髪が目立つ。
「おめでとう。君たちの婚約を心から祝福しているよ」
そう祝ってくれたカゼッリ伯爵の言葉には、深い安堵が感じられた。ランドルフには意外だったが、考えてみれば当然だと納得する。
二大伯爵家の友誼を示す縁組みで誕生したのがロゼッタである。カゼッリ伯爵は、両家の繋がりを強固にしたかったのだ。
にもかかわらず、自分の身内がアルベローニ家で不和の原因になり、カゼッリ家との溝を深めている。この現状に、頭を痛めているのは、他ならぬ伯爵自身なのだろう。
「二人とも、何か困ったら声をかけなさい。私の妻はロゼッタ嬢の伯母。縁辺なのだから、ロゼッタ嬢もランドルフ君も、遠慮しなくていいんだよ」
それまで、あれが下品な虫けら一族の子息かと、ランドルフを見下していたカゼッリ派の貴族たち。彼らが上辺だけでも取り繕って愛想笑いを浮かべたのは、カゼッリ伯爵の対応のおかげだ。
カゼッリ伯爵夫人とフィリッポは、伯爵の傍らで悔しそうに押し黙っていた。ロゼッタへの敵意とランドルフに対する嘲りを隠そうとしないあたり、この婚約への強い不満が伝わってくる。
ランドルフは父フィネッティ子爵から、ロゼッタたち姉妹は母親が違うのだと、お披露目の前に教わっていた。その辺りのゴタゴタで、フィリッポやカゼッリ伯爵夫人たちとの間に、しこりが残っているという。
事前に不仲だと聞いていても、彼女の心情を思うと、ランドルフはやりきれない気持ちになった。
「ねえ、ロゼッタ。大丈夫?」
カゼッリ伯爵たちと別れて、他の招待客へ挨拶に行く合間だ。ランドルフが耳打ちすると、ロゼッタは眉間を引き絞り、ぎこちなく頷いた。
「心配いらないわ。いつものことだもの」
結局、ロゼッタの姉には挨拶できていない。フィリッポと一緒にパーティーへ来ているらしいが、勝手に従兄と連れ立って、親のそばから離れてしまったそうだ。
社交辞令でさえ祝福を拒む意思表示に思えるのは、ランドルフの邪推だろうか。困った子供たちだとこぼしたカゼッリ伯爵が、チラリと苦い顔をされていたのを思い出す。
「私の家族が、あんな失礼ばかりしてしまって。ごめんなさい、ランドルフ」
「…………なんのこと? 家族について謝るのは、俺のほうさ」
「え?」
「おめかしした君に、母上がまとわりついて困らせただろ。うちは男兄弟ばかりだから、女の子に飢えててね。まったく母上の酷さときたら、腹ペコの虎みたいなもので……ふぎゃっ」
素早く伸びてきた扇が、ランドルフの鼻をぐにっと上に押し上げた。豚鼻の刑は一瞬で終わったが、婚約者の前で執行するとは非道な仕打ちだ。
「おやまあ、扇が滑ってしまったわ。ごめんあそばせ」
鼻を押さえて、むむっと睨むが効果は無い。お披露目のために着飾ったロゼッタの周りをぐるぐる回って『女の子かわいいぃ!』と大はしゃぎしてくれた母は、片眉をひらりと上げると、さっさと前を向いてしまった。
目を丸くしたロゼッタだが、強張っていた青い顔が、ようやくほぐれる。ホッとしたランドルフは、保護者たちとともに挨拶行脚に気合いを入れた。
挨拶回りを済ませると個別の社交が待っている。次期当主であるロゼッタは、同年代の令嬢たちの元へ向かった。
いずれ女伯となる彼女は、領主のつとめだけではなく、女主人としても采配を振るう必要がある。
「さすがですわ、ロゼッタ様。まさか、凄絶な美貌で名高いフィネッティ子爵家のご子息とご婚約されるとは!」
「ランドルフ様のお姿を拝見するのは初めてですが、驚きました。まるで精巧な芸術品のよう」
「銀の御髪がキラキラと輝いて……ふあぁ、素敵ですわぁ」
口々に賛辞を贈るのは、アルベローニ伯爵家が庇護する他家の娘たちだ。彼女たちはアルベローニ派の両親から、次期当主の補佐を命じられている。
「あらあら、何を驚いていらっしゃるのかしら。ランドルフ様ほどの御方でないと、わたくしと釣り合いませんもの、当然でしょう」
少女たちの中心で、小首を傾げたロゼッタが、白い頬に手を添える。華奢な手首を飾る金の腕輪が輝くと、取り巻きは、わぁっ!と明るい歓声を上げた。
ミラノス王国では、婚約の証しに男性から女性へ腕輪を贈る。チェーンタイプのブレスレットではなく、継ぎ目のない輪形のものだ。材質は金か銀。幅広の物が望ましいとされている。
これは女性側の個人資産となり、取り上げることは社会的に許されない。一度贈れば、たとえ破談になろうと女性の物だ。
戦乱の時代から続く伝統で、か弱い女性への救済措置という意味合いが強い。
「綺麗!」
「なんと素晴らしい細工でしょう!」
「いやだわ。皆さん、お気付きになって? ランドルフ様にいただいたのよ」
ランドルフにそんな甲斐性があるわけもなく、フィネッティ家が用意した。大人サイズだが幅広な作りで、注意していれば手から抜け落ちないようになっている。
豪華な黄金の側面に薔薇の意匠をあしらった、繊細な細工彫りが施されていた。
褒めそやされるロゼッタが、ぐるりと周囲を見回した。すぐに、一人の少女に目を止める。その眼光は鷲のようにギラリと鋭い。
「そこのあなた」
「はっ、はい」
びくっと肩を揺らしたのは、気弱そうな少女だった。一際華やかなドレスを着ている。夜会ならともかく、地方貴族の園遊会には華美すぎる装いだ。爵位を買った新興貴族の娘だと、宣伝しているようなものである。
令嬢たちの輪に近付けず、少女は暗い顔でうつむいていた。それが突然、ロゼッタから声をかけられて、オドオドと狼狽えている。
「あなたは、どなたかしら?」
「お、お初に御目にかかります。わたし……いえ、わたくしは、あの、マルター男爵の、娘でっ、ミリアムと申します。こ、こ、この度はご婚約、おめでとうごじゃります」
慣れないカーテシーは不安定で、今にも崩れおちそうだ。たどたどしい口上まで残念すぎる。
しかし、取り巻きたちはミリアムと名乗った少女をクスリとも嗤わない。内心どれだけ小馬鹿にしていようと、静かに様子をうかがっている。
何故なら、新参者の扱いを決めるのは彼女たちではない。名門アルベローニ伯爵家の嫡女ロゼッタが裁決するのだと心得ていた。
「そう、マルター男爵の。孤児院の修復費用を寄付していただいたと、院長からうかがいました。マルター男爵夫人は、よく慰問においでのようですわね。護岸工事の出資にも、ご協力いただけるとか。立派な御両親をお持ちですわ」
「ありがとう……」
厳しい吊し上げを予想していたのか、虚を突かれて素が出たらしい。ハッとした彼女が、慌てて言葉を改める。
「違っ、そのっ、お褒めいただき恐縮でございます、アルベローニ様」
「わたくしのことはロゼッタで結構よ、ミリアムさん。それで? あなたも、ランドルフ様は当家に相応しい、素晴らしい御方だと賛同してくださるかしら?」
「もっ、勿論です、ロゼッタ様」
「道理はわきまえていらっしゃるのね、安心いたしました。仲良くして差し上げてもよろしくてよ。おほほほほ!」
偉そうにふんぞりかえったロゼッタの、高慢ちきな笑い声が響き渡る。
ロゼッタが目配せすると、取り巻きたちは心得たようにスッと動いた。一人分の場所を空け、男爵令嬢を末席へ迎え入れる。下位貴族の娘たちは、無視していたはずの少女へ和やかに話しかけた。
□
「すっごいなー……」
ランドルフは感嘆した。少し離れた場所から、ずっと婚約者を見守っていたのである。
ロゼッタの顔が怖ければ怖いほど、本当は彼女が緊張して泣きそうなのを、ランドルフは知っている。心配して、いつ助けに行こうかと目が離せなくなっていた。
『くぅっ、頑張れ、負けるな、俺がいるよ!』
小声で応援し続けた不審者ランドルフ。だが、婚約者に圧倒されて、いつの間にか見惚れていた。
ロゼッタたちの過剰なランドルフ推しを、真に受けたわけではない。彼女の振る舞いが、次期当主らしくて感動したのだ。挨拶ひとつで下の者たちを諌めた、あのカゼッリ伯爵に通じる采配だった。
ロゼッタは取り巻きとのやり取りで、『フィネッティ家に礼儀をもって接しなさい』『この新興貴族を仲間として受け入れなさい』、そうアルベローニ派の令嬢たちへ通達している。
怯えを隠そうと高飛車な演技に頼ってしまうのが、ロゼッタの悩みだ。
けれど、見合いした半年前より、刺々しさが緩和されている。ランドルフには、次期当主として努力しているロゼッタが、十分かっこよく見えた。
「どうしよう、本当にかっこいいぞ。このままじゃ、俺、捨てられちゃうんじゃないのかな。できることを頑張らないと。えっと、そうだ……」
「おい。待て、愚弟」
ふらふらと婚約者の方向へ歩いていくランドルフの肩に、男らしい大きな手が乗せられた。
「リベリオ兄上」
「ぶつぶつ独り言を溢しているかと思えば、突然、どこへ行くんだお前は」
リベリオ・フィネッティ。子爵家嫡男、六人兄弟の長兄である。精悍な風貌で、父より背が高い。ランドルフの保護者として、両親とともに出席している。子爵家の社交を行う両親に代わって、弟のお目付け役に抜擢された。
「どこって。そりゃ、ロゼッタのところですよ」
「は? どうして」
「えへへ、ロゼッタに今後の予定を聞いて、デートに誘……ふがっ」
キュッと鼻をつままれた。弟たちが世迷言を垂れたとき、一瞬で黙らせるリベリオの小技である。自由すぎる弟が五人もいる長兄は、色々と大変なのだ。
「好かれる努力は確かに大事だ。だがな、後にしなさい、後に」
「ふぁい」
「よろしい。いいかランディ、話術が巧みな男からデートに誘われたほうが、アルベローニ嬢は喜ぶぞ」
「!!」
俄然やる気になったランドルフは、兄と二人で招待客の歓談に加わった。リベリオが懇意にしている貴族ばかり選んでくれたおかげで、問題なく会話が弾む。
兄の友人には、上位家格やカゼッリ派の貴族がいて驚かされた。王都へ進学した学生時代からの友人だという。大切な嫡男であるリベリオと、家庭教師の基礎教育どまりが運命づけられた五男坊ランドルフ。兄弟とはいえ立場が違った。今後の人脈づくりをどうするか、悩ましい課題である。
数人の貴族と話し終えた頃、不穏な気配にリベリオが気付いた。
「なんだ? あの辺り、ちょっと様子がおかしくないか」
若年の令嬢たちが笑いさざめく話し声が止んでいた。嫌な予感がして、リベリオと共に確認へ急ぐ。客たちの間をぬって近付いたランドルフは、目の前の光景に目を見張った。
「ついに醜い本性をあらわしたな。取り巻きを引き連れて弱い者いじめとは、恥を知るがいい!」
青髪の少年が、公衆の面前でロゼッタを大声で罵倒した。
ランドルフと同年代くらいの少年だ。怒りで顔を歪めて、背中に誰かを庇っている。どこかの令嬢らしいが、少年の体に隠れて容姿は不明だ。
ロゼッタは唇を噛み締めた険しい表情で、鋭い眼差しを少年に向けていた。取り巻きたちは、相手を咎めず震えている。身分が低い少女たちは逃がしたのか、ロゼッタの側近だけが残っていた。取り巻きたちが対抗できないあたり、相手は有力貴族の子息だろう。
「おい、やめっ……」
仲裁せねばと、足を踏み出しかけた時だ。聞き捨てならないことを少年は言った。
「お前との縁談が白紙になって、僕は本当に幸運だよ、ロゼッタ!」
青髪の少年の言葉に、ランドルフが凍りついた。