04. 後見人の署名 (前)
ミラノス王国での爵位継承権は、四親等以内の直系血族が得ると定められている。当主の長男が優先され、該当男子がいなければ、女子がこれを継承する。
七年前、ロゼッタの母、先代アルベローニ女伯が儚くなった。継承第一順位ロゼッタは、当時三歳。入婿の父親、フィリッポ・アルベローニが後見人となった。
継承者が未成年の場合、成人年齢に達するまで爵位は一時休止とし、後見人が領地運営や財産管理を代行するのが一般的だ。
だが、現在のアルベローニ家は爵位を休止していない。継承第二順位の大叔母が爵位を預かり、ロゼッタの成人を待っている。
「ご息災で何よりです、アルベローニ伯爵」
「お久しぶりね、フィネッティ卿。相変わらず麗しいこと。そう畏まらず接してくださいな。肩がこってしまうわ」
「それでは、ボルジャンノ夫人とお呼びしましょう。長旅でお疲れではありませんか?」
このおおらかそうな老婦人は、現アルベローニ女伯イメルダ・ボルジャンノ。ロゼッタの曾祖父の娘、祖父の妹で、大叔母にあたる。法衣貴族ボルジャンノ卿へ後妻として嫁いだ女性だ。
年齢を理由に職を辞した夫とともに、今は王都近郊の屋敷で暮らしている。品の良い装いには、さりげなく流行を取り入れており、あかぬけた印象だ。
「疲れなど感じませんよ。待ちかねた日が、ようやく来たんですもの。あなたたちも、そうでしょう?」
ボルジャンノ夫人は、ロゼッタとランドルフへ視線を移すと、茶目っ気たっぷりに片目をつむった。
今日は二人が婚約を結ぶ日だ。両家の間で契約を交わすため、当代女伯とフィネッティ子爵が、アルベローニ領主館に集っている。両家の顧問弁護士も、室内に控えていた。
「ランドルフさんもお元気そうね。わたくしを憶えているかしら」
実は半年前、あのガーデンパーティーで挨拶を交わしている。子爵は息子へ、彼女のことをボルジャンノ卿夫人とだけ紹介した。夫人も爵位を名乗らずじまいで、無知なランドルフは、この小柄な明るいおばあちゃんが偉い人とは思わなかった。
今日とは違って、時代遅れの野暮ったいドレス姿だったこともある。准男爵家のご隠居あたりかと見誤った。
ロゼッタにふられた直後である。手持ちぶさたのランドルフは、薔薇をむしってジャムにしたら美味そうですねとか、あっちの珍しい果物は絶対食べといたほうがいいですよとか、しょうもないことを、コロコロ笑うおばあちゃんへ話したのだ。
よりによって、相手は主催者ご本人だったわけだが。
昨日、しれっとボルジャンノ夫人の正体を明かした父へ、半泣きで抗議したのは言うまでもない。
「その節は、大変ご無礼を……」
「あら、たくさんお喋りできて楽しかったのよ。あなたの人柄を試すような真似をして、こちらこそごめんなさいね」
「いえ、とんでもないです」
試されたのかと驚く一方で、納得もしていた。婿候補が自分では、仕方ないなと思えたのだ。
アルベローニ家といえば、カゼッリ家と並び二大伯爵家と称えられる名門。南部貴族のほとんどが、どちらかの派閥に属している。
気高い紅薔薇の紋章が、アルベローニ家。本家紋には、紅薔薇とともに猛々しく双剣が描かれる。
清廉な青菫の紋章が、カゼッリ家。本家紋には、青菫とともに血止め草ヤロウの葉が描かれる。
ともに高貴な名家と称賛され、ミラノス王国南部地帯に君臨してきた。
一方、フィネッティ家は中立派だ。少数派最大勢力と呼んでもいい。貴族から蔑まれがちな郷士や新興貴族、商人など、多くを傘下に取り込んできた。権威を持たない有力者との繋がりを重視している。
紋章は天秤。公平さの象徴ではなく、金貨を計る天秤だ。露骨すぎて、よく引かれる。
これでも古参貴族の一門だが、高貴さと縁遠い変り者集団とみなされている。南部地帯の商取引に、どこかしらで一枚噛んでおり、粗雑に扱えない厄介な下位貴族筆頭だった。
中立派変人貴族の五男坊と、紅薔薇を継ぐ令嬢との見合い話。釣書を見たボルジャンノ夫人が、人柄を確認したくなるのは当然と言えよう。
ギリギリ及第点をもらえたようだし、ランドルフに遺恨など残らない。
しばらく談笑していると、子爵が懐中時計を取り出した。時間を確認し、弁護士たちへ書類を準備するよう指示を出す。
「それではアルベローニ嬢、息子の子守りをお願い致します」
「えっ、俺は立ち合っちゃ駄目なんですか?」
「これから人の出入りがあるし、子供にうろつかれると邪魔なんだ」
契約を交わすわけだから、文官でも呼びつけているのだろうか。こうきっぱり追い払われると、従うしかなかった。
「安心しろ、お前は他にやることがある」
「なんですか、やることって」
「婚約のお披露目までに、招待客の名前を憶えておけ。無知をさらして恥をかくのはお前だぞ、ランドルフ」
ロゼッタが気の毒そうに、項垂れたランドルフの顔を覗きこむ。
「コンサバトリーに名簿を用意しています。静かですから、きっと集中できますよ。私もお手伝い致しますね」
「うぅ、頑張ります……」
コンサバトリーとは、庭に面した硝子張りの小部屋だ。薔薇庭園を見渡せて、とても眺めが良い。そろそろ秋薔薇の季節である。
退室する際、ロゼッタがチラリと大叔母を見つめた。不安げな次期当主へ、ボルジャンノ夫人は大丈夫だと言う代わりに、小さく頷く。目礼で応じたロゼッタは、サッと本心を微笑みで覆い隠した。
「ランドルフ様、元気を出してください。美味しいお茶とお菓子を用意してあるんです」
「そうなんですか? 急にやる気がみなぎってきました!」
扉が閉まり、子供たちの話し声が離れていく。フィネッティ子爵とボルジャンノ夫人は深刻な面持ちだ。能天気なランドルフだけが、何も知らされていなかった。
□
ランドルフが名簿の暗記に四苦八苦している頃。領主館に一台の馬車が到着した。
車体には、青菫の紋章が刻まれている。青菫のみで、ヤロウの葉は添えられていない。二大伯爵家の一角、カゼッリ一族の分家紋である。
黒に近い青髪の男が馬車の中から降りてくる。身なりのいい、神経質そうな男性だ。アルベローニ家の執事が、恭しく彼を出迎える。
「お帰りなさいませ、フィリッポ様。ご当主様と子爵様が、館内にてお待ちでございます」
彼の名前は、フィリッポ・アルベローニ。ロゼッタの父親である。カゼッリ伯爵の一族から、先代女伯へ婿入りした人物だ。
かつて彼は、ロゼッタの後見人として領主館で暮らしていた。一時は領主代行をつとめたが、ボルジャンノ夫人が新当主となって以来、別邸で姉娘とともに暮らしていた。
ミラノス王国では、婚約と婚姻に家長の許可がいる。未成年が婚約を結ぶ場合は、家長に加えて保護者か後見人の承認が求められる。
現在、アルベローニ伯爵家の運営に、フィリッポは一切携わっていない。だが、ロゼッタの婚約に関しては、当主ボルジャンノ夫人の許可だけでは足りなかった。
後見人の父親が快く一筆書いてくれないと、ロゼッタは成人までランドルフと婚約できないのである。
領主館を見上げたフィリッポの顔が歪む。それは、根深い憎しみの表情だ。
「浅ましい屑どもめ……!」
後見人フィリッポ・アルベローニが、娘ロゼッタの婚約に協力的でないのは明らかだった。