03. 手紙をください
花言葉の件が判明した数日後。アルベローニ家を訪問したランドルフは、目を伏せるロゼッタを固唾を飲んで見守っていた。
あれからすぐ、会いたいと連絡をとった彼は、来月のお茶会を待たずして伯爵家へ駆けつけたのである。
「わたくしは……いえ、私はアルベローニ家の嫡女。いずれ女伯となる者。常に自信をもって行動し、領地領民を繁栄させていく力を示さねばなりません。ですが、現実は理想とかけ離れているんです」
本当は目立つのが苦手で、引っ込み思案な性格なのだと彼女は語る。
社交の場では強気な少女を演じてきた。かなり無理をしているせいか、緊張のあまり悲しくもないのに涙が滲んでくるという。ぐっと眉間に力を入れるのは、泣くのを我慢しているからだ。目力抜群の三白眼に、余裕のない必死さ。それが、あの凶悪な眼差しの真相だった。
趣味は手芸と園芸。黙々と作業する没入感と、仕上がりを見たときの達成感が好きなのだと、恥ずかしそうに教えてくれた。
先日、ランドルフに話してくれたとおり、最近まとまった時間がとれず読書はしていない。ただ、元々は冒険小説が好きで、旅行家の紀行文などもよく読んでいたそうだ。
ようやく触れた見合い相手の人柄である。世間的には退屈な内容かもしれない。しかし、ランドルフにとっては違う。ロゼッタの話に耳を傾けて、興奮のあまり頬が紅潮するほどだ。何故なら彼は、ロゼッタの趣味を聞き出すために三ヶ月もかけたのだから。
「手芸と園芸、いいじゃないですか! 冒険小説は俺も大好きですよ。それと、あの突き刺すような視線。あれは俺を絞め殺したかったわけではなく、泣きそうなのを我慢されていただけなんですね。良かった! 本当に良かった!!」
穏やかに意志疎通できる人間性が、ロゼッタに備わっていた。会話さえ満足に成立しなかった辛い日々は、もう過去のものだ。それだけで大いなる歓喜が込み上げる。彼女の好感度がぐんぐん上昇していくのを、抑えられそうにない。
「お恥ずかしい限りです。こんな女で失望されたでしょう」
「へ?」
失望? なにゆえ? どこらへんに?
ああ、そうか冗談か。まさか気さくに軽口まできいてくれるとは嬉しいな!────そう快活に笑いかけて、ランドルフはギョっとした。
青ざめたロゼッタが、無念そうに唇を噛んでぶるぶる震えていたのである。
たとえるなら、獲物を捕らえる猛禽の眼光。爆発寸前の憤怒の形相に見える。しかし、先程の説明から推測すると、これは涙を堪える苦悩の表情だ。彼女の隠し事を暴いた小癪なランドルフを、フィネッティ一族もろとも闇へ葬る覚悟の兆し、では……ない? ない、はずだ。
ならば、彼女は本気だ。本気で自分を恥じており、失望されたと落ち込んでいる。まるで意味が分からない。
「ちょっ、嘘だろ! 素のあなたの、どこが問題なんですか!?」
「問題だらけです。臆病者の根暗領主なんて、害悪でしかありません」
「傲慢な女性だと誤解される方がマシってことですか? だから、わざわざああいう振る舞いをされている、と……」
「はい」
一応貴族の子供だが、子爵家の五男坊に過ぎないランドルフが、重責を担うロゼッタの心情を理解するのは難しい。
ミラノス王国の南部、旧国境地帯に領地を広げ、資源豊富な鉱山を有する名門アルベローニ家。もうひとつの有力な南部貴族、カゼッリ伯爵家と同格だ。ともに建国の頃より続く名家で、南部貴族においてアルベローニ家とカゼッリ家は、二大伯爵家と称される。
破落戸の世界は、舐められたら終わりだと聞く。野生動物の掟は弱肉強食。
たとえは悪いが、貴族とはいえ人間の集団。荒くれどもや森の獣と似たような、殺伐とした側面があるのかもしれない。二大伯爵家の次期当主ともなると、強靭さが求められるのだろう。
「今の私が、煙たがられているのは知っています。あの居丈高な態度ですから仕方ないわ。もっと淑女らしく、優雅に毅然と振る舞えたらいいのですが、私には難しくて」
「ロゼッタ嬢……」
「こんな不出来な娘では、ランドルフ様のように素敵な方と釣り合いませんね。本来なら、きっとお知り合いにさえなれませんでした。けれど、伯爵家という出自のおかげで、ご縁を結ぶ機会を得られた。たとえ好いていただけなくても、力強い女伯となる将来性をお見せして、信頼していただきたかったの。なのに私ときたら、あんなに取り乱して……ご不快にさせてしまい、申し訳ありません」
まさか、訪問理由を勘違いされているのだろうか。あの程度で動揺するとは如何なものか、そう叱責しに来たと思われている?
浮かれて駆けつけただけのランドルフは困惑した。父親譲りの顔面しか取り柄のない自分への、過分な評価にも戸惑いを覚える。
実のところ、他人から誉めそやされる容姿だって完璧ではない。前髪で隠れているが、額の右側に傷跡があるのだ。ランドルフは伯爵令嬢を落ち込ませるほど、容姿も中身もたいした人間ではないというのに。
「俺が見合いを断らなかったのは、伯爵家が目当てじゃない。あなたの下さった手紙と薔薇が嬉しかったからです。その気遣いが、嬉しかったんだ」
はっと顔を上げたロゼッタへ、ランドルフは良い人ぶるのをやめにした。普段の態度で、彼女へ淡く苦笑する。
こちらも手の内をさらしてしまおう。それで嫌われるなら仕方ない。
「貴族の手紙は隠された意図を読めって、親父には叱られました。だけど俺には、ありのまま、真心しか目に入らなかった。正直、あんな手紙を貰えるとは思わなかったんだ。俺なんて、子爵の五番目の息子ってだけだから。顔が父親似なのは兄貴や弟だって同じで、俺自身に価値はないのに」
「そんなことありません!」
「いいや、そうなんだって。だからね、見合いがどうとかは口実でさ。特別に心を砕いてくれたあなたと、また会いたかっただけなんだ」
そう、ただ会いたかった。単純に、親しくなりたいから招待に応じたのだ。温かい家庭を築けたらいいな、などとふわふわ考えていた馬鹿野郎である。そして、それを悪いとも思えない。
「感情優先だし、地はこんなんで品位なんて皆無。貴族としては失格だ。そもそも貴族って地位にこだわってないし。働いて食っていけるなら、平民だってかまわないと思ってる」
ロゼッタとの縁談が持ち上がるまで、自分は平民になるのだろうと考えていた。軍人か、役人か、商人か。具体的には、まだ決めていなかったけれど。
「呆れたかい、ロゼッタ嬢。失望したか? ごめんな、嫌われたくないから猫被ってたんだ。こんな不出来な俺じゃ、あなたの夫にはなれないのかな」
彼女の真意を見逃すまいと、身を乗り出してじっと目を覗きこむ。真剣に尋ねたランドルフへ、ロゼッタはみるみる顔を赤くした。千切れそうな勢いで、彼女は首を横に振る。
「あなたは、不出来なんかじゃないわ! 私は、ランドルフ様がいいの……ランドルフ様だから、勇気を出して、あの手紙を書いたんです!」
きっぱり断言されて、今度目を伏せるのはランドルフの方だった。顔が熱い。ランドルフだから手紙をくれたと聞かされて、喜ばないほうがどうかしている。
花言葉の件といい、今といい、どうしてこの伯爵令嬢はこちらの心をかき乱してくるのだろう。
「じゃ、じゃあ、お互い不出来でも、失望してもいないってことで、俺、来月も会いに来ていいんだよね?」
「はい。是非……」
両手で顔を覆ったロゼッタが返事をした。首まで赤い。小声のくせに即答だ。
そういうとこが厄介なんだと彼女をなじりたかったが、ろくに口もきけず、帰宅時間になるまでテーブルクロスの端をひたすら弄くり回していた。
□
それからというもの、二人の交流は順調にすすんでいった。
温厚な性格が災いし、押しの強い女性親族から便利に使われてきたランドルフだ。観劇や買い物のおともから愚痴の聞き役、果ては幼児の子守りまで、女性の対応には慣れている。
最初はガチガチに緊張していたロゼッタが、お茶会で自然な微笑みを見せてくれるまで、それほど時間はかからなかった。
「私と文通、ですか?」
「勉強の気分転換になると思いませんか。ほんの一、二行の手紙でいいんです。そうだな、『今日のおやつはチェリーパイでした』とかね」
「まあ! ランドルフ様ったら。うふっ、うふふふ」
頻繁に訪問してしまうと、多忙な彼女に負担をかける。なかなか会えないなら文通しようぜ大作戦を、ちゃっかり遂行するランドルフに、ロゼッタは可笑しそうにクスクス笑った。
しかし、せっかくの明るい笑顔が、すぐに憂いを帯びて暗く翳る。
「……こんなつまらない私に、ランドルフ様の文通相手が、ちゃんとつとまるでしょうか」
またこれだと、ランドルフはモヤモヤした。ロゼッタはいつも、自分を卑下する。それが彼には納得いかず、気にかかっていた。
彼女がつまらない人間?
違和感が凄い。この言動に慣れるまで、貴族的な皮肉かと結構悩んだものである。
ランドルフは、ロゼッタを静かに見つめた。視線でカップを粉砕しそうな形相でありながら、全体的にはしおしおと落ち込んだ気配に包まれている。
強烈に個性的だ。個性の塊と言っても過言ではない。
彼女がつまらない人なら、ランドルフなど石ころみたいなものだろう。顔だけは良いので、分類はたぶん雲母あたりか。ちょっと綺麗だがろくに価値は無く、使いようによっては役に立たなくもない。
「いやだな。あなたに文通相手がつとまらないなら、誰にもできませんよ。だって俺は、あなたの手紙が欲しいんだから」
「ランドルフ様……」
ランドルフの名を呟いたロゼッタは、まるで眩しいものでも見るかのように、ほんの少し目を細めた。
憧憬が、赤い瞳に宿っていた。それも、まじりっけなしの感情だ。純粋な想いを向けられて、ランドルフは胸をふさがれる。
疑いようのない彼女の好意に、喜びを覚えたのは否定できない。けれど、それ以上の違和感に、心の中がざわついた。
────こんなつまらない私に。
彼女はそう言うが、内向的な性格だからといって、ここまで自分自身を過小評価するものだろうか。
他にも、腑に落ちないことがある。ロゼッタの家族についてだ。彼女の母、先代アルベローニ女伯はすでに病没している。父親と姉が別邸に住んでいるのは知っていた。
ロゼッタと見合いしてから、じき半年が経とうとしている。姉はともかく、父親が一度も顔をださないのは、さすがにおかしい。
ランドルフが父フィネッティ子爵に、ロゼッタの家族について尋ねても、質問するにはまだ早いと口をつぐんでしまう。何か知っている様子だが、正式に婚約するまで教える気はなさそうだ。
「ねえ、どうです? 俺にまた、手紙を書いてくれませんか」
「はい。私でよければ、喜んで」
はにかんで頷くロゼッタに、ランドルフはホッとした。これで、彼女の周囲で何かあれば、手紙で相談しやすい状況を用意できたはずだ。頼りにしてくれるか怪しいが、無いよりはマシだろう。
ちなみに、後日届いた彼女からの手紙には、文末にこう書かれていた。
≪追伸、今日のおやつはマカロンでした≫
ランドルフが婚約するつもりの令嬢は、大変聡明なのだが、『つまらない人』の定義だけ間違っている。